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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

長野県の地方区域分類という視点から

2008-11-24 19:50:26 | ひとから学ぶ
 『信濃』11月号(信濃史学会)において、山中鹿次氏が「長野県の地方区域分類の現状と課題-道州制施行問題に関連して-」と題して論文を寄稿している。道州制についてはこれまでにも何度か触れてきたことと、最近のリニア問題などにも関連して、長野県の分裂の危機という捉え方が十分に出てきていると考えている。山中鹿次氏は日本道州制研究会幹事だといい、道州制賛成論者である。検索すると関連ページがたくさん登場してくる。それはともかくとして、果たして山中氏の指摘は長野県においてどうとらえるべきか、そんなところを思い興味深く読んだ。

 山中氏はこれまでの道州制試案において多様な地方区域に分類されている長野県の位置づけをし、次いで国の出先機関や公共機関での長野県の現状を把握、長野県が東西の接点にあって、多様な位置づけにあることに触れている。そして、もともと長野県民にある分割志向と一体思考の矛盾に焦点をあて、もし道州制に組み込まれるとしてどういう方向性があるだろうかという部分を提案している。

 地方制度調査会が2006年に示したものでは長野県はすべての案において「北関東」に区分された。しかし、地方制度調査会以外の案では、必ずしも関東に属すものではなく、さまざまな案があげられている。提案するそれぞれの人々にさまざまな打算があってのことなのだろうが、区割り案ばかりが先行するのも無理のないことである。強いてはそれが将来の自分たちの生活にもかかわってくる。もちろんそれが地域にとってどういう立場になるかということにも関わる。いずれにしても長野県にあっては山中氏が言うように、分割志向がどう働くかということになるのだが、現知事は道州制に対して「市町村と国の二層制で道州制は必要ない」と口にする。もともと現知事は県の役割はサポート役といっており、はっきりしないが県はいずれなくなっても仕方ないという考えを持っているのかもしれない。そこへゆくと前知事の田中康夫氏は、道州制が導入されることで長野県が分裂することを指摘して、それが故に山口村の越県合併に反対していた。田中氏の意図が必ずしも山口村の人々のためになるとは思えなかったが、大局的にみれば長野県の先行きを案じてのものだったわけだ。しかし、リーダーが案じる以上に、わたしには地域は分裂傾向にあると認識している。やはり地域のリーダーたちがどう接しているかが重要で、そうした流れが住民にも雰囲気を醸し出したりする。いや、それ以上に地域に根強いモノが横たわっているのかもしれない。

 山中氏の指摘の中でなるほどと思った視点があった。山梨県では知事が東京都と同じ区割りを希望しているものの、経済同友会は「南関東、東京と同じ州になることで、過疎の進行やゴミ処分場など迷惑施設を押しつけられる懸念から、静岡、山梨、長野による中央州を形成することを主張」と紹介している。山梨県はともかくとして、長野県は関東につこうが中京につこうが、いずれも僻地であることに違いはない。例のリニア問題からいけば、これを扱った掲示板などを伺うと、長野県など相手にされていないという印象は強い。リニアのルートについてごちゃごちゃ言うのなら「長野県を8つに分割し、隣り合う8つの県に併合させれば、すべては丸く収まる」などという意見すらある。確かにその通りかもしれないが、果たして分裂の先に本当にそんな現実があったらどうだろう。いずれにしてもリニア問題は、道州制と大きく絡んでくることも事実で、もし道州制が導入されるとすれば、長野県が「駅の設置を」と望んでいる意図が大きく左右されてくる。もっといえば、直線ルートが現実化したとして、さらには飯田地域が分県してしまったら、長野県には何の価値もないものになってしまう。そういう意味で、なんとか諏訪まで引き上げたいという考えは、いずれ議論にもなる道州制とも絡んでいることは自ずと解るわけである。そしてその接点にある地域だけに、「迷惑施設が押し付けられる」という想像もけして非現実的なものではない。

 山中氏は「道州制議論は長野県の分割志向を再燃させつつある」とまでいう。かつて県庁の綱引きをした長野県には、一体にはなれないものがあった。「春の統一地方選挙の候補者討論会で、「道州制が導入されれば、飯田下伊那地方は県を割っても中京圏へ行くべきか」という問いに、候補者五人全員が同意し、聴衆からも疑問の声は起こらなかった」という。さらに小木曽根羽村長や大平天龍村長の道州制では中京圏以外は考えられないという意識を紹介している。どれほど「信濃の国」を歌おうと、いざとなれば生活圏域は明らかに違うということを示す事例である。

 山中氏の捉えかたにはおそらく南信=中京圏のようなものが見え隠れするが、これは伊那谷という地域をあまり理解されていない視点だと思う。中京圏を望むのは伊那谷ではなく、飯田下伊那ではないだろうか。道州制論者である山中氏は、「現行の長野県の活用」をしながら道州制に移行することを薦めている。「県知事を廃止したり、県職員の身分を道州や市町村に移管するとしても、放送局や本籍地や住民票の記載は長野県の呼称を使用し、道州制の中でも高校野球予選や、運転免許試験場、県立歴史館など現行の県単位で保ち、市民感覚での長野県の存在感は現状と大差ないものとすることである」と述べている。果たしてそんな非現実的な道州制はありえるのだろうか。いずれにしてもいざとなってからでは遅い。接点、そしてもともと分割志向のある地域だけに、山中氏が最後に提案している「長野県から道州制や、広域地方行政に関するシンポジューム開催や、提案。岐阜、静岡、愛知などを交えた日本列島の東西交流のイベントや特別展開催」は必要なことではないだろうか。

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1 コメント

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特集ありがとうございます (山中鹿次)
2009-04-15 00:23:46
私の論文を記事にしていただきありがとうございます。伊那谷の北は確かに南信でひとくくりできないでしょうが、さりとて北関東扱いにも出来ず、道州制になじみにくい場所ですね。奈良時代に信濃国から諏訪国が分けられたが、また信濃国に戻り、戦国時代も信濃北部に上杉が攻め込むように、同じ県というか国を形成しつつ、別の地域と支配圏が形成される矛盾を抱えていると思います。
 関西州の動きが活発でも、京都、奈良というブランド力の高さが官僚の抵抗以上にネックになっている側面があり、道州制問題は都道府県制度の矛盾と愛着が交叉している側面があり、長野を切り口に特集しました。今後は福井嶺南と南信の比較など論文にまとめたいです。またご教示お願いします
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