いつものように起きて会社へ行く支度を始める。いつものように寒い朝である。テレビの天気予報では、今朝は氷点下ではないことを報じている。「へー、そうなんだ」、でもいつものような寒さを体感している。我が家に毎日の気温を知るべく温度計などは設置していない。「そうなんだ」程度で記憶に留め、家を出る。段丘の上は風が強いことで知られるが、どんなに寒くても吹雪でもないかぎり、朝方は穏やかなもの。ところが今日は風が強い。確かに氷点下には達していないのかもしれないが、駅へ歩くわたしの顔に、しっかりと冷たい風が襲い掛かってくる。スラックスの裾の隙間からもしっかりと風は入り込み、氷点下10゜近かったこのところの朝よりも厳しさを体感する。ちょっぴり朝焼けしている東の空には、雲が寝そべっていてお日様を遮っている。
段丘を下る斜面にはずいぶんとひとなった竹やぶがある。強い風にさらされていたわたしは、この竹やぶの道に入るとすっかり穏やかな世界に浸る。防風林の強みである。竹やぶといえば表の世界を隠す陰の世界という印象がある。だからこの道を通るといつも別世界に入ったような気分になる。そう思うのはわたしだけではないはずだ。この季節にはあまり見ないが、夏場にもなると、この竹やぶで囲まれた世界で、道の真ん中に座り込んでいる高校生のカップルに出くわすことは珍しくない。めったに車が通ることがない道だからこその景色なのだが、街頭もない真っ暗な世界にいきなり人影を知るとこちらもびっくりしてしまう。そんなわたしの気持ちはよそに、彼や彼女はひそひそと会話を続ける。段丘崖の斜面を覆うように生える竹が、密かな空間を演出している。そういえばこのあたりにこんな密かな空間は珍しい。当たり前のように毎日歩いているが、むしろわたしはそんな空間の侵入者なのかもしれない。
竹といえば正月の飾りにも必ず登場するひと色であるが、始末の悪いことも事実だ。竹を絶やすことは容易ではない(だからこそ目出度い席に合うのだろう)。生家にも、また妻の実家にも竹やぶの脇に田んぼがあるが、耕作していた時代には毎年苦労したものだ。絶やし難い植生であるにもかかわらず、昔に比べれば竹やぶは減った。山々が切り拓かれて開発されたからという印象ではない。屋敷林が時代とともに消えてきたといった方が正しいだろうか。竹は防風林として利用される針葉樹と違ってそこそこ丈が伸びても自ら切り倒すことができる。そこにいくと、防風林として成長させてしまった針葉樹を管理するのは容易ではない。しかしこの時代に竹を生垣にする人はほとんどいない。生垣程度では防風にならないのも竹の特徴である。一定の森のような空間を作り上げないと防風効果もあがらない。そこでこうした空間が密かな空間として出来上がるのだ。もちろん大きな屋敷を持っている家ならではのこと。そういえば子どものころ「気をつけろ」と言われたような場所はだいたい竹やぶのあるところだった。へんなおじさんが登場する場所には竹やぶが必要だったようだ。やはり影の、そして危なさも抱かせる空間だったのだ。
そんな竹やぶから抜けると、段丘の下に出たにもかかわらず、再び風の中にわたしはさせされた。
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