岩下はさらに裾花川さかのぼったところにある集落である。裾花川から1段上ったところにある山肌にある集落である。岩下に石造物といっても数えるほどしかない。『鬼無里の石仏』(平成6年 鬼無里村教育委員会)によると、その数19箇所、道祖神が1箇所に多数存在するため、基数はそれ以上を数えるが、岩下の道祖神はすべて繭型など自然石系のもの。そのうち、岩下南の林の中にあるという繭型のものを探したが、地図に示された場所に見つからない。道を歩いていたおばさんに問うのだが、はっきりしない。前掲書の写真を見せてもわからず、諦めることに。それでもここまで来て残念と思い、地図に示された周囲を探っていると祭祀物であるオタカラが見えたため、その近くを探っているとまさに繭型の道祖神が、すでに土の中に半分ほど埋まった状態で見つかった。前掲書には「お仮屋ふうのおおいがかけられている」と示されており、すでに屋根は朽ちていたが、おそらく覆屋がかかっていたであろう藁細工の残欠が見られた。その様子からうかがうと、もう数年はこの状態のようだ。ようは、近年覆屋が葺き替えられた様子はなく、信仰対象から忘れ去られようとしているのかもしれない。
前掲書は平成6年に刊行されたもの。おそらく掲載されている写真はさらにさかのぼる年代の写真だろう。したがって写真からは既に30年近い。写真と同じとは限らないのである。岩下を訪れる前に、東京四条にあるお堂東側の繭型道祖神を訪れようとした。大小合わせて13体もあるという繭型の道祖神を見たいと思ったわけであるが、岩下同様に地図に示された場所にそれらは見つからない。外で働いていた人たちに声をかけて聞くのだが、存在を知らない。結果的に諦めたわけであるが、やはり30年ほど前の写真では地元の人たちでもわからないのである。双体であったり、文字碑であったり、その形がはっきりとわかるものは時を経ても容易に忘れられてしまうことはないが、自然石系の、それも小さな石を、継続的に信仰対象物だと認識してもらうにはインパクトがないということなのだろう。同じことは他の地域の自然石系道祖神にも言えること。おそらく自然石系のものは、いずれ忘れさせれ、その存在はわからなくなることが予想される。
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