Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

廃村をゆく人⑪

2008-04-20 12:58:04 | 農村環境
廃村をゆく人⑩より

 HEYANEKOさんとのかかわりから、旧高遠町の廃村芝平が話題になった。芝平の下の集落に近ごろ何度か訪れていたこともあり、芝平について触れているのに最近の情況を知らないのもいけないと思い、久しぶりに芝平を訪れてみることにした。「廃村をゆく人」で紹介し、かつてウェブ上にも公開していた「高遠町芝平地区の民俗(民俗の変化と変容を中心に)」
の調査に入って以来、10年ぶりの入村である。

 HEYANEKOさんの印象にも「廃村」とは言うものの廃村にあらずというコメントがあって、気にはなっていが、10年ぶりの芝平はさらに雰囲気を変えていた。その第一の印象は、以前にも増して人の気配が多くなったということである。山室川沿いの道を走っても、外で農作業をしている人、山菜を物色している人、など何人もの「人」を見るし、家の構えも住人がいることはすぐに解る家が何件もある。加えてとくに目を見張るのは、ログハウスに代表されるような新規住宅が目に付くことである。簡易なプレハブの家を含めると何件もそうした家が増えている。この地の住人だった人とは思えないわけで、どこから来た人々かはしらないが、そんなアンバランスな風景は、廃村にあって廃村にあらずという印象をますます深めるわけである。これはどう考えても「廃村」の部類には入らない。にもかかわらず、芝平というムラは、すでに別のところに継続されているのである。

 もちろんかつての家が朽ち果てている姿もあれば、比較的管理されてしっかりと住める状態の家屋も残る。そしてその周囲のわずかながらの庭や畑には、見事に丈の長い草が枯れ果てている。どう説明したらよいだろう、ムラはそこにはないが、人は暮らす、そんな印象だろうか。10年前とどうなのかと聞かれれば、10年前の方が、まだ旧芝平の人々による管理された空間が残っていたように記憶する。ということは、旧芝平の人々にとっての芝平は明らかに衰退しているようにも受け止められる。その印象を例えば神社の周辺から察知したりする。10年前の神社周辺は、もっと明るい印象があった。ところが今は朽ち果てた印象はないものの、どこか過疎の村悩みを抱えているような風景を見せる。もちろんすでに廃村になったムラなのだから当たり前のことではあるのだが、10年前にはそれを退けるような周辺の息遣いがあった。アンバランスな新住民の空間が、こんな印象を持たせるのかもしれない。もちろんかつての民家とともに、畑がきれいに管理されている空間も見受けられるが、廃村は明らかに廃村になっていくが、住人は増えていくという、まったく正反対の現象がここにはあるのだ。



 道端にはいまだ多くの石碑が残る。信仰が継続されているという印象ないが、石碑はいつまでも芝平の止まった時間を後世に残すのだろ。



 川沿いから一段上った下芝平の空間は、川沿いの印象からすればまったく別空間である。ここからさらに上り詰めると、農業を営む集団が暮らすこれもまた平らな地がある。下芝平の空間は、かつてに比較すると明らかに朽ち果ててきている。火の見櫓の鉄塔に絡みつくように雑草が上り詰め、櫓を覆っている。周辺の平地も見事に雑草の空間となり、わずかばかりの平らには廃村の趣をみる。芝平と一口に言うが、けっこうこの地域は広いのである。


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