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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

廃村をゆく人⑩

2008-04-17 12:40:24 | 農村環境
廃村をゆく人⑨より

 HEYANRKOさんが京都精華大学人文学部(文化表現学科,社会メディア学科,環境社会学科)の1回生に講義をしたことについて、「長野県小谷村真木」で述べている。ここで、「学生には「廃村の活用策について,2つ以上提案してください」という課題が出されました」と述べているが、ここに少しばかりひっかかることがあるとともに、廃村を有効活用するという意識が果たしてどうなんだろう、ということを考えることになる。

 前にも旧高遠町芝平で触れたように、行政側が廃村にする意図は、その集落を行政上集落として扱わないことから、そこを管理する必要がなくなるというメリットがある。道路管理においても、住民がいなければ除雪する必要がなくなるし、安全上の施設を設ける必要もない。また道路が崩落したとしても、その崩落がよそにも影響を与えるような大規模なものでなければ、復旧する必要はない。ようは、人が住まない、そして一般人が入らないということを前提にしている。行政サービスは、集中している方がやり易いことはもちろんであり、それはつまるところ住民に還ってくることになる。だからこそコンパクトな町づくりということになるわけで、住民が住みやすく、また使いやすい空間は、自ずと見えてくる。だから廃村を維持しようという意識は、集団移住をしたかつての廃村とは違うのである。仕方なく人が住まなくなった空間を、維持しようという考えには、文化財的な意識がある。つきなみに言えば、農村風景を残そうというものになるのだろうが、それは別の観点である。

 提案については、「映画のロケ地とする」、「自然を体験できる場所にする」、「田舎暮らしがしたい方に提供する」などを上げたという。提案をするということが、すでに「廃村」という対象ではなく、人のいなくなった村をどう維持するか、という前述したものとはかけ離れた意識がある。たとえば過疎問題をどうすればよいだろうか、とか水田が荒れてしまっているがどうすればよいか、といったものと変わらないのである。そこで捉えられている「廃村」は、人が住まなくなってしまった村という捉えかたが見え、何度も触れるが芝平や半対のような集団移住をしたムラとは違うのである。廃村は本来使われないもの、というわたしの考えとは明らかにかけ離れている。加えて「いろいろな活用例が提案されましたが、「現存の家屋はなるべくそのまま残す」、「その土地の伝統を大切にする」という声」が学生からあったというところから、ムラを自然風景のように捉えていることがわかる。 自然も土地そのものは公とは限らない。もちろん家屋も個人のものである。それを部外者がそのまま残したい、という意識はどこか別世界のことである。そしてもっともそれを強く感じるのは「その土地の伝統を大切にする」というものであって、伝統とは土地の人が住んでいて初めて引き継がれるわけで、廃村になった空間には引き継がれないのである。発言の詳細が不明瞭であって、その辺を理解した上でのものなのかははっきりしない。理解したうえで、例えば大平のように伝統的「建造物」として残すというスタイルはあるだろうが、安易に「伝統的」という言葉遣いは適正ではないはずだ。そしてこれはHEYANEKOさんも取り組もうとしているが、芝平のように集団移住先の暮らしを捉えれば、もしかしたらそこに伝統的なものが継承されている可能性はある。

 モノとして部外者に捉えられるムラだとしたら、そんな議論は山間に住む者にとっては論外のように思う。

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