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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

2月8日の禁忌、道祖神、ワラウマヒキ

2018-11-04 19:26:08 | 民俗学

2月8日の行事を飯田市にみるより

 

 

 2月8日の禁忌という捉え方をしてデータを拾ってみたが、『長野県史』にはそれほど多くのデータが掲載されていなかった。そうしたなか、山仕事に行ってはいけないという例は中信に見られるわけであるが、長野県史以外の報告を参考にすると、山仕事に行ってはいけないという禁忌はけっこう多い。そうした事例と退避する意味で、禁忌ではないが、「山仕事に行く」というまったく正反対の事例をあげてみた。この事例は旧美麻村二重のもので、「二月八日をコトハジメといい、男は山仕事に、女は針仕事や布団作り、まきとりにと本格的に仕事を始めた」とある。コトハジメはそもそも作業の始まりを意図したものという捉え方である。山仕事同様に、「木を伐ってはいけない」というものも山仕事に関連する。ただし、山に入っても良いが、具体的に何の木は伐ってはいけない、という例もあり、必ずしも山へ入ることの禁忌と結びつかない例もある。

 

 

 次は2月8日と道祖神との関係である。道祖神と結びついた事例をあげてみた。とりわけワラウマ引きは典型的なものと言えるが、これについては、後のウラウマヒキの地図で説明する。ワラウマヒキの分布域では、この日を道祖神の祭日としているところが多い。ワラツトに餅を背負わせて道祖神にお参りする例はおおく、「餅を供える」と区別がつかないことも指摘されるだろうが、ここでいう「餅を供える」は必ずしもワラウマに背負わせてお参りする例とは別のものとしてあげた。また、餅を塗りつけるも、餅を供えるとなんら変わりないとも言えるが、あくまでも塗りつける例を別に示してみた。地図上では旧坂井村(現筑北村)山崎の例が突出しているようにも見えるが、中信に見られる餅塗り習俗は、筑北まで分布しているといえよう。山崎では「二月八日をコトオサメといって餅をつき、道祖神の身体に塗りつける」という。2月8日をコトオサメと言っている唯一の『長野県史』上の事例である。また塩尻市宗賀洗馬の例では「二月八日には道祖神の祭りをする。昭和十八年当時、ムラの女子青年が縁遠いということで道祖神を建立してまつるようになった。今は宮総代が管理し、祭りも二月初旬の役員のつごうのいい日に行っている。昔は、疫病神除けに門先でもみ殻を焼き、その中へ唐辛子、さいかちの実、たばこなどを入れておくと病魔を払うといわれた」という。

 

 もうひとつ、前述のワラウマヒキに関するものである。2月8日にワラウマを引くという例は東信から諏訪地域に密度が濃い。いっぽうで初午に引くという例も混在する。そして事例としてはむしろ初午の方が多いことに気がつく。初午には、本物の馬を引いて寺社に参るという例がワラウマヒキ以外の地域に見られる。とりわけ東信では、初午と2月8日を同じ日としているところが多く、故にハツウマなのかコトヨウカなのかはっきりしないところが多い。むしろコトヨウカという意識よりも、初午にワラウマを引くという意識が強いようだ。そう考えると、コトヨウカに引いているという意識があるのかないのか、そう捉えてみないと一概にコトヨウカ行事とも言いにくい面がある。例えば東信の例である。旧東部町西宮では「二月八日をハツウマといって初めて生まれた子供のある家ではワラウマを作り、車をつけた台の上に載せ、ウマの背には餅を入れたツトをつけて道祖神へ供えに行った。餅はつきたてのものにあんこをつけたものを三個、きなこをつけたものをニ個を作って二つのツトにわけ入れ、ツトはウマの背の両側に縛りつけた」(大正まで)といい、立科町塩沢では「二月八日に行う。あんころもちを入れた俵をワラウマにつけてドーロクジンへ引いて行き、ドーロクジンの神体にあんころもちをこすりつけてくる」と言った。南信でも富士見町立沢など「ワラウマに餅をつけて道祖神へ行った」という事例は多い。

続く


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