盃状穴 中編より
子どもの遊びだったというのは、あちこちで聞けるのだが、実際のところ「子どもの遊び」にこうした遊びが記述されていない。『長野県史民俗編』では、中編で記したとおり、第二巻(三)南信地方に掲載された1事例と、巻頭写真だけ。たくさんの情報が収集されたはずなのに、それだけなのである。『長野県上伊那誌』にも子どもの遊びについて記述されていて、かなり詳しく書かれている。しかし、そこに盃状穴に関する遊びは触れられていない。この盃状穴を掘る遊びは、そうとう昔の遊びだったということが言えそうだ。とはいえ、それほど昔の石仏ではないものに見られることから、江戸時代後期あるいは明治になったころまでに流行った遊びだったのではないかと想像する。
少しウェブ上で盃状穴について検索してみた。例えば「45 凹み穴のある石造物(東京・板橋区その2)」には、次のような文献からの引用が掲載されている。
①「石造物の台石の上で、石でたたいたり、こすったりしたよもぎをご飯に入れて食べると、病気にならない、身体の悪いところが治るという風習」(『蕨の石造物』堀江清隆「凹みのある石造物」)
②「盃状穴の習俗は古代からの呪術の一つで、北欧スカンジナビアに発生し、極東シベリア、韓国を経て仏教習合して我が国に伝来したという説もある。病気回復、子孫繁栄、五穀豊穣を願った庶民の意図といえましょうか」(『岩槻史林』中村守「岩槻の盃状穴」)
③「子どもたちが野の草花を摘んでは縁石の上に置き、道端の石を拾ってその草花をコツコツとたたきながらままごと遊びに興じたその跡(しきふるさと史話)より」
④「神仏を信仰する講中などの多くの人が、巡礼とか巡拝した時、信仰の確認のために石でコツコツ叩き、やがて穴になったものと思われる」(『郷土志木』井上国夫「話題の石造物の盃状穴について」)
③がこのあたりでの伝承に最も近いものだろうか。①も③に近いが「病気にならない、身体の悪いところが治る」という話は聞いたことがない。八ヶ岳原人さんの「こんぼった石」には次のような引用例があげられている。
⑤【コンボータ】砂土を寄せ集めて山を作り、くぼませて水を入れ、泥ダンゴを作る。(諏訪四賀村誌編纂委員会『諏訪四賀村誌』〔四賀地区の民俗〕)
⑥【こんぼうた】乾いた土に水を与えて泥の椀をつくる子供の遊び、窪み、くぼたみから転ず、くぼはめぐり高く、中央低きところ、土を山形に盛り上げ、ひじにて中央を押してくぼみをつくり、水を入れれば泥の椀が出来る(※原文ママ)(岩波泰明著『諏訪の方言』)
⑦小原の辻道祖神 双体の道祖神で、頂上部に小さな窪みがある。通称は「コンボウメの穴」と呼ばれる。子宝を願ってたたいた跡が穴になったものである。「コンボウメ」は女児を「コンボウタ」は男児を願い唱えながらたたいたもので、古い時代の社会と嫁の悲哀を物語っている。(米澤村村史編纂委員会『米澤村村誌』)
⑧日影室内道祖神のコンボーメ(タ)跡(子供たちが小石でたたいて掘った穴で、台石に丸い穴がいくつもある)も見事である。(原村『原村誌下巻』〔石造物と仏像〕)
⑦では上新田の道祖神と同じように頂に小さな窪みがあるという。子宝を願ってたたいた跡だという。⑤⑥⑧はいずれも子どもの遊びによるもの。
さて、“富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!“というページに「彼方西光寺の盃状穴」というものがある。そこには「鐘石」のことが書かれていて、「大きな岩にたくさんのくぼみがあって、それぞれに拳ほどの石が乗せられています。この石で岩を打てば、不思議な音色が響きます。鐘石の音は冥土まで届くといわれ、空海の七不思議の一つと伝えられています。」とある。そういえば、わたしの生家の近くに「かんかん石」という石があって、叩くと響くような高音がした。その石にも盃状穴があった。同じような例はけっこうあるようだ。
ということで、盃状穴の例は全国的にもたくさんあるようだ。もちろん意識してみれば、身近にもよく見られるはず、とわたしは思う。
終わり
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