Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

能力低下

2017-03-06 23:43:15 | つぶやき

 人それぞれ能力の違いというものがある。そして年齢によるその能力も低下するわけで、まさか年老いたら能力が上がるなどという人がいるかどうかはともかくとして、ふつうは低下するもの。この地域で最近年で免許を更新した最高齢は98歳だったという。高齢者の事故が多発して免許を返納する勧めがよく聞こえるが、人それぞれで能力差がある上に、その衰えにも個人差がある。だからみなが皆運転免許を返納する必要もないだろうが、それをどう判断するかは個人それぞれ。そして、いずれはその時を迎えるのは誰にもあること。

 五体満足とは、「からだのどの部分にも欠け損じている部分がないこと。また、そのさま。」だという。「欠け損じている」は衰えとは異なるのだろうから、五体満足な人が劣化しても五体満足に変わりはないのだろうが、今は劣化とともに明らかに「欠け損じて」しまう人も少なくない。それが介護度で判断されるのが超高齢化社会の目安だ。もちろん以前から母のことで触れている通り、それを判断する側は、家族からの求めに応じて応えを出すから、若干の誤差も起きる。母のところを訪ねるたびに、「欠け損じ」が積み重なる姿を見ていると、老化は意識低下によっても深みを増すものだとつくづく感じる。たとえば若いときは意識を低下させる余裕さえないほど日々は目まぐるしい。

 さて、わたしも五体満足でこの歳まで過ごすことができたが、能力低下はしだいに感じるようになった。中でもふだんの暮らしに大きな影響を与えるものは何だろうと考えると、やはり目だろうか。鼻の利きが落ちても、耳があまり聞こえなくなっても日々暮らすにはそれほど関係はない。ところが目は厄介だ。とりわけ老眼化すると、一手間もふた手間も厄介になる。わたしはもともと近視だったから、近くは見えていた。近視用のメガネを外せば近くはよく見えるわけだが、焦点距離が年とともに変化していく。パソコンの文字はよほど小さくない限り見えるのだが、自宅で頻繁に使っている解像度の高いもの(1920×1080)は文字が小さいため、最近はペーパーの文字を見るときと同じようにメガネを外しては画面を覗き込むことも。今までの文字の大きさが今の焦点距離では中途半端というわけだ。職場では1280×1024という解像度のモニターとにらめっこをしているが、今はこれくらいがちょうと良い。解像度の高いものは画面内の情報が多いので使いやすいのだが、そろそろ優先順位を入れ替えなくてはならないところにやってきている。

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