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=HITORIGOTO=旅するココロ

 金沢→能登→東京…暮らしでのこと

フラガール

2006-09-27 | たわいもないこと
 どうしても観たかった映画「フラガール」。
 仕事終えて速攻金沢向かって、たどり着いたら、CMも終わって上映が始まっていたけど、気にしない。(だって、なんだか今日みたかったんだもん)
 あらすじは、おおよその展開は、知っていました。だから、観たかったという部分もあるのですが、そんな前評判抜きにして、「きちゃいました」
 私自身、踊りを齧っているので、そういうところで、ダブる部分もあるのかなーなんて思っていたのですが…、「きちゃった」のは、「別れ」とか「家族」とか「夢」とか「女性の生き方」とか、そういうところでした。
 ほんの遠くもないときのこと、私たちが、今当たり前のように享受している「自由」でさえ、ままならない時代があったってこと。
 そして、今、その「自由」はいくらでもあるのに、もっと幸せや楽しみを追い求めずにはいられない時代になっていること。
 もしかして、人は、たった一瞬でも、本当の「幸せ」を感じることができたら、その後は、どんなことがあっても生きていける動物なのかもしれないなぁーなんて思いました。
 そんなことを考えて、七尾まで運転していたら、またまた、ぽろぽろ…どころか、うぇーんって、なりました。ネタバレなのか、なんなのか、分からない感想になりました…笑(20060927)

- そういえば、恋っぽいところのない映画でした。それが、今の私には、安心してみられるというか…(小学生か?!) ポイント高かった理由のひとつかも?!

…長者になる?

2006-09-25 | たわいもないこと
 布のテープを買おうと、アルプラザ鹿島へ。
 帰り道に、おなかすいたなぁと思って、ソフトクリームミックスを。160円を払うと、レシートに当たりが出て、300円の金券を。もう帰ろうと思っていたのに、9月末まで有効という金券を使い果たすために、なにやら物色し始める。500円以上買わなくちゃいけないんだなぁ…と思いつつ。
 パン屋さんで、米粉の食パンを見つけたことをいいことに、ここで600円分くらいパンを買い占める。しめしめ。
 レジで、これ(金券)使っていいですか?と聞くと、アルバイトのお兄さんが、では、3××円になります。と言われ、レシートを出すと、また「当たり」…笑。
 え?、また?? この券使ってまた当たりなんていいの?と思いつつ、お店を出て、また物色…苦笑
 何かこじゃれたものでも買おうかなぁと、小物とかアロマ系の店とか、いろいろ回ってみるけれど、どうも欲しいものが見つからない。やっぱ、食べ物関係だな…笑と、気を取り直して、結局、ダートコーヒーのモカブレンド200gを525円なり。
 レシートが出た時、おばさんが「当たりー」と冗談で言ったのですが、「え;」と引きつってしまいました…
 わらしべ長者ならぬ、ソフトクリーム長者ってとこ…笑(20060925)

風の舞

2006-09-23 | たわいもないこと
 久しぶりに金沢へ。この前は、8月末に仕事で行ったので、なんとまぁ久しぶりの金沢か…笑
 何やら車が多くてびっくりした。(いつからそんな自然児になったんかねぇ?)
 今日は、インド舞踊をやっている方の独舞を見に行った。ぽつねんと、ひとりで。
 足の動きを観て、これはインド舞踊から派生しているものかなぁと思ってみたり、かと思えば、どこまでもアングラ趣味な自分が可笑しくなったり…。
 身体は、どこまでもひとつで、表現しうるものなんだなぁ。だんだんだんだん表現をしつくしていくと、きっと透明になりたいって思うんだろうなぁなんて思った。
 若い頃?、いろいろいろいろ何かになりたいなんて希望に胸膨らませていたけれど、ふと今の私は、透明になりたいなんて思ってたりなんかする。あんなふうに、ひょいと身体を風のようにすることができたら、透明になれるのかなぁ。
 ふっと、公演が終わって、時計をみると、30分あまり。もっと長い時間が流れているかと。
 会場を出たら、ちょっとだけ透明な気持ちになれたような気がした。
 私は私でも、なにものでもない。ただ、ここに在る。それだけのこと。(20060923)

正直な気持ち

2006-09-19 | たわいもないこと
 いろんな気持ちが行き交っていると、私の中にある、小さな気持ちなんて、あっと言う間に翻弄されてしまって、本当の気持ちのありかが、よく分からなくなる。
 ゆるぎのないものに、どんなに憧れていたとしても、私の中には、存在しうるのかなぁなんて不安に思ったりなんかする。
 こんなふうに、あーだ、こーだと思っていたら、あるお話を思い出した。
 ネパールのシェルパのお話…
(どなたかの旅の本に書いてあったと思います)
:::
世界中からやってくる登山隊が、ネパールの山を登るとき、
ネパール人のシェルパさんがお手伝いをします。
(道を案内したり、荷物を背負ったりもします)
とある登山隊が、山道を急いでいました。
数日歩いて、一緒に来たシェルパが、
ぱったりと動かなくなりました。
そのシェルパは、
「(こんなに急いで登ってきたけれど)
『気持ち』がついてきていない。だから、ここで待つ」って。
:::
 本文では「気持ち」ではなくって、「心」って表現だったかもなーと思いつつ、大意は、こんな感じ。
…結論だけを求めると、「気持ち」がおいてきぼりになることってあってほしくないけど、あったりなんかする。
 大切なのは、結論なんかじゃ全然なくって、「気持ち」。
(20060919)

清らか、清浄、清々しさ

2006-09-14 | たわいもないこと
「清らか」「清浄であること」
 こういったものにひかれるのは、どうしてでしょうか?
 生まれたときは、誰もがまっさらな心と身体です。
 でも、生きて行くうちに、いろんなものが蓄積していくのですね。
 もう一度、そのまっさらな心と身体へ…。
 それが、冒頭の言葉とそれにまつわる行為には含まれていると思います。
 ほんとうは、誰もが、まっさらな心と身体を持ち得ています。
 そんな心や、身体のまんなかの部分に近付くことが、「清」ということなのかな。
 そばにいて、清々しい気持ちにさせてくれるのは、知ってか知らずしてか自らそういう気持ちを持っている人、あるいは、そんな気持ちから生まれた行為なんだなぁ。(20060914)