
原爆投下直後の惨状 「絶対悪」
原爆投下時刻で止まった時計
広島原爆資料館で撮影
広島68回目の原爆忌…平和宣言で「絶対悪」
広島市中区の平和記念公園では平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が開かれ、約5万人が犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにした。
世界にはなお1万7000発以上の核弾頭があるとされ、被爆者の悲願である「核兵器なき世界」への道筋は見通せていない。松井一実市長は平和宣言で、「絶対悪」との表現を使い、罪のない人々の命を奪う核兵器の非人道性を訴え、早期廃絶と平和な世界の実現に力を尽くすと述べた。
式典には各地の被爆者や遺族代表、安倍首相ら政府関係者に加え、海外70か国と欧州連合(EU)代表部の代表が出席。核拡散防止条約(NPT)加盟の核保有国では米、英、仏、露、非加盟国ではインド、パキスタン、事実上の保有国とされるイスラエルが大使らを送った。米のルース大使は3回目の参列となった。
原爆投下時刻の午前8時15分、遺族代表らがつく「平和の鐘」の音とともに参列者全員で黙とうして、犠牲者の冥福を祈った。
平和宣言で松井市長は、原爆による心身の傷や差別、偏見を乗り越えてきた被爆者5人の体験談を引き、無差別に命を奪い、心身を終生さいなむ原爆を「非人道兵器の極みであり『絶対悪』」と強調、各国の指導者に廃絶を求めた。日本政府には、核兵器廃絶を目指す国との連携強化や、被爆者援護の充実を要請した。
安倍首相はあいさつで「私たち日本人は唯一の戦争被爆国民。確実に核兵器のない世界を実現していく責務がある」などと述べた。
式典では、この1年間に死亡が確認された被爆者5859人の名前が加えられた死没者名簿が原爆死没者慰霊碑に納められた。名簿は計104冊、死没者数は28万6818人となった。
3月末現在、被爆者は全国で20万1779人。前年同期から9051人減った。平均年齢は78・8歳で、前年より0・7歳上がった。
(2013年8月6日14時19分 読売新聞)
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中国は、今年も参加しなかった。
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原子爆弾は議会を通さず、使用するという前提で計画された
原子爆弾開発に関するマンハッタン計画は、原爆議会の承認も得ずに、ほぼ20億ドルものお金をつぎこみ遂行された。この計画を政治的に正当化するには、それを実際に使用する以外に手はなかった。約20億ドルもの費用をつぎ込んだマンハッタン計画だったが、これに関して議会はほとんど言っていいほど知らされていなかった。
ヘンリー・スチムソン隆軍長官、ジョージ・マーシャル陵軍参謀総長は、ごく一部の議員に計画の存在を話した。そして彼らは、主要な歳出委員会のほとんどのメンバーを含む、他の議員たちに計画の存在を悟られることなく、必要とされる金を軍の予算に流用したのである。大統領府と立法府におけるほんの一握りの人間が、暗黙のうちに、通常の歳出プロセスを無規した行動をとったのである。
1944年3月、当時、議会の特別調査貴会の委員長職にあったある民主党のハリー・トルーマン上院議員が、大統領府が膨大なコストを要するプロジェクトに従事していることを暴き出そうと試みたが、マーシャルは、この計画に関する調査を止めるようにトルーマンを説得し、緒局彼は、1945年の4月12日に突然大統額に就任するまでは、この計画が何らかの新型爆弾に関するものであるということ以上の事実は知らなかった。
1945年初め、民主党のジェームス・バーンズは、マンハッタン計画が無用の長物になりはしないかと懸念し始めた。彼は、大統領に、もしこの計画が失敗に終われば、情け容赦のない調査が行なわれ、厳しく批判されることになるだろう、と警告した。だが、こうしたバーンズの懸念も、スチムソンとマーシャルの説得で払拭された。
スチムソンとマーシャルは、状況を、幾分誇張しながら、「もし計画が成功すれば、調査が行なわれることあり得ないし、もし失敗したとしても、(計画をだれも知らない以上)たいした調査はできない」と説明した。
議会の承認も得ずに、そうでなければ、他の軍事プロジェクトにまわしてより有効に利用できていた可能性のある希少な資源を一カ所に集め、しかも、ほぼ20億ドルものお金をつぎ込んだ計画を政治的に正当化するには、それを実際に使用する以外に手はなかった。それが、原子爆弾の使用という形で劇的に誇示されなかったとすれば、マンハッタン計画は膨大な無駄とみなされていたのである。
何を攻撃目標とするか
敵国の市民であれば大量虐殺さえもむしろ好ましいとさえ考えるような、新たな道徳価値観のもと、原爆投下作戦の従事者は、原子爆弾の投下目標として、直径3マイル以内に人口密集地帯がある大都市部」を選ぶことに合意した。
原子爆弾計画を担当していたグローブス少将は、新型兵器について2500機の爆撃機が同時に通常爆弾を投下した場含とほぼ同じ威力を持つ、まったく新たな破壌性をもつ兵器であることを理解していた。彼らは、この爆弾は「地面よりもかなり高い地点で爆発し、その爆風によって物的ダメージがもたらされる。したがって、たとえ、それが最低限の効率でしか爆発しなかった場含でも、可能な限り多くの住宅や工場を修復不能なまでに破壌することができると想定していた。
彼らは、原爆が完成するのは1945年の夏と考えられていたが、たとえ日本の夏の気象状況が爆弾の投下には必ずしも好ましくないとしても、この切り札を無駄遣いしてはならぬと考え、レーダーではなく、目で確認して爆弾を投下することを決定した。
当時、米空軍は東京、横浜、名古屋、大阪、京都、神戸、八幡、長騎を組織的に爆撃していた。空軍は、日本の主要な都市を廃墟同然とすることを目的とする作戦に従事し、既存の計画では、東京そのものを破壊しつくすことになっていた。
第二次世界大戦で、ドイツのドレスデンに対する大規模な空爆が実施され、米国市民も反対を表明しなかったので、意図的に日本の民間人を大規模に殺戮することに抵抗するものはいなかった。
非戦闘員を巻き込まないという第二次世界大戦前の道徳観も、熾烈な戦闘という環境のもとで瓦解していった。1945年の3月9日から10日にかけて実施された、東京への空爆作戦では、約8万人の民間人が犠牲になった。
米国のB-29爆撃機は、手のつけようない大火災を起こそうと東京の人口密集地帯に焼夷弾を投下した。市民を巻き込んだ形でのこのような新たな戦争形態をとるのは、ヨーロッパにおいてよりも日本においてのほうが心理的にやりやすかった。
なぜなら、米国民とその指導者の多くにとって、日本人は「黄色い人間以下の存在」のように考えていたからである。
原爆投下作戦に従事していたものは、敵国の市民であれば大量殺戮さえもむしろ好ましいという考え方に基づいて、直径3マイル以内に人口密集地帯がある大都市部を選ぶことにした。空軍側は、現在の空爆作戦の実施現状から考えて、1946年1月1日までには日本に対する戦略爆撃を完全に終了する可能性があり、原子爆弾の投下目標を探し出すのは困難かもしれないと考えていた。つまり、すでに日本は相当規模爆撃しつくされていた。
空軍の爆撃で優先的攻撃目標にリストアップされておらず、いまだ手つかずの状態にあるという観点から、大都市である広島、鉄鋼産業で有名な八幡、横浜、そして、もはや現実的には爆撃し尽くされ、燃え尽きて、皇居以外は瓦礫の山と化してしている可能性のある東京という、4つの都布に的を絞った議論が行なわた。さらに、東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保に関しても、今後の検討対象とされた。
投下目標都市の選定要素は、一つには、爆弾がどのように機能するか、つまり、爆風、熱風、放射能がどのようなバランスで広がりをみせるかだった。
そこで、京都、広島、横浜、小倉という4つの都市を主要な攻撃目標として選び出し、予備のために第5の侯補地として、テニアン基地の第509編隊からみれば、これらの都市よりもさらに遠隔に位置する新潟を選んだのである。
京都はなぜ投下目標にならなかったか
日本の古都で多くの寺院が存在し、100万の人口をもつ京都は、もっとも魅カ的な投下目標と考えられていた。委員会は、心理的側面から見ても、京都は日本の知性の中心地であり、それゆえに、人々が原子爆弾のインパクトをより的確に理解するという利点があると考えていた。彼らは、知識人と目されている京都の人であれば、爆撃を生きのび、惨劇を目撃した彼らの証言を、他の地域の日本人が信用する可能性が高いと考えたのである。
京都が日本の歴史、文化の中心的都市であったから、投下目標から除外したわけではない。スチムソンは、作成された爆撃リストから京都をはずすことに関しては毅然たる態度をとった。とはいえ、スチムソンが京都市民の命を救おうと試みたわけではなく、彼は京都の文化的遺産を救おうとしただけだった。とうのも、彼は、京都の文化遺産を破壊してしまえば、日本は米国に敵意を抱き、ソビエトの側につこうとするとかもしれないと考えたのである。
そうした野蛮な行為の結果、日本人が米国に対して抱く敵意は、戦後において日本人が米国人と和解するのを長期的に不可能とし、むしろ、日本人はソビエトと和解してしまうかもしれない。つまり、京都の文化財を攻撃目標とすることは、ロシアが満州に侵攻した際に、日本を米国寄りにするといる米国の政策の遂行を妨げると考えたのである。
原爆投下はソビエトを牽制するため
ルーズベルトや彼の側近たちは、当初から、原子爆弾のことを、開発が成功した場合にはまずドイツに対して使用すべき合法的な兵器とみなしていた。ルーズベルトと彼の側近たちは、原爆開発が成功する前にドイヅが降伏するのは状況からみてほぼ間違いなく、1944年半ばまでには原子爆弾がドイツではなく、日本に対して使用される可能性が高くなっていることを理解するようになった。ルーズベルトとチャーチル首相は、1944年9月のハイドパーク会談での秘密メモランダムにおいて、原爆の攻撃目標をドイツから日本へと変更することに合意している。
原爆投下作戦に関与していた者は、原子爆弾が恐怖の兵器として認識されることを最重要と考えていた。彼らは、日本に対して最大限の心理的インパクトを与えるとともに、米国がまったく新たな力を保有したことを、世界、特にソビエトに認識させるような形で使用されるべきだと考えていた。膨大な人的犠牲と破壌を前にすれば、日本人は恐怖心を抱くだけでなく、降伏を求めるようになると予想されるし、さらに「ボーナス」(おまけ)として他の国、特にソビエトを威圧することにもなる。つまり、原爆の投下は、戦争の終結を早めるとともに、カードになると考えていたのである。
たとえソビエトと現実に軍事的協調行動をとるようになった場含でも、彼らに原爆の開発計画を悟られないようにすることを決めていた。米国の政策決定者たちは、原爆を保有していれば、ソビエトの将来における行動を牽制することが可能と考えたからである。
原爆投下が問いかけるもの、道徳観の衰退
原爆が戦争終結の時期を早めたという議論の根拠は乏しい。たとえ原子爆弾を投下していなくても、ソビエトの参戦によって、1945年11月前には日本は降伏していた可能性があった。米国の指導者のなかで、1945年の春から夏の段階において、50万の米国人将兵の命を救うために原爆を使用すべきだと考えていた者など一人としていなかった。
広島や長崎への原爆投下を可能にしたのは、20億ドルもの資金を投入したプロジェクトのもつ政治的な動き、そして、第二次大戦の熾烈な戦闘を通じて市民を戦闘行為に巻き込まないという旧来の道徳観が崩れていたからである。
原爆という新型兵器の用い方を誤れば、米国は汚名を被ることになると一部少数の者が懸念をいだいていたが、それが大勢を占めることはなかった。米国だけでなく英国、ソビエト、中国の戦争指導者は誰一人として原爆の使用に異を唱えたものはいなかった。
戦後、米国は、なぜ原爆が投下したのか、それかどのように使用されたのか、道徳徳的問題はないのか、もしドイツ降伏前に原爆が完成していれば原爆はドイツに対して使用される可能性があったのか?
なぜ、都市が投下目標とされ、その結果、多くの民間人が犠牲になってしまったのか? 1945年の11月1日に予定されていた九州への上陵作戦(オリンピック作戦)を回避し、戦争を遠やかに終結させるための他の手段は存在しなかったのか。
こうした疑問に対し、当時の米国の原爆投下作戦に関与した者が、原爆を広島や長騎に投下するまでの検討段階において、道徳的な問題を真剣に考慮したのだろうか。
米国は、世界で唯一原爆を実戦に使用したが、原爆の開発から実戦投下にいたる過程で見せた道徳観の欠如は明白である。第二次世界大戦後も他国、特に核保有国の行動を牽制するためのカードとして大量の核戦力を保有し、絶えずその改良に腐心している。
米中は歴史カードを共有している
12月5日の総会審議では、まず委員会の委託を受けている民間専門機関が、
「原爆ドーム」について紹介、「平和の記念碑」として評価するとの見解を示した。
その直後、中国代表が、「第二次大戦中、他のアジアの国々でも多大な人命、
財産が失われたのに、こうした歴史を認めない少数の人々がいる。
(原爆ドームの)登録は、こうした人々に悪用されかねないので、立場を留保す
る」との政府声明を読み上げた。中国は、今年も参加しなかった。
議長が、各国代表に異議がないかを確認、全会一致の承認の形をとったが、
米国代表が「歴史観の欠如を憂慮する。米国が原爆を使用する前に起きた出来
事が、広島の悲劇を理解するための重要な要素になる」と表明、中国に続いて
「決定プロセスに参加しない」立場を示した。
米国は日本が真珠湾攻撃を行なうに至るまでの対日政策を顧みることなく、原爆投下に至る前のことを取り上げて、非戦闘員の意図的な大虐殺という汚名を被ることを避けるため日本の“歴史観”を論っている。戦争終結のためには、原爆投下は必要なかったのである。
戦後、核兵器による恐飾の時代の到来を招く契機となったのは米国の原爆の実戦使用である。米国は現在も核兵器の性能向上に余念が無い。米国のこのよう手前勝手な姿勢が米国に対する不信を増幅している。
米国が「核兵器のない世界」を目指すなら、これらの疑問に答えねばならない。
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