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Change is Chance!今、この瞬間に変われる!

スピリチュアルな力を持つメンタル・カウンセラーeRi
★顔・心・体を通じて魂の成長をサポートする活動と日常のできごと。

True Colorsを見つけるためのセッション


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50代女性。小学生の頃のトラウマを解除する。

2012年01月09日 | カウンセリングの現場から

先日、カウンセリングが終わったところで、クライアントさんから
言われました。

「私の体験、よかったらブログで紹介してください」。

ご自分の体験が他の人の役に立つことがあるかもしれない
から、と仰ってくださいました。

それでは、ご厚意をありがたく

田中綾子さん(仮称)女性・50歳。

ヒプノセラピー(催眠療法)の一部、『前世療法』という本を
読んで以来、「自分の前世を見てみたいと、ずっと
思っていたんです」とキラキラした笑顔で来談。

悩みなんてあるのかしら、と思うほど明るく元気な女性に
見えるけれど・・・。

しかし事前カウンセリングの中で、「自信が無い」という
フレーズが何度か出てきたことが気にかかる。

そこで「自信が無いことについて少し話してみませんか?」と
訊いてみました。

すると、「子供の頃のトラウマが関係しているのは分かって
いるんです。前にスピリチュアルカウンセラーの先生に、
前世のカルマがあるって聞いているから」。

「聞かせてもらっていいですか?」と私。

「実は、子供の時・・・」と、話し始めた綾子さんだけれど、
次の瞬間お顔が苦痛に歪み、わっと泣き始めました。

「ごめんなさい、この事を考える冷静でいられなくなって
しまうんです。」

ごめんなさい、そういうところ、あえて掘り下げるのが
私の仕事なんです・・・、と心の中で謝りながら、
「話せますか?」と促す私。

綾子さんのお話を要約すると、小学校4年生のとき、
突然男子生徒の一部からイジメられるようになった。

頭が悪いとか、容姿についての暴言、机を離される、
一緒に行動しない等の仲間外れにあった。

しかし女子学生からは、かばってもらうなど良好な人間関係。

成績も容姿も、後ろ指を指されるようなところは無く、
大人になった今も理由は分からないそう。

最初は一部の男子によるイジメだったけれど、
次第に男子生徒の間に広がり、中学校を卒業するまで
イジメは続いた。

そのような状況でも学校を休むことなく通学を続けたと
聞いて、私はAさんの一途な強さというリソース(財産)を
確認しました。

けれどそのトラウマがあって、35年たった今も
若い男性が怖くて仕方ないと言う。

そして人格否定され続けたことによって自尊心は傷つき、
いつしか「佐藤(旧姓)綾子のくせに!」と、自分で自分を
責める癖が出来上がったそう。

その言葉は大人になった今も時折り頭に浮かんできては、
行動に制限を与えていることもカウンセリングの中で
浮かび上がってきました。

例えば、いま資格試験に挑戦している綾子さんですが、
スムーズに暗記できないときには、イジメられている時に
言われた暴言が頭に響き、「私はダメだ。佐藤綾子だもの」と
落ち込んでしまうことも。

その他にも、人から称賛の言葉をもらったとしても、
「イジメられていた私なんか、褒めてもらう資格ない」と
自分のダメなところを引き合いに出して言葉にし、
その場を自分も相手もネガティブな気持ちにさせてしまうなど、
綾子さんにとってこのトラウマは今も日常に影響を
与え続けているのです。

綾子さんは今は結婚されて幸せな家庭をお持ちだけれど、
50代になった今も、その頃のことを思えば瞬時にわっと涙が
こぼれ落ちるぐらい、体験はつい昨日の記憶のように生々しい。

綾子さんは、この経験から人への思いやりや優しさを
学んだと言います。

以前、このことをスピリチュアル・カウンセラーに見てもらって、
過去世にイジメる側の人生を経験している故に、
カルマとして今世は逆の体験をしたのだと知って、納得したと
言います。

しかし「頭」の理解と「心」の理解は別物なのでしょう。

私から見れば、まだまだ心の方は癒えていないように思えました。

そして、「佐藤綾子のくせに!」と自分を責めて萎縮させる
綾子さんの”一部”と【決別する時に来ている】と感じました。

そこで熱望されていた前世療法の前に、そのトラウマを
解除するワークを取り入れていいかお聞きしてみると、
「ぜひやりたい」と快諾。

さっそくワークにとりかかりました。

するとすぐに、癒えていない綾子さんの一部(私はパートと
呼んでいます)が現れます。

一般的には「インナーチャイルド」と呼ばれるパート。
人間の子供の姿ではなかったけれど。

「トラウマ」というのは、【過去】の出来事でありながら、
今もなお、蘇れば生々しい感情と痛みを持って現れる
【現在進行形】の出来事。

それを終わらせ、平凡な【過去】の出来事の1つに
したいと思いました。

ワークを一通り試みた結果、綾子さんのインナーチャイルド
(イジメを体験し、その感情を持ち続けている綾子さんの
一部)はトラウマが癒えるにつれ、すっかり大人になって
昇華していきました。

けれど、まだ何か残っているご様子。

そこで再度ワークを試みる。

すると、このトラウマを「もう忘れてほしい」という
別なパートが出てきました。

パートが要求する通り、忘れるための作業を綾子さんと
行いました。

 

私はワークを試みた後には、必ず検証を行います。

ワーク前、トラウマを思い出そうとするだけで涙がこみあげて
いた綾子さん。

ワーク後には「どうでも良くなっちゃった」と笑って話す。

この「どうでも良くなっちゃった」というのは、
私が聞きたい最高の言葉。トラウマを手放した証でもあります。

しかし人の心は複雑。
長年持ち続けていたトラウマがあることで、それが何かに対して
バランスを保つ上でポジティブに働いていることがあるのです。

時にトラウマが消えたことで、そのバランスが崩れて新たな
問題が浮上してくることも。

「自信が無い」ことで「慎重さを保つ」など、ネガティブと
思われがちな問題が、ある角度から見ればポジティブな
結果を導いていることもあるのです。

そのようなわけで、「しばらくは様子を見てみましょう。
何か不都合があればまた検討しましょう」と綾子さんに
伝えました。

そしていよいよ綾子さん熱望の『前世』へのタイムトラベルを
催眠で行いました。

催眠療法に限ったことではないけれど、潜在意識から
受け取るメッセージは壮大で普遍的なテーマとなる
ことが多いです。

綾子さんもとても温かいメッセージを受け取ったみたい。
タイムトラベル中にもたくさんデトックスして、
現実に戻ったときには晴れ晴れとした表情に変わりました。

それはオーラにも現れていました。
セッション後の綾子さんのオーラはキレイなイエローの
オーラで、キラッキラと輝いていました

オーラは隠そうと思っても隠せない。
誤魔化しが効かないものです。

明るく溌剌とした「田中綾子さん」が戻ってきたのだなぁ。
よかったな♪と思いました。

そして残った時間でスピリチュアル・リーディングを行いました。

ガイドの言葉もお伝えしたけれど、ガイドの言葉はいつも
ダイレクトに心に響きます。

ほんと、叶いません、ガイドには。
たった一言で現状を変える力がある(^^;)

トラウマは、自分で気づいているよりも大きな支配力を
持っています。

それに気づいて解除するのもアリだし、あえて残すのもアリ。

残すのは上記に書いたとおり、それがあることでプラスに
働いていることもあるから。

先日トラウマではないけれど、友達からこのような話を
聞きました。

友達は、言いたいことが言えずに不満がたまると
アトピーが出てくるといいます。

さぞや辛いだろうに。「解除するお手伝いしようか?」と
言おうとしたら、
「でもいいの。この不満を相手に伝えられるようにするのが
私の課題だと思っているから。」と友達。

スバラシイと思いました。
内心、「ガンバレ!」とエールを送りました。

『問題は問題にあらず。成長のためのきっかけ』。
私のカウンセリングのモットーを彼女の言葉によって
支持されたように思いました。

ただ言えるのは、トラウマも問題も、解除(解消)したくなったら
解除できるものであるということ。

トラウマがあることで人生を諦める必要はないのです。

綾子さんの体験が、今後どのような変化をもたらすかは
後日インタビューできる機会があれば(そしてシェアする
お許しをいただければ)報告したいと思います。

綾子さん、体験を紹介することを許してくださって
ありがとうございました。

新たな目標に向かって進む綾子さんをずっと応援しています!

 

 


どんな過去も否定しなくていい、と私は思っている。

2011年12月17日 | カウンセリングの現場から

昨日のブログで、
「今」の連続が「過去」を創ってきたことに気づき、
これから起こる「未来」を「今」の延長とすることを選ぶのか、
新しい「未来」を作ることを選ぶのか、
選択はあなた次第です。

と書いたら、

「やっぱり過去は捨てなきゃダメですか?」と
ご質問を頂きました。

 

どうしてそう思われたのか、詳しく分からないので
迂闊に回答することは避けたいのですが、
私の意見としては答えは「NO」です。

 

今の自分を創ってきたのは、「過去」の積み重ねが
あってこそ。

たとえ好ましいと思えない過去であっても、
私たちはそこから得られる希望を見出すことが出来ます。

あるいは今は好ましくない状況だけれど、
過去には誇れる日々があったと言う人もいることでしょう。

あなたがそうだとしたら、過去の誇れる経験を
もう一度活かせる道を考えてみませんか?

過去に誇れることがあったなら、それはあなたの貴重な
リソースです。

リソースとはカウンセリング用語で「資源」のこと。

そのとき、どんな状況で、どんな気持ちで過ごしたのか?

 

何に目を向けるかで、起こった出来事は同じでも
味わう経験が変わります。

 

今のあなたを創ってきたのは、過去のあなた。
そのあなたを否定してしまっては、あなたの中の
一部が悲しみませんか?

 

富士山の頂上へ行くには、様々なルートが用意されて
います。

それは私たちの人生も同じではないでしょうか?

どの道を選ぼうとも、それは遠回りや近道することに
意味があるのでなく、そこで経験することが大事だと
思うのです。

だから「過去は捨てなくてもいい」と思うのです。

 

でも中には消したい過去があるかもしれませんね。

私のカウンセリングにはトラウマがあるなどして、
「あの過去を消したい」と仰る人がやってきます。

けれど丁寧に過去を振り返るお手伝いをしていくと、
「あの過去があってよかった」と思い直す人ばかりです。

そういう方たちは、出来事の一面にフォーカスし、
そこから逃れられないと思い込んでいるように見えます。

私たちは出来事を、起こった事実+感情のセットで
捉えています。

たとえ事実は変わらずとも、プラスされる感情を
変えることで経験した出来事が変わります。

過去に戻って感情を変えると、現実に戻ってきたときには
過去に対する意味づけが変わります。

「過去は変えられないもの」ではなく、変えられるものです。

同様に、今想定している未来も変えられるのです。

 

答えになっているかな


自分にしか歩けない道を歩くことが依存からの脱出

2011年11月19日 | カウンセリングの現場から

先日から依存について考えています。

(1)物に対する依存
(2)行為における依存については先日書いてみたので、
今日は
(3)人間関係における依存について。

これは(1)(2)に比べて難しい問題だと個人的には
考えています。

なぜなら目に見えず、本人の自覚が伴わないことが
多いから。

親への依存、パートナーへの依存、師匠への依存。

それが親子、パートナー同士、師弟同士に依存し合うと
「共依存」と呼ばれます。

 

「依存する」と言うと、どちらかと言えば自分に自信が無く、
か弱い立場を想像されがちですが、
その在り方はそう単純なものとは言い切れません。

依存は、依存できる相手がいてこそ関係が成り立ちます。

お互いが共に自覚が無くとも、どちらが先とは言えずとも
いつからか関係が成り立っている場合も多いのです。

 

そもそも「共依存」という学術的な名称はありません。

子が社会人になっても、まだ親が子の生活に干渉するとか、
亭主関白の度が過ぎるなど、傍から見れば少し行き過ぎて
いると思うのであれば「共依存」を疑ってもいいかもしれません。

逆に、傍目にはどうかと思うけれど、だからと言って
その関係を「共依存」と決め付けることもできません。

「依存」と「信頼」を分ける境界線は微妙なものです。
しかしそれを敢えて分けるなら、当事者が心地よいかどうか、と
いうことでしょうか?

依存の発生は、幼少期の育てられ方に原因があるとみる
治療者がほとんどかもしれません。

しかし親の養育方法を過去にさかのぼって否定してみたところで
問題の解決になるのかな、と個人的には疑問です。

むしろ何かしらの問題があったとき、その原因を養育環境に
限定してしまうことの方が私は心配。

 

依存する側が弱い立場とも限らない、と書きましたが、
表現の方法としては逆とも見られるときがあるからです。

DV(親しい仲での暴力)では暴力を振るう側に
問題があるように思われがちですが、実は暴力を
振るわれている側がそう仕向けているケースも多いのです。

もしも「付き合う人がいつも暴力的だ」と思っているならば、
認めるのは辛いでしょうが「自分がそうさせている」と
考える勇気も必要ではないでしょうか。

わざとイライラさせる、怒らせる、暴力を振るわせる。

けれどそれらは意図的なものでなく、あくまでも自分で
コントロールできない「潜在意識から行われている」ことを
知ってください。

人間は常に誰かと関わっていたいと願う本能的な欲求が
あります。
それが仮に否定的な表現(暴力など)であっても、
存在を無視されるよりは心が満たされる。

それ(ストロークといいます)を求めて無意識な行動を
とっていることはよくあることなのです。

DVの実情には、言葉の暴力や無視するなどの行動も
含まれます。近年では夫が妻からDVを受けていると
感じているケースが急増しています。 

一番近しい関係にいながら、最も遠い関係となる前に
手を打ってほしいと思います。

もっとも、相手への期待があるからこそ
否定的な言動に走っていることが多いと思うのですが・・。

 

さて依存に話を戻しましょう。

依存から抜け出すには、答えは1つ。
自立することです。

自信をつけるとか、自分を好きになる、強くなるというのも
自立の1つですが、ここで言いたいのは部分を見るのでなく、
もっと広い意味で心的に成長するということです。

親に依存して育った人は、やがて親の手を離れても
パートナーに依存を始める傾向が強いです。

自分に子供が出来れば、今度は子供に依存し始めることも。

心的な成長とは、自分の弱さや未熟さを認めることも
含まれます。それを克服するにはそれらを排除するのでなく、
自分にはそういう部分もあるなぁ、と自分の一部として
育てるのです。

 

先日も書きましたが、私は依存を否定しません。
依存することで何らかのバランスをとっていると思うから。

ただそれを望ましい方法に変化させてやればいい。

 

それにはどうしたらいいか?

自分の道を生きることです。
それは何も孤独な独りの道というわけではありません。

けれど自分にしか生きられない道です。

私たちには行動の結果をコントロールする権限はありません。

権利があるとしたなら、思考することだけです。

いつも自分の身に起こった不幸な出来事を「誰か」のせいや
「環境」のせいにしているならば、それもまた依存。

幸せは自分が幸せかどうか感じるもので、
他人から見て幸せに見えるかどうかでは測れないものです。

同時に、誰かを幸せにしてあげたい、と思うのも真実の愛では
ないかもしれません。

相手がどう思うか、それは自由であり尊重すべきもの。
愛があるなら、相手を自分の思うままに縛ることはできないのです。

たとえあなたから見て、誰かが苦労したり不幸に映っている
としても、誰かの人生を代わりに歩いてあげることはできない。

できるのは心配することでなく、相手にとっての幸せを
願うことだけです。

もしも今、自分の人生を誰かに乗っ取られていると思うなら、
それを取り戻しましょう。

自分で自分を満たすことができれば、相手への期待や
依存はなくなります。

 

 

他人に依存するのでなく、自分の力をつけたい人、
自分の道<True Colors>をみつけるために。
2011/11/23ワークショップ開催!満員御礼
http://blog.goo.ne.jp/true-c/e/8bb974197301fe39727b4187cffd4ae0

 


依存は排除すべき悪いもの、とは思わない

2011年11月16日 | カウンセリングの現場から

今日は「依存症」について書いてみましょう。

依存症というのは大きく分けると3つのタイプがあります。

(1)物に対する依存
   アルコール・タバコ・薬物など

(2)行為における依存
   仕事、ギャンブル、買い物、ゲーム、携帯メールなど

(3)人間関係における依存
   親や配偶者、師など。
   親子、配偶者同士、師弟など、相互に依存し合う事を
   「共依存」といいます。

 

(1)(2)においては、「ドーパミン」という脳内物質が
関与しています。

ドーパミンは「快」の感情、意欲、学習を生み出すもの。

(1)は、あるときにそれ(アルコールなど)を摂取して
満たされた感覚を経験すると、それを求めてまた摂取したく
なります。チョコレートやコーヒーなどの嗜好品も度を越すと
依存症と呼ばれます。かつては「中毒」という言葉が
用いられた時代もありました。

(2)の行為においても仕組みはほぼ同様です。
それ(ギャンブルなど)を行うことでドーパミンが活発化し、
興奮や快楽、安心がもたらされます。

依存症の怖いところは、「耐性」が出来上がると
最初の満足では物足りなくなってくることです。

欲求は次第にエスカレートし、
社会生活を行うのが困難になることもあります。

一方、「いつでもやめられる」と軽く受け止めていながら、
いざやめてみても、また戻ってしまうというのであれば、
自分が考えている以上に依存度が高まっている
かもしれません。

 

依存症の克服には「対象となるものから引き離す」のが
医学的な考え方ですが、私は異なる見解を持っています。

依存することで得られる「快」は、手段は望ましいものでは
ないけれど、それなりにその人のバランスをとる上で
必要とされている状態です。

実際、薬物やアルコール依存で入院治療を行った人の
中では、退院後にさしたる理由もなくアッサリと再発する
方も多いようです。

目に見える現象だけを取り除けば解決、とならないのが
心の問題にはあります。

 

依存が始まるには大なり小なり理由があります。

その理由を突き止めることが最重要とは思いませんが、
依存症を克服したいのであれば、それに変わる望ましい
別なものを見つけることが再発を防ぐ上でも重要だと
思います。

「望ましい別なもの」とは物というよりも考え方や思想です。

それは新たに創り出すものでなく、自分の中に眠っている
ものであろうかと思います。

 

依存ではありませんでしたが、
落ち込むとリストカットしたくなるという習慣を持つクライアント
さんがいました。

彼女は死にたくて手首に刃を向けるわけではありません。

痛みを感じたり、赤い血液がドクドクと出てくる様を見ていると、
「ああ、生きている」という実感が得られるというのです。

ある人は未曾有の事故に遭って以来、命を賭す競技を始めました。
一歩間違えれば死んでしまう。
けれど無事に終わったとき、「生きている」という実感に
とてつもない喜びを感じるそうです。
そして努力が実って、彼女は世界チャンピオンの座を
勝ち得ています。

 

依存に関しては、好ましくないものは排除するのみ、
という考え方は一度脇に置き、その人自身も
気づいていない心の奥底の要望を引き出すことを
第一に考えるのがTrue Colors的な治療方針です。

人はいつも安定していたい、という生きる上での
欲求を常に求めているのです。

もしも私が依存は排除すべきもの、という考え方に
立っていたら、このような治療方針に気づけなかったと
思います。
心理カウンセラーの考え方によって打ち出される
方針に違いがあることも知っていただき、ご自分に合う
カウンセラー選びに役立ててほしいと思います。

 

冒頭の「(3)人間関係における依存」については
明日以降に書いてみようと思います。

 

次回ワークショップ
11/23(水)
<自己の本質>に気づくために、ガイドとのつながりを
強化するためのサイキック開発トレーニング

1席キャンセルが出ました。よろしければどうぞ!


発想は七変化で

2011年08月22日 | カウンセリングの現場から

劇作家であり小説家であった、故・井上ひさしさん。Pic_inoue_2

 

彼がつくった標語が大好きです。

むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
ゆかいなことはあくまでゆかいに 

 

易しい言葉で綴られているので、
つい読み流してしまいそうですが、
噛み締めて読んでみると味わい深いなぁと思います。

 

私がカウンセリングで努めていることの1つに、
専門用語を使わないこと。

使ったとしても解説を入れること。

井上ひさし氏にあやかれば、
『やさしいことをむずかしく・・・』にならないように
心がけています。

専門用語を使うと、プロっぽいと思っている方も多いかも
しれませんが、相互に分かり合えることを望むならば
言葉も”ユニバーサル”である方がいいと考えています。

”ユニバーサル”とは、すべてに共通であること、です。

 

 

先日のクライアントAさん(女性)は、10年以上も前の
自分が許せないのだというお悩みでいらっしゃいました。

子供が嫌がるのに、時間があればお酒を飲んでいた
そうです。

ご主人を早くに亡くし、仕事をしながらの子育て。

食事や洗濯など、家事は一応やっていたと
おっしゃいますが、仕事から帰ると真っ先に
唯一の趣味・・、お酒に手を伸ばしていたのだそうです。

飲みながら食事の支度をし、1日の疲れをふっ飛ばして
テーブルに突っ伏して寝てしまう。
子供はそんな母親の行動に慣れっこになっているから、
上の子が下の子をお風呂に入れて二人で眠る。

自分は夜中に目を覚まし、おぼつかない足取りで
お風呂に入って布団に入るという日々の連続。

その後、生き甲斐となる趣味に出会ってからは
自然と飲酒から離れていったと言いますが、
今は成人したお子さんが、同じように飲酒癖を持ち、
それを”私が子供に悪影響を与えた”と苦しんで
いるのです。

Aさんは大変純粋で、生真面目な性格。

10年前に飲酒などせず、もっと子供の話を聞いて
あげられるお母さんだったら、子供が飲酒に走ることは
なかった。
お酒なんか飲んでなかったら、もっと時間を有意義に
使えたし、お金だって貯まっていただろうに。
バカみたいに思われるかもしれないけど、本当に
悔しくって悔しくって怒りがとまらないんです、とAさん。

私のカウンセリングのモットーは、
『どんなことにも肯定的な意味がある』こと。

Aさんにも、10年前の飲酒に何か肯定的な意味が
あるかどうか考えて頂きました。

最初は10年前の自分を
「みっともない」「母親として失格」・・など、ご自分を全否定する
ような言葉しか出てきませんでした。

私の頭の中の、人には見えないスクリーン
その頃のAさんと思しき女性の姿が見えてきます。
今よりも髪が長く、少し太っていたかな?
冷蔵庫の扉にマグネットで留められたカレンダー、
テーブルにかけた白いビニールのレース柄のテーブルクロス。
コップに入った透明の液体は水じゃなくて、日本酒。
ぷぅーん、と日本酒の香りが漂ってきたから。

そして当時のAさんの感情が私に流れ込んできます。
やり場の無い淋しさ。
霊視していると、涙がこみあげてきます・・・・。

そんな情景を頭の中に見ながら、10年前のAさんの
感情を私の肉体と感情で体験しながらも、
同時に現実のAさんを前に心理カウンセラーとしての
<私>が、Aさんが潜在意識で考えられるような
きめ細かな質問をしていきます。

すると目の前のAさんの表情にも
変化が訪れてきました。

そして飲酒についての肯定的な意味が見えて
きたようです。

「当時は寂しくて、疲れていて、私の人生そんなものか、と
あきらめていた。
でもそんな自分を認めることも出来なかった。
唯一、酔っ払って眠ってしまうことで自分を保っていた。
お酒の力を借りなかったら、あの辛さを乗り越えられなかった。
そうしたら今の自分はなかった。」

Aさんの目にも涙が浮かんでいました。

「10年前のご自分にしてあげたい事、言いたいことは
ないですか?」と聞くと、
「抱きしめてあげたい」とAさん。

「イメージの中でも大丈夫。ギュッと抱きしめてあげてください」と
言う私の勧めに応じたAさん。

見守っていると、キレイなたくさんの涙を流しました。

カウンセリング後、感想を求めるとAさんは言いました。

「10年前の自分には、怒りよりも慈しみを感じます。
それと不思議だけど、今の自分が前よりも大好きになりました。」

「お子さんの飲酒についてはどうですか?」

「私の影響が無かったとは言わないけど、それは娘の問題で
自分の問題でないのが分かりました。
娘の飲酒にも、何か肯定的な意味があるのだと思うので、
今日eRiさんにカウンセリングしてもらったみたいに
娘と話してみます。
もし私の手におえなかったら
eRiさん、よろしくお願いします(^^)」

「ハイ、よろこんで♪」

コップに半分入った水を見て、
「もう半分しかない」と思うか「まだ半分ある」と思うかで
心持ちが違うといいます。

前者がネガティブな反応で、後者がポジティブな反応と
言う人もいます。

でも「もう半分しかないから、新鮮な水を汲もう」と行動に
移せば、前者はポジティブとなるし、
「まだ半分あるから、チビチビ飲もう」と動かなければ
ネガティブとも見える。

ここで私が言いたいのは
「水がコップに半分ある」という現実はあるけれど、
それをどう見るかは自由だってこと。

間違いは無いし、答えは1つじゃない。

自分で気づくこともあれば、人の言動によって
気づかされることもあります。

いつも事実は1つで、それを良しと捉えるか
否と捉えるかは誰でもない、
自分自身が<選択>しているのです。

井上ひさしさんの標語に従えば、
1つの現実(むずかしいこと)が、
やさしく⇒ふかく⇒おもしろく⇒まじめに⇒ゆかいに
⇒あくまでゆかいに!!・・・と七変化

Aさんも今回ご相談いただいたことだけでなく、
これを機に現状あることや、今後起こりうることについて
いろんな見方を試して頂けたら嬉しいです。

私のカウンセリングのもう1つのモットーは
『悩みを自己成長に組み込んでいくこと』。

悩んだことで知り得たことが、自分の成長につながっていく。
なんだか悩んでよかったじゃん、と思ってくれたらサイコー♪

そして「悩んだとき、見方をこんな風に変えて
みると、また違った発見があるよ」と、母から娘へ、
自分からお友達へ・・・と広がっていくことが夢です。

さて私のブログは相変わらず、
『長いものをいかに短く・・・』がテーマかもしれませんね

いつも読んで頂いてありがとうございます

 

(注)カウンセリング内容につきましてはご本人の承諾を
得た上、人物が特定されぬよう十分配慮して掲載しております。