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昨日の「マインドコントロール」の続きです。
私の知っている人に、大変厳しい家庭で育てられたという
女性がいます。
女性はすでに40歳を過ぎ、専門職に就いて立派な役職を
持ち、未婚で親と同居。
厳しい親は権威的で、彼女の帰りが遅くなることや
人間関係、仕事の仕方、給料の使途、休日の過ごし方にまで
口を出し、絶対の服従を強いています。
ところで彼女はかなりの不器用。
それもそのはず、幼い頃に学習する手作業を、
親が「まどろっこしくて見ていられない」と取り上げ、
親切にも代わりにしてくれてきたそうです。
現在の彼女、箸は鷲づかみ。
ハサミを持つ手は危なっかしく、見ていてヒヤヒヤ・・!
今でも魚を一人で食べることができない。
誰かが骨をとり、身をほぐしてくれない限り。
彼女はいつも人の後ろを歩きます。
不思議に思って聞くと、「どこを歩いていいか分からない」と
言います。
道を知らない、というのでなく、「道の右端を歩けばいいのか、
中央を歩けばいいのか、それが分からない」と言うのです。
こちらの女性の場合には、養育環境が権威と過保護の
両方があいまったケースと思われますが(もっとも本人は
過保護の部分には気づいていません)、
どちらにも共通するのが『自由が許されなかった』ことです。
自由な行動を許されないことは、次第に自由な発想も
奪われていきます。
この状態は、マインドコントロール下にある状態と
何ら変わりないのではないでしょうか?
私たちは『自由』を手に入れると同時に、『責任』を負います。
自由が無い状態には責任が生まれないので、
一見不自由そうに見えても、実は精神的にはとても楽なのです。
オセロ中島さんをマインドコントロールしていると報道
される女性占い師。
占い師の被害に遭った人が、彼女と離別した後で、
出かけるために着替えようとしたとき、「何を着ていいか
わからずゾッとした」と言います。
いつも、着る服まで神のミッションが決めてくれていたからです。
わずか5ヶ月の同居の間に、自分で考える力をあっさり
奪われてしまったぐらいですから、これが養育期間ずっと
続いたときの影響は甚大なものでしょう。
インプットされた家庭での教育的価値観は、
理性を超えた潜在意識へとすり込まれます。
本人が意識していないところで冒頭の女性が選んだ職場は
権威的な経営者の下であり、理不尽な要求を次々にうける
姿は家庭環境と酷似していることに本人は気づいていない
ようです。
共依存の根深いところは、理性ではイヤだと拒否していえど、
潜在意識では受け入れることを望んでいることです。
そして時には、自分が依存したい(依存されたい)気持ちを
第三者に投影します。
第三者は精神的に健全な状態であったにもかかわらず、
相手のエネルギーに呑み込まれて依存相手としての
役割を果たすようになることもあります。
いつも暴力を振るう男性と恋に落ちる女性。
一見、女性が被害者のように見えますが、
実は女性側が男性から暴力を引き出しているケースもあります。
お互いに無意識にそれを行っているのです。
苛める側と苛められる側。
苛められる側に原因がある、というのはある一面では
正しいのです。
その彼女にあるとき聞いたことがあります。
「もし自分に子供が出来て、その子が自分と同じように
何をするにも時間がかかっていたらどうする?」と。
私は「自分が大人になって苦労している分、子供には
自分で出来る力がつくように育てたい」という言葉を
切望していましたが、
「見てられないから、代わりにやっちゃう」というのが
彼女の答えでした。
家庭の中でのヒエラルキーは心理学的には守られる
べきものと言われていますが、それにも限度があります。
宮崎県に生まれた友人は数年ぶりに里帰りした際、
母親に勧められて風呂に入ったところ、
父親から何ヶ月も口を利いてもらえなかったそうです。
九州男児たるもの、一番風呂は家長に限るという”掟”が
その原因です。
九州の一部では(地域に限らないかもしれませんが)、
いまだに男尊女卑のような奇異な風習が根付いている
のだそうです。
しかし恐らく九州で育っていない人から見たら理解に苦しむ
ようなことが、事象こそ違えどどこの家庭の中でも日常的に
繰り返し展開されているものです。
「親の言うことは絶対である」
「子供は殴らなきゃ言うことを聞かない」
「人より努力しなくちゃ幸せになれない」
「成功するのはほんの一握りの人なのだから、
おまえなんか無理だ」
「○○ちゃんに出来て、あなたに出来ないわけがない」etc・・
親の何気ない一言、言葉にせずとも醸し出される雰囲気は
子供にストレートに伝わります。
子供はそれを善悪で判断することは不可能です。
ただ服従、受け入れざるを得ません。
そうしなければ愛する親に受け入れてもらえないのですから。
幼少期に親(もしくは養育者)の愛情を得られないことは
生命の危機につながります。
子供はそういう環境の中で親の価値観に無条件に
倣(なら)うことを覚えます。
親が権威的だったり、暴力的であったり、あるいは弱すぎる
場合にも。
自分で考えたり、感じたりする自由を許されなかった環境に
育つ人は、それを習得する代わりに「諦める」ようになります。
しかし一般的には成長と共に家庭以外の価値観を学び、
失敗や成功を繰り返しながらも、自分で判断することも
覚え社会に順応していくものです。
ところが根本(幼少期にすりこまれた親の価値観)にあるものは
意識できないところで行動や感情のベースから抜けずに
生き続けるものです。
オセロ中島さんの養育環境は分かりませんが、
自分で考えることを拒否し、誰かに支配されたい、
支配とまではいかなくとも、誰かに依存したいと
思うに至る素地があったのではないかと思います。
あるいは真逆な環境であったか。
支配されたい、依存したいという欲求は、
支配したい、依存されたいという気持ちの現われでも
あります。
役割が変わるだけの話なのです。
ところで占い師から引き離された中島さん。
立ち直るまでには「相当時間がかかる」と、ある心理学者が
インタビューで答えていましたが、私はそれには疑問です。
今後、どのような人が中島さんのケアをするのかは
分かりませんが、ケアする側に「時間がかかる」という
潜在的な前提(思い込み)があるときには、
潜在的にクライアント(患者)にも伝わるものです。
もしもクライアントに「ゆっくり時間をかけて治しましょう」等と
声を掛ければ、それが暗示となり、そう時間をかける必要
のない問題でも本当に時間がかかることになりかねません。
ケアする側はあらゆることに、常に無心で事態にあたる
ことが求められると私は考えています。
家庭内でのマインドコントロールは次世代に引き継がれます。
それはDNAに書かれているということではなく、環境から
知らぬ間に身につくという意味です。
もし負の連鎖に心当たりがあるのであれば、あなたのところで
連鎖を止めましょう。
自分自身のために。
そして次の世代を生きる人のために。
True Colorsがお手伝いします。
自称霊能者の女性占い師に、マインドコントロールされたという
オセロ中島さん。
マインドコントロールなど可能なのか、と思うけれど、
可能なのです。
最近の私の研究のテーマは、児童虐待がなぜ世代を超えて
反復されるかということ。
かつての被害者である子供が大人となったとき、
今度は加害者となる負の連鎖。
最初はその理由・・、学術的な理論だけでなく、
自分の感性にフィットするものを追求するつもりであったのが、
気づくと「そうせざるを得ない理由」と、「そうすることで得られる
肯定的な理由」が分かってきました。
またさらに、その理由は児童虐待だけにとどまらず、
大人同士の関係性、アダルト・チルドレン(最近は
インナー・チャイルドと同義語として用いられることも
増えてきました)に至る理由ともリンクしてきたことは、
自分の中での大きな発見であり、また歪んだ社会、
誤った子育てや教育への警告にもつながる怖さも感じて
います。
なぜここで自分の研究について言及したかと言えば、
その気づきによって、マインドコントロールについても
説明がつくからです。
中島さんをターゲットに選んだ占い師。
以前、同占い師にマインドコントロールされていたという
女性が取材協力することで、その手法の一部が明らかに
されてきました。
(1)眠る時間を十分与えられず、正常な思考ができなくなる。
(2)信頼できるはずの夫や友人さえも信頼できなくなるような
巧みな嘘に乗せられる。
(3)「神のお告げ」の下に、占い師の提言を無視できないような
恐怖感を体験させられる。
(4)そればかりか「神のミッション」に従うことの結果を、これまた
巧みに肯定的な結果へとすりかえる。
(4)については補足が必要かもしれません。
被害女性は神のミッションの下、ド派手なピンクのジャージ上下に
身を包み、魚肉ソーセージを手に、それで太股を叩きながら
近所を走ったり、時には欽ちゃん走りをさせられたと言います。
その他にも高価な食事をご馳走させられたり・・というのは
皆様もすでに報道でご存知のことでしょう。
正常な状態であれば神がそうすることを望むとは
思えないけれど、何か良くないことが起こったときに
「お告げを守ったから、【この程度】で済んだ」と言われる
そうです。
マインドコントロールと言えば、ヒットラー、オウム真理教と
歴史的に甚大な被害を出した事件は数え切れないほど
多くあります。
そして実を言えば、私たちの「常識」という範疇にも、
「教育」の中にも「子育て」の中にも潜んでいる、といったら
驚かれるでしょうか?
続きはまた次回に。
昨日、承認について書きました。
華やかな世界にいる人は抑うつになりやすいという話でした。
なぜそうなるか、俳優を例にとって説明したいと思います。
俳優は映画やドラマというフィクションの世界で他人を演じます。
その演技が認められて賞をとったり、一躍人気上昇する
かもしれません。
最初は自分の力が認められたことに満足し、喜びを感じると
思います。
しかし華やかな芸能界の中では、スターの座に居続けることは
きわめて厳しいことでしょう。
それをモチベーションとして捉えているときはいいけれど、
プレッシャーとなったときの苦しさは想像できます。
そもそも芸能界の中にいて、素の自分自身でいられる人は
いったいどれほどいることでしょう。
役者として芸能界で生きること自体、ある種のフィクションの
世界で一つの役どころを演じるようなものではないでしょうか?
自己承認力が十分でない人にとって、周囲からの賞賛や
承認が誰に向けられたものなのか分からなくなっても
仕方ないと思います。
素の自分に向けられたもの?
それとも俳優としての自分に向けられたもの?
それとも1作品の特定の役に向けられたもの?
世の中のファンは常に移り気で、気まぐれで、分単位で
人気は入れ替わり、次から次へと話題の俳優が輩出される中で
自分のポジションを維持するのは簡単ではありません。
カメラが回っているところでは笑顔が見せられても、
一人になったら笑顔がつくれない。
そうして抑うつに陥るのです。
このようなとき、例えば家族や友人などが支えになり、
俳優としての自分でなく、素の自分を承認してくれる人が
いるケースでは抑うつにはなりにくいと思います。
あるいは自分自身で素の自分を持ち続け、そこに価値を
見出している人は。
そういえば私も、「心理カウンセラーなんだから
人の気持ちは何でもわかるでしょ?」と言われたことが
あります。
答えはNOです。
心理カウンセラーだからと言って、いつもいつも思慮深く、
何にでも理解を示してほしいと期待されたら困ってし
まいます
私も一人の感情ある人間。
自分の感情や意志を尊重しています。
そして自己承認力は高い方です。
さもなければこの仕事をする資格がないさえ考えています。
確たる自分が無ければ、ズルズルとクライアントさんの
悩みや価値観に引き込まれ、客観的な援助など到底出来
ません。
ただ心理カウンセラーとして知識やトレーニングを
受けている以上、自己承認力と同じぐらい他者承認力
も高いと思います。
お互いの意見が違ったとき、「あら、あなたはそう思うのね!
そういう考え方があることに気付かなかったわ。
教えてくれてありがとう」という気持ちが自然と湧き
起こります。本当にそう思えるからです。
でもだからと言って、誰かの要求を飲んでばかりはいません。
「あなたの考えはわかったけれど、今回は私の考えに
協力してくれない?」そんな風に交渉することもあります。
友人たちは私の長所も欠点も見事に認め、
すべてひっくるめて支えてくれています。(感謝!)
話を元に戻しましょう。
「承認」は他者から受けるものよりも、自分が自分を
認める「自己承認」に敵うものはありません。
でも自己承認するには、他者からの承認も必要です。
他者から承認されずに自己承認だけ高いのは、
ナルシストか自分勝手と言われても仕方ないでしょう。
「あなたの料理は最高!」
「あなたの頑張りには心が打たれるよ!」
承認の言葉は言った方も、言われた方もHAPPYになる
ものだと思います。
どんどん言葉にして伝えましょう♪
そして最大の承認は
「あなたがいてくれることが私の幸せ」というように、
存在そのものに対する承認です。
小さなお子さんがいらっしゃる方は、お子様にそう伝えましょう。
「お行儀がいいから、お母さん嬉しいわ」
「上手に食べられたから、おまえはいい子だね」
このような行動や成果に対する褒め言葉は
「条件付きの愛」につながる可能性が高いのです。
子供はとても鋭敏なアンテナのような存在です。
褒められれば嬉しいし、それよりも両親が喜んでくれるのが
何より嬉しい。
すると両親を喜ばせようと、さらにお行儀よく振る舞います。
その行動はどんどんエスカレートするけれど、
いつもいい子でいれば、やがてそれは「特別なこと」から
「いつものこと」となり、親の方は褒めることをやめてしまう
かもしれません。
それは子供にとってはとても深刻な傷となり得るのです。
褒めてもらえない自分は悪い子なんじゃないか、
お母さんを喜ばせてあげられない自分なんか価値が
ないんじゃないか?
子供の思考はそんな風に働くというのが心理学では
伝えられています。
心理学を勉強していると、子育てとはなんと難しいものかと
考えさせられます。
そんな中で私が思うのは、子供の成長には親以外の
大人が関わることが最善の策であろうということ。
親が怒れば、優しく慰めるおばあちゃんがいる。
親が甘やかせば、戒めるおじいちゃんがいる。
核家族が増えることのデメリットは、実は子育てに
一番影響があるのではないかと考えます。
実際、クライアントさんや友人たちを見ていて思うのは、
おばあちゃん子だった、おじいちゃん子だった、という
人は自己承認力が強いように思います。
「小さいときから、とても可愛がられた」という経験は、
その経験が無い人と比べると、大人になってから
大きな差につながるように感じています。
昭和の時代、地域で子供を育てたというのも
いま再び必要なのではないでしょうか?
バレンタインデーは終わったけれど、
明日大切な人に「あなたがいてくれるだけで幸せ」と
伝えてみませんか?
「いつもプレゼントをくれるから彼が好き」とか
「何でも言うことを聞いてくれるから彼女が好き」という
条件付きの愛に陥らないよう願います。
さて明日はツキイチYOGAです!
インド神話にからめておもしろい話ができそうです。
ホイットニーの死、残念で仕方ありません。
青春時代(言葉が古い?)を、まさにブラックミュージックで
過ごした世代ですから
まだ死に至った理由や原因は分からないそうですが、
アルコールと精神安定剤を服用していたと報道にありました。
すべての人がそうではありませんが、
いわゆるスター(俳優や歌手、ビジネス成功者等)
という立場の人、華々しい世界にいる人は抑うつに
ある人が実に多いのです。
『抑うつ』というのは、うつの状態にあるという意味で、
うつ病と診断されているかどうかは別な話です。
失恋した、大切な人を亡くした、受験に失敗したなど、
誰しも一度は経験があると思いますが、
そういう時には落ち込んで気分が晴れず、人によっては
眠れない・食欲がない・眠れない・寂しい・身体が重い・
朝起きられない・イライラする・集中できない等の症状を
感じるもの、それが抑うつです。
通常は『時間』という妙薬によって症状は軽減していくものですが、
抑うつというのはそれらが一時的なものに終わらず長期化し、
中にはそれがすっかり自分の一部となっていて抑うつに
あることさえ気付けなくなる場合もあります。
これまでも当ブログでは『自己承認力』について書いて
きましたが、本当の意味で自分の価値を決めるのは
自分自身です。
しかし自分に自信が無い人は、どちらかと言えば自分を
否定しがちで、それをカバーするために他者からの承認を
求めることでバランスをとろうとします。
それゆえ賞賛が得られやすい華やかな世界を、進んで
選ぶ人も多いかもしれません。
華やかな交友関係、賞賛の言葉。
そのような心地良い中に浸っているときには自分の自信の
無さや満たされない思いを一時忘れ、あたかも自分の
生きる場所が華やかな世界の中にあるように思えてきます。
しかしそういう人たちにとって辛いのは、いつも誰かに賞賛
してもらい続けなくては、いつか自分の内側にある暗闇
(満たされない部分や弱さともいえるかもしれません)と
向き合わなければならないときが来ることです。
いつかそのときが来ることに気付いているならいいのですが、
多くのケースが<本当の自分>に気付いていないゆえ、
次から次へと自分では生み出せない他者からの承認を求めて
外側の世界に固執することになります。
賞賛や成功の体験をし続けなければ、自分には価値がないと
思うようになっていく。
けれど人間は常に走り続けていくなど不可能。
潜在意識には、休みたい、自分の居場所に帰りたいと
欲するけれど、『華やかさ』はまるで麻薬のように自分を
放っておいてくれなくなる。
そうして本当に薬物やアルコール、または自分を認めて
くれる(自分と同じくどこか不安定な)誰かに依存してしまう。
なぜこういうことになってしまうかと言えば諸説ありますが、
幼少期の育てられ方にあるだろうというのが私の考えです。
『条件付きの愛』という言葉をご存知でしょうか?
それについてはまたいつかお話ししたいと思います☆
なお、仮に幼少期の育てられ方に原因があるとしても、
そこに真摯に向き合って治療を行えば、残りの人生を
<自分の本当の姿で>歩いていけることにつながると
思います。
「抑うつ」が問題ならば、それを利用して自分を取り戻す
のです。
自分でない人生を歩いてきた方、私と一緒に向き合って
みませんか?
誤解のないように申し上げますが、華やかな生活を
している人すべてに抑うつがあるわけではありません!!
ホイットニーが、世界中のファンから今も愛されていることを
天国で知ってほしいと思います。
昨日は南青山倶楽部でのワークショップ。
水曜日はたいてい、ここで活動しております。
姿勢チューニングで身体を整えて、
『Ohカード』でプチ心理カウンセリングを行いました。
ご参加いただけるだけで十分嬉しいのに、
こんなにステキなお花まで頂きました。
U子さん、ありがとう!!
そしてU子さんがご自身のブログに記事をアップして
くださいました。こちらです。
感謝します
だけどご参加くださる皆様、どうかお気遣いなく、
気軽にいらしてくださいね!!
主役はご参加くださる皆様方です
さて、昨日来てくださったお一人は、『Ohカード』の
ファンになられたようです。
昨年12月のFun感謝デーで余興(?)としてご披露したの
ですが、そのおもしろさにハマってしまった???
ただカードを見て、そこから何をイメージするかを
言葉にしていくだけですが、不思議と今の心的状況や
信念や価値観が顕れてきます。
それゆえ、使った人が思わず「Oh!」と
言ってしまうのでOhカードというのだとか。
Fun感謝デーでは人数が多く、時間は少ない・・という
状況だったので、ご参加者のお一人は
「私には"Oh"カードというより、"へー"カードでした、と
感想をくださる方もいらっしゃいましたが(笑)、
お一人5枚ぐらい引くと本当におもしろいことが表出
してきます。
同じカードを見ても、人によって真逆な解釈を
示すこともあります。
昨日は1枚のカードを見て、
私は「柵から羊が出ていくところで・・・・」とストーリーを
話したのですが、別な方は、
「羊が柵の中に入っていくところに見えました」と
仰いました。
そのご意見は私にとって、新鮮な驚きと共にステキな
発見でした。
私には羊が入っていくところとは考えもしなかったのです。
このように私たちは日頃から、自分の解釈が当然かの
ように思い込み、そしてそれを『前提』に、考えたり
行動しています。
他の人からみたら、真逆な解釈をしているとは
考えもつかないことが多いのです。
そして人間関係の難しさは、このような『前提』が
異なる上でのすれ違いが実に多い。
今年は本腰を入れてコミュニケーション講座を企画
して、少しでも人間関係の機微を柔軟に解消できるよう
お役に立ちたいと考えております。
Ohカード、また時々使ってみようと考えておりますので
お楽しみに♪