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お役目でタイへ(6) フィナーレ

2014年08月17日 | ガイドからのコトバ

2014年7月。タイで過ごす夜も残り少なくなりました。

 ☆バックナンバー

  お役目でタイへ(1)⇒こちら

  お役目でタイへ(2)・・・の前に・・・?⇒こちら

  お役目でタイへ(3)招かれた私達⇒こちら

  お役目でタイへ(4)いよいよ参拝へ⇒こちら

  お役目でタイへ(5)参拝を忘れて観光へ!?⇒こちら

 

アユタヤへは、タイ人のガイドさんに案内をお願いしました。

その他の日は出張で何度となくタイを訪れている「ボス」こと、西影先生のご主人が通訳兼ガイドをしてくださいました。

ボス、ありがとう!!

 

 

そのアユタヤの旅の終盤。

ガイドのユッタナーさんが、「今日中にお酒を買っておいてくださいね」とおっしゃいます。

聞けば、翌日と翌々日はブッダデーと呼ぶ仏教日。

敬虔な仏教徒であるタイ人は、これらの日は禁酒。

だからレストランはおろか、スーパー、コンビニでもお酒の提供・販売はできないそう。

決まりを破ると店主は捕まってしまうそうです。

ユッタナーさん、あなたに出会えてよかった。

たくさんの解説や歴史を教えてくださったけれど、有益な情報をありがとう(笑)

 

 

しかし、その日の夜はまだ飲酒可!

美味しく食事をいただいていると・・・。

うわっ!

並木先生の肉体がボヤけてきた!

まさか、このままアセンションしちゃう!?

 

 

 

と言っている間に・・・。

今度は私が・・・・!

・・・って、ベタですね。

タイスキから上る湯気でした(^^;)

 

 

さて、食事の後にはブッダデーに備え、ビールやらワインやら買い込んで帰った一行。

観光客を相手にするホテルではレストランを除き、お部屋では飲酒可能なのです。

 

 

ところでこちらはショッピングセンターで買い求めた、天使になれる(かもしれない)Tシャツ。

左のエンジだけ大きく見えるのは遠近法のせいでなく、1枚だけサイズが大きいから。

ピンクは西影先生、イエローは並木先生、エンジは私のもの。

これを着て3人で写真を撮りたかったのに、すっかり忘れてしまいました(泣)。

 

 

こちらは女子部屋のダイニングルーム。

キッチンとランドリーが付いています。

タイではこのようなコンドミニアムを、『サービスホテル』と呼びます。

しかし、一度も料理しなかった(笑)

 

 

さて、訪れたタイでの日々。

お役目はあらかじめ指示された場所を訪れ、その場で祈りを届けながら次の指示を待つことでした。

(もっとも、私は途中から祈りもほどほどに、観光とショッピング、グルメにうつつを抜かしておりましたが・・・。)

何か全員で行う儀式のようなものを想像したのですが、祈りを捧げるのは各人によってとなりました。

とは言え並木先生から、上(ガイド)から、「このメンバーで訪れた事を喜ばしく歓迎する」というような祝福があったと聞いた時には嬉しくなりました。

お役目があると察したとき、私はいつもの癖で、その『理由』を求めて左脳で理解しようとしました。

・何のためにタイへ行くの?

・どのようにガイドから指示があったの?

・行った先で何をすればいいの?

・それがやり遂げたことを、どのようにして確認するの?

 

 

でも、他の3人はそこに意識はなかったようです。

私はスピリチュアルな仕事をしながら、全くもって左脳人間。

その点をしょっちゅう仲間内に揶揄されるのですが、『頭での理解』がさほど重要でないことも”頭では”わかっているのです。

だって、『理由』は後付けです。

心が動くこと、直感が働くこと、ガイドが求めること、事象の成り立ちは、紛れもなく<リアル>に起こるもの。

なぜ?どうして?と考えている間にも時間は進み、一瞬の閃きは過去のものとなってしまうのです。

理由を求めるときには、それらの結果を評価したり、意味を持たせようと画策したり、心は現実に無く、得られたものも<リアル>とは言えない意図しない<フィクション>へ。

もっともらしい理由を導き出すことは、それを理解するためや、人に説明するための手段でしかないのかもしれません。

手段は時に、一番大事なものを曇らせてしまいます。

霊性(スピリチュアリティ)に関することは特にそうかも。

 

 

カウンセリングの起源を紐解くと、精神分析に行き着きます。

精神分析に一石を投じたのはフロイト。

彼の偉業は讃えますが、すべての問題を1つに限定したことは、いくらなんでも無茶でしょう(笑)

私のセッションは、生い立ちとか、家庭環境とか、何が問題の原因か、といった事にフォーカスするタイプでなく、

「今」ある問題をどう解決するかというタイプ。

クライアントさんの貴重な時間やお金を、セラピストがクライアントさん自身や問題を理解するために消費するのは身勝手だと思ってしまうわけです。

もちろん私も、必要があると判断した時には過去を掘り下げることもありますよ。

でもあくまでセッションの主役はセラピストでなくクライアントさんであると考えるのです。

 

 

 

そんな私がスピリチュアルな事象を受け止めるとき、やたらと理由や理論を気にするのって何とも矛盾しますね(笑)

それは今世の私のテーマが、『スピリチュアルと現実を融合させること』にあるせいでしょうか。

元々が心理学を発端にセラピストとなった経緯もあり、『心理学とスピリチュアルを融合させること』にこだわるところも自分では納得のいくところです。

 

 

 

そういえば、少し前に思い出したのですよね。

10代の頃の口癖を。

「私、直感だけで生きています。」

しょちゅう、それを言っていたものです。

そんな私がこうまで左脳人間になったのは、右脳に頼りすぎると、どこまでも行ってしまうことへの恐れがあるから、と思います。

殊に、私のサイキック・センスはクレアコグニザンス(霊知)が主流。

霊知は、「理由は分からずとも、すでに答えを知っている」という能力です。

私はいつもその分からない理由を、まずは自分に説明したくて左脳を働かせているような気がします。

どんなに言葉を選んだところで、ズバリ言い当てる言葉は見つからないのに。

そしてこれがサイキック・センス(霊能力)を思い出す事の障害になっていることも気付いていたりして。

自分の役目(スピリチュアルに生きることの意味を知らしめること)を果たすために自己成長を求める一方で、自分で自分の足を引っ張っているのだから仕方ないですね。

・・・と、タイ旅行の話から大きく逸れましてごめんなさい。

 

 

さて、タイで過ごす最後の夜、ブッダデーの初日はアサラハブーチャ。

悟りを開いた者(=ブッダ)として、初めて教えを説いたことを祝う日。

ちなみに翌日はカオパンサー、入安居(いりあんご)。

僧侶が3ヶ月のオークパンサー、出安入(であんご)まで3ヶ月間の修行に入る日です。

 

 

そのアサラハブーチャ。

迎えいれてくれたのは、スーパー・フルムーンでした。

カメラのバッテリーが切れてしまったため、こちらは参考画像です。

スーパー・フルムーンとは、太陽と月が真反対に位置するのと、月と地球の距離が縮まる時に起こる現象です。

通常の満月(フルムーン)より2割り増しぐらい?大きく見えます。

レストランからの帰り道、タクシーから見る月は時折り雨も降って雲に覆われていましたが、ホテルに戻ってバルコニーでワインを飲みだす頃にはお姿を拝見することができました。

「満月見せて♪」と、自然霊に頼んでおいた甲斐がありました(^^)

月は陰のエネルギーを保有しています。

私は月から、優しさや慈悲、思いやりを感じます。

太陽の力強くポジティブなエネルギーも好きだけれど、女性性の強い月のエネルギーは何も不足していない、満ちている自分を映してくれるかのように思わせてくれます。 

 

 

ところで、さすがの並木先生も、『ブッダデー』の存在、ましてお酒が買えなくなることまではご存知なかったようです。

日本にいるとき、色々な存在が彼に接触してきたそうですが、途中からブッダが出てきたのはそのためだったのか、と納得のご様子。

思わず、「ブッダ・・・。そんなオチ!?」と呟いて(嘆いて)いらっしゃいました(笑) 

 

 

お役目として参上したタイ。

そのお役目は結局なんだったのでしょう。

情勢不安を沈静化するための祈りであり、それが地球全体への癒しへと向かうトリガーでもありました。

また子象の願いを叶えることで象種族全体への大きな役割を果たすものでもありました。

確認していないけれど、4人いて4人とも与えられた役目は異なっていたようにも思います。

様々な場所で参拝していて途中で飽きてしまった私ですが、月光の下で最後にブッダにチャネリングしてみました。

「私に、何ができます?」

答えは、「起こったことを多くの人に伝えなさい」でした。

というわけで、だいぶ時間がかかってしまいましたが、私の旅の報告は以上です。

いつもブログを書くとき、私はどんな内容になるかを想定していません。

指が動くままに、ただキーボードを打つだけ。

今回も同様です。

読者の皆様に、いったい何をお伝えできたのか、今日のところは左脳で考えることなくビールの酔いに任せようと思います。

 

 

 

それにしてもタイは、とても良いところでした。

さすが『微笑みの国』。

目が合えば、誰もが微笑みを返してくれます。

そこに生まれる親近感や安心感は、かつての昭和の日本を想起させてくれます。

ギスギスした世の中、ストレス社会と言われて長い日本ではありますが、その日本を変えていくのは一人一人のマインド。

世界に向けたガイドブックに、『微笑みの国、JAPAN』とうたわれる日が戻ることを祈ってやみません。

 

 

 

残暑厳しき折りですが、2014年の夏もあと残り僅か。

よい夏を、すべての方々へ。

 

 

今日も読んでくださってありがとうございました。

コメントもありがとう(^^)

 

 

映利  


お役目でタイへ(3)・・・招かれた私達?

2014年07月30日 | ガイドからのコトバ

暑中お見舞い申し上げます。

みなさまお元気でお過ごしでしょうか?

 

 

タイへの旅の目的は、高次元のガイドからの指示によるものでした。

でもそれは私が受け取ったものでなく、並木良和先生が受け取ったもの。

同行した私達はオマケ・・・という事ではありませんが、並木先生曰く「一緒に行く必要のあるメンバー」だったそうです。

何にでも理由を知りたくなる私の性格ですから、「どんな必要があるの?」と、疑問が一瞬頭をもたげました。

しかしその一方で、すでに答えは分かっていました。

一緒に行く必要が無いのであれば、この旅は現実のものとならなかったことを。

タイ料理が大好きな私達。

ずいぶん前から、「タイに行って美味しいタイ料理を食べましょうよ」と持ち上がり、スケジュールを調整して空いていたのがこの7月。

単なる遊びの目的だったタイ企画が、突然「お役目」を帯びてきたのは偶然でなく、必然。

この時期に、このメンバーで、と言う事もまた必然なのです。

 

 

しかし正直申せば、最近の私はプライベートで多忙です。

家族の病気や家業の閉鎖等でやる事に事欠かず、家族を残して家を空ける事が心配でした。

おまけに、出発前に迫っていた尋常でないクラスの台風。

大きな災害の前、私の磁石が狂うことがあります。

家の近所であっても、いつも使う道であっても、まるで迷子のようにグルグルとあちこちを歩かせられるような事が起こります。

こういう事は『ヒーラーあるある』の1つで、歩き回ることで浄化をさせられているのであり、「あー、何かが起こるのだな」という予感は否定できませんでした。

 

 

そのようなことがあって、気持ちの中ではタイへの旅行を手放しで楽しめそうな気分ではありませんでした。

しかし日程が近付くにつれ、旅行をキャンセルせざるを得ないような横槍もなく、これはGO!の合図だと受け入れました。

(その割りに準備をしたのは出発当日だったけれど。) 

 

 

それにしても、それぞれが多忙なメンバー。

タイに着いて、いつ・どこで・何をするか・・・と、打ち合わせをする事もなく日本を飛び立つという無計画な旅。

機内で、「なみちょんの上(ガイド)は、お役目でどこを回れと言うの?」と尋ねると、買ったきりさほど開かれていなかったであろう旅の情報誌のページをめくりながら確認するという有様。

聞けば並木先生には、すでに幾つかの寺院等の名前が与えられており、ほとんどがバンコク市内、一部は世界遺産であるアユタヤ他であることが判明。

「スクンビット」とか「トリムルティ」とか「エラワン」とか、一度聞いただけでは私には覚えられない、地名なのか何なのか分からない単語をスラスラ言えてしまうのが並木先生のすごいところ。

「よく覚えられるねー!」と言うと、「覚えてないよ、ガイドが言ってくるんだもの」って、まぁなんて便利なのかしら。

 

 

またボディトーカーの西影さんは、成田空港で合流した際に、「アユタヤにいる象に呼ばれてるのー」と、笑顔で意味不明の事を仰る(笑)

西影さんは動物へのセッションも得意とされているためか、時々「僕、○○してほしーの」等と、突然動物の心境を語りだす事があるので、今は慣れたけれど、なかなかにユニークな方でもあります。

「象が呼んでいる」と言われて私の頭の中には、招き猫のように象が手招きしている画しか浮かんでこないのだけど、解説すると、アユタヤ在住の象が、西影さんに遠隔で助けを求めてきたので、ぜひとも行って力になりたいのだと言う事らしい。

こちらも立派な「お役目」でした。

※画像の「招き象」は、タイでなくバリのガネーシャ(という神様)です

 

 

さてもうお一人、西影さんのご主人はバンコクへは何度と無く出張で訪れており、地理や地名、美味しいお店にも精通している上、英会話も堪能なので、まるでツアーガイドのように我らを導いてくださいました。

 

 

ということで、ガイドブックさえ買っていかなかった私は、ただ3人の後をついていくだけ。

なんて恵まれた旅でしょう!

感謝・感謝・感謝としか言葉が出てきません(^▽^)

 

 

さて次回のブログでは(ようやく)タイでの出来事を書いてみたいと思います。

今日も読んでくださってありがとうございました。

 

 

映利


4/12トークイベントで取り上げてほしいテーマを頂きました。「霊的成長」とは?

2014年04月07日 | ガイドからのコトバ

並木良和先生とのコラボ・イベントがいよいよ近付いて参りました。

(画像をクリックすると詳細をご案内します)

 

また当日は、3時間にわたる懇親会(飲み放題)も追加決定することになりました。

トークイベント自体が3時間ですから、計6時間!

熱い話し合いになりそうです(笑)

 

 

そしてご参加者の方々から、当日取り上げてほしいテーマについてメールで寄せられております。

その中でお一つ紹介したいと思います。

こちらは市川在住のKさんから。

当ブログのコメントに寄せて頂き、ご本人から公開してよいとお許しがありましたので下記へ転載させて頂きました。

 

***

えりさん☆

12日に参加予定の者です。
お答え頂きたい質問がありますので、こちらに書かせて下さい。

霊的成長、について教えてください!
霊的成長をして、世界のめざすものはなんなのでしょうか?

世界はどうなりたいのでしょうか?
またひとつになること、なのでしょうか。

霊的成長は、日常の生き方に関係あると思いますが、それは世間的なこととも関係あるのでしょうか?

(例えばボランティアに生きる方ほど霊的成長に高い…とか?現実社会でどのように生きれば霊的成長ができるのでしょうか。例えば自分が全ての人を拒まず受け入れたりができることなのでしょうか。)

ざっくりな感じですみません(⌒-⌒; )。
霊的成長、とよく聞くのですが、その意味が分かりません!

どうぞ、よろしくお願い致します。


***

「霊的成長」。

私がカウンセリングの目的としている事、そのものです!!

問題や悩みを通じて、自分を成長させてほしい。

ピンチはチャンスだから!!


あぁ、今すぐKさんのご質問に持論をお答えしたいところですが、当日まで我慢しようと思います。

ただ言えるのは、私たちは誰しも例外なく、幸せを求めて生きていると言う事です。

ときどき、自らネガティブな方向を選択して、誰かを憎んだり、落ち込んだり、反省したりすることがあるかもしれないけれど、それだって「そういう選択をする事で得られる幸せ」を求めている結果なのです。

私たちは日々、数え切れないぐらいの選択をして生きています。

ご飯を食べるか、パンにするか?

お風呂に入るのは1分後?10分後?

どちらの男性と結婚するか?

就職先はどこにしようか?

小さな事から大きな事まで、選択は無数にあります。

「スピリチュアルに生きる」事を実践している人たちは、それら無数の選択をする際、「最善」となる選択しか浮かびません。

なぜなら、それが「自分の為」であり、「全体にとっても」最善であると知っているからです。

それでも、時には誤った選択をするかもしれません。

でもそんな時も、結果をただうらめしく思ったりせず、自分で受け止める潔さが自動発生します。

なぜなら、それが必要な経験であるとわかるからです。

霊的な成長は世界規模の大きなプロジェクトに関わらずとも、日常の些細な行為によって成されるのではないでしょうか。

ボランティアは何かの団体に所属せずとも、電車で隣り合わせになった人へ親切にすることによっても成されると思います。

それが偽善でなく、自分がそうしたい、そうすることが最善だ、という気持ちから行われれば、すなわち霊的な成長に繋がる、私はそんな風に考えています。

・・・と、もっと書きたいところだけれど、今日はこのぐらいにしておきましょう。

並木先生は、私とは違う意見かもしれませんしね。

並木先生・・・。当日はどんなお話をしてくれるのでしょう???

あー、わくわくします。

もしかしたら、このイベントを一番楽しみにしているのは私?(笑)

 

 

並木先生と私は、カウンセラーとクライアントとして出会いました。

霊能力のレベルには雲泥の差がありますが、二人が共通していること、それはまさに「霊的な成長」を求め、そういう生き方があることをたくさんの方へ広めていく使命があることです。

そのために私たちが霊能力を使うときには、高次元の存在と繋がります。

霊能力があっても、繋がる相手が低次元の存在であれば、得られる情報もまた低次のもの。

知り合いの霊能者に相談すると、気持ちが塞ぐ、恐怖を感じる、ざわつくといったような経験をお持ちの方は、相談する相手を見直すことをお勧めします。

同様に、友人やパートナーであっても、一緒にいて愛を感じない人とは距離をおいた方がいいでしょう。

なぜなら、これはあなた一人の問題でなく、相手にとっても最善ではないからです。

 

・・・と、まぁ、こういうような事は、ブログでも個人セッションでも折りに触れてお話しさせて頂くのですが、今回はたくさんの方と直接お目にかかってお話ししたいと、トークイベントを立ち上げた次第です。

 

キャンセルが出て残席があります。
ご希望の方はお早めにお申込みくださいませ。

truecolors888@gmail.com 神道まで!

※懇親会をご希望の方は予約の都合上、4/10(木)午前中までにお願いします。

 

それではまた。

いつもありがとうございます^^

 


今年1年を総括する言葉→「夜道に日は暮れない」

2013年12月16日 | ガイドからのコトバ

いろいろな事のあった1ヶ月でした。

暴飲暴食がたたって胃腸炎になり、丸1日寝込むことも(^^;)

 

 

少し前の話になりますが、毎年恒例の漢字「一文字」で表すこの一年。

今年は「輪」だったとか。

ちなんで、というわけでもありませんが、ふとこの1年を「一言」で表すと・・・とぼんやり思ったら、ガイドが「くれない」と言いました。

「くれない?」→「紅?」→「紅の豚?」→「夕方?」→「あー、暮れない、かー」。

なんだろう、暮れないって。

 

 

そう考えて頭に浮かんだのが、『夜道に日は暮れない』という言葉でした。

帰る夜道には、もう日が暮れる心配はない、という意味です。

辞書を引いてみたら、『腰を落ち着け、ゆっくりと物事を進めるよう勧めるときの言葉』なのだそう。

 

 

何事にもタイミングってありますものね。

急いては事をし損じる。

急がば回れ、という言葉もあります。

 

 

実を言うと、カフェでの修業にひと段落着けました。

辞めた理由に確固たるものは無いのですが、なんとなく「今年の9月までだなぁ」という予感が最初からありました。

夏ごろだったか、それをスピリチュアルカウンセラーのN先生に話したところ、「10月までだね」と一言。

理由は「流れが変わるから」。

私ってつくづく抜けてるなぁ、と思うのですが、「何の流れが変わるのか」聞くのを忘れてしまいました。

けれどカフェの勤めを続けていたら、身動きがとれなかったであろう色々なことが起こるようになり、複数の人に「いいタイミングで辞めたね。予めわかってたの?」と聞かれるところをみると、必要な流れに乗り換えたようです。

 

 

今年もあと少し。

年内はさほど働かず(^^;)、ゆっくりと静養したいと思います。

先週寝込んだのは、自分に静養を許した結果かもしれません。

なんとなくですけど、来年からはこんなにゆっくりしていられない予感が・・・。

『忙しいと書いて心を亡くす』。

この言葉に影響されているのか、忙しいのは好きではありません。

かつて企業戦士として、毎日20時間ぐらい働いていたのが嘘のよう(笑)

 

 

これからクリスマス、おせち料理の準備など楽しみなことが多い日々ですが、直近で最も楽しみなのが、N先生主催のセミナーに参加することです。

9月にも行われた『目を醒まして生きる』をテーマにしたワークショップ。

あ、『目を覚まして生きる』では無いですよ。

それ、みんなやっています(笑)

スピリチュアル界では、『分離』から『統合』へシフトし、高次元へ上昇しよう(=アセンション)という気運の中。

そのため、自分の中にある恐れや不安などのネガティブな感情や思考を手放すことが重要なのだそう。

なぜならそういったものは波動が重い。

上昇するには身軽になる必要があるのです。

だから、重く低い波動は手放していく作業が必要。

その方法を伝授してくださるワークショップが12/22にあります。

正直なところ、私はアセンションしたいという気持ちはあまり無いのです。

私にとって大事なのは「未来」でなく、「今」。

「完成」よりも、現実の中で得られる真理を見つけながら「修業」している毎日こそが興味の対象です。

私の魂、輪廻転生しながらこうしてずっと修業してきており、どうもそれが楽しくて仕方ないみたい。

今世はそこから抜け出るのが宿命なのですけど。

 

 

 

さて、それを助けてくれるのが12/22のワークショップです。

今回のテーマは「お金」と「健康」に焦点を当てるようです。

両者は目に見える「物」と、「状態」ですが、自分自身の波動(=エネルギー)に大きく左右されるものだと私は考えています。

お金にも、健康にも不安がない自分の世界を創ろうという内容ではありません。

むしろその逆。

それらの不安から自由になろうというもの。

 

 

いずれ、みなさまにもシェアしたいと思いますので、私がきちんと学んでこれるよう応援して頂けたら嬉しいです。

 

 

『夜道に日は暮れない』と言うけれど、『明けない夜もない』。

『冬来たりなれば春遠からじ』。

昔の人は、ステキな言葉をたくさん私達に残してくれています。

粋だなぁ、と思いませんか?

泣いても笑っても、あと2週間で今年が終わります。

暦があることで、気持ちを新たにスタートすることができますね。

なんと素晴らしいシステムでしょう!

大晦日には厄落とし、というシステムもあります。

先人が残してくれたこのシステムに乗っかって、師走を都合よく乗り越えようと思います(^^)

寒さが厳しくなってきました。

お身体をご自愛の上お過ごしください。

たまに寝込むのもイイものですけどね!!


問題の所在

2013年09月30日 | ガイドからのコトバ

この人、イヤだなぁ・・・。

最近そんな風に思ったこと、ありますでしょうか?

 

 

心理学では、『自分の問題を外側に見る』と言います。

 

 

例えば、無礼な人をイヤだなぁと思うなら。

その無礼さは、なんと自分の内側にあり、それを自分で認めたくないからこそ、他人の無礼さが気になるというのです。

 

 

ある人の行動を見て、あなたはイヤだと感じる。

でも、イヤと思わない人もいる。

 

 

その行動が、いかに常識を欠いていたとしても、気にならない人は確かにいるのです。

 

 

カフェの中で騒ぐ3歳の子供。

「うるさいなぁ」と思う人もいれば、「この年頃は仕方ないね」と思う人もいる。

「親はなぜ注意しないんだ!」と怒る人もいれば、「あらあら、なんて元気なんでしょう」と、微笑ましく見守る人もいる。

 

 

あなたが「非常識だ!」と声だかに訴えたとしても、みんなが同じ価値観を持っているわけではないのですよね。

 

 

「私なら、そんな非常識なこと、絶対にしない!!」

そう誓ったあなたも、かつて3歳のときには誰かに騒音を与えていたかもしれません。

 

 

とは言え、ストレスを感じたまま我慢せよ、と言っているわけではありません。

問題の解決の行方も、手段も一つではありませんが、イライラしながらストレスを感じるよりは何か手段を講じる事をお勧めします。

ポイントは、その手段によって、『自分自身の心が晴れるもの』を選ぶことに限ります。

 

 

店員さんに、「友人と大切な話があるので、もう少し小さな声でお子さんに遊んでもらえるよう頼んでいただけませんか?」とお願いするのもアリ。

直接子供に、「走って誰かにぶつかると危ないよ」と注意するのもアリ。

これみよがしにため息をついたり、手で耳をふさいだところで、相手には伝わらないでしょう。

ヒソヒソと、騒ぐ子の親を責めても事態は変わりません。

まして自分の気持ちも・・・晴れないですよね。

 

 

それならばいっそ、別なカフェで仕切りなおそうかとポジティブな気持ちで店を出るのもアリです。

店を出たら朝からの雨が止んで、外は気持ちのよい秋晴れとなっているかもしれません。

「あー、店を出てよかったー(^^)」

そう思えたら、子供が騒いでいたことなど何でもないことに思えるのでは?

カウンセリングの後でよく言われるのですけどね。

本当に問題が解決できたときには、その問題を思い返しても、「あれ?どうでもいい事になっちゃった」という風に変化しているようです。

 

 

結局のところ、イヤな事が起きたとき、そこから自分を救うことが出来るのは自分だけなんです。

だって、「イヤだ」と思う心は、自分の中にあるのですから。

そのきっかけを作ったのは外側にある環境だったかもしれない。

でも、その環境が問題だと思うかどうかは人による、ということは前述しました。

自分の気持ちに正直に向き合い、自分が求める解決をすれば、問題は問題でなくなります。

 

 

 

子供に注意して静寂が得られても、「なんだか申し訳ない事したなぁ」という気持ちが残っていれば、あなたは自分を救ったことにはなりません。

あなたにわだかまりが残っている時、大抵は相手にもわだかまりが伝わって、双方が気まずい思いをするものです。

あなたの心が、秋の空のように澄んで晴れ渡ったときには、相手もまた気持ちよく過ごせるものです。

 

 

解決の方法は、人それぞれです。 

正解はありません。

あなただけの解決方法を実践してみてください。

 

 

 

そういえば、20代前半の若い頃。

友人A子ちゃんが夜道を歩いているところ、前方から怪しげな男性が近付いてきたそうです。

A子ちゃんはとっさに、「あの人より怪しい人になれば大丈夫!」と、踊るように歩き出し、その男性は彼女を遠巻きにしながら遠ざかっていったそうな。

いやはや、問題の(?)解決方法とは幾つもあるものです。