燐光群 『屋根裏』
2005.3.28 梅ヶ丘BOX 開演19:30
雨。
慌てていたせいでメガネを忘れてしまった。
梅ヶ丘駅南口を出て右折し線路に沿って・・・・・・100メートルも行かないうちにお店は途絶え真っ暗な道に。
開演5分前。
少しあせっていると
「屋根裏はこちらです」
と。
シャッターの下りてたレンタルビデオ屋の裏の地下に梅ヶ丘BOXはあった。
でもそんなに深くないみたいで、本番中も地上を走る車の音とか消防車のサイレンが聞こえた。
何はともあれ、到着。
座席数6×7=42プラスベンチ。
狭い。
幕はなく、舞台上にはすでに件の「屋根裏」が。
ある意味、この「屋根裏」が今回の劇の主役かな。
通信販売される部屋の中に設置された部屋、みたいなもの。
箱型居住スペース。
読売文学賞・紀伊国屋演劇賞・読売演劇大賞(最優秀演出家賞)受賞、らしい。
期待して観にいった。
「冒険だ冒険だ、冒険のはじまりだ・・・。」
たぶん、作者の直接の動機となったのは新潟の女性誘拐監禁事件。
そこから現代社会の問題として「引きこもり」を描こうとした。
そのように思われる。
「屋根裏」と呼ばれるわずか1畳ほどの空間を舞台に、中身である人間が次々に入れ替わっていく。
短い場面がいくつも連なるのだが、観ているうちに「兄」と「弟・屋根裏ハンター」の登場するシーンが鍵なんだなとわかってくる。
この二人が初めて同時に登場したとき(上昇するエレベーターのシーン)から、一気にクライマックスへと走り出す。
この劇は現代日本人の病理としての負の引きこもりを描くと同時に、ひとつの居場所としての引きこもり、人がもっともその人らしくあるための、あるいはその人らしさを取り戻すためのモラトリアム的なものとしての肯定的な引きこもりをも描いている。
作者は、カスパー・ハウザーやアンネ・フランク、そして新潟の女性誘拐監禁事件、その他いくつもの引きこもりの事例に取材してヒキコモリの国・日本の「いま」を描こうとしているのだ、と感じた。
「自分の意志で選びとった一人で過ごす一日は、流されて生きる一年に等しい。」
最近読んだ本で引きこもりは日本特有のものだと知った。
欧米では高校卒業したら親離れするのが当然でヒッキーなんかしてたら飢え死にするんだそうな。
引きこもりなんて許されないんだって。
だからアメリカの精神医学には日本でいうところの引きこもりという症状は存在しない、らしい。
ある意味、主人公ははじめから登場していた。場面の設定だけで十分おもしろい。
でもちょっと長すぎ。
2時間15分。
お尻が痛くなった。
パイプ椅子。
今回は後ろの方の席だった。
帰りに戯曲を入手。
「悲劇喜劇」2002年10月号。
出版社にもあと三冊くらいしか残っていないとか。
「サカテがいればサインさせるんですけど今日は来ておりませんので・・・・・・」
おしかったかな? 終演後、アンケートを回収していたスーツの人にステージの写真とってもいいかきいてみたけどさすがにダメだった。
「オフィシャルに使用されるのでしたら、連絡先をいただければ使用できるように致しますが」
と言われたけど、ココに貼りつけたかっただけでした。
「特にオフィシャルじゃないんでいーです。」
やや単調? 裸に意味があったのか疑問あり。
まあ、つまんなくはなかった。
でも二時間以内に納めてればもっとくっきりはっきりして良かったのではないかな。
とても参考になった。
※過去の感想。フライヤーを持ってたけどどこかにあるかな?
再演されたらまた観たいなぁ。