ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

レヴィ=ストロース

2020-06-12 | 日記

年下の先生(参照:自己啓発書への違和感への答え)が

クロード・レヴィ=ストロースを読むことを勧めるので、図書館で借りてきて

読んでみると、たちまちに魅了されました。

 

クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908年11月28日 - 2009年10月30日)は、フランスの社会人類学者、民族学者。ベルギーのブリュッセルで生まれ、フランスのパリで育った。

 

The remarkable legacy of Claude Levi-Strauss(画像あり) | レヴィ ...    レヴィ・ストロース l マイ・ブリコラージュ

 

これだ!と思いました。色々な考えごとが繋がった気がします。

ブリコラージュ、ブリコルール  「野生の思考」 とても共感します。

Claudeがつく人には、好きな人が多いです。

Claude Debussy、Claude Monet… クロードじゃないけどClaudio Arrau 

 

 

ブリコラージュ:本来その目的のために作られた部品ではない、あり合わせの素材で、ある目的に適う

全体を作り上げる作業のこと。システムの中の純正部品ではなく、あり合わせの素材を、見かけの類似を

もとにして、ある全体をこしらえること。―――(川田順造 レヴィ=ストロース著「悲しき熱帯」の訳者)

 

ブリコラージュ:ある目的のために作られた機械の部品ではなくて、周りにある物、与えられた物を

材料や道具として使っておこなう実践のこと。商品や部品として作られたものは、既にシステム全体から

与えられた用途があらかじめ決められていて、その用途のために設計されたものである。そういう物を

作ったり用途を固定して使ったりする思考を、ブリコラージュする人(ブリコルール)の思考とは区別

して、エンジニアの思考と呼んでいる。エンジニアの思考で作られた物をブリコルールは

ブリコルールの思考で使う。システムによって与えられたものを、生活の場である身近な本物の

社会の中では、システムの設計の意図とは違うふうに使うことがある。そういうことを実際に人々は

している。そういったシステムを飼い馴らすという実践についての研究が人類学で盛んになされている。

―――(小田亮。人類学者。著著「レヴィ=ストロース入門」「構造主義のパラドックス」など)

 

............ブリコルール(bricoleur ブリコラージュする人 器用人)は多種多様の仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない。彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。しかも、もちあわせの道具や材料は雑多でまとまりがない。なぜなら「もちあわせ」の内容構成は、目下の計画にも、またいかなる特定の計画にも無関係で、偶然の結果できたものだからである。すなわち、いろいろな機会にストックが更新され増加し、また前にものを作ったり壊したりしたときの残りもので維持されているのである。したがってブリコルールの使うものの集合は、ある一つの計画によって定義されるものではない。............ブリコルールの言い方を借りて言い換えるならば、「まだなにかの役に立つ」という原則によって集められ、保存された要素でできている。............

レヴィ=ストロース 著 大橋保夫 訳「野生の思考」第1章 具体の科学 23頁
 


職人のおじちゃんも、ブリコルールです。新しく買うのではなくあるものを寄せ集めて

一緒に作っていきます。それがとても楽しく、なんでこんなに楽しいのかと不思議に

思っていました。 

  


   re:再びvolute:巡り来る② に書いたフランス人や

プラスティックは買わない 、フジコ・ヘミングに似たおばさん に書いたおばさんも

ブリコルールです。

 

(その他関連:認知的不協和②     物を大切に使い続ける    秋の夜のお客さま 
  貧しさの中の幸福    昔のピアノ     もしも好きな物が買えるなら

 

その機能の為にはその目的で作られたものを買わないといけないとか、

その機能が壊れたら捨てるとか、それ以外ないように考えている様子に出くわした時に

狭い感  定規感 をおぼえてきましたが、レヴィ=ストロースの本に書かれている

ことに大変感銘を受けました。

 

私が、捨てられそうな物を貰ってきたり、捨ててあるのを拾ってきて喜んで使うことや

本来与えられた機能が壊れた物に別の機能を見出して捨てずに使い続けることを

「貧乏臭い」と、小3の時に同級生の女の子に言われたんです。するとすかさず、

「なにがいかんね」と、私に代わって言った担任の先生のことを思い出しました。

 

日本での「下品」「はしたない」の形容のしかたがおかしいと私は思っています。

私にとっては、物をすぐに捨てて新しいのをホイホイ買ってそれを無限に繰り返す方が、

下品だと思います。

 

 

 


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