ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

貧しさの中の幸福

2019-10-18 | 日記

私は、貧しい中での楽しみ、幸福を見つけるのが好きになりました。

フジコ・ヘミングも本で書いていて、とても共感しました。

”幸せは雲の向こうにあるのを掴むのではなく、今置かれている生活の中から見つけていくものだ” と。

時々、自分の暮らし向きとはかけ離れた空間に舞い込んだ時に、「わぁ~すごい」と心ときめきますが

日頃の生活の中でのときめきがそれより弱いことはなく、同じかそれ以上のものです。

 

  森に囲まれた佐田川が近所にあってそこで泳いだ時、シャンデリアの部品が川辺に漂着しているのを見つけました。ドキドキして透明の涙型のカットガラスを1つ持って帰りました。あれから数十年経っても、あれより美しいシャンデリアの粒をみたことはないです。(誰にみせるでもなく美しいもの より)

 これより綺麗なダイヤモンドも見たことがない 水と泥に濡れたあの時のシャンデリアの粒が最も美しかった。

 

  また、貧しいことによる逆説的な幸運を見つけることも好きです。

 

例えば、私は時々道の駅で果物を大量に買ってくるのですが、立派な商品ではなく傷ありとか訳ありとか加工用を買います。

この前、浅いダンボールに入った小粒な緑色の葡萄=正規の売り物にならないカスばかり集めた物を買って食べると、

とても甘くて美味しかったです。あんなに甘い葡萄、初めて食べた。

まともな商品も母が買って来たり、貰ったりして普段食べていますが、それよりもこのカス箱の葡萄はすごく美味しかったです。

 

昔バイトしていた喫茶店で、手作りのオープンアップルパイを出していたのですが、それに使う林檎は

木から落ちたりして売り物にならない硬くて青い林檎を、タダ同然で流してもらったものでした。それでないと、

熟して甘みたっぷりのでは美味しくできないんです。硬くて青い林檎で作ると、甘酸っぱさ、歯ごたえが丁度良くできました。

     ※参考イメージ
         美味しそうだね…
 

だから、どうしてもその落下した青林檎がない場合は99ショップで硬くて酸っぱい林檎を買って来ていました。

 

そういう幸運を見つけるのが好きです。 

 

        

 

これは、精一杯の合理化なのでしょうか…  でも幸福には違いないのだから、いいでしょう。

フジコも、「極貧時代に道で拾ったオレンジが、信じられないくらい美味しかった。神様からのプレゼントだ」と書いていて

私もそういう体験よくわかります。

 

忘れられない幸運は、私の場合、だいたいみすぼらしい場所で起こります。

10年位前に、隣町だけどあまり行かない所の薄暗い楽器店に入りました。やってるのかやってないのかさえ、判別できない店でした。その店の端っこで、

全音のピアノピース(楽譜)が1ピース50円とか80円とか130円で売っているのを発見したんです。駄菓子のように楽譜が売ってある…

ずっと店の中で時を経て、新品だけど茶色の斑点がつき古びていました。値段は時が止まったまま。それに、字体もなんだか古い。それがまた燃える …

私は暗がりの中で宝を見つけたシンドバッドのように、好きな曲の楽譜を漁って買いました。マリーの「金婚式」もその時に買いました。

 

ああいう幸福は、お膳立てされたアミューズメントとは比にならない体験です。

 

      

 



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