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ネットオヤジのぼやき録

ボクシングとクラシック音楽を中心に

ドネア,ナルバエスが渡英,最後(?)の大勝負やいかに - アイルランド2大決戦 プレビュー -

2018年04月22日 | Preview

■4月21日/SSEアリーナ,ベルファスト(英/アイルランド)/WBO世界フェザー級暫定王座決定12回戦
元2階級制覇王者 カール・フランプトン(英/アイルランド) VS 元5階級制覇王者 ノニト・ドネア(比)



直前の賭け率で、ドネアがこれほど水を開けられたことがあったろうか。国際的にはまったく無名だった初挑戦(ヴィック・ダルチニアン第1戦/IBFフライ級王座獲得)の時でも、ここまで離されていたかどうか。

□主要ブックメイカーのオッズ
<1>Bovada

フランプトン:-750
ドネア:+475

<2>5dimes
フランプトン:-720
ドネア:+510

<3>シーザースパレス
フランプトン:-600
ドネア:+450

<4>ウィリアム・ヒル
フランプトン:1/6
ドネア:7/2
ドロー:25/1

<5>Sky Sports
フランプトン:1/7
ドネア:9/2
ドロー:25/1


まさにアンダードッグとして英国に呼ばれた訳だが、大差を付けられる最大の理由は、126ポンドにおけるドネアのパフォーマンスにある。ニコラス・ウォルタースに力でねじ伏せられ、WBAスーパー王座を奪われた衝撃のKO負け(2014年10月)は、2年半が経過した今も生々しい記憶として、ファンの脳裏に焼きついて放れない。

トップランクとの契約満了を待ち、昨年夏にリチャード・シェーファー(デラ・ホーヤの右腕として立ち上げからGBPを支えた元銀行家)が興したリングスター・スポーツ(プロモーション)と3試合の契約を交わし、9月23日にヒューストンのアラモ・ドームでほぼ1年ぶりの実戦復帰。

和解復縁した実父ノニト・シニアを再び更迭し、三顧の礼で招いたイスマエル・サラスは、ジェシー・マグダレーノ戦の責任を取る形で速やかにチームを去り、S・フライ級進出に際してフィジカル強化を担当して以来、10年近く一緒に戦い続けて厚い信頼を寄せるマイケル・バゼルを内部昇格。



バゼルがドネアのチームに呼ばれたのは、2008年~09年にかけてのことだった。もともとS・フライ~バンタムを主戦場にしていたドネアに、実兄グレンにKO勝ちした”アルメニア版レイジングブル”から挑戦のオファーが届く。キツい減量を覚悟でフライ級まで絞り、センセーショナルな勝利で一躍国際的な注目を集める。

3度の防衛をいずれもKO(TKO)で片付けたドネアは、ポスト・パッキャオを明確に意識し、多(複数)階級制覇を視野に捉える。レイチェル夫人との交際・結婚を強硬に反対していた父との離反を決断し、ドディボーイ&ジョナサン・ペニャロサ兄弟と新体制を組むも、ヘッド格のジョナサンが米本土への入国を許されず(詳細は不明)、売れっ子トレーナーのロベルト・ガルシアを新たなチーフに招くと同時に、ビクター・コンテ(バルコ・スキャンダルの張本人)に増量のサポートを依頼。

全世界を震撼させた大規模なステロイド汚染発覚の後、4ヶ月の服役(司法取引で大幅に減刑)を経て社会復帰したコンテは、アンチ・ドーピング推進派への宗旨替えを宣言し、WADA(世界アンチドーピング機関)への全面的な協力を約束。早速新会社を設立すると、合法なサプリメントと科学的なトレーニングを一体化させた「SNAC(Scientific Nutrition for Advanced Conditioning)」なるシステムを発表。エリート・レベルのアスリートをサポートする、本来の仕事を再開した。

ボクシング界でも、フロイド・メイウェザーやザブ・ジュダーらがコンテとアドバイザー契約を結び、ドネアもその列に加わった訳だが、この時SNACから派遣されたのがマイケル・バゼルである。当時ドネアは25~26歳。アスリートとして花の盛りを迎え、チームの体制一新だけでなく、ゲイリー・ショウ・プロダクションズからトップランクに乗り換えるなど、トップスターへの階段を駆け上がるべく、急ピッチで環境整備に奔走していた。

S・バンタム級で西岡,アルセを含む4王者を打ち破り、省エネ安全策に閉じこもるリゴンドウに苦杯を喫するまで続く快進撃は、フレディ・ローチに並ぶ名声をを確立したガルシアと、主にフィジカル面を担当したバゼルらの尽力なくして有り得なかっただろう。やがてバゼルは、チーフを務めるガルシアの信任も得てアシスタントの仕事も任されるようになり、ドネアのコーナーに欠かせない存在となる。




チームの長に昇格したバゼルの初陣は、昨年9月の再起戦。およそ6年ぶりとなるラスベガスで、守備的なスタイルを採ったジェシー・マグダレーノにユナニマウス・ディシジョンを献上。122ポンドのWBOタイトル(2度目の載冠)から転落し、フェザー級への再チャレンジに打って出た。

10ヶ月のスパンは、一昔前なら「長期ブランク」になるが、トップボクサーが年間にこなす試合数が激減した今ではさほど珍しくない。最大の不安要素は、126ポンドでの調整がもたらすフィジカル・コンディション。

果たしてドネアの出来はイマイチだった。中堅のメキシカンを相手に大差の判定勝ちを収めたものの、最盛期の冴えとキレには程遠い印象。遥か格下のメキシカンに圧力をかけることができず、思い切りのいいパンチで反撃を受けると、無理をせずにフットワークで距離を取り直す安全策を徹底。

強引に倒しに行く誘惑を封印し、修正への兆しが感じたれたのは良かったが、常にすっきりとした決着を求めるドネアらしさ、魅力は割り引きされてしまう。そして何よりも、フェザー級で戦うリスクの高さを再認識させられた。このタイミングでのフランプトン戦に、疑問を呈する声が上がったのも無理はない。


圧倒的有利の前評判を背に、地元でフィリピノ・フラッシュを迎撃するフランプトンも、レオ・サンタクルスとのダイレクト・リマッチで微妙な判定を失った後、長らく師弟関係にあったバリー・マクギガン親子と別れ、元ミドル級コンテンダーのマシュー・マックリンをマネージャーに迎える。イングランドの中量級ローカル・スターからコーチに転身したジェイミー・ムーアを、新しいヘッド・トレーナーに据えて体制を一新した。



メンター的存在だったバリー・マクギガン(元WBAフェザー級王者)は、80年代に一世を風靡しアイリッシュの大スターで、フランプトンを発見して世界王者に育て上げた恩師でもある。トレーニングの実務を息子のシェーンに託し、バリー自身はマネージメントに専念。念願だったジムを立ち上げ、プロモーター業にも乗り出そうかという勢いを殺がれた格好だが、この厳しさもまたボクシング・ビジネスの現実。



エディ・ハーンと熾烈なライバル関係にあるフランク・ウォーレン(英国トップクラスのプロモーター)率いるクィーンズベリー・プロモーションズに移り、捲土重来を期して昨年11月に再起戦を敢行。

長谷川穂積に敗れたオラシオ・ガルシアをメキシコから呼び、127ポンド契約で激しい打撃戦を繰り広げた。3~5ポイント差の3-0判定勝ちを収めて事なきを得たが、第7ラウンドに予期せぬノックダウンを喫して先行きに不安を残す・・・とは言え、一回り以上大きなガルシアに見劣りしない上半身を作り、迫力のある強打にも臆することなく力に力で対抗するフィジカルの強さは、小兵の不利を大きな不満なくカバー可能であり、ドネア圧倒的不利の前評判も致し方がない。


”フィリピンの閃光”と称された往時のスピードと機動力を、バゼルとの綿密なトレーニングでどこまで回復できたのか。真正面からの打ち合いは、ウォルタース戦の悪夢を再現させかねないハイ・リスクをもたらすが、クロスレンジで足が揃う悪癖を修正し切れず、左足から滑ったところにガルシアの左フックを貰って尻餅をついたフランプトンのケアレス・ミスは、同じパンチで軽量級の歴史に残るノックアウトを量産してきたドネアにとって、避け難い誘惑になり得る。


◎フランプトン(31歳)/前日計量:125ポンド
前WBAフェザー級スーパー(V0),元IBF J・フェザー級(V3/WBA王座吸収)王者
戦績:25戦24勝(14KO)1敗
アマ通算:114勝11敗
2007年EU選手権代表(バンタム級)
2009年(バンタム級)及び2005年(フライ級/ジュニア)アイルランド国内選手権優勝
2005年ジュニア欧州選手権代表(タリン,エストニア/フライ級2回戦敗退)
身長:165センチ,リーチ:157センチ
右ボクサーファイター

◎ドネア(35歳)/前日計量:125ポンド1/2
元IBFフライ(V3),元WBA S・フライ暫定(V1),元WBC・WBOバンタム(V1),元WBO J・フェザー(第1期:V3+IBF吸収/第2期:V1),元WBAフェザー級スーパー(V0)王者
戦績:42戦38勝(24KO)4敗
アマ通算:68勝8敗
2000年全米選手権優勝
※シドニー五輪米国最終予選でブライアン・ビロリアに6-8で惜敗
1999年国際ジュニア・オリンピック優勝
1999年ナショナル・ジュニア・オリンピック優勝
1999年ナショナル・ゴールデン・グローブスベスト8敗退
※階級:L・フライ級
身長:166センチ,リーチ:173センチ
右ボクサーファイター(スイッチ)




○○○○○○○○○○○○○○○○○○

□オフィシャル:未発表


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■ダブル・メイン/WBO世界バンタム級タイトルマッチ12回戦
王者 ゾラニ・テテ(南ア) VS 元2階級制覇王者 オマール・ナルバエス(亜)



身長差16センチ,リーチ差20センチのディスアドバンテージ。不惑を超えたナルバエスが、2008年5月以来10年ぶりの渡欧に踏み切った。3階級制覇達成への執念を燃やし、圧倒的なサイズと年齢の違い、絶望的とも表すべきハンディを押して、2度目のバンタム級王座挑戦に臨む。

N.Y.の殿堂MSG(5千人収容のシアター)のリングに上がり、WBCとWBOの統一王者だったドネアにフルマークの判定負けを喫したのは、もう6年半も前のことになる。この年齢になっても、10~12ラウンズをフルに動き手を出す体力と、大きな怪我なくコンスタントに戦うコンディションを維持している点は単純に凄い。驚嘆に値する。

大幅なリバウンドを遠慮なく武器にするフィリピノ・フラッシュとの体格差が、想像を超えて大きかったことも考慮すべきではあるものの、ドネア戦で披露した徹頭徹尾の安全策は、当然のように批判された。いくらドネア必殺の左フックを封じる為とは言え、余りにも消極的過ぎやしないか・・・。

試合後のインタビューで、ナルバエスはスコアへの不満を言葉の端々に滲ませながらも、敗北を受け入れ勝者となったドネアを称えたが、「彼は122ポンドに上がるらしいが、今後も最上級のチャンピオンであり続けられるのかどうか、その点は疑問だ。技術的には、ギジェルモ・リゴンドウに一日の長がある。」と延べ、増量の難しさを強調。また、辛口の批評が大勢を占める中、軽快かつ丁寧なフットワークと攻防一体のムーヴィング・センスは一定の評価を受け、一目を置く識者も少なくなかった。

ドネア戦後115ポンドに出戻り、3年の間にWBO王座を8度防衛(通算11回)。2014年の晦日決戦で初来日を果たし、減量苦から開放され完全に覚醒した井上尚弥の存在を世界に知らしめると、引退の噂を敢然否定。2015年年は流石に再起戦の1試合のみに止まったが、2016年は2月と6月に2試合をこなし、IBF王座への挑戦権をかけ、エマニュエル・ロドリゲス(プエルトリコ)の陣営と本格交渉に入るも難航。

内定とキャンセルを繰り返し、試合の目処も立たない状況に業を煮やしたナルバエスは、ターゲットをWBOに移(戻)すと、昨年10月地元にランク2位のニコライ・ペタポフ(ロシア)を招聘。7回終了TKOに下して、無事挑戦権を獲得。今年2月には、自身最重量となるS・バンタム級契約でチューンナップを組み、ベネズエラの中堅選手(主戦場はバンタム)をフルマークで完封している。もともと2月10日にロンドンでテテに挑戦する予定だったのが、王者の都合(ロードワーク中にふくらはぎを負傷)で延期になった為、試合勘を鈍らせたくないからと10回戦を組んだ。


受けて立つテテは、フランク・ウォーレンと正式に契約を交わし、2016年以降英国に活動の拠点を移す。とは言っても、今も生まれ故郷の南ア国内に居住し、チームも同じ体制を継続しており、試合の度に英国と母国を往復する。

バンタム級への参戦を表明した井上尚弥に対戦を呼びかけたのみならず、リー・ハスキンスを攻略してIBF王座を獲得し、リッキー・ハットンがハンドルするザナト・ザキヤノフを空転させ、WBA王座も吸収したライアン・バーネット(エディ・ハーン傘下/IBF王座は返上)との統一戦を声高に叫ぶなど、ビッグマッチへの渇望を隠さない。

王国アメリカではなく、英国の大手プロモーションをわざわざ選んだのは、軽量級のタレントが続々と登場して活況を呈しているからに他ならず、ヒスパニック系とアフロ・アメリカンのトップボクサーを軸にマーケットが形成され、同じ黒人であるにもかかわらず、アフリカ大陸をベースに戦う優れた選手たちが冷や飯を食わされ続ける米本土の現状に、強い警戒心を抱いていたことも影響した。


そして昨年春、今後の命運を左右しかねない大事件が、テテのチームにも発生している。三顧の礼を持って迎えたヘッド・トレーナーのニック・ドゥラントが、バイク事故で亡くなってしまったのだ。54歳の若さだった。



※ドゥラントの事故死を伝えるニュース映像
Boxing trainer Nick Durandt dies in motorbike crash
2017年4月21日/eNCA.com
https://www.enca.com/media/video/boxing-trainer-nick-durandt-dies-in-motorbike-crash-0?playlist=107


著名なプロサッカー選手を父に持つドゥラントは、総勢40名近いチャンピオンとランカークラスをサポートした南アフリカを代表するトレーナーであり、フィリップ・ヌドゥ,サイレンス・マブサ,アイザック・ラシュワヨ,カシアス・バロイ,ジェフリー・マセブラ,シンピウェ・ノンクェイ,モルティ・ムザラネらのコーナーを歴任。

フライ級時代のテテは、IBF王者だったムザラネに挑戦してTKO負けに退いているが、その時ムザラネのチームを率いていたのがドゥラントである。突然のアクシデントで名トレーナーがこの世を去ったのは、”キング”・アーサー・ビリャヌエバ(比)とのWBO暫定王座決定戦の本番前日だった。マネージャーに専念した筈のムランデリ・テンギンフェネ(Mlandeli Tengimfene)が急遽代役に立ち、昔取った杵柄ではないが、過不足のない仕事ぶりを見せ急場をしのぐ。

陣営は新しいチーフ探しに奔走。人選は難航したらしく、史上最速最短の初回11秒KOに湧いた初防衛戦(昨年11月/挑戦者は同国人のシボニソ・ゴニャ)には間に合わず、同じ体制で英国に渡る王者をサポート。そしてナルバエスとの指名戦に備えて、ようやく決まったヘッドが、ロイソ・ムツァ(Loyiso Mtya)だったという流れ。




テテを長く指導したのは、ブヤニとドゥンドウのブング兄弟とされているが、ブヤニ・ブング(元IBF J・フェザー級王者)とムブレロ・ボティーレ(元IBFバンタム級王者)を育て上げ、マンデラ政権下で黒人ボクサーの地位向上に尽くしたムズィ・ムンガニ(Mzi Mnguni)の下で、キャリア初期のテテも薫陶を受けた。





多くのボクサーを抱えて多忙を極める売れっ子トレーナー(ドゥラント)は、特定の選手(テテ)に付きっ切りという訳にはいかない。マニー・パッキャオにおけるブボイ・フェルナンデスのように、普段のトレーニングを見るコーチは必要不可欠で、マネージャー兼任のテンギンフェネとドゥンドウが中心となり、テテのサポートに当たってきたらしい。

その後ムヒキザ・ミイェケニ(Mhikiza Myekeni)というコーチに替わり、同じバンタム級で戦う実兄マカゾール(17勝12KO2敗2分け)とともにチーフを務めていた。神戸で帝里木下の挑戦を受けた時も、コーナーを守っていたのはミイェケニ(とテンギンフェネ)のようである。しかし2015年4月、テテはミイェケニとの契約も解消。後を受けたのがドウィー・ムズィニ(Dowie Mzini)で、こちらも長続きはせず2016年の年明け間もなく更迭された。



2015年当時、兄のマカゾールはテンギンフェネの下を去り、個別に活動をしていたとのことで、この時指導を受けたのがロイソ・ムツァだったという。ところが、マカゾールは新しいマネージメントと肌が合わなかったらしく、1年経つか経たないうちにテンギンフェネと復縁。ロイソ・ムツァのチームからも離れることに・・・。

こうして見ると、テテのトレーナー遍歴(?)もなかなかのものだ。大きな勝負が決まる都度、チーフをクルクルと変えて話題になったオスカー・デラ・ホーヤに引けを取らない忙しさ。

「ロイソも何時まで持つことやら・・・。」

長期安定政権を期待されるWBOチャンプの周囲からは、早くもそんな声が漏れているそうだが、大物ドゥラントとの契約成立は、落ち着かないトレーナー問題の最終的な解決を意味していただけに、後を託される方も大変には違いない。


バーネットと同じエディ・ハーンの支配下選手で、バンタム級の王者としては先輩格にあたるジェイミー・マクドネル(WBAレギュラー王者)を井上が選択したことについて、「非常に残念だ。彼と私が戦うからこそ、118ポンドの真のNo.1決定戦と言えるのに・・・。」とホゾを噛み、メディアを通じたアピールに腐心する。

ナルバエスなど眼中に無しといった様相だが、形振り構わぬ体重オーバーで山中を再び倒したルイス・ネリーが無期限のサスペンド(コミッションではないWBCが一方的に通告する不思議を誰も指摘せず)処分を受け、バーネットが放棄したIBFに続いてWBCも空位となった。

IBFは上述したエマニュエル・ロドリゲスと、元王者ポール・バトラー(英)による決定戦が具体化。WBCは2大会連続五輪出場のナルディーヌ・ウバーリ(仏/31歳/14連勝11KO)が1位に昇格し、46連勝中(31KO)の2位ペッチ・ソー・チットパタナ(タイ/24歳)との決定戦に期待がかかる。

マクドネルへの挑戦が正式に決まった”モンスター”井上の動向とともに、今暫くは目が離せない状況が続く。


□主要ブックメイカーのオッズ
<1>Bovada
テテ:-5000
ナルバエス:+1400

<2>5dimes
テテ:-4000
ナルバエス:+2000

<3>BETONLINE
テテ:-5000
ナルバエス:+1200

<4>ウィリアム・ヒル
テテ:1/50
ナルバエス:12/1
ドロー:33/1

<5>Sky Sports
テテ:1/33
ナルバエス:12/1
ドロー:23/1


◎テテ(30歳)/前日計量:117ポンド1/4
WBOバンタム級(V1),元IBF J・バンタム級(V1)王者
戦績:29戦26勝(21KO)3敗
アマ通算:400戦超3敗(あくまで自己申告)
身長:174.5センチ,リーチ:183センチ
※帝里木下戦の予備検診データ
左ボクサー

◎ナルバエス(42歳)/前日計量:116ポンド1/4
元WBOフライ級(V16),J・バンタム級(V11)王者
戦績:52戦48勝(25KO)2敗2分け
アマ通算:詳細不明(100戦超)
※井上の挑戦を受けた時「プロ・アマ通じて159戦」と報じた記事有り
1996年アテネ,2000年シドニー五輪代表
※いずれも2回戦敗退
1999年世界選手権(ヒューストン)銀メダル
1997年世界選手権(ブダペスト)銅メダル
1999年パン・アメリカン・ゲームズ優勝
※階級:フライ級
身長:158.5センチ,リーチ:163センチ
※井上尚弥戦の予備検診データ
変則的な左ボクサーファイター




□オフィシャル:未発表