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ネットオヤジのぼやき録

ボクシングとクラシック音楽を中心に

猛威を振るう”王家の嵐” Part 1 - S・バンタムに出現した台風の目アイザック・ドグボェ -

2018年09月03日 | Boxing Scene

■8月25日/ヒラ・リバー・アリーナ,アリゾナ州グレンデール/WBO世界J・フェザー級タイトルマッチ12回戦
王者 アイザック・ドグボェ(ガーナ) TKO1R WBO6位 大竹秀典(金子)




早い決着もあると覚悟はしていたが、本当に1ラウンドで終わってしまうとは・・・。戦前大竹への高評価を繰り返し語っていたドグボェに、素直に嬉しいと思う反面、「過大なリスペクトは本心に非ず。絶対的な自信の裏返しに違いない。」と感じていたことも事実。

大きくかけ離れた賭け率が示す通り、両者の実力差は明らかではあったけれど、小兵の不利をまったく感じさせない、驚異的なパワー&スピードを目の当たりにすると、この階級で日本(東洋)人が世界と戦うことの難しさを、あらためて痛感させられる。

WBCの暫定王座から始めて正規王者となり、ジョニ・ゴン,ラファエル・マルケスのメキシコ2強を倒して7度の防衛に成功した後、夢のドネア戦を実現した西岡利晃が、いかに凄いボクサーだったのかということも・・・。


37歳のベテラン大竹を蹴散らし、正規王座のV1(V2=暫定王者からの昇格になる為マグダレーノ戦も防衛回数に含まれる)に成功したアイザック・ドグボェは、ガーナと英国(イングランド)の二重国籍を持つ黒人パンチャー。

「ロイヤル・ストーム(Royal Storm/王家の嵐)」のニックネームで売り出し中だが、「ロイヤル」は英王室のことではなく、両親がガーナ国内で最も大きな2つの部族の出身で、それぞれ王族の血筋にあたることに由来する。

さらに母方の親戚には、大統領を2度勤めたジェリー・ジョン・ローリングスがいるとのことで、華やかな出自も話題の1つ。




アフリカの雄,ガーナが輩出した通算8人目の世界チャンピオンは、首都アクラに生まれた後、7歳(8歳説有り)の時に家族とともに英国へと渡る。一家が移り住んだ先は、ロンドンの南にあるブリクストンという街で、アフリカ系移民のコミュニティが形成されていた。

多くの子供たちがそうであるように、幼いアイザック少年もサッカーに夢中になったが、チームメイトの少年たちの中でもひときわ体が小さかった為、実父のポールがボクシングを教え始めたという。祖父はこの話を聞いて驚き、「サッカーならまだしも、どうして殴り合いをさせなきゃならないんだ!」とカンカンだったらしい。


ガーナに限らず、アフリカや中南米の途上国はまだまだ貧しく、ジムとは名ばかりの空き倉庫に、ヘビーバッグやパンチングバッグなど必要最小限の用具を持ち込んだだけだったりする。ちゃんとロープを張ったリングがあればいい方で、屋根が無いに等しい、文字通りの掘っ立て小屋同然という場合も珍しくないという。

ゾラニ・テテやアンセルモ・モレノが日々練習しているジムも、近代的なトレーニング機器や設備は皆無と言って良く、グローブや各種バッグ類といった伝統的なジムワークの用具しか並んでいなかった。リングが複数設置されていて、複数名のコーチが順番に練習生を教えているだけマシとの印象。

口が裂けても衛生的とは言い難い環境の中、志ある者たちが手作りでそれらしい格好に仕立てた練習場で、未来のメダリストやチャンピオンを目指す、高い身体能力とセンスに恵まれた子供たちが懸命に汗を流す。帰郷したドクボェが通うアクラのジムは、充実した設備が整っており、欧米先進国のファンが見てもまったく違和感がなく、チャンピオンが練習するのに相応しい。


渡英後陸軍に入隊したポールは、電気機械技師として働く傍ら、ボクシング・コーチのアシスタントを頼まれジムに通うようになり、気が付くと指導を任されるようになっていた。けっして怒鳴り声を上げたりせず、練習生1人1人の適性や課題,進捗状況に目を配り、必要なコミュニケーションを怠ることなく、それでいて適度な距離を保ち、時にはくだけたジョークで場の空気をなごませ、子供たちができるまで辛抱強くサポートを続ける。



英国発のドグボェに関する記事を読むと、「7歳で一家とともにロンドンに移住」しただけでなく、「ボクシングを始めたのも7歳」と書かれていることが多い。父のポールが軍にいつ入隊して、何時頃から指導者になったのか、そして幼いドグボェが、本格的にジムに通い出したのは何時なのかといった、正確な時系列は今1つ判然としない。ただし、ボクシングをスタートしたのが渡英後であることだけは、どうやら間違いがないようだ。
※今後行われるであろう在米専門記者によるドグボェの詳細なインタビューに期待


いずれにしても、温厚で真面目な人柄と勤勉かつ精力的な仕事ぶりに加えて、冷静沈着な対応を忘れない。自らはボクシングの経験が無いにもかかわらず、指導を受ける選手と練習生の評判も上々だったポールは、ボクシング・チームのチーフに見込まれた。その父が、愛する息子の練習を見て直感した。

「親の贔屓目ではなく、他の子供たちとは明らかに違っていた。相手を良く見て、迂闊にパンチを貰わない。反応もスムーズで、攻防の切り替えやパンチをつなぐ動作が機敏だった。勿論サッカーでも良い動きはしていたしスピードもあったんだが、パンチに対する反応は別物だからね。打たれたら打ち返すハートの強さもあった。練習に励み努力を続ければ、エリートクラスにはなれるだろうと確信できた。」

同じエリートでも、ホワイトカラー(法律家や銀行家)としての成功を強く望み、ボクシングに猛反対していた祖父も、実際に自分の目でトレーニングに精を出す孫の姿を見て、ポールの説得を受け入れる。


父の目に狂いはなく、ジュニアの競技選手として本格的にスタートすると、すぐに関係者たちの間で話題に上るようになった。ABA(世界最古の歴史を誇るイングランドのアマチュア統括機関)の国内選手権を制覇し、オリンピック・イヤーの2012年にはシニア参戦資格の17歳になる。64年ぶりの地元開催に湧く、ロンドン五輪代表の有力候補の1人として認知されるが、イングランドのバンタム級にはルーク・キャンベルがいた。

当時23歳のキャンベルは、文字通りアマチュアとして花の盛りを迎えており、彼の地のアマ関係者にとって、バンタム級の代表はキャンベル以外に考えられない状況。シニアに進出したばかりのドグボェが入り込む余地はなく、「何を焦る必要があるのか。君たちには4年後(リオ)があるじゃないか。様々な国際大会に出て経験を積み、あらゆるスタイルに対応できるようにならないと。それこそが、押しも押されもしない我々の代表だ。」と、取り付く島もなかったらしい。


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■ロンドン五輪

オリンピック予選を兼ねる世界選手権(2011年10月/バクー,アゼルバイジャン)に、16歳のドグボェはそもそも参加する資格がない。代表チームに呼ばれる可能性があるとすれば、2012年5月の国内(ABA)選手権(2010年からイングランド,ウェールズ,スコットランドの代表によって争われるようになった)で優勝することだが、ABAはシニアを3つのクラスに分けて管理を行う。

17歳になったばかりで、シニアの大会を経験していない若い選手や、ジュニアでの実績が不足しているとみなされたり、キャリアを始めたばかりの新人選手は、原則として「クラス C」に分類される。安全性への配慮から、上級クラスの選手と同じ大会への出場は認められない。

ジュニアで一定の戦果を残し、なおかつシニアの大会に出場経験がある選手と、プロからアマに復帰した選手は「クラスB」に分類される。国内代表選考の対象となるのは、当然「クラスA」であり、シニアに上がった時点でのドグボェは「クラスB」だった。

「クラスA」にステップアップする為には、シニアの地域大会での優勝が必須条件になっていたが、所属する地域協会の強力な推薦があれば、特例的に「クラスA」への昇格が認められる。父のポールはドグボェを「クラスA」に推薦するよう、熱心に関係者に訴えて回ったが、はかばかしい感触は得られなかった。


大竹戦を報じるデイリー・ミラーが、「英国のチャンピオン(British World Champion)」と書いた記事を掲載して炎上する一幕があり、ドイツ代表からの引退を一方的に表明したエジル(トルコ移民の三世/両国の国籍を保有)の例を持ち出すまでもなく、二重国籍の難しさを再認識させられる。



ロンドン五輪(後述)に際して、代表チーム入りのチャンスすらまともに与えようとはせず、ガーナの代表として出場せざるを得ない状況に追い込んでおきながら、プロで世界タイトルを獲って注目された途端に「英国人扱い」するとは何事かと、マニア層のファンを中心にネット上で批判的なコメントが相次いだ。

またその一方で、「ABAはルールに従ってドグボェを処遇した。キャンベルは世界選手権で結果を出し、五輪本選への出場を地力で掴んだんだ。ドグボェがクラスAに入り、仮に五輪直前のABA選手権で優勝して代表チームに呼ばれたとしても、キャンベルに不測の事態が起きた場合の控えに過ぎない。ドグボェと彼の一家は不満だったかもしれないが、2011年の時点で16歳だったんだから仕方がない。文句を言う方が間違っている。」との意見もある。


「(二重国籍かどうかは別にして)海外のトップ・チームで戦う代表クラスの選手が、重要な国際大会を終えて母国に戻った時、国家元首や要人に招かれるのは珍しいことじゃない。そうした場所で、大統領に敬意を表するのが間違っているとでも?。それとも、招待そのものを断れとでも言うつもりか?。」

「僕にとって最も大切なことは、ドイツもトルコも大事なルーツだということ。どちらもおろそかにはできない。エルドワン大統領がどのような人物で、ドイツをどう思っているのかは、公式の場においては二の次三の次の問題だ。誰が大統領なのか,ではなく、目の前に立っているのが大統領だという、その事実こそが最優先すべき重大事なんだ。政治的な意思や信条を示した訳でも何でもない。」

苦悩するエジルが語った言葉に、おそらく嘘はないだろう。国家元首と直接面会して、わざわざ難しい政治的課題について話を振ったり、礼を失する発言や態度を取る愚か者でいい筈もない。だが、「勝てばドイツ人。負ければ移民。」の一言は余計だったかもしれない。ワールドカップでロシアの地を踏んだエジルは、思うようなパフォーマンスを発揮することができず、「期待外れに終わった不始末を、人種問題にすり替えているだけ」との批判を招いた。

父ポールの苦労が報われなかったのは、ドグボェがガーナ生まれの黒人だったからなのか、人気者キャンベルの立場を危うくする邪魔者と見なされたのか、そのいずれもなのか。真相は藪の中である。クラスAへの推薦について働きかけを受け、結果的に動かなかったイングランドのアマ関係者も、本音をわざわざ明かすことはないと思う。個人的には、17歳当時のドグボェでは、キャンベルに勝てなかったと感じている。


閑話休題。


キャンベルは好調を維持し、バクーの世界選手権に派遣され順当に勝ち進む。アイルランド期待のジョン・ジョー・ネヴィンとの準決勝を薄氷のスコア(12-12/総得点で上回り勝者扱い)で勝ち残ると、決勝でキューバのラサロ・アルバレスと激突。善戦及ばず10-14で敗れたが、無事に銀メダルと出場権を手に堂々の帰国。



英国のナショナル・チーム入りを断念した父ポールは、母国ガーナの代表に照準を変更し、関係者への働きかけに奔走。選手登録を認めて貰い、アフリカ大陸予選への出場が実現する。

そして翌2012年4月、カサブランカ(モロッコ)で行われた大陸予選で、ドグボェは水を得た魚のごとく大活躍。エジプトとタンザニアの代表を寄せ付けず、難敵と目された南アフリカのアヤボンガ・ソンジカ(170センチ超の長身選手/昨年プロ入り,S・バンタム級で5連勝中)も8-6で破り、準決勝を突破。

狙い通りファイナルに駒を進めたドグボェは、地元モロッコのアブバクル・ルビダと6-6のスコアを分け合うも、総得点で僅かに下回り惜しくも準優勝。金メダルには届かなかったものの、世界選手権のキャンベルと同じく、念願だった代表の座と銀メダルを手中に収めた。

□試合映像
<1>2012年ロンドン五輪,アフリカ大陸予選バンタム級決勝
アブバクル・ルビダ 6-6 ドグボェ
※総得点差でルビダが優勝
https://www.youtube.com/watch?v=3dQrErzmpgk

<2>2012年ロンドン五輪,アフリカ大陸予選バンタム級準決勝
ドグボェ 8-6 アヤボンガ・ソンジカ
https://www.youtube.com/watch?v=4cuMCUBfUBQ

Isaac Dogboe vs Ivan ABA's 2013
https://www.youtube.com/watch?v=4tbAdGBK7bM


移住してから10年間暮らしているロンドンは、本来ドグボェにとってホームであるべき場所だが、満を持して臨んだ五輪本選で待っていたのは、想像以上に厳しい結末だった。

1回戦(R32)からの出場となったドグボェは、我らが日本代表,清水聡(自衛隊体育学校)と激突することに。関西高から駒澤大へと進んだ清水は、180センチ近い上背に恵まれたサウスポーで、2005年(綿陽/中国)と2007年(シカゴ)の世界選手権にフェザー級の代表として参戦した他、日本の選手には超難関のアジア最終予選を2位で突破し、北京大会出場を果たした実力者である。

ロンドン大会から女子が正式競技となり、36名の参加人数枠(フライ,ライト,ミドルの3階級/1階級12名)を捻り出す為、AIBA(アマの国際統括機関)は男子の階級削減に踏み切らざるを得なくなり、ロマチェンコや清水がいたフェザー級を消滅させた。

大学進学時からプロのスカウトが引きも切らなかった清水だが、五輪のメダル獲得への執念は費えることなく、アマでの競技生活を続行する。ロマチェンコやアルベルト・セリモフなど、ライト級への増量を選択するトップ選手が少なくない中、清水はバンタム級への階級ダウンを決断。

2大会連続の代表権を勝ち得た清水は、当時26歳。数多くの国際大会を経験して、心身ともに充実の時期を迎えていた。心配された減量もクリアし、メダル獲得への大きな期待を担う須佐勝明(フライ級/自隊校)をエース格に、鈴木康弘(ウェルター級/自隊校),村田諒太(ミドル級/東洋大)とともに現地入り。4名の代表団を送り込むのは、5大陸予選が導入された1992年バルセロナ大会以来、実に20年ぶりの快挙だった。


57キロ上限のフェザーでも図抜けていた清水の長身は、56キロ上限に引き上げされたバンタムでもひときわ目立つ。一方弱冠17歳のドグボェは、160センチあるかないかの小兵。小さな体をものともせず、アフリカ大陸予選で見せた八面六臂の活躍に注目する関係者もいたが、大会全体の中ではノーマークに近い存在と表して間違いない。

20センチ近い身長差の両選手が対峙すると、見た目はまさに大人と子供。ガーナ代表が17歳の少年ということもあり、「アフリカ大陸予選を勝ち上がった力の持ち主とは言え、本当に勝負になるのか?」と心配になってしまうほど。



ところがいざゴングが鳴ると、小柄な少年ボクサーは手強かった。デカい清水に臆することなく、勢い良く踏み込みつつ、下から左右のストレートを突き上げる。このパンチが速い上に強い。黒人特有の身体能力(瞬発力とバネ)もさることながら、踏ん張って力むことなく強振する技術と柔軟性も併せ持つ。

経験豊富な清水はバタバタ慌てたりはしないが、突進して来るドグボェを抱き止め、上から押さえ込むようにクリンチの態勢に持って行くしか手がない。もともと清水は左右への動きが少なく、前後の直線的な動きが中心。迷い無く踏み込むドグボェの素早い動き出しに反応し切れず、打ち下ろしのショートストレートで迎え撃つ余裕がない。

なおかつドグボェは、顎をしっかり引く基本が徹底されていた。上体を直立させたまま頭を振らずに、直進的な前後の動きだけで戦う現代のトップアマ(清水はこの典型例)は、ステップインの際にどうしても顔が上がりがちになる(バッティングのアクシデントが起こり易くなるのは半ば当然)。

しかしドグボェにはこの悪い癖が皆無に等しく、背の高い相手の懐に飛び込む時でも、不用意に顔を上げたまま足を止めたりせず、頭の位置を動かす打ち終わりの処理も丁寧で、ディフェンス面でのケアレス・ミスが非常に少ない。

清水がインサイドからアッパーをカウンターする為には、瞬間的にかなり膝を曲げて腰を落とさなければならないが、ドグボェの踏み込みのスピードが速く、とても準備が間に合わない。なおかつ長身の清水から見ると、ドグボェの頭の位置が低過ぎて、棒のように突っ立ったままの清水に、アッパーでドグボェの体を起こすのはさらに困難を極めた。


「前に出るドグボェを清水が受け止める→クリンチで揉み合う→ブレイク」の繰り返し。

お互いにクリーンヒットと呼べるパンチはほとんどなく、ハイ・リスクなミドル~クロスレンジに留まり、ジャブ,ワンツーからフック,アッパーを織り交ぜたコンビネーションを交換する、ボクシング最大の醍醐味とも言うべき場面は無し。拙戦,凡戦の評価を下されても、反論の難しい展開に終始した。

勿論、清水1人の責任ではない。ドグボェのスピード&センスなら、「真っ直ぐぶつかってクリンチ」ではなく、左右どちらかのサイドへ回り込みながら死角に入り、下から強打を叩きつけることも不可能ではなかった筈。だがしかし、ガーナ陣営も敢えて危険を冒そうとはしなかった。

口さがない表現を許していただくなら、「グダグダ」である。そうした中でも、ドグボェが流石だったのは、上から清水に押さえられても、肩をグルっと回転させて右フックを上に返していたこと。ただ振り上げるだけでなく、清水の顔面を何度か捉えていた。

上から押さえつけている為、貰ったとしてもダメージはないが、当たる都度清水の顔が上を向き、甚だ見栄えが悪い。効いているように見えてしまう。ドグボェの動き出しの速さに遅れを取った清水は、”待って受ける”悪い流れにハマり、第1~第2ラウンドでリードを許す。
※第1R:3-4,第2R:2-3/トータル:5-7(ロンドン五輪当時:コンピュータ採点による加点方式)


最終第3ラウンド、2ポイント差を取り返すべく、清水がようやく前に出る。一方のドグボェは完全に逃げ切りモード。ほとんどまともに手を出さず、ボディ&フットワークで清水の前進を捌きにかかる。2分×4ラウンド制で露骨な先行逃げ切りが可能だった北京大会までなら、これが正解。しかし、ロンドン大会に向けてAIBAは大きく採点基準を変更した。

ジャブや単発の軽いタッチでは容易にヒットと見なされず、加点して貰えない。しっかり踏み込んで、パワーショットを打ち込むアグレッシブネスを重視する。テッパンだった筈の逃げ切り戦術が裏目に出て、ドグボェは第3ラウンドを3ポイント差で失い、トータル9-10で痛恨の逆転負け。

「2ポイントあれば大丈夫」

セーフティリードの範疇だと安心してしまったところに、ガーナ陣営の甘さが出た。逆に清水は、「2ポイントならひっくり返せる」と信じて攻勢に転じ、最後の最後まで諦めなかった。これが勝負事の怖さであり、シニアに上がってから10年間苦労を重ねてきた清水と、17歳になったばかりのドグボェとの「年季の差」だろう。




この試合の採点について疑義を唱える声もあったが、五輪や世界選手権などの大きな国際大会では、さして珍しくない光景とも言える。力の拮抗したトップレベルのボクサー2人が、誰の目にも明白な決着を着けようとしたら、3ラウンズ=9分では短過ぎる。だからと言って、1階級につき30名を超える選手(男子)がトーナメント形式で争う以上、ラウンド数を増やせばいいじゃないかという単純な話にはならない。

清水が敗れた北京大会緒戦(R16/トルコのヤクップ・クルッチュに9-12で惜敗)のスコアリングにも、まったく問題が無かった訳ではなく、日本の代表チームと関係者,アマチュアに関心が高く詳しいファンの多くは納得していなかった。一番悔しいのは清水本人だが、無念を押し殺してノーサイドのマナーに従ったドクボェ同様、2008年当時の清水も潔い態度を貫いた。

そして清水は2回戦(R16)で、悪夢の八百長(レフェリーの買収疑惑)騒動に巻き込まれる。一度は宣告された敗北から一転、命からがら進んだベスト16でも勝利を収めて、半世紀ぶりのメダル(銅)を日本にもたらす。




清水,ドグボェと同じブロック(全32名の参加選手を16名づつ2つに分ける)に入った本命キャンベルは、シードされて2回戦(R16)からの登場。イタリア代表のヴィットリオ・パリネッロに粘られたが、11-9で打ち破りベスト8へ。欧州選手権で常勝を誇り、2009年の世界選手権(ミラノ)を制したブルガリアの強豪デテリン・ダラクリエフを、16-15の1ポイント差でかわす。

準決勝の清水(長身サウスポー対決)は、機動力とハンドスピードに優るキャンベルにとって、最も組し易い相手となった。正面から真っ直ぐ入ってくる清水を、フット&クリンチワークで捌きつつ、堅固なブロック&カバーも怠らない。基本的に前後の動きしかない清水に対して、左右に回り込みながら出はいり可能なキャンベルが、シャープなワンツーで着実にヒットを増やし優位に立つ。

第1~第2ラウンドで5ポイント差(6-11)をつけられた清水は、最終ラウンドも5-9で落とし、トータル9ポイント差(11-20)の完敗。余裕の表情でファイナル進出を決めたキャンベルを待つのは、最大のライバルとも言うべきアイリッシュのネヴィン。

バクーの世界選手権で銅メダルを得たネヴィンは、シードされずに1回戦(R32)からの出場(キャンベルらとは別ブロック)。デンマークとカザフスタンの代表を相手にせず、ベスト8でメキシコのオスカル・バルデス(現WBOフェザー級王者)を19-13で突き放すと、ベスト4では優勝候補のラサロ・アルバレス(キューバ)に、19-14の5ポイント差をつけ快勝。

因縁の「イングランド VS アイルランド対決」となった決勝戦は、互いに意地とプライドをぶつけ合う熱戦となったが、キャンベルは体格差を利してラフな揉み合いでも押し負けず、少ないヒットのチャンスをモノにして3ポイントの差を付けた。


キャンベルと同じブロックに入ったドグボェは、1回戦で清水に負けていなかったら、ベスト4まで勝ち上がっていただろうか?。2回戦を乗り越える為には、早い時間帯でダウンを積み重ねて、RSC(レフェリー・ストップ・コンテスト)に持ち込むしかない。ドグボェのパワーなら、その可能性は十二分にあったとは思うけれど、判定まで行ってしまえば、アゼルバイジャンに買収された(?)審判団によって負けにされていただろうし、その場合ガーナの代表団が、日本のように裁定を覆すことができたかどうか・・・。

何としても準決勝まで勝ち進み、キャンベルとシロクロを着けたい。五輪本選でのベスト4進出には、メダル(銅)を確定させるという大願以上の大きな意味が、ドグボェ親子にはあったと確信する。



ドグボェ自身は、清水戦について特段のコメントは発していない。スコアに納得はしていないだろうし、言いたいこともヤマほどあるとは思うけれど、余計なエクスキューズや恨みがましい言葉は一切口にしなかった。


□試合映像:2012年ロンドン五輪バンタム級
<1>決勝戦
キャンベル 14-11 ネヴィン
https://www.youtube.com/watch?v=khs4IpzoKFQ

<2>準決勝
1)キャンベル 20-11 清水
https://www.youtube.com/watch?v=F_xnoNqXtPM

2)ネヴィン 19-14 アルバレス
https://www.youtube.com/watch?v=PvYqGVra2fs

<3>ベスト8
https://www.youtube.com/watch?v=f3hl9iWUZz4
1)キャンベル 16-15 ダラクリエフ
第3試合:33分20秒頃~
2)ネヴィン 19-13 バルデス
第2試合:17分頃~
3)清水 17-15 モハメド・アミン・ウアダヒ(アルジェリア)
第4試合:50分17秒頃~
4)アルバレス 16-11 ロベニルソン・リヴェイラ(ブラジル)
第1試合:冒頭~

<4>2回戦(R16)
Part1
https://www.youtube.com/watch?v=X_w6bS4habc
Part2
https://www.youtube.com/watch?v=O9gauFnqWgI
1)キャンベル 11-9 パリネッロ
第5試合:Part2 冒頭~
2)ネヴィン 15-10 カナト・アブタリモフ(カザフスタン)
第3試合:Part1 34分50秒頃~
3)アルバレス 21-15 ジョセフ・ディアス(米)
第1試合:Part1 冒頭~
4)清水 ジュリー(JURY) マゴメド・アブドゥルハミドフ(アゼルバイジャン)
※レフェリー&ジャッジの買収を疑う余地のない、前代未聞,驚愕の八百長試合。17-22のオフィシャル・スコアにもびっくり仰天だが、日本側の猛抗議によるまさかの逆転裁定(史上初)で2度びっくり・・・。BBCが告発したアゼルバイジャンの買収疑惑とも相まって、国際的なスキャンダルに発展。
第8試合:Part2 50分頃~

<5>1回戦(R32)
Part1
https://www.youtube.com/watch?v=7nLEki3LrI8
Part2
https://www.youtube.com/watch?v=xuRoNBLUSxM
1)ネヴィン 21-16 デニス・セイラン(デンマーク)
第5試合:Part1 57分20秒頃~
2)清水 10-9 ドグボェ
第16試合:Part2 1時間14分26秒~
※プロ入り後のドグボェの活躍に影響されたのか、不当な判定負けを訴えるハイライト映像も散見されるが、ドグボェの良い場面だけをピックアップして編集されたもので、バイアスのかかり方に疑問を禁じ得ない。インターバル中のスローVTR自体、ドグボェのヒット中心に編集されていたが、TV中継&ネット配信のホスト局は当然BBCである。ガーナ代表として出場するしかなかったドグボェへの贖罪・・・?。