■綺羅星のごときチャンピオンたち - 4 - VI
◎ヘビー級
※写真左:ジョージ・フォアマン(第1期:1973年1月~74年10月/V2/2003年殿堂入り)
写真右:ラリー・ホームズ(1978年6月~83年12月/WBC単独認定V17/2008年殿堂入り)
■マイク・タイソン戦
1988年1月22日/コンヴェンション・センター,アトランティックシティ
4回TKO負け/WBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級タイトルマッチ12回戦
判定に対する痛烈な批判もありながら、とにもかくにもホームズを連破したスピンクスは、5ヵ月後の86年9月、欧州(EBU)王者のステファン・タングスタッド(ノルウェイ)を5回TKOに下してV2に成功したが、IBFが通告したトニー・タッカーとの指名戦を拒否してはく奪処分を受ける。
指名戦拒否の直接的な原因は、HBOと組んでヘビー級の統一トーナメントを画策するドン・キングに、711,000ドルで興行権を横取り(IBFが入札を実施)された為で、スピンクスの取り分は53万ドル程度(75%)にしかならない。
400万ドル(プロ転向後の最高額)でジェリー・クーニー戦のオファーがあり、スピンクスは迷うことなくそちらを選んだ。
※87年6月25日/アトランティックシティ開催
IBFのベルトは失ったけれど、リング誌は変わらずスピンクスを正統の王者として認めており、18の州(詳細は不明)もスピンクスを王者として承認したことから、クーニー戦には「世界ヘビー級タイトルマッチ」の看板が掲げられ、WBCが独断専行した12回戦制を、ニューヨークなどの他州に先駆けて容認していたニュージャージー州も、15回戦としての挙行を許可。
スピンクスはクーニーを5回TKOに屠り、ヘビー級の頂点を誇示したが、アリ引退後のスター不在に苦しみ、混迷が続くヘビー級に忽然と現れた爆裂パンチャー,マイク・タイソンがセンセーションを巻き起こしていた。
フロイド・パターソンとホセ・トーレスを育成した老匠カス・ダマトが、心血と愛情のすべてを注ぎ込み、世界ヘビー級チャンピオンにするべく育て上げた最後にして最高の傑作。
※若きタイソン(左)とダマト(右)
※ダマト直系のトレーナー,ケヴィン・ルーニーとタイソン
84年ロス五輪の代表候補を経て85年にプロ入りすると、丸1年の間に19連続KOをマーク。なんと、そのうち11回を初回で倒している(6試合連続を含む)。ジェームズ・ティリスとミッチ・グリーンに連続して判定まで粘られたが、その後また6連続KOを積み重ねてる。
単なるトレーナーや養父,恩師,メンターなどという言葉には収まり切れない、まさに人生の師と呼ぶべきダマトは85年11月に他界したが、ダマトの盟友ビル・ケイトン(マネージャー),共同マネージャーでメンター的役割を引き継ぐジム・ジェイコブス、トレーナーのケヴィン・ルーニーで構成されるチーム・タイソンは磐石。混乱や停滞は一切見られない。
ドン・キングとHBOが仕掛けたヘビー級の統一トーナメントに参戦を決めると、86年11月にトレヴァー・バービックを瞬殺してWBC王座を獲得。さらに翌87年3月には、あられもないクリンチ&ホールドを繰り返し、何が何でも打たれまいとするボーンクラッシャー・スミスに判定まで粘られも、大差の3-0判定でWBAを吸収。
アンジェロ・ダンディがサポートする元WBC王者で、現1位のピンクロン・トーマスを6回TKOで一蹴すると、上述した通りスピンクスが放棄したIBFの決定戦をモノにしたトニー・タッカーと激突。
スミス(193センチ)とトーマス(191センチ)を上回る196センチのタッカーもまた、スミス同様クリンチ&ホールドで時間を使い、打ち合い回避に腐心する有様で、KOはできなかったがワンサイドの判定で3団体を統一。
生前のダマトが、「コイツとだけは絶対に組むな!」と釘を刺し続けていたキングとの共闘について、「いずれマイクに手を出してくる(引き抜き)」だろうと、チームをまとめるビル・ケイトンも当然予測はしていたが、この時点ではキングがどんな手段を取ったとしても、「チームを守り切って見せる」という自信があった。
※写真左:左からトレーナーのルーニー,タイトルを統一して得意満面のタイソン,何食わぬ顔でタイソンの横に近づきちゃっかり写真に収まるキング
写真右:左からビル・ケイトン(マネージャー),タイソン,ジム・ジェイコブス(共同マネージャー/メンター)
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■鉄腕タイソンによる3団体統一
名ばかりの"ボーンクラッシャー"・スミスが、後生大事に徹底した超安全策の網に絡め取られてしまい、バービック戦に続くド派手なKOはお預けとなったが、WBCとWBAを首尾良く統一したタイソンに、HBOはIBFも含めた完全制覇への期待を煽る。
スミス戦の生中継で、ラリー・マーチャントからマイクを引き継いだバリー・トンプキンス(著名なスポーツキャスター)が早速スピンクスの名前を出し、続けてホームズ戦の試合映像を挟む。
ここでようやく、本記事の冒頭に記した状況がやって来る。ブッチ・ルイスの支配下にあるスピンクスを、幾らキングでも持ち駒のバービックやスミスのように、思い通りに動かすことはできない。
IBFが指示したタッカーとの指名戦履行をスピンクスが渋る間に、キングは入札に持ち込んで興行権を横取りした。ブッチが黙ってキングの為すがままにしたのは、割のいいクーニー戦を優先した上で、タイソンとの交渉はじっくりやればいいと判断したからだろう。
米国内では主要4団体以上のステータスと称しても過言ではない、リング誌の認定を失う心配はなく、新興団体IBFのベルトに固執する必要はまったく無いと、ブッチはそう判断したに違いない。
※クーニーを5ラウンドで撃沈したスピンクス
もっともキングはキングで、タッカーとの指名戦をIBFにねじ込んで延期(中止)させ、一気にタイソンとの最終決戦に持ち込む腹づもりだった。ベテランの記者も筋金の入ったマニアも、当然その流れは有りだと先読みしている。
IBF王座を放棄したスピンクスは、「タイソンから逃げた」との印象を強く発信する事となり、イメージを落としてしまう。
クーニー戦のコーナーにはエディ・ファッチの姿があり、ブッチ・ルイスは訳のわからないベルトを用意して、「真のチャンピオンシップは我々の手にある!」と誇示していたが、ヘビー級の主役は完全にタイソンへと移っていた。
※写真左:自前で用意したベルトを高く掲げるスピンクスとブッチ・ルイス
写真右:スピンクスのコーナーに復帰した老匠エディ・ファッチ
IBFは1位タッカーの権利を守る為、2位ジェームズ・バスター・ダグラスとの決定戦を承認し、10回TKO勝ちを収めたタッカーが新王者となる(87年5月30日/ラスベガス・ヒルトン)。
HBOとキングは統一トーナメントを継続するしかなく、タッカー VS ダグラス戦と同じリングに上がったタイソンは、元WBC王者でランク1位に出戻ったピンクロン・トーマスを6回TKOで一蹴。
赤いベルトを放棄した正統の王者スピンクスは、2週間後の6月15日にアトランティックシティでクーニーを倒すと、ブッチ・ルイスと一緒に統一トーナメントの様子を高みの見物と洒落込む。
トーマスを捻り潰してから3ヵ月後の8月1日、IBFの新王者タッカーとの3団体統一戦が組まれ、上述した通り、大差の判定勝ちでタイソンは3つ目のベルトを巻いた。
残す課題はスピンクス戦のみとなったが、ブッチ・ルイスはノラリクラリと交渉を長引かせる。3本のベルトを独占しても、リング誌が認める正統の王者スピンクスを倒さない限り、完全制覇を成し遂げたことにはならない。
キングとHBOのヘビー級統一構想は、タイソンがタッカーを破った時点で終った筈だが、棚上げとなったスピンクスとの最終決戦を餌に、キングはケイトン,ジェイコブスとの交渉を継続。
さらに地価と株価の高騰による好景気(バブル)に沸く日本から、とてつもない好条件で来日の打診が入る。88年3月にオープン予定の東京ドームで、こけら落としの目玉としてタイトルマッチを招致したいという。
「タイソンが来てくれるなら、金に糸目は付けない。」
日本側は言い値を呑むとの感触を得たキングとHBOは、間にもう1試合挟みたいと考えた。そしてその相手は、平均的なバリューしかない並みのランカーではもはや意味がない。
3団体のベルトをすべて手中に収め、残す標的は正統の王者スピンクスのみ。31戦全勝(27KO)のパーフェクト・レコードに、唯一最大決定的に足りないものがあるとすれば何か。
ビッグネームである。ヘビー級の歴史に名前を刻み、ファンの誰もが認めざるを得ない、有無を言わさぬ実力と実績の持ち主。もっとはっきり言うなら、引退後の殿堂入りを確実視される存在である。だが、3団体の世界ランキングを何度見返しても、そんな選手は1人もいない。
ハタとキングが閃く。
「ヤツが居るじゃないか。いや、ヤツしか居ない。」
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■キングの誘い・・・復帰へ
スピンクスに喫した疑惑の2連敗(?)を終えたホームズは、正式に引退をアナウンス。故郷イーストンに立派なオフィスを構えて、様々なベンチャーや事業に投資を行い、実業家としてのスタートを切る。そのホームズを、忙しいキングがわざわざ尋ねる。
「どうだ?。マイクとやってみないか?。300万ドル用意した。」
最盛期には2件のレストランとナイトクラブを所有し、トレーニング・ジムやビジネス複合施設、複数の遊興施設のオーナーとして、200名を越える雇用を創出・維持したというホームズだが、その頃はまだ駆け出しのビジネスマンだ。経営者としても、せいぜい6回戦ボーイがいいところだったろう。
「ドンに300万ドルを積まれて、思わず舞い上がった。2年近いブランクやトシ(38歳)のことなんかすっかり忘れて、ついついその気になってしまったんだ。」
日銭を稼ぐ為に飲食業にも乗り出していたとは言え、金は毎日のように出て行く一方で、幾らあっても足りなかったに違いない。
向かうところ敵無しのタイソンに、無念の判定で涙を呑んだホームズが復帰してチャレンジする。ブランクと年齢を考えれば、勝ち目の無い戦いであることは自明の理だが、70年代以前なら間違いなく二線級の評価に甘んじるであろう日替わり王者たちとは、比べ物にならない注目を集めた。
タイレル・ビッグス戦を実際に会場で観戦したホームズは、「エルボーやヘッドバットを使っていたな。ゴング後の加撃もあった。彼はダーティファイターだ。私のクラス(水準)には届かない。」と、タイソンについて辛らつなコメントを発している。
ホームズが指摘した通り、確かにタイソンには傾向的な反則行為が見られた。残り時間が10秒を切ってからでも、一旦攻め出すと途中で止められない。ラウンドの終了ゴングが鳴っても、勢いに任せてパンチを出し続けてしまう。
そしてやられた相手が思わずガンを付けると、当然のように睨み返し、場合によっては手も出す。「わざとじゃない。不可抗力だ。お前だってやる時があるだろう?」と、獰猛な光を宿すタイソンの瞳がそう言っている。
背の高い相手が執拗なクリンチとホールドで打ち合いを避ける場合、対抗措置としてタイソンは自分の頭を相手の顎の辺りにくっつけて、嫌がる相手が自分から固めた腕を解くように仕向けて行く。はっきり言って、これは露骨なホールディングに逃げる方が悪い。
一番良かった頃のタイソンは、意図的に頭をぶつけに行くような真似はけっしてしなかった。肘打ちも同じで、ショートレンジで鋭角的に振るったフックがかわされた時、肘が当ったり、当ったように見える場合がある。
そうしたケースはタイソンに限らず、どのボクサーにも発生し得ることだが、そもそも快進撃を続けていた頃のタイソンは、故意に肘を狙わなければならないほど、苦境に陥ることがまずなかった。
8-1と大きくかけ離れた賭け率が示す通り、ホームズより17歳も若いタイソンは自信に満ち溢れ、「リングに上がれば、すべてはっきりする。」と言わんばかり。
※発表会見より(87年12月1日/ニューヨーク)
左から:ドナルド・トランプ,ホームズ,ドン・キング,タイソン
トランププラザのコンヴェンション・ホールは、1万7千人もの観客で埋め尽くされて大盛況。タイソンとホームズは300万ドルづつを分け合う(最低保障)。
※タイソンの最終的な着地は500万ドル超で、ホームズには310万ドル,350万ドル説も有り。
オーバーウェイトが懸念されたホームズだが、225ポンド3/4(約102.4キロ)で計量。過去最重量ではあるけれど、誰もがホームズの勝ちと見たスピンクスとの第2戦(2年前)が223ポンドだったことを思えば、充分に絞り込んだ数値と表していい。
レジェンドの挑戦を受け立つタイソンも、215ポンド1/4(約97.4キロ)を計測。最盛期のタイソンは、自身のベストウェイトを98~99キロ前後(概ね216~218ポンド)だと頑なに信じていて、相手のサイズやスタイルに応じて若干の変動はあったが、体重調整の基準としていたウェイトでしっかり仕上げてきた。
立ち上がりのホームズは、一定の距離を保ちながら正面に立たないよう、ゆっくりではあるが左右に動き、タイソンに踏み込みのタイミングを与えない戦術を採る。
全盛期ならそこにアリを彷彿とさせる左ジャブが炸裂するところだが、なにしろ相手はタイソン。なおかつブランクと年齢を考慮して、無闇に手数は出さずにディフェンス・ラインの構築を最優先。
タイソンが強引にくっつこうとすれば、上から抱え込んでクリンチ&ホールド。フォアマンよろしく左腕をこれでもかと伸ばして、グローブの掌部分でタイソンの頭を抑えて突き放す。
※写真上:深く前傾して懐に飛び込んで来るタイソンをステップバックでかわしながら両腕を伸ばして軽めのプッシュ&ブロックで念押しするホームズ
写真下:タイソンのフックから逃げ切れず右腕でタイソンの左腕をブロックしつつ左のグローブで顔を押さえにかかるホームズ/終了のゴングを確認し主審のジョー・コルテズが慌てて止めに入ろうとしている
明らかな反則だが、フォアマンほど強いプッシュは避け、しつこく繰り返さない為、主審のコルテズも厳しいチェックをしづらい。仕方なく様子見の体だ。
「またコレか・・・」
いい加減にしてくれと言わんばかりの視線をホームズに向け、なおも強引にボディから攻め込もうと前傾姿勢を深くすると、その頭を左腕で引き込みながら、右アッパーをかますホームズ。タイソンもそこは読んでいて、まともには食うことはないが、そこで流れと動きはピタリと止まる。
ボーンクラッシャー・スミスとトニー・タッカーの抱きつき戦術に、アンジェロ・ダンディが付いたピンクロン・トーマスの攻め手を組み合わせて、両サイドへの遅めのステップを増やす。
序盤のタイソンが発揮する暴走トラックのような突進を抑え込み、とにもかくにも長期戦に引きずり込んだ過去の成功例(?)に、ホームズ独自のアレンジをまぶす。
第2ラウンドに入ると、単発ながらも、ジャブと右ストレート(ワンツー)がヒヤリとする間合いでタイソンに届く。得意のパンチを思うように振るうことができず、フラストレーションを募らせるタイソンがムーヴヘッドの基本を忘れ、身体も振らずに直線的に突っ込み出すとことを、今か今かとホームズは待っている。
タイソンの強引な突破が目立ち始め、何度かは奏功して下から振り上げるフックがホームズの顎をかすめるが、ボディから顔面へと3発以上をまとめるいつものコンビネーションではなく、1~2発の単発で終わるのが惜しい。
第2ラウンドの終盤、ようやくタイソンの左右が当たってホームズが慌てたが、続く第3ラウンドはホームズが落ち着きを取り戻し、前のペースに引き戻す。
タイソンもさる者で、ホームズが思わず深めに踏み込んでパワーショットを打ちたくなる位置へ、リスクを冒してわざと頭を持って行く。
ホームズのディフェンスが手薄になったところを、すかさず強打しようというかなりの危険を伴う作戦だが、スピードの違いとボディワーク(ヘッドスリップとローリング+カバーリング)に絶対の自信と手応えを持っているのだろう。
ホームズもタイソンの狙いを見透かすように、オフ・バランスになったりガードが手薄になるほど強くは打たない。踏み込みの深度にも、相当に気を遣っている。
スタートの3ラウンズは、ホームズがそれなりにやり繰りをしたとの印象。手数が少なく、自ら後退して守勢に回る場面も多い事から、ポイントを取るところまでは行ってない筈だが・・・。
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■唸る鉄腕・・・ホームズ撃沈
そして第4ラウンド、ホームズがノーガードでダンスを開始。アリが得意とした左回りのフットワークだ。動きにはキレも冴えも無く、ベストのアリはおろか、ベストのホームズにも程遠く、もはや残骸に近い出来ではあったが、ホームズが足を使い出した途端、1万7千の大観衆が一斉に歓声を上げる。
場内が一瞬にしてヒートアップし、騒然となるトランププラザのコンヴェンション・センター。人々が求めているのは、未だにモハメッド・アリなのだった。
※ホームズが足を使いながら左ジャブを放つ/場内が蜂の巣を突いたような大歓声に包まれる
アリと比較されることに苦しみ続け、アリの幻影に最も悩まされたに違いないホームズにとって、これほど残酷な瞬間は無かったのではないか。
タイソンは抱え込まれることを承知の上で、繰り返しホームズの懐に飛び込んでは、クリンチ&ホールドに捕まる。そして頭をホームズの顎へぴたりと付け、小さなパンチで小突く。
飛び込みザマにフックやアッパーをヒットする為に、タイミングと間合い,顔面の位置を再確認しているに違いない。
何度目かのブレイクの直後、若き鉄人が仕掛けた。深く落とした頭を振りながら距離を詰め、軽めの左フック(囮)を上に振り、すかさずダッキングしてまた囮の右フックをボディへ持って行くと、間髪入れずにパワーアップした左フックを叩き込む。
ダマト独特のナンバーシステムで鍛え込まれた見事なコンビネーション。これはかわし切れずにホームズも貰ったが、懸命に反応してステップ&ヘッドムーヴでダメージを殺す。タイソンがいよいよ、フィニッシュを準備し出す。
敢えてゆっくりとしたリズムで自分から近づき、ホールドでホームズに時間を与え、ブレイクを挟んで、また左フックから右を追加しつつ飛び込んで行くタイソン。
兄弟子パターソンが十八番にしたガゼルパンチに、右の返しをプラスするタイソン流だが、まだ本気の100%ではない。
コーナーを背負ったホームズに、しっかり頭を付けて押し込むタイソン。繰り返し先手で動き、ホームズにペースを持って行かせない。コルテズの再開の合図を待ち、今度は右ボディから入る。ホームズもここはすぐにホールド。腹への1発(ブロックしている)で連打をカット。
無駄な消耗を避ける為にタイソンはべったりと抱きつかせず、左肘を上げてホームズの右腕をブロックしながら、頭をぴったり顎に付けて隙を見せずに、右腕を引き抜きつつ(何時でもパンチを出せる状態で)レフェリーが分けるのを待つ。
ベアナックル時代の流れを汲む、トラディショナルなクリンチワークを、プロキャリアが3年に満たない21歳の若者が、38歳の海千山千を相手にここまでしっかりとした戦略・戦術で渡り合う。
頭で考えながら動くのではなく、完全に身体に染み込んでいる。当意即妙とは良くぞ言ったもので、ダマトの手腕と鍛錬には驚くばかりだ。
そしてこのブレイクの後、ついにその時はやって来る。今度は小さく僅かに頭を横に振ったタイソンが、思い切り良く踏み込む。上から入る時は左フック、それ以外は右ボディ。この日タイソンが見せていた入り際のパンチである。
当然のように、左フックと右のボディを警戒するホームズ。するとタイソンは、ガードのど真ん中目掛けて、パワーのギアを2~3段上げたワンツーをズドンと見舞う。突然の変化にホームズも反応し切れず、まともに食って仰向けにひっくり返った。
※1回目のダウン
鋭く踏み込みジャブでガードを崩し素速いつなぎで右を強打する教科書のようなワンツー
※1回目のダウン
大きく態勢を崩しながら倒れるホームズ
並みのランカーならこの一撃で終っていた筈だが、背中から倒れたホームズはすぐに身体を反転させて立ち上がると、マウスピースを半分吐き出しながらも立ったままエイト・カウントを聞く。
大ベテランのレジェンドを手玉に取るタイソンも凄いが、ホームズのタフネスも尋常じゃない。意識はちゃんとしているように見えるが、明らかに効いている。
頭を左右に振り足下を確かめ、レフェリーのカウントを再確認するホームズ。ただ単に身体を絞り込んだだけではなく、それ相応のハードワークに励んで来たのは確かだ。
再開と同時に、左フックからの左右で襲い掛かるタイソン。ホームズも必死にホールドで固めようとするが、腕と身体に力が入らずタイソンの勢いを止められない。
それでもなお、深くダックしたタイソンの顎を狙って右アッパーを突き上げるが、そのタイミングを待っていたかのように、若き鉄人が下から右のスウィングを振り上げる。
このパンチがテンプルから頭頂部をかすめるように流れると、ホームズがまた背中から落ちて、でんぐり返しのように回ってロープ際まで転がった。しっかり当っていたのかどうかは、中継するカメラの角度のせいでわからない。
一回転してそのまま立ち上がろうとするも、ヨロけてロープにもたれかかるホームズ。残された心身の余力が風前の灯となっても、ホームズは再び立ってゆっくり数歩歩き、足下とカウントを確かめる。
※2回目のダウン
ホームズのホールドをものともせず攻め続けるタイソン/1発目の右は空振りで打ち終わりに深くダックして身を守るタイソンに右アッパーを狙うホームズ
※2回目のダウン
しかしこのアッパーを防御するのと同時に2発目の右を振り上げホームズの頭部(テンプルの上)をヒット
※2回目のダウン
たまらずもんどり打って倒れるホームズ
主審のコルテズが2度目の再開を許可すると、ノッシノッシと近づき右ボディから入るタイソン。ホームズは何とか抱きつこうとするが、もう腕にも足にも身体にも余力は残っておらず、タイソンが強引に左右を連射して振り解いてしまう。
さらに強烈な左右フックで追い討ちをかけ、ホームズをグラつかせながら、ロープ伝いにニュートラルコーナー付近のロープを背負わせると、小さな左ボディ囮に振って、すかさずガードの真ん中をアッパー気味の右フックで突き上げる。
タイソンが得意にしていたパンチの1つ、ジョルトフック(Jolt Hook)だ。これをまともに食って、大きくスウェイするように上を向くホームズ。タイソンは落ち着いて左フックを追加し、これをガードされることを見越していたかのように左ボディを放ち、そのまま左フックを上にダブルで連射。
息も絶え絶えのホームズがまた右アッパーを狙うが、そこへ凄まじい形相のタイソンが右のスウィングを2連発。この2発目がまともに顎を撃ち抜き、ホームズは今度こそ昏倒した。
※3回目のダウン
小さめの左ボディ→強烈無比な右のジョルトフック→顔面への左フック
※3回目のダウン
右のスウィングを1発空振りしたタイソンがフラフラのホームズに最後の右を振るう
※3回目のダウン
2発目の右スウィングがまともにホームズの顎をまともに捉える
※3回目のダウン
正確に急所を打ち抜かれたホームズが完全に昏倒
意識を飛ばして倒れたホームズに駆け寄る主審のコルテズは、カウントを数えず直ちにストップ。
※試合終了を宣言するジョー・コルテズ
それにしても、何というコンビネーションだろうか。無造作に自慢の強打を振るっているだけに見えてしまいがちだが、必ず上下に打ち分けて、ガードやブロックを崩して隙間を開け、その開いたところを正確に射抜く。
頭であれこれ考えず、ごく自然に上下を打ち分けながら強打を連続して回転させられるようになるまで、徹底した反復練習で身体に叩き込む。ダマトのナンバーシステム恐るべし・・・。
こうしてホームズの王座復帰への野望は、脆くも崩れ去った。かつて自身が引導を渡したアリとまったく同じ38歳で、ホームズは21歳のタイソンに介錯されたのである。
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■キャリアにおける最も重要な試合(交わされていたアリとの約束)・・・タイソンかく語りき
この日リング上で執り行われたセレモニーに、モハメッド・アリの姿があった。タイソンに限らず、アリが大きなタイトルマッチに呼ばれるのはけっして珍しいことではないが、リングに上がって挨拶する機会はめっきり減っていた(タイソンのタイトルマッチでは初めて)。
パーキンソン病の症状が相当に進行して、公の場ではまだ車椅子を使っていなかったが、無理をしてリングに上がるのは危険だと、実弟ラーマンを始めとする周囲がとにかく気を遣う。
軽快なフットワークを操り、縦横無尽に華麗なダンスを舞っていたアリが、今はもう思うように歩くことも難しい。そうした姿をファンや世間に晒したくないと考えるのは、肉親でなくても当然の判断だろう。
アリはバカでかいサングラスをかけていて、眼筋への影響も出ているのかと心配になったが、とにもかくにも相手が旧知のホームズだから特別に計らったんだろうと、TV中継を見ている時はそのぐらいにしか思っていなかった。
※珍しくリングに上がったアリ
左から:ドナルド・トランプ,アリ,ドナルド・トランプ・Jr.
ところが、ホームズと型通りの簡単な挨拶を済ませたアリが、続いてタイソンと握手をしたと思ったら、自分の顔をそっと若き王者の耳元に近づけて、何事かを囁いた。そしてトレーナーのルーニーと握手を交わし、リングを降りて行く。
「わざわざリングに上がったアリは、タイソンに何を呟いたんだろう・・・?」
何だか無性に気になったけれど、開始ゴングが鳴ったらファイトに集中しなければならず、「ナゾの囁き」に関する興味は薄れてしまっていた。
※写真左:ホームズに型どおりの挨拶をするアリ/後方でホセ・スレイマンWBC会長が拍手をしている
写真中:タイソンと握手をしながら耳元で何かを囁くアリ
写真右:タイソンに続いてケヴィン・ルーニー(トレーナー)と握手をしてその場を去るアリ
暫くして事の真相が明らかになる。7年前のアリ VS ホームズ戦を、ダマトに連れられたタイソンは、近隣のクローズド・サーキットで観戦していた。アリの無残な敗北にショックを受けたタイソン一行は、帰りの車の中でまるでお通夜のように押し黙り、無言のまま帰宅したという。
※アリを10ラウンド終了後の棄権に追い込んだホームズ(1980年10月2日/シーザースパレス,ラスベガス)
その翌日、ダマトがアリに直接電話をかける。様々な取材を通じて、アリとダマトは互いの電話番号を交換する間柄だった。ひとしきりアリの労をねぎらい、慰めの言葉をかけたダマトは、話を終る直前に切り出す。
「今ここに、未来の世界ヘビー級チャンピオンがいる。大事に育てているんだ。一言かけてやってくれないか。」
ダマトの申し入れに快く応じたアリは、14歳のタイソンに優しく語りかけて、「必ずチャンピオンになれる。自分自身を信じろ。大丈夫だ。」と励ました。そして感激に打ち震えながら、タイソンがアリに誓う。
「大人になってプロとして成長したら、必ずホームズを倒す。貴方の敵を討つ。」
アリは7年前の約束を覚えていて、タイソンに囁いたのである。
「俺との約束を覚えているか?。ヤツをぶちのめせ!(Remember what you said ? get him for me !)」
アリがリング上でマイケル・バッファーのコールを受け、満場のファンに向かって自ら高く手を挙げることができず、主審のジョー・コルテズが引っ張り上げていた。そしてすぐ後ろでは、ドン・キングがあの嫌らしい笑みを浮かべている。
※まったく力が入らないアリの左腕を高く掲げる主審ジョー・コルテズとニヤニヤ笑うドン・キング
この時の状況を見た安部譲二氏(故人)は、「あれほど醜悪な光景を見たことがない。」と語り、口を極めてドン・キングを非難した。
「満足に歩くこともできないアリを見世物にして、この期に及んでまだボロ儲けを企ててやがる。極道だってここまで酷い真似はしない。キングこそ正真正銘の人だ・・・」
仰る通りなのだが、果たしてアリが事前に少年タイソンとの秘話をキングに明かしていたのかどうか。何も明かさずにリングに上がりたいと申し出たのか、話した上で登ったのか。
あるいは、キングはただリングに上がって両雄を激励するよう頼んだだけで、アリが勝手にやった即興だったのか。
そこは今1つ判然とせず、真相は藪の中だが、個人的にはアリの方から申し出たのではないかと勝手に推察している。無論、少年タイソンとのエピソードは誰にも明かさず・・・。
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以下の記事へ続く
※チャンピオンベルト事始め Part 3 - 4 - VII - 綺羅星のごときチャンピオンたち - 4 - VII