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地の利を得たタータン・トルネードをスラヴのビーストが猛襲 /WBSS第2シーズン,S・ライト級準決勝 2nd - バランチェク VS J・テーラー プレビュー -

2019年05月18日 | Preview

■5月18日/SSEハイドロ,グラスゴー(英スコットランド)/IBF世界J・ウェルター級タイトルマッチ12回戦
※WBCシルバー王座も懸けられる
IBF王者 イヴァン・バランチェク(ベラルーシ) VS WBCシルバー王者 ジョシュ・テーラー(英)



スコットランドの首都エディンバラ出身のテーラーは、WBSSシーズン2の開幕第2戦となった前回(2018年11月3日/SSEハイドロ)に引き続き、興行の看板,主役としてのポジションを担う。

ロンドン五輪代表(ライト級/2回戦敗退)からプロに転じたのは、2015年7月。アイルランドを代表するボクシング・スター,バリー・マクギガン(80年代に王国アメリカでも成功した元WBAフェザー級王者)が興したサイクロン・プロモーションズと契約。バリーの息子シェーンがチーフ・トレーナーとなり、アマ時代の実績を考慮されて6回戦スタートとなったが、デビュー戦でいきなり初渡米。

マクギガン親子が発見育成したカール・フランプトン(元IBF,WBA統一J・フェザー級,元WBAフェザー級スーパー王者)の米本土初上陸に帯同し、テキサス州エル・パソまで遠征したオリンピアンは、無名の黒人選手を難なく2回TKOに屠った。

4回戦を間に1つ挟んで5連続KO勝ちを収めると、2016年7月に再渡米が実現。この時もフランプトンのお供で、開催地はニューヨーク(ブルックリンのバークレイズ・センター)。


2階級制覇が懸かったフランプトンは、首尾よくレオ・サンタクルス(米)からWBAフェザー級のスーパー王座を奪取し、2年半ぶりに実戦復帰が叶ったマイキー・ガルシア(米)もKO勝ちを飾った話題の興行。

テーラーは自身初となる8回戦で、ペンシルベニアから呼ばれた黒人の白星配給役を僅か2回でストップ。意気揚々と帰国すると、3ヵ月後の10月には早くもタイトルマッチが用意される。空位になっていた英連邦(Commonwealth/British Empire)のJ・ウェルター級王座決定戦で、相手は元王者のデイヴ・ライアン(イングランド)。

元王者とは言え、実力的にはローカルランクの中堅クラスとあって、2度のダウンを奪う危なげのない展開で5回TKO勝ち(2016年10月)。7戦目での初載冠について、「少し早かったかな。もう2~3試合やってからとも思ったが、ジョシュの状態が良かったので思い切ってオファーを受けた。」と語るバリー・マクギガンは、相好を崩しっ放しだった。


フランプトンとのセット販売はなおも続き、2017年1月に3度目の渡米。メッカ,ラスベガスのMGMグランドで、サンタクルスとのリマッチに臨むアイリッシュのニュースターの露払いを請け負うも、タフで大柄な中堅メキシカンを倒しあぐねて8回判定勝ち。デビュー以来続いた連続KOをストップされると、フランプトンも僅差のマジョリティ・デイジョンを失い、雪辱を許してしまう。

この敗戦をきっかけに、フランプトンは育ての親とも言うべきマクギガン親子と別れて、イングランドを代表するプロモーターの1人,フランク・ウォーレン率いるクィーンズベリー・プロモーションズに移る(現在はトップランクとの共同プロモート体制)。

バリー・マクギガンが私費を投じてジムを開き、息子のシェーンと手を携え、マネージャー兼トレーナーとして付きっ切りで指導しただけでなく、自前の興行会社まで立ち上げたのは、掌中の珠のように慈しんだフランプトンを世界王者に導く為だった。

しかし、たった一度の失敗がすべてを狂わせる。サンタクルスに敗れたフランプトンは、「環境を変えないと、今以上(の成功)を望んでも難しいと感じた。」と言い、我が子同然の愛情と心血を注いだアイリッシュのレジェンドも、「彼はもう充分に筋金の入ったプロで、大人の男になった。一人前の男が決めた事だ。残念だが仕方がない。」と送り出す。




看板選手に去られた新興のジム(プロモーション)にとって、次なるエースの輩出は何よりの急務となる。次期No.1の期待を双肩に担うテーラーは、否応なしに興行の主軸を背負うことになった。

英連邦のベルトを1度守った後、イングランドのホープ,オハラ・デイヴィースを7回TKOで退け、同王座のV2とともにWBCシルバー王座を獲得(2017年7月)。チャンピオン・ベルトの有無は、興行の成否を大きく左右する。なおかつ認定団体との良好円満な関係は、出世のスピードに直接影響を及ぼす。

世界最古の歴史を誇るヨーロッパの地域王座をいくら防衛しても、今は王国アメリカでの認知には直接つながらない。主要4団体が勝手に粗製乱造するローカルタイトルでキャリアに箔をつけ、承認料とバーターで世界ランキングを速やかに駆け上がる。それが最も手っ取り早く、効率のいい方法として定着して久しい(嘆かわしいことではあるが)。

グリーンボーイの修行期間(4~8回戦)、毎月のように休み無くリングに上がり、苦い敗北を味わいながら3~4年程度で国内ランクの上位に付け(この時点で20~30戦を経験済み)、まずはナショナル王座や地域王座を目指す。

そこで一定の実績を残した者だけが、世界ランカー(認定団体は現在のWBAのみ/8~11階級でランキングは10位まで)との対戦へと歩みを進められる。勝って知ったる地元の常打ち小屋(日本なら後楽園ホール)ではなく、強烈なアウェイの烈風吹きすさぶ海外遠征も、当たり前のように求められる。


泣こうが喚こうが、10位以内のランカーを打ち崩す以外、世界ランキングに入る方法は無い。世界タイトルマッチでさえも、開催地のローカル・ルールで行われる。試合を差配する審判は、全員地元から選出。

「KOしなければ敵地では勝てない」

ボクシング界に永く伝えられてきた有名な格言には、こうした背景が存在した。数多くの日本のボクサーも、頻繁にフィリピンやハワイ,西海岸からメキシコへと渡り、2つの拳だけを頼りに過酷なアウェイを闘い抜いた。

しかし、時代は変わったのである。負けるリスクを承知の上で、わざわざ強い相手にぶつけるなんて愚の骨頂。プロとしての筋金が入っていようがいまいが、そんなことは二の次三の次。

適当な負け役を呼んで、認定団体がデッチ上げる地域王座を獲れば、漏れなく世界ランク(11~15位までの水増し下位)が付いてくる。世界の各地域に存在し、伝統と権威を認められてきた本物のローカル王座が軽んじられ、年々歳々その存在感を薄れさせて行く。


米・英の2ヶ国と、メキシコを中心とした中南米諸国がまだマシなのは、将来を嘱望されるホープに、必ずリアルなテストマッチを用意すること。経験を積みながら自信を付けさせる為、始めのうちは倒して当然の弱い選手ばかりをあてがう。

そうやって一定のレコードを積み上げ、とにもかくにも何らかのベルトを巻き、肩書きだけは世界ランカーの一員となり、歯応えのある中堅クラスの猛者を苦しみながらも突破した後、盛りを過ぎた元王者や元コンテンダーを相手に、いよいよシ地金が試される。

ジョシュ・テーラーにも、プロとして一人前になる為の通過儀礼、関所超えの時が訪れた。どうせやるなら、米国内で顔と名前を知られた著名選手(できれば盛りを過ぎた元世界王者)がいい。そういう選手をホームに呼び、一刻も早く倒す必要があった。


愛弟子の成長に自信と手応えを掴んでいたのは確かだと思うが、マクギガン親子は勝負に出る。ライト級の元IBF王者ミゲル・バスケス(メキシコ)をエディンバラに呼び、シルバー王座の初防衛戦を開催する(2017年11月/英連邦王座は返上済み)。

誰がやっても一筋縄ではいかない曲者バスケスだけに、成り行きを不安視する声も上がり、早くも第2ラウンドにバッティングで右の瞼をカット。嫌な予感が的中したと、地元の熱心なファンが心配する中、テーラーは体格差のアドバンテージを活かしつつ、冷静に試合を運んで流れを引き寄せると、中盤以降プレッシャーを強めて元王者に追い込みをかける。

毎回のようにピンチを迎えながら、歴戦のバスケスは簡単にギブアップしてくれない。しぶとく粘られ、判定決着も視野に入り出した第9ラウンド、ロープ際でショートアッパーの連打を効かせた直後、右のボディショットを決めてKO勝ち。キャリア初となるテン・カウントを聞いたバスケスは、リング上にうずくまったまま、しばらく動くこともできなかった。


目論み通り難敵を突破したテーラーは、幸いなことに傷も浅く、4ヶ月のスパンでV2戦を挙行。マクギガン親子は、1万人規模のSSEハイドロを会場として押さえた。ニカラグァから調達したローカルランカーをまったく問題にせず、第2ラウンドに2度倒した後、第3ラウンドにもう1回倒してストップを呼び込む。

そして昨年6月、元WBC王者ビクトル・ポストル(ウクライナ)との一騎打ちも、同じSSEハイドロでの開催。スタートから小さなチャージを繰り返し、しつこく組み付きながら後頭部を小突く反則も厭わないテーラーに対して、いつも通りのクリーンファイトで対応しようとするポストルだが、第2ラウンド早々に元王者が右の目尻をカット。頭も当たってはいたが、主審(イングランド)の裁定は当然ヒッティング。

地の利の後押しを受けて波に乗ったテーラーは、終盤第10ラウンドに左フックでダメ押しのダウンを追加。大差のユナニマウス・ディシジョンで、シルバー王座のV3に成功。序盤のラビットパンチにはいささか驚いたが、試合全般を通じてテーラーは良く動き、手数と足を止めずにハードワークを維持。ポストルに反撃の機会を与えなかった。

ボクサータイプの元王者を2人倒し、トップランカーの仲間入りを果たした陣営に、WBSSからの招待を断る理由は無く、3戦続けてSSEハイドロに登場したテーラーは、在米ベテラン記者が高く評価するライアン・マーティン(米)を、持ち前の手数と運動量でコントロール。もう少し苦しむのではないかと思っていたが、距離とタイミングを制圧したテーラーは、クリーヴランドの黒人ホープに何もさせず、役者の違いを見せ付ける。


第7ラウンドに放ったフィニッシュ・ブローの左フックは、マーティンの首筋から後頭部をヒットしており、たたらを踏んでニュートラル・コーナーに崩れ落ちた後、挑戦者はしきりにラビットパンチの反則を訴えたが、地元スコットランドから選出された主審は抗議をシャットアウトすると、そのまま試合終了を宣告。

後味の良くない終わり方ではあったものの、試合の趨勢は既に決しており、劣勢に立たされたマーティンが反則勝ちを拾いに行ったことも事実。裁定を受け入れたマーティンの方からテーラーに歩み寄り、勝利を称えていたのがせめてもの救い。この試合からマーティンのコーナーに入ったアベル・サンチェス(GGGの成功を支えた名トレーナー-)も、笑顔で勝者をねぎらうしかなかった。

4戦連続の登板となるSSEハイドロは、テーラーにとってもはや常打ち小屋と呼んでも差支えがない。国際的な規模のトーナメントで、特定の選手のみにホーム・アドバンテージを与え続けるのは好ましい状況ではないが、大きな会場を満員にできるスター選手が他にいない以上、止むを得ない事態と諦める他に道は無し・・・か。


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ロシア極東(ハバロフスク地方/アムール川上流)のアムールスクという街で生まれたバランチェクは、幼い頃にベラルーシへ移り、ボクシングの英才教育を受けて育つ。ジュニアの時代から代表に選ばれ、大きな国際大会も経験した。19歳で迎えたロンドン五輪への出場が叶わず、アマに残って一度はリオを目指すも方針を転換。2014年3月、首都ミンスクでプロデビュー。

ウェルター級でスタートした21歳のバランチェクは、4回戦を2つこなした後、3戦目で国内王座を獲得(10回戦/4回TKO勝ち)。直後に渡米し、ニューヨークのローカル・プロモーターと契約。すぐに同地を代表する顔役ルー・ディベラの目に止まり、共同プロモート体制へ移行。階級も1つ下げて、140ポンドで本格的なキャリアメイクを開始した。

王国アメリカへ渡った旧ソ連勢の1人、セルゲイ・デレヴィヤンチェンコ(ウクライナ)らとともに、アンドレ・ロジアーとゲイリー・スターク(ダニー・ジェイコブスをサポートするトレーナー)の指導を受けていたが、その後キューバのペドロ・ディアス(ハッサン・エンダム・ヌジカムと一緒に2度来日)をチーフに招き、南部オクラホマ州のマイアミ(フロリダではない)に拠点を移動。
※普段ディアスは、大きなキューバ人コミュニティがあるフロリダで教えている。


著名な選手との対戦はなく、テリー・フラナガン(英)のWBOライト級王座にマンチェスターで挑み、大差の0-3判定で返り討ちにされた大ベテラン,ピョートル・ペトロフ(スペイン在住のロシア人)を8回TKOに下した白星が、プロ入りしてから上げた最大の戦果(昨年3月)。

ディアスとのコンビは傍目にも順調そうで、空位のIBF王座を獲得したWBSSの初戦(昨年10月/ニューオーリンズ)でも、甲斐甲斐しくバランチェクの世話をしながら、力強くアドバイスを送るディアスの大きな背中が見られた。



スウェーデンからやって来た遠来の3位を7回で棄権に追い込み、プロを選択した時からの目標だったメジャータイトルのベルトを得たバランチェクとディアスが、過去最難関と評していいテーラーとの激突に向け、マイアミでの一次キャンプをスタートさせようかというその時、不穏なニュースが世界を駆け巡る。

資金調達の目処が立たず、WBSSが頓挫の危機にあると言うのだ。3階級(バンタム.S・ライト,クルーザー)に出場した全24名中、半数の12名が契約した報酬を全額受け取っておらず、未払いが確認された選手の中にバランチェクも含まれていた。

そして今年の1月末、不信感を募らせたバランチェクのトーナメント撤退が報じられると、その翌日に今回の興行が確定したと、WBSSを直接舵取りするドイツのプロモーター,カール・ザウアーラント(運営会社のコモサAG)がプレスリリースを出す慌しさ。

我らが井上尚弥の命運も左右するイベントだけに、日本のファンも大いに気を揉む破目に陥ったが、2月中旬になって、ようやく日本国内でもセミ・ファイナルの日程フィックスが記事になり、思わず安堵の吐息を漏らす。


バンタム級の準決勝でぶつかる4王者(テテ,ドネア,ロドリゲス,井上)は、いずれもやる気満々。トーナメントの消滅は無いとの前提で調整を継続。2月25日には、レジス・プログレイス(米)とキリル・レリク(ベラルーシ)のS・ライト級準決勝が確定。4月27日ルイジアナ開催で決着したとの内容で、テテとドネアの合流も決まる。

ところが、バランチェクをハンドルするデヴィッド・マックウォーター(N.Y.にオフィスを持つスポーツ・マネージメントの代表)が運営側への不満を発し続け、なかなか退こうとしない。

結局のところ、報酬のアップ(ゴネ得)を目論む駆け引きだったのだが、コモサAGは締結済みの契約書を錦の御旗に掲げて徹底抗戦。辣腕で鳴らすマネージャーも、4月17日に白旗を振って降参。


バランチェクのチーム再編が伝えられたのは、情報が錯綜しているように見えた今年の3月後半だった。何の問題も無いと思われたディアスを更迭し、フレディ・ローチを招聘するという。「トーナメントには出ない」と言いながら、(プログレイスが待つ)ファイナル進出に向けて、着々と準備を進めていたという顛末。

本格的な追い込みに入る前に体制の刷新を断行したのは、「足りないものがある」と感じていたからに違いない。

プロ転向後のKO率がさほど高くないのは、まずは勝利を優先する戦い方に負うところが大なのだが、もともとフィジカルが強くパンチもある。「最大のアイドルはマイク・タイソン」と公言するだけあって、ファイタータイプへの適性と志向を露にする。

チャンスに見せる荒々しいフルスウィングは、”野獣(The Beast)”の異名に恥じない迫力に満ちているが、同じ140ポンドで短い全盛を駆け抜けた”ロシアン・ロッキー”ことルスラン・プロヴォドニコフの域にはない(そうする必要もないけれど)。

力量差が明白な格下の負け役を一気に押し潰すならともかく、それなりの経験と実績を持つ中堅クラス以上を相手にした場合、距離を取り直し態勢を立て直す手間を惜しまないのが、これまでのやり方。カウンターで逆襲されるリスクを負ってまで、ガードそっちのけで振り回し続けることはしない。


旧ソ連時代に築かれたステート・アマ体制の下、子殿の頃から磨き上げた攻防の技術を基盤にしつつ、キツいプレッシャーをかけ続けて相手を疲弊させ、嫌倒れ半ばのギブアップに追い込む。

バランス&ステップワーク重視のキューバン・スタイルは、旧ソ連型との相性が悪くない。従来の延長線上で構わないなら、大事な勝負で負けてもいないのに、わざわざコーチ(&練習環境)を変えたりしないだろう。

キューバ流の申し子とも言うべきディアスと別れて、攻撃的なボクシングを教えるのが上手いローチと組んだ。その意図するところとは・・・簡単に音を上げず゙に食い下がる相手を、「判定で良し」と考え手堅くラウンドをまとめて行くのはなく、生来のパワーで息の根を止める。積極的かつ効率的にフィニッシュ・シーンを作り出す・・・つまりはそういうことなのではないか。


パックマンとの黄金コンビで大成功を収めたローチは、早くからMMAの選手にもパンチを教えていて、指導に当たった選手の中には、旧共産圏を含むヨーロッパから流入してきた選手も少なくない。

短期間ではあったものの、ウラディーミル・クリチコやロマン・カルマジン(ロシア/元IBF J・ミドル級王者),ドミトリー・キリロフ(ロシア/元IBF J・バンタム級王者)を見ていた時期があり、最近では上述したビクトル・ポストル,ヴァチェスラフ・センチェンコ(ウクライナ/元WBAウェルター級王者),ヴァネス・マーティロシアン(アルメニア)らを教えた他、プロヴォドニコフのWBO王座(J・ウェルター級)獲得に尽力。

現役時代にエディ・ファッチ(何よりもディフェンスを大切にした)の薫陶を受け、しっかり守りながら積極的に攻め崩す伝統的なアメリカン・スタイルに精通しているだけでなく、旧ソ連のスタイルにも理解が深い。



眼前のテーラーは勿論、最大の難敵プログレイス打倒を見据える陣営がローチを引っ張ったのは、テクニカルな攻防を繰り返す中で訪れるノックアウトの機会を逃さず、し止めるべき時にし止める「鋭く隙の無い詰め」を実現したいからだと推察する。


スポーツブックの賭け率は、アウェイのバランチェクに厳しい結果となった。

□主要ブックメイカーのオッズ
<1>Bovada
テーラー:-500(1.2倍)
バランチェク:+350(4.5倍)

<2>5dimes
テーラー:-475(約1.21倍)
バランチェク:+420(5.2倍)

<3>SportBet
テーラー:-485(約1.21倍)
バランチェク:+415(5.15倍)

<4>ウィリアム・ヒル
テーラー:1/6(約1.17倍)
バランチェク:4/1(5倍)
ドロー:25/1(26倍)

<5>Sky Sports
テーラー:1/6(約1.17倍)
バランチェク:9/2(5.5倍)
ドロー:20/1(21倍)


1発の破壊力こそ今1つではあるものの、サイズ,スピード,テクニックの三拍子が揃った逸材で、左右のスイッチを含むセンシブルなスタイルを持つ。

上体を柔らかく保つボディワークをベースに、堅実なディフェンスラインを敷き、流れるようなコンビネーションで崩しを入れ、精度の高いカウンターを効かせて、コンパクトな連打でポイントメイク。チャンスがあれば、集中打でストップに追い込む。

WBSSへの参戦は、大袈裟ではなくボクシング人生を賭けた大勝負。王国アメリカの黒人ホープを相手に、泥臭くダーティな揉み合いもこなして見せた。


マニー・パッキャオとともに現代の伝説を創り、荒ぶるプロヴォドニコフを140ポンドの世界王者に導いた名匠ローチの助けを借り、スコットランドに殴り込みをかける東スラヴの獣人を、自慢のスキルフルなボクシングできれいに捌き、決勝へと駒を進めることができるのか。

「確かにジョシュはいいものを持っている。彼の足と手数を潰すのは簡単じゃないが、イヴァンほどのパワー&プレッシャーを経験したことは無い筈だ。アウェイだからKOを狙って行くが、判定になっても問題はない。」

ファイタースタイルを好むと言っても、ロシアン・ロッキーほど無鉄砲な突貫戦法ではなく、その気になれば当て逃げのタッチゲームにも対応できる。バランチェクの技術を吉へと向かわせ、凶と出ないようにするのがローチに課せられた最大の仕事。


「バランチェクの圧力には注意が必要だが、ジョシュのスピードにどこまで付いて来れるかな。どんなに凄いパワーショットでも、当たらなければ意味がない。セルヒオ・マルティネスに翻弄されるチャベスの息子を、ローチはどうすることもできなかった。戦うのはトレーナーじゃない。ボクサーなんだよ。」

「トシを取り過ぎていたマルティネスと違って、ジョシュは最終盤にガス欠する心配がない。最初からいい気になって飛ばし過ぎないよう、ローチはバランチェクのスタミナを心配するべきだ。」

名目上は挑戦者だが、受けて立つ立場のマクギガン親子も、けん制半ばに勝利への確信を語る。


勝敗予想はオッズほど明白ではないが、6-4~7-3の間ぐらいでテーラー有利だろうか。バランチェクのプレスがスタートから利くようだと、アップセットの目も出てくるが・・・。


◎バランチェク(26歳)/前日計量:139ポンド1/2
戦績:19戦全勝(12KO)
アマ通算:120勝30敗
2011年世界選手権(バクー/アゼルバイジャン)初戦敗退(ライト級)
2011年欧州選手権(アンカラ/トルコ)ベスト8(ライト級)
2010年ユース世界選手権代表(バクー/アゼルバイジャン)初戦敗退(バンタム級)
2009年ジュニア世界選手権(エレヴァン/アルメニア)金メダル(フライ級)
身長:173センチ/リーチ:170センチ
右ボクサーファイター

◎テーラー(28歳)/前日計量:140ポンド
戦績:14戦全勝(12KO)
アマ通算:150戦超(詳細不明)
2012年ロンドン五輪ライト級代表(2回戦敗退)
2013年世界選手権(アルマトイ/カザフスタン)2回戦敗退(L・ウェルター級)
2011年世界選手権(バクー/アゼルバイジャン)初戦敗退(ライト級)
2013年欧州選手権(ミンスク/ベラルーシ)初戦敗退(L・ウェルター級)
2011年欧州選手権(アンカラ/トルコ)2回戦敗退(ライト級)
2014年コモンウェルスゲームズ(グラスゴー/英スコットランド)金メダル(L・ウェルター級)
2010年コモンウェルス・ゲームズ(デリー/インド)銀メダル(ライト級)
身長:178センチ,リーチ:177センチ
左ボクサーファイター(スイッチ・ヒッター)
身長:178センチ/リーチ:177センチ
左ボクサーファイター(スイッチ・ヒッター)




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■リング・オフィシャル:未発表


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英国の正式名称「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Nothern Ireland)の、「グレート・ブリテン(Great Britain)」に当たる。いや、これでも正確ではない。

「ウェールズとイングランドを合わせた呼び名が”ブリテン”で、”グレート・ブリテン”はスコットランドとイングランドを合わせて言う。」

彼の地の人々に言わせると、どうやらそういうことになる。スコットランド王国とイングランド王国が合併し、「グレート・ブリテン連合王国」となったのが1707年。そこにアイルランド王国が加わり、「グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国」にまとまったのが1801年。その後1922年に、南アイルランドが分離独立を宣言。現在の名称になった。

スコットランドにも独立の動きはあり、2014年9月に是非を問う住民投票が行われ、日本でも大きなニュースとして扱われている。独立に反対する人たちが55%の過半数を取り、賛成派は涙を呑んだ。しかしEUからの離脱騒動をきっかけに、スコットランド自治政府が2度目の投票を行う意向を示し、今もなお英国政府との間で駆け引きが続く。


閑話休題。

昔から強いボクサーの産地として知られるのはアイルランドだが、スコットランドにもボクシングの英雄はいる。

1930年代から40年代にかけて、フライ級とバンタム級で活躍し、33歳の若さで夭折したベニー・リンチが筆頭とも言うべき存在だが、最も高い評価を得たのは、1960年代末から70年代にかけてライト級で一時代を築いたケン・ブキャナンだ。

WBCが一方的に分派独立を宣言した直後の1970年9月、イスマエル・ラグナ(パナマ)を攻略してWBAの王者となり、WBCが通告したペドロ・カラスコ(スペイン)との指名戦を拒否し、ラグナとの再戦に応じた為にWBAのみの認定となったが、当時ボクシング界のメッカだったニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンに登場し、大変な人気を博した。

”石の拳”ロベルト・デュランに敗れて無冠となった後、”100年に1人”の奇跡を起こしてWBC王者となったガッツ石松に挑戦する為来日。日本のファンも含めて、誰もがブキャナンの載冠を信じて疑わない中、石松は芸術的なジャブとフットワークでスコットランドのヒーローと渡り合い、3-0のユナニマウス・ディシジョン(当時は15ラウンド制)で防衛に成功。

ブキャナンの敗北はAPによって世界中に打電され、英国だけではなく、アメリカでも驚愕の番狂わせと報じられた。


ブキャナンが第一線を退いて以降も、ジム・ワットやジェームズ・マレー、スコット・ハリソン,ケヴィン・マッキンタイア等々、一定の間隔で世界チャンピオンを輩出してきたが、イングランドとアイルランドほど活発とは言えず、S・フェザー級からS・ライト級までの3階級を制覇し、スコットランド初の3冠王となったリッキー・バーンズが後継者と目されたものの、テレンス・クロフォード(米)に完敗してライト級王座を失い、デシャン・ツラティカニン(モンテネグロ)やオマール・フェゲロア(米)、ジュリアス・インドンゴ(ナミビア)にも敗れ、ホルヘ・リナレスに連敗したアンソニー・クローラ(イングランド)にも判定負け。

完全に輝きを失ったバーンズに替わり、ブキャナンの後を次ぐ真のニューヒーローとして注目されているのが、ジョシュ・テーラーなのである。