■10月31日/ザ・バブル(MGMグランド),ラスベガス/WBA・IBF2団体統一世界バンタム級タイトルマッチ12回戦
統一王者 井上尚弥(日/大橋) VS WBA3位/IBF4位 ジェイソン・マロニー(豪)
2017年9月の初渡米から早や3年。
予期せぬロマ・ゴンの失神KO負けと、P4P1位の墜落をきっかけにした「SuperFlyシリーズ」からの離脱(バンタム級進出)、王国アメリカのボクシング興行を代表するBIG3(トップランク,ゴールデン・ボーイ,アル・ヘイモン)との折り合いが良好とは言い難い、WBSS(World Boxing Super Series)への参戦があったにせよ、随分と時間がかかったものだ。
本来ならば、昨年11月のWBSS決勝(ドネア戦)を皮切りに、米本土へ足場を移したかった筈である。しかし、資金ショートとギャランティの未払い問題が何度も報じられ、小さからぬマイナスイメージが繰り返し喧伝される中、既に30代半ばを過ぎて老いが目立ち始めたドネアに往年のバリューは期待できず、結果的にさいたまスーパーアリーナに落ち着く。
そして想定外の大苦戦となったドネア戦で、右眼眼窩底骨折の重傷を負いながらも、直後に正式発表されたトップランクとの共同プロモート契約に続き、丁度1ヶ月後の12月上旬、ゾラニ・テテをショッキングな即決KOに屠り、WBOの新王者となったカシメロとの統一戦について、大橋会長が「来(2020)年の4月、ラスベガス開催でほぼ確定。」とリーク。
明けて今年の1月10日、トップランクの総帥ボブ・アラムが、「4月25日にマンダレイ・ベイでナオヤとカシメロが戦う。」と公に語り、1月31日には国内での正式発表という運びになったが、武漢ウィルスの世界的な蔓延により急停止・・・。
昨年11月のドネア戦以来、負傷明け+1年ぶりの実戦となる井上に対して、ロドリゲスに敗れた後、昨年中に3試合を消化(2019年3月,6月,11月)し、6月25日に武漢ウィルス明けの緒戦を終えたマロニーは、順調な調整をアピールして元気なことこの上ない。
日本のファンが一番心配したのは、やはり眼窩底骨折に見舞われた井上の右眼だろう。試合直後、試合前とは明らかに大きさが異なる左右の眼に驚く。その大きく開いた右眼を見て、筋金の入ったファンは重篤な後遺症が残るのではないかと、あらぬ不安にかられた。
眼筋マヒである。
※写真<1>
左:2019年8月26日/ドネア戦発表会見(東京ドームホテル)
中:2019年11月7日/ドネア戦試合直後(さいたまスーパーアリーナ)
右:2020年1月29日(放送日)/TV出演
※写真<2>
左:2020年3月/大橋ジムでの公開練習
中:2020年5月/大橋ジムでの公開練習
右:2020年9月9日/マロニー戦のオンライン会見(大橋ジム)
折に触れて撮影された写真で確認する限り、時間の経過とともに左右の大きさの差異は小さくなって、改善しているようにも見える。
医師と相談した結果、外科的治療(手術)は行わず、スパーリングを含む激しい練習を控えて、回復を待つ方針を採ったという。試合中に発生した複視(ものが二重に見える現象/吐き気を誘発する場合もある)は、骨折した患部の腫れなどが収まったことで、改善されたと考えて良いのだろうが、ボクサーに特有の職業病でもあるだけに、どこまで行っても不安が拭えない。
今から6年前の2014年4月、大阪城ホールで豪打のキコ・マルティネスとまともに打ち合い、凄絶な7回TKOに散った長谷川穂積は、リングドクターの応急処置を受けて即刻緊急入院。井上と同じ右眼の眼窩底と鼻骨骨折が判明したが、幸いにも試合翌日には退院が許され、重い後遺症は残らずに済んだ。
2010年4月のフェルナンド・モンティエル戦(事実上のWBC・WBO2団体統一戦)でも、右の下顎を骨折するなど、類稀なスピードと絶妙なカウンターを最大の持ち味にしながら、強打の応酬を辞さない気性の激しさから、キャリアの後半は怪我に泣かされ続けている。
2017年9月には、WBO J・フライ級王座のV2戦に臨んだ田中恒成が、タイの伏兵パランポンのジャブと右ストレートで両眼の眼窩底を骨折。全治2ヶ月(スパーリングの禁止は3ヶ月)の診断を受け、大晦日に決まっていたWBA王者田口良一との統一戦を棒に振った。
長谷川以上に気が強く、打たれると打ち返さずにはいられない田中も、試合中に発生した複視が後を引かなかったのは不幸中の幸い。フライ級に上げて木村翔にパワー勝負を挑み、スピード&パワーで押し切り3階級制覇を達成。4つ目となる115ポンドに進出し、年末を目処に、WBOのベルトを持つ井岡一翔への挑戦を伺う。
※写真左:平成を代表する名王者の1人,長谷川の痛々しい姿(キコ・マルティネス戦)
写真右:両眼を大きく腫らした田中(パランポン戦の翌日に開かれた記者会見)
日本人の男子選手では、唯一タイで行われた世界戦(暫定)で白星を挙げた江藤光喜も、初防衛戦で再びタイへ渡り、ヨドモンコンの強打で左眼の眼窩底を骨折して王座から転落。最終12回まで必死に耐えた江藤は、帰国後の第一声で次のように語っていた。
「これほどの痛みを経験したのは初めて。自分が出すパンチも目に響いて、痛みに吐き気(複視の影響)が加わって本当にキツかった・・・」
曲者のウーゴ・カサレスからWBA S・フライ級王座を奪取した清水智信は、再三のバッティングで大きく腫らした右眼の診断を受け、眼窩底骨折が判明。全治3ヶ月と告知され、亀田一家とズブズブのWBAから休養王者への横滑りを強制される。
傷が癒えた清水は、大毅との決定戦に完勝したテーパリットとWBA内統一戦を行うも、いいところなくTKO負け。大毅の2階級制覇を強引に実現しようとする国内業界全体の動きと、その為に休養王者にさせられた一連の騒動が引き鉄となり、現役へのモチベーションが切れて引退。
清水,長谷川,江藤,田中の4名は、幸いにも重篤な後遺症に悩まされずに済んだが、S・バンタム級で1度、フェザー級で2度世界にアタックした細野悟は、デビュー3年(12戦)目で獲得したOPBF王座のV3戦で、ベテランの強打者,榎洋之を12回判定に下してベルト死守するも、榎の代名詞でもあった重量感のあるジャブを打たれ続けた右眼が悲鳴を上げる。
眼窩底骨折で1年の長期ブランクを作った細野は、復帰戦でいきなりプーンサワットのWBA S・バンタム級王座に挑戦するなど、2017年(34歳)まで現役を続けたが、トップアマ出身者とは思えない突貫型のファイターへとスタイルを変えて行き、キャリアの後半~終盤は被弾覚悟の突進が目立った。
※写真左:どちらが勝者かわからないほど顔が変形した細野(左)と敗者榎(右)
写真右:念願のベルトを巻いた好男子清水もカサレスの頭突きで別人のように顔を腫らす
細野と同様にごく近いところでは、大曲輝斎(おおまがり・てるよし/日本ウェルター級王者)と河合丈矢(かわい・じょうや/日本S・ウェルター級王者)が、やはり同じ眼疾に見舞われ、ベルトの返上と引退に追い込まれている。
また、本番2週間前のスパーリングで左眼を傷めながら防衛戦のリングに上がり、KO負けでOPBFクルーザー級王座を失った高橋良輔も、試合後眼窩底骨折を公表。自身のブログでカムバックを誓っていたが、再びリングに姿を見せることなくフェードアウト。
拳聖ピストン堀口の孫として大成を期待された堀口昌彰もまた、日本タイトル挑戦に失敗した直後、新人王を獲ったばかりの畑山隆則に踏み台にされ、最後は眼疾を公表。6年に満たない、短いプロ生活にピリオドを打つ。
長谷川の後輩に当たる真正ジムの山中竜也(やまなか・りゅうや)は、WBO M・フライ級王座を獲得した2017年8月の福原辰弥(本田フィットネス)戦で発生した偶然のバッティングにより、左眼窩底を骨折。
手術を受けて再起を果たし、世界王座の初防衛にも成功したが、2度目の防衛戦でダウンを奪われ判定負け。試合後のメディカル・チェックで硬膜下血腫が見つかり、無念のライセンス返上・引退となった。
※写真左:眼帯で覆われた左眼以外に目立った傷や腫れのない江藤(無念の帰国直後)
写真右:載冠に破顔一笑の山中/目だった腫れや出血はなく外見からは故障を伺えない
選手層が薄くなる一方のライト級から上のクラス、とりわけウェルター,S・ウェルター,ミドルの3階級は、上半身が硬い「当たれば勝ち」の大味なパンチャータイプが増えた影響もあって、ディフェンスも含めたテクニック&スピードの低下(レベルダウン)が顕著なだけに、この眼疾が増えてたとしてもさほど驚かない。
9月度の日本ランキングで、S・ウェルターのランカーは僅か4名しかおらず、ミドル級は遂に2名となった。ウェルター級はどうにか9位まで発表できているが、S・ライト級は7名、ライト級も8名となっている。
引退した筈の竹原虎辰(たけはら・こたつ)の名前を残し、藤本京太郎と上田龍(竹原から日本タイトルを奪取)の2人しかいないヘビー級も無理やりランキングを継続して、形の上では全14階級を維持しつつも、事実上ウェルター級が最重量級となりつつある現状、一応12位まで埋まっているのは、S・フライ,バンタム,S・バンタム,S・フェザーの4階級のみ。
かつてお家芸にしていたフライ級は辛うじて10名いるけれど、フェザー級とL・フライ級には8名しかおらず、最軽量のミニマム級にも7名しかいない。ランキングの空洞化は武漢ウィルス騒動の前から続いており、ベルトを返上して引退に踏み切った日本王者もいたけれど、興行の自粛による影響は直接的な理由にはならない。
沢村忠が牽引するキックボクシングに激しい追い上げを食らい、野球,相撲と並ぶ国民的人気スポーツから転落した70年代半ば頃の国内ランキングは、スタートして間もないJ・フライ(L・フライ)級も含めて、ウェルター級まではしっかり10名のランカーが並んでいた(当時は世界も地域もナショナル王座もすべてランキングは10位まで)。
J・ミドル(S・ウェルター)級は、一時的に4名まで減って存続の危機に陥ったが、ほどなくして回復。6~8名のランカーを常時抱えることができ、ミドル級にも6~8名を維持できていた。ここまでランキングの過疎化が進んでしまった今、12位(二桁台以降)までの作成を続ける意味があるのかどうか。
バッティングが直接的な原因の清水と山中は、文字通りの不運と表さねばならないが、ファイトスタイル(メンタリティに負うところが大)が怪我を招いた長谷川と田中、江藤,細野らを見ると、日本のボクシングを支えてきた軽量級でも、ディフェンスを中心にした技術レベルが落ちて来ているのではないかと、いささか複雑な思いに囚われる。
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■眼窩底骨折(眼筋マヒ併発)の怖さ
ボクサーの眼疾と言えば、イの一番に網膜はく離ということになるが、眼筋マヒもはく離に負けず劣らず、数多くの王者やランカーを苦しめただけでなく、引退へとおいやるケースが少なくない。
一般人の眼窩底骨折では、眼球の陥没が起こり易いと聞くが、まともに被弾するとは意っても、動物が本来持つ反射的な危険回避の能力に加えて、日々の訓練で培ったディフェンスの技術(個人差による巧拙は仕方がない)がある為、原因がパンチではなく頭や肘,肩などのバッティングであったとしても、ボクサーが眼球陥没にまで至るケースは希少と思われる。
一番恐ろしいのは、やはり眼筋マヒの発症だ。眼球をコントロールする筋肉が正常に動いてくれるおかげで、左右のバランスが狂うことなく視線が一致して、私たちは目に見えるものを正確に視認することができ、様々な危険への対処も含めて、安全かつ安心して日常生活を営むことができる。
しかし、眼窩底骨折などの外傷などで眼球を動かす筋肉が正しく動かなくなると、ものが二重に見える複視になり、多くの場合、一定の角度や方向にしか眼球を動かせなくなる運動機能制限を併発して、一般人の感覚と大きく乖離した速さで飛んで来るパンチに反応しつつ、ほぼ同時に反撃に転じなくてはならないボクサーにとって、致命的に困難な状況をもたらす。
井上と同じ右眼を傷めて、左眼よりも大きく広がり、焦点がしっかり合っていないように見えたケースとして、国内のファンの記憶に今もはっきり残るのは、敷居の高いライト級で世界に4度アタックした坂本博之ではないか。
※坂本博之(左:眼を傷める前の若い頃/右:キャリア後半~晩年)
今や絶滅危惧種と表しても間違いのない、己が身を盾に切った張ったの白兵戦に活路を見出す、純然たるファイターとして現役生活を貫いた坂本も、傷めた右眼が左眼よりも大きく広がり、眼球が自然に動かず、斜視と言う程ではないにしても、焦点が合っていないとの印象を与えた(現在はかなり回復している様子)。
坂本は自身の右眼の状態についてつまびらかに語っておらず、眼疾以上に深刻だった(?)椎間板ヘルニアの手術に踏み切り、3年近いブランクを強いられながら、懸命のリハビリを経て再起。宿願だった世界王座には届かず、文字通り矢尽き刀折れ、満身創痍で坂本はリングを降りた。
古くはメルボルン五輪代表(ベスト8敗退)からプロ入りして、大変な人気を博した米倉健志(2018年に廃業した米倉会長)、WBA1団体時代に130ポンドの王者となり、V6(当時の国内最多防衛記録)を達成した小林弘、中京初の世界王者,畑中清詞、坂本と同世代のピューマ渡久地と山口圭司、戸高秀樹らも、眼筋マヒによってキャリアを絶たれている。
坂本,ピューマらとともに、90年代を彩った130ポンドの強打者渡辺雄二も、10連続KO勝ちの勢いを駆って、プロ2年目での世界初挑戦に踏み切ったが、いかんせん相手が悪過ぎた。
長身痩躯+長いリーチを活かし、変幻自在の左を操るヘナロ・エルナンデスは、距離を取って安全策に出るのかと思いきや、渡辺の土俵だった筈のインファイトでも滅法強く、経験不足の渡辺は一方的に打ちまくられ、6ラウンドでストップされた上に眼窩底を骨折。
渡辺はヘナロ戦の後、再起2戦目でWBA6位マルコス・ゲバラ(ベネズエラ)にも7回KOで敗れており、キャリア初期に拙速なマッチメイクで心身ともに大きなダメージを負ったが、幸運なことに眼筋マヒは残らなかったらしく、2000年に引退するまで10年間のリング生活を送った。
そして2000年代前半、「天才少年現る」と関西で大きな話題となり、大橋ジムのスカウトに応じて関東に拠点を移し、千葉の文理開成高校に通いながらプロを目指した松井里樹(まつい・りき)は、スパーリング中に右眼を強打されて眼窩底を骨折。重度の眼筋マヒが残り、アマで結果を出すことができず、ボクシングの継続は困難と判断した大橋会長が手を引き、失意の天才少年は帰阪を余儀なくされた。
3度の手術を受けたという松井の右眼は、視野が極端に狭くなった上に、ものがすべて二~三重に見える症状が回復せず、医師はボクシングを諦めるよう説得したとのことだが、元々練習していた古巣の金沢ジムではなく、八尾ジムからプロ入りを強行。
4連勝(2KO)をマークして、ひょっとしたらと期待を蘇らせるファンもいたが、5戦目で西日本新人王を獲った伊藤秀平(真正)に6回判定負け。サウスポースタイルから放つ鋭いパンチとステップワークも、右眼が正常に動かない状態では本来の力を発揮できる筈もない。暫くは練習を続けたようだが、復帰することなくキャリアを終えている。
名門明治のエースとしてメルボルン五輪の代表に選ばれ、鳴り物入りでプロ入りした米倉会長の場合、バンタム級での2度目の世界挑戦を1ヵ月後に控えたエキジビションマッチが負傷のきっかけだった。左眼に違和感を覚えて診察を受けたところ、眼筋マヒと判明。
担当医は試合を中止して治療に専念するよう忠告したが、静止を振り切ってジョー・ベセラに挑み、大善戦の据えに判定負け。世界に手が届かないまま、4年余りでプロキャリアを終えることに。
引退後はヨネクラジムを興し、5名の世界王者(柴田国明,ガッツ石松,中島成雄,大橋秀行,川島郭志)を始めとして、東洋王者8名,日本王者31名(最多)を輩出。名伯楽として名を馳せ、80歳を過ぎてもコーナーに立ち続けたが、2018年5月遂にジムを閉鎖。1963年3月以来続く、半世紀近い歴史に幕を閉じた。
※米倉健志(健司/左:現役時代/右:近影)
五輪代表の実績がモノを言い、A級ライセンスを認められて8回戦でデビューすると、3戦目で国内フライ級の第一人者,矢尾板貞雄の日本タイトルに挑戦して判定負け。大本命の矢尾板が、怨敵パスカル・ペレスにノンタイトルで初黒星を着け、正式な挑戦に向けて日本タイトルを返上すると、米倉会長は5戦目で決定戦に推挙されて無事に獲得。
しかし、矢尾板との世界戦交渉をノラリクラリと先延ばしにしながら、世界王者をハンドリングする辣腕マネージャー,ラサロ・コシィは、ノンタイトルで米倉会長を指名。6戦目でペレスに10回判定負けを喫すると、さらに7戦目で世界タイトルに挑戦。当然のごとく負けたが、15回をフルに戦い抜いただけでも賞賛に値する。
ペレスに敗れた直後にバンタムに上げて東洋王者となり、べセラへの挑戦が決まった矢先の眼疾は、ハードなマッチメイクとの因果関係がまったく無いとは言い切れない。アマチュアのエリート選手を促成栽培したがるのは、我が国特有の悪弊と表して間違いない。
米倉会長と同じ時期に早稲田のエースとして大活躍し、大学リーグ戦で10連続KO勝ちを収め、立教時代の長嶋茂雄とアマチュアスポーツの人気を二分した池山伊佐巳(フェザー級/プロではJ・ライト級を選択)も、10回戦でのデビュー(前日本王者を相手に判定勝ち)に始まった性急かつ拙速なマッチメイクが原因で潰される格好となり、僅か3年,5勝(1KO)4敗のレコードで引退を余儀なくされた。
キャリアの最終盤に眼疾を発症した昭和を代表する名王者,小林弘は、実働9年(1962年7月~1971年10月/18歳11ヶ月~27歳2ヶ月)で実に75戦をこなしている。
※生涯戦績:61勝(10KO)10敗4分け。
1ヶ月にランカーとの2連戦を組まれたり、デビュー4年目の5月から8月までの3ヶ月間に敢行した中南米遠征(コロンビア,ベネズエラ,メキシコと転戦/最後はロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアム)では、現役の世界ランカーを含む6試合(!)をこなして、1勝2敗2分けの星を残すなど、スパルタの権化として知られた中村会長の容赦ないマッチメイクで鍛え上げられたが、年平均8.3試合を9年続けるのは流石に厳しい。
沼田義明との史上初の日本人対決を、その後の代名詞となる鮮やかな右クロス・カウンターで制し、世界J・ライト級タイトルを獲得したのは1967年12月14日。WBCが分裂する以前の、文字通り世界にたった1つしかないベルトである。
赤穂浪士の討ち入りに合わせて開催日が設定され、会場は武道館が出来るまで国内最大級の屋内施設だった相撲の殿堂,蔵前国技館。
中村(小林),小高(沼田)両会長が、芝居っ気一切無しの凄まじい舌戦を繰り広げ、展覧試合になるとの風聞も流れるなど、日本中を興奮のるつぼに巻き込んだ。
※両会長の対立は関係修復が不可能になるまで激化した。
フィリピンの豪腕レネ・バリエントス(WBA2位)、中南米遠征の初戦で引き分けたエクアドルのハイメ・バラダレス(WBA2位)、1位の指名挑戦者カルロス・カネテ(亜)、後にWBC王者として復活した沼田を破り、日本人キラーとして名を馳せる3位リカルド・アルレドンド(メキシコ)、眼疾を隠してV7に失敗したベネズエラのアルフレド・マルカノ(WBA5位)等々、挑戦者はいずれ劣らぬ一流の上位ランカーばかり。
とりわけ強くて巧かったのが、2度挑戦を受けたパナマのアントニオ・アマヤである。
※写真左:昭和を代表する名王者,小林弘
写真右:宿敵となったアントニオ・アマヤ
3度目の防衛戦に呼ばれて初来日したアマヤは、WBA2位の実力を存分に発揮。第10ラウンドに右を連射して小林は左瞼をカット。バッティングの影響もあって小林の出血は止まらず、顔面と上半身だけでなく、アマヤの白いトランクスまで返り血で真っ赤に染まる。一進一退の攻防は、ややアマヤ有利の印象を残しつつ終了。
僅差の2-1判定で辛くもベルトを守った小林は、指名挑戦者カネテを大差の判定に下してV4に成功。国内屈指の技巧派としての面目を施すと、WBA1位に登り詰めたアマヤの再挑戦を受け、拮抗した技術&神経戦をしのぎ、僅差ながらも3-0の判定勝ち。
171センチの上背と180センチのリーチに恵まれたアマヤは、黒人特有の優れた柔軟性とバネを併せ持つ、パナマ伝統の俊足技巧派の典型だった。小林へのリベンジに失敗してから4年後、アルレドンドからWBC王座を奪った柴田国明に挑戦する為、3度目の来日を果たす。
ハワイでベン・ビラフロア(WBA王者/バリエントスを凌ぐ豪打のフィリピン人サウスポー)を攻略して海外奪取による2階級制覇(日本人唯一)に成功した柴田は、再戦でショッキングな初回KO負けに退くも、アルレドンドを明白な判定で打ち破り、日本のファンの溜飲を大いに下げて、3度目の復活を遂げていた。
29歳(当時の常識ではピークを過ぎたロートル)になったアマヤは下半身の衰えが指摘され、世界ランキングもドンケツ手前の9位まで落ちていたが、長年に渡って磨き上げた技術に錆付きは見られず、フェザー級時代の柴田を散々な目に遭わせたエルネスト・マルセル(パナマが輩出した世界王者の中でもトップクラスの快速フットワークを誇ったテクニシャン)同様、鋭く素早い柴田の踏み込みを逡巡させ、抜群の切れ味を誇った強打を空転させる。
僅差のマジョリティ・ディシジョン(0-2)で判定負けが告げられると、アマヤとコーナーマンたちは呆然自失の体。「日本で戦う限り、アントニオは何度やってもチャンピオンになれない・・・」と嘆いたが、決定的な場面を作るだけの力がアマヤにも残っておらず、クリーンヒットとアグレッシブネスを重視する当時のスコアリングでは、日本以外でも勝ち切れない勝負が目立った。
当て逃げのタッチスタイルが幅を利かせ、駆け引きの応酬で幾らでもペースポイントを掠め取れる上に、クリンチ&ホールドもし放題。認定団体が4つに増えて、ランキングも15位まで拡大された現代にアマヤが蘇り、前日計量の12ラウンズを専守防衛で手堅く戦ったら、間違いなく無敵のチャンピオンになれる。
またまた脱線してしまった。話を元に戻そう。
最近活躍した海外の著名選手では、ミッケル・ケスラー(デンマーク)が忘れ難い。WBSSの叩き台(発想の元ネタ)となった「Super Six World Boxing Classic(いわゆるスーパー・シックス・トーナメント/2009年~2011年12月)」に出場したケスラー(参戦当時:WBA S・ミドル級王者)は、対立関係にあったWBC同級王者カール・フローチ(英)、アンドレ・ウォード(アテネ五輪L・ヘビー級の覇者/無冠のランカーとして参加)らを抑えて、優勝候補の一角と目されていた。
しかし、グループステージ(予選)の第1戦でウォードと当たり、悪質極まりないヘッドバットで両眼に甚大な被害を被り、負傷判定でWBA王座を失う。そしてのダメージが癒えないままカール・フローチとの第2戦に臨み、激闘の据えに判定でWBC王座を獲得するも、試合後に左眼の異常を訴えて眼窩底骨折が判明。
眼筋マヒを発症してモノが二重に見える状態となり、トーナメントからの撤退を余儀なくされ、WBCのベルトも返上(存命だった先代ホセ・スレイマン会長が名誉王者に認定したが何の意味も為さない)。長期のブランク入りで、引退の危機が喧伝される。
※写真左右:ケスラーの顔面目掛けて思い切り頭をぶつけに行くウォード
写真右:主審ジャック・リースは棒立ちで見てみぬふり
※写真左右:インターバル中のコーナーでカットマンの手当てを受けるケスラー(ウォードの頭突きで両眼の周囲は傷だらけ/鼻血も出ている)
◎参考映像:ケスラー戦を含むウォードのダーティ・ファイト小特集
映像のタイトル:Andre Ward Illegal Tactics - Headbutts/Elbows/Holding
2011年6月、1年2ヶ月ぶりの復帰を果たすと、二線級を相手に3連続KO勝ちを収めてWBAの正規王座に就いたものの、「Super SIX」で優勝を逃し無冠となった後、IBFの王座を復活載冠したフローチとの再戦(2013年5月)に大差の判定負け。
負傷する以前のパフォーマンスには程遠く、O2アリーナ(グリニッジ/英ロンドン)でのフローチ戦を最後にリングを去った。ケスラーは当初外科的な治療を行わず、敢えて時間のかかる自然治癒を選択したが、初期の診断で医師から引退を勧告されていたとも・・・。
「S.O.G(Sun of God)」のニックネームとは裏腹に、執拗なホールディング&頭突き、エルボーとローブローを常用したウォードは、プロ転向後冴えない拙戦続きで期待外れの烙印を早々と押されてしまい、大枚を投じて金メダリストをスカウトしたダン・グーセン(プロモーター)も、「最悪の投資」「才能を見抜く眼はゼロ」と散々な言われよう。
「Super SIX」の優勝(WBAとWBCの統一王座に就く)により、ようやくウォードは陽の目を見たという訳で、予選から唯一地元(カリフォルニア州内)でのマッチメイクが許され、フローチとの決勝も英国ではなくアトランティックシティ開催となるなど、トーナメントではウォードをプロテクトする姿勢が嫌でも目についた。
最大の難敵ケスラーを突破する為に、確信犯の頭突きをやりまくったウォードと、同じく確信犯で見逃し続けた主審ジャック・リース、セルゲイ・コヴァレフに対する執拗なローブローに、見てみぬフリのお墨付きを与えたネバダのロバート・バードとトニー・ウィークス、第1戦でウォードの勝ちにした3名のジャッジ(バート・A・クレメンツ,グレン・ドゥロウブリッジ=以上2名はネバダ,ジョン・マッケイ=ニューヨーク州)は、雁首揃えて追放処分が妥当。
そして参加した6選手のうち、アルトゥール・アブラハムを擁するウィルフレート・ザウアーラント(WBSSを仕掛けたカールの父)の発案で始まったトーナメントなのに、ウォードを保有していたグーセン、ウォードとの親友対決を避けてトーナメントを離脱したアンドレ・ディレルを手掛けるゲイリー・ショウ、元4団体統一ミドル級王者ジャーメイン・テーラーをハンドリングしたルー・ディベラら米国勢が主導権を掌握。
英国を代表する興行会社マッチルームを率いるバリー・ハーン(今や飛ぶ鳥を落とす勢いのエディの父/フローチを傘下に収めていた)とミック・ヘネシー(フローチのマネージャー兼共同プロモーター)ともども、発案者のザウアーラントは「看板だけの主要プロモーター」に追いやられていた。
WBSSのスタートに際して、カール・ザウアーラントが敢えてヨーロッパに軸足を置いたのは、Showtime(Super SIXの中継を一手に引き受けたメイン・スポンサー)と手を組んだことで、結果的にウォードの1人勝ちを許しすことになった、父ウィルフレートの失敗を目の当たりにしていた為かもしれない。
どう考えても容易とは思えない、王国アメリカのボクシング界をリードするBIG3(トップランク,ゴールデン・ボーイ,アル・ヘイモン)との協調関係が、さらに難しくなることも承知の上だった筈である。
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■すべての対戦相手に狙われる井上の右眼
118ポンドのバンタム級で過度な減量から解き放たれた井上尚弥は、文字通り"モンスター"の全貌を露にした。マクドネル,パジャーノ,ロドリゲスを瞬殺で三タテした衝撃は、シドレンコとモンティエルを連続KOした10年前のノニト・ドネアを凌駕するセンセーションと称して間違いない。
そのドネアをWBSSの決勝で突破すると、リング誌はP4Pランキングの3位に上昇させ、ここでもドネア(自身最高位となる4位で並んでいた)を抜いて、東洋のボクサーではパッキャオに次ぐ高評価を得る。
そして絶対王者ロマチェンコの予期せぬ敗北により、10月17日に更新された最新の月例ランキングで、遂に2位へとアップ。上にいるのは、メイウェザーからP4Pセールスキングの座を受け継いだカネロのみ。
もしも前評判通りドネアを序盤で倒していたら、カシメロもああまで大口を叩くことはできなかっただろうし、武漢ウィルスをタテにあれやこれやとゴネまくり、統一戦のオファーに素直に応じなかったかもしれない。
対戦の打診をすべての王者たちに断られ、交渉のテーブルに着くことすらできずにいた、一時のロマ・ゴンと同じ状態に陥ったとしても何ら不思議はなく、抑えとしてマロニー兄弟を獲得(共同プロモート)したトップランクが井上戦を告げても、断っていた可能性も十二分に考えられる。
ドネア相手に苦闘を強いられたことがカシメロをその気にさせ、背中を強く押したことは疑う余地がない。「井上も私と同じ人間だ。完全無欠では有り得ない。戦い方はある。」と、SNSでボクシング専門メディアのインタビューを受けたマロニーも、「モンスター恐るるに足らず」と自信満々に発言できていたかどうか。
余りにも強過ぎるボクサーは、同じ階級はもとより、近隣の階級でトップグループを形成する有力選手(のマネージメント)から敬遠される。L・フライ級からフライ級への進出を決めたロマ・ゴンと、S・バンタム級で頭1つ抜けた安定感を発揮していたリゴンドウが不人気に泣き続け、対戦相手に恵まれなかったのは、高度なスキル&センスに一撃必倒の左を併せ持つ上に、リスク回避一辺倒の逃げ腰スタイルに懲り固まったことに加えて、ギャランティが安い軽量級だからに他ならない。
かつてのモハメッド・アリやマイク・タイソン、そしてデラ・ホーヤとメイウェザーのように、対戦相手にも一桁違うギャランティを確約できる真のスーパースターになると、対戦の可能性が少しでもある誰もが、負けを承知でオファーを熱望し列を成して順番を待つ。
あれだけデカいことを言っていたカシメロ陣営も、パンデミックによる減収を理由にトップランクから報酬の減額を通告され、リスクに見合った充分過ぎるリターンが得られないと知るや否や、一目散に井上との統一戦から撤退した。世知辛い話だが、これがボクシング・ビジネスの現実なのだ。
P4P2位とは言っても、もともとの相場が安い軽量級の井上が、タイソン,デラ・ホーヤ,メイウェザー,パッキャオに肩を並べるのは、ほとんど夢物語と言っていい。
仮にこのまま順調に勝ち続けて、リゴンドウを含むバンタムの4団体を完全制覇し、その上でS・バンタムに上がって4階級制覇に成功したとしても、井上自身のギャランティが150万ドルを超えるかどうか。
もしも井上のギャラが200万ドルを超えて、対立王者との統一戦ではなく、並みのチャレンジャーに15~25万ドル(軽量級の一般的なチャンピオンが受け取る報酬)を確約できるところまで行けば、ドネアがあと1歩及ばなかった「PPVファイター」としての安定的な地位に到達し、真にトップ・オブ・ザ・トップの仲間入りを果たすことができるかもしれない。
または話が逸れた。テンポ・プリモで。
ドネアに右を痛打され、あわやダウンという大ピンチを迎えた井上は、「アマ時代を通じて初めて」というクリンチで時間を使った。マロニーに限らず、あの場面を目撃した世界中の腕に自信のあるバンタム~S・バンタムは、「ひょっとしたら、俺にもチャンスがあるかも・・・」と思った筈である。
カシメロ以上にこしゃくなルイス・ネリーはその代表格だが、トップランクからピンチヒッターを要請されたマロニーとその陣営は、直ちにオファーを受け入れ臨戦体制に入った。
公表されてはいないが、トップランクが提示したギャランティ(現時点で公表されていない)は、それ相応の金額だとは思うけれど、それでも並みの軽量級王者が手にする相場(10~15万ドル)に、多少の色を付けた程度ではないか。
ほとんど勝機は皆無という客観的情勢の中、マロニーをその気にさせたのは、彼がまだチャンピオンでは無かったことが大きい。ゾラニ・テテを右の一撃で即決した勲章とともに、カシメロには守るべきもの(WBOのベルト)がある。
ドネア戦を見て「何とかなるかもしれない」と思っただでなく、今のマロニーには、仮に井上に無残にKOされたとしても失うものがない。万が一にも攻略に成功しようものなら、バンタム級最強の称号とともに、リング誌P4Pランクのトップ10入りが叶う。
そして虎視眈々とマロニーが狙うウィークネスが井上にあるとすれば、それはドネアの左フックによって傷ついた右眼しか有り得ない。カシメロもネリーもそれはまったく同じ。
もっと言えば、井上との対戦に少しでも前向きな世界中のバンタムとS・バンタムは、必ず井上の右眼を標的にする。その一点以外に、今の井上に付け入る隙は見当たらない。
カシメロとネリーのような1発がないマロニーには、左のリードジャブが第一の武器になる。しかし井上は、圧倒的なパワーだけでなくスピードでもマロニーを上回る。ロドリゲスと同じように待ちの態勢を取らず、井上がしっかり足を使った場合、ジャブによる右眼の破壊はほとんど不可能。
ではどうやって右眼を潰すのか。確信犯のバッティング(頭・肩・肘)以外に選択肢はない。ロドリゲス戦で分かる通り、マロニーとその陣営は、勝つ(負けない)為ならどんな手段も厭わない。そういうメンタリティで向かって来る輩だと、井上陣営は心してかかる必要がある。
井上相手に自ら前に出て、積極的に打ち合って憤死したロドリゲスのテツは踏まない。井上と打ち合う愚は冒さない。徹底的な打撃戦回避をSNSで宣言済みのマロニーは、距離が詰まりそうになったら、ロドリゲス戦同様迷うことなく抱きついて来る筈だ。
その時マロニーは、不可抗力を装って頭や肩をぶつけに来る。井上陣営はマロニーのヘッドバットを前提にして、戦術を組み立てるべきだ。ロドリゲスやドネアのようなフェアネスと潔さを、間違ってもマロニーに期待してはいけない。
リング・キャリアを有るべき姿で全うする為には、どんな方法で右眼を狙われてもいいように、井上陣営は慎重かつ丁寧に対策を講じてリングに上がり続けるべきだ。
加齢と増量(どこまで上がるつもりなのかはわからないけれど)による影響で、やがてスピードと反応に翳りが生じ、かわせた筈のパンチを貰う日が必ずやって来る。
階級を上げる多くのパワーパンチャーは、フェザー級で撃沈したドネアのように、力でその壁を突破しようとして自滅して行く。さらなる右眼へのダメージは、たった1度の被害で井上を引退へと追いやる恐れを孕む。
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※プレビュー Part 3 へ続く