<1>12月28日/ステート・ファーム・アリーナ,ジョージア州アトランタ/WBA世界L・ヘビー級タイトルマッチ12回戦
正規王者 ジャン・パスカル(カナダ) VS WBA11位 バドゥ・ジャック(スウェーデン/ガンビア)
カナダを代表するトップ・アマとして、国際大会で華々しく活躍。一度は世界の頂点に立ち、バーナード・ホプキンスに一泡吹かせたパスカルも既に37歳。2015年から昨年にかけて、L・ヘビー級の世界戦を3度続けて落としてしまい、完全に終わった選手と見られていた。
最も勢いに乗っていた頃のセルゲイ・コヴァレフ(ロシア)に喫した2度のTKO負けが、パスカルのキャリアに致命的な打撃を与えたのは勿論だが、昨年11月、WBAの正規王者(現在はスーパーに昇格済み)ドミトリー・ビヴォル(カザフスタン)にアタックして、ワンサイドの大差判定で軍門に下った後、流石にリングを去る覚悟を決めながらも、最終的な決断を踏み切ることができず、今年8月におよそ9ヶ月ぶりとなる実戦復帰。
今回相まみえるバドゥ・ジャックを、一方的な展開で終始押し捲りながら、バッティング絡みの負傷判定という不本意な決着で、WBAの暫定王座に就いたばかりのマーカス・ブラウン(米/28歳)から、挑戦のオファーが届いた為である。
力は充分に落ちて(?)なお、知名度(昔の顔と名前)だけは廃れ切っていない元王者をチョイスして、安全確実に稼いでおこうという算段だ。白星の献上のみを期待されてニューヨークへ飛んだパスカルは、文字通りのオールドタイマー。主要なブックメイカーのオッズは、概ね10-1と大きく差が開いた。
マイク・タイソンとリディック・ボウ,上述したホプキンスらを最後に、旧ソ連と英国を中心とした欧州勢に蹂躙され続ける重量級で、ディオンティ・ワイルダーとともに、王国アメリカの威信回復を一身に背負う存在となった大柄なサウスポー(ブラウン)が、老いらくの元王者を開始早々にも叩き潰し、完全なる引退へと追い込む。
誰もが楽観的な展開を確信する中、予想通り順調に流れを引き寄せたブラウンが、第4ラウンドに上下のコンビネーションで追い込み、パスカルの腰を落としかける。さらにペースを上げて詰めるのかと思われたその矢先、オールドタイマーが放った右のカウンターがまともに決まり、ブラウンが仰向けにひっくり返ってしまう。
見た目にもダメージは深そうだったが、年少の王者は懸命に態勢を立て直す。パスカルも慎重にラウンドを進めて、様子が分からなくなり始めた第7ラウンド、再びパスカルのカウンターが決まってブラウンがダウンを追加。
この後バッティングでブラウンが左の瞼を切り、さらに傷が悪化した為、第8ラウンドで試合は終了。負傷判定(テクニカル・ディシジョン)は、三者一致の74-75となり、僅か1ポイント差ではあったが、全員パスカルを支持。
ヘッドクラッシュによる幕引きに納得できず、ブラウンの挽回健闘も目立立っていた為、勝ち名乗りを受けるパスカルにブーイングが浴びせられる一幕もあり、4つの拳以外によってもたらされた結末は、どんな場合で後味の悪さを残す。
ただし、衝突によるブラウンの出血を確認した主審のゲイリー・ロサト(ペンシルベニア州)は、即座に「アクシデンタル・ヘッド・バット!」と大きな声を繰り返し発しており、「故意の反則ではない」と宣言していた。その判断に誤りはない。
長身(187センチ)のブラウンは頭を振らない現代流で、179センチのパスカルが右の打ち終わりに前のめって、勢いのままにブラウンの懐に飛び込む際、オデコの位置が丁度ブラウンの顎から顔面に来る。
その為「どこかで当たりそうだな」と冷や冷やしていたけれど、中盤に入って以降、インファイト回避とスタミナ配分の為に、ブラウンの方から積極的に抱きつくようになって、より衝突のリスクは高まっていた。
加えて主審が宣告したブラウンのダウンは都合3度に及んでおり、パスカル陣営に言わせれば、「危うく負けにされるところだった。これだからアウェイは油断も隙もあったもんじゃない」となる。
事実PBCのアンオフィシャル・スコアカードは、第7ラウンドを終了した時点で65-65のイーブンだった。パスカルがダウンを奪った第4(8-10),第7(7-10)ラウンドを除く5ラウンズは、すべて10-9でブラウン。
ノックダウンの価値を相対的に貶める、アマチュアライクな現在の10ポイント・マストシステムに内在する抜本的な問題点が、否が応でも露になった典型例と言ってもいい。
また、第7ラウンドのダウンによるブラウンのダメージは甚大で、止めるのが早いレフェリーならストップがかかっていたかもしれず、「より多くのラウンドを支配していたのはオレだ!」と、余りデカい顔をされても困る。
37歳の誕生日を前に、望外の王座復帰に成功したパスカルに対して、ブラウンは当然のように再戦を要求。しかし、カットした瞼の回復を待たねばならず、いいところなく敗れたにも関わらず、ブラウンとの再戦を強く希望していたジャックの挑戦を受けることとなった。
ブラウンに為す術なく王座を追われたジャックと、そのジャックを2度倒して王座に就いたパスカルの対決。年齢は1歳しか違わない。黒星(今年1月のブラウン戦)からの復帰で、いきなりの挑戦となるジャックも立派な高齢ボクサーなのに、直前のオッズは何故かパスカル不支持に傾いている。
□主要ブックメイカーのオッズ
<1>Bovada
パスカル:+220(3.2倍)
ジャック:-280(約1.36倍)
<2>5dimes
パスカル:-2500(17倍)
ジャック:+1600(1.04倍)
<3>SportBet
パスカル:+236(約1.38倍)
ジャック:-264(3.36倍)
<4>Sky Sports
パスカル:2/1(3倍)
ジャック:4/11(約1.37倍)
ドロー:25/1(26倍)
5dimesの数値が、際立っておかしなことになっている。FBIが捜査に動き出したとしても、おかしくはないほどの異常値。今のところ(日本時間28日午後9時過ぎ)、5dimesの同カードにおける賭けは中止されておらず、この先まだ変動するかもしれないけれど、5dimes以外を正常値と見なすのが妥当。
2004年アテネ五輪の代表を経、2005年にプロ入りしたパスカルは、幼い頃ハイチからケベックに移住し、少年時代はサッカーとホッケーに熱中したという。13歳の時、アマチュア・ボクシングの選手だった5歳年長の兄(ニコルソン・プラール)が、ケベックの地方トーナメントで優勝する姿を見て刺激を受け、地元のジムに通うようになった。
いざ練習を始めてみると、適性と才能に恵まれていたのは弟の方で、ほどなくして国内トップの水準まで登り詰める。シニアに進んだ2001年にナショナル・チームに招聘され、ベルファスト(英/アイルランド)出行われた世界選手権に代表として派遣(初戦敗退)。
だがしかし、最難関の米大陸予選を見事突破し、2004年アテネ五輪の代表枠を奪取。残念ながらこちらも初戦で姿を消して無念の帰国となったが、カナダ最大手のプロモーション,GYM(イヴォン・ミシェル)と長期の契約を結び、鳴り物入りでプロ入り。
21連勝(14KO)で迎えた初挑戦で渡英(2008年12月/英国ノッティンガム)。全盛のカール・フローチ(WBC S・ミドル級王者/当時)に挑むも、大差の0-3判定負けに退く。格下相手のチューンナップで復帰すると、WBC L・ヘビー級王者エイドリアン・ディアコヌ(カナダに移住して成功したルーマニア人)への挑戦がまとまる、
テストマッチ無しの階級アップを懸念する声もなんのその、ディアコヌを小~中差の判定に下して、念願の世界王座を獲得(2009年6月)。アラ・フォーの元王者シルビオ・ブランコ(伊)、前王者ディアコヌとのリマッチに続き、実力者の元王者チャド・ドーソン(米)も撃破してV3に成功。
余勢を駆って、老いを知らない魔人ホプキンスの挑戦を受け、マジョリティ・ドロー(0-1)でV4を果たす(2011年5月)。175ポンドでもトップレベルにあることを、まさに実力で証明したパスカルだったが、半年後に組まれたB-HOPとのリマッチで僅~少差の0-3判定負け。2戦続けて物議を醸す判定で、不運にも王座から転落した。
長めの休養を取り再起したパスカルは、IBFで安静政権を樹立した元王者にしてアイドルのルシアン・ブーテと対戦(2014年1月)。何故かWBCのダイヤモンド王座が懸けられ、事実上のカナダ最強決定戦(175ポンド)として話題を呼び、大差の3-0判定で勝利を掴み健在ぶりを示す。
三十路に突入したこの辺りまでが、パスカルにとっての花の時期だった。この後、上述した通りコヴァレフ(2度:2015年3月と2016年1月=いずれも中盤のTKO負け)とビヴォル(2018年11月)に完敗した他、コヴァレフをノックアウトして世界を驚かせるエリエデール・アルバレス(コロンビア)にも0-2の判定負け(2017年6月)。
弟よりも3ヶ月早くプロデビューしたニコルソン・プラール(S・ミドル~L・ヘビーで2013年まで活動/大成できずにキャリアを終了)が、アルバレスに3回TKO負けを喫して引退に追い込まれていた経緯があり、兄の敵討ちに弟が立ち上がる格好となったが、地元とも言うべきモントリオールのベル・センターで返り討ちに遭う。
有体に言えば、8月のブラウン戦の勝利はフロック(ブラウンの油断)だと、北米地域のボクシング・ファンや専門記者の多くが考えていて、それが賭け率にも色濃く影響している。
ジャックの略歴は、以下の過去記事で触れているので繰り返さないが、7度の世界タイトル戦のうち、実にドローが3回あり、S・ミドル級の王座に就いたアンドレ・ディレル戦、ジョージ・グローブス(英)とのV1戦など、際どく競り勝った試(?)合でも、当然のようにスコアを巡って紛糾。
※新世紀を代表する写真判定王者ジャック,仏の精鋭ウバーリ登場 - パッキャオ VS ブローナー アンダーカード・プレビュー -
2019年1月20日
https://blog.goo.ne.jp/trazowolf2016/e/8bda7748dcae56aff83f4e40e99c6a8a
すっきりと勝ち切れない最大の原因は、徹底した安全運転にある。時々思い出したように、強めの右ストレートを打つけれど、常に踏み込みが浅く思い切りも今1つ。そして打ち返された途端、1歩2歩と後退して守りを固めて防戦にいそしむ。
オフ・バランスを招くような大振りは厳禁。万が一にも強烈なカウンターを食らわないことが、何よりも大切。印象点を稼ぐ為に距離を詰める時は、恥も外聞もなく頭ごと突込み、衝突を避ける為にガードを保持する相手に組み付くと、そのままボディ(確信犯半ばの低打込み)をバタバタと打ち、離れ際に顔面を狙うセコさ満載の戦い方。
インファイトで劣勢に追い込まれると、あられもないクリンチ&ホールド。魔人B-HOPの悪いところだけを真似たとしか思えない、卑怯未練なことこの上ないボクシングで、一昔前なら「プロの風上にもおけない」と軽蔑されて終わりになるところを、今はこれが許容されてしまう。
米本土での開催に加えて、ヘイモン一派(TGBプロモーションズ,メイウェザー・プロモーションズ)が仕切る興行とくれば、どう転んでも、リスク回避一辺倒の安全策に閉じこもるジャックの判定勝ちだと、年季の入ったファンが確信するのも致し方のないところではある。
◎パスカル(37歳)/前日計量:174ポンド3/4
元WBC L・ヘビー級王者(V4)
戦績:42戦34勝(20KO)6敗1分け1NC
アマ通算:103勝18敗
2004年アテネ五輪代表(ミドル級/初戦敗退)
2001年世界選手権(ベルファスト/英アイルランド)初戦敗退(L・ミドル級)
2003年パン・アメリカン・ゲームズ(サント・ドミンゴ/ドミニカ)銅メダル(ミドル級)
2002年コモンウェルス・ゲームズ(英マンチェスター)金メダル(L・ミドル級)
2001年フランコフォニー・ゲームズ(オタワ/カナダ)金メダル(L・ミドル級)
2001年カナダ国内選手権優勝(L・ミドル級)
※1998-2004年まで7連覇(階級不明)/カナダ国内MVP(最優秀選手)3回選出
身長:179センチ,リーチ:183センチ
右ボクサーファイター
◎ジャック(36歳)/前日計量:174ポンド1/2
WBC S・ミドル級王座(V3/返上),WBA L・ヘビー級王座(V0/返上)
戦績:26戦22勝(13KO)1敗3分け
アマ通算:150勝25敗
2008年北京五輪代表(ガンビア/ミドル級)初戦敗退
2007年世界選手権(シカゴ)初戦敗退(L・ヘビー級)
2006年欧州選手権(プロヴディフ/ブルガリア)2回戦敗退(ミドル級)
2004~2008年スウェーデン国内選手権優勝(ミドル級)
身長,リーチとも185センチ
右ボクサーファイター
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<2>S・ミドル級10回戦
前IBF王者 ホセ・ウスカテギ(ベネズエラ) VS ライオネル・トンプソン(米)
今年1月の防衛戦で、カレブ・プラント(米)によもやの判定負け。IBFのベルトを手放したウスカテギが、ニューヨークのベテラン中堅を迎えて再起第2戦に臨む。「迎えて」とわざわざ断ったけれど、実際のホーム・アドバンテージは負け役のトンプソンにある。
ビッグアップル出身のトンプソンは、歴史と伝統に彩られたニューヨーク・ゴールデン・グローブスを5度制し、エンパイア・ステート・トーナメントでも3度の優勝を誇るエリート・アマ出身組み。
2009年に24歳でプロデビュー後、L・ヘビー級を主戦場にしてキャリアを築くも、王者になる前のコヴァレフ、アンドレ・ウォードに挑戦したエドウィン・ロドリゲス(ドミニカ)、ボスニアから逃れてきたラディヴォイェ・カライジッチに敗れ、オハイオの黒人ローカル選手にも1-2の判定で負けている他、プロ初黒星は前述したジャン・パスカルの兄,ニコルソン・ポラールに喫している。
メイウェザー・プロモーションズの支配下となったのは2016年で、これ以降アル・ヘイモンのグループが手掛ける興行で戦ってきた。
対するウスカテギは、メキシコ在住のベネズエラ人。反米の急先鋒チャベス大統領の登場で、政治経済ともに不安定さを増し、王国アメリカとの関係が壊れた母国を出て、2011年にメキシコでプロデビュー。
メキシコ最大手のプロモーター,フェルナンド・ベルトラン率いる興行会社ザンファー(サンフェル)の支配下選手となり、アンドレ・ディレルとの2連戦でIBFの王座に辿り着いたが、周知の通り初防衛戦でプラントに判定負け。
大事な試合を落とした直後、トレーナーをチェンジするトップファイターが増える中、ウスカテギは気心の知れた相棒、ホセ・シタルとのコンビを継続。
左から:ショーン・ギボンズ(アラムの下で長く努めたマッチメイカー/とある事件をきっかけに盟友フェルナンド・ベルトランのサンフェルに横滑りし先頃パッキャオのMPプロモーションズへ移った),ウスカテギ,ホセ・シタル(ヘッドトレーナー)
サンディエゴに活動拠点を置くシタルは、8歳で母親(!)からボクシングの手解きを受け、アマチュア(ジュニア)で活躍。シニアに進んでいよいよこれからという時、重い病気を患って長期の療養を余儀なくされたという。
このブランクが引き鉄となり、競技生活を諦めざるを得なくなったが、友人に紹介された若い選手の指導を引き受けたことがきっかけとなり、本格的にコーチ業をスタート。
IFBA(主要4団体以前から存在する女子王座の老舗認定団体の1つ)のフライ級チャンピオンとなったジョリーン・ブラックシェアーを筆頭に、アマチュアや女子、MMAの選手など幅広く教えている。
左から:ジェームズ・トーマス(アシスタント),ジョリーン・ブラックシェアー,ホセ・シタル(ヘッドトレーナー)
ウスカテギがIBFのタイトルを獲得した為、男女の世界王者を輩出したサンディエゴで最初のトレーナーとして、一躍顔を名前を売ったらしい。
プロボクサーとしての成功を夢見て、ベネズエラの小さな田舎町から、アメリカ(カリフォルニア)と国境を接する人口160万人のティファナへ移住したウスカテギは、初めて見る都会の光景に圧倒されたという。
人の多さと喧騒になかなか馴染めず、そうしたことも影響したのか、最初に付いたメキシコ人トレーナーの指導法が肌に合わず、別のコーチを何人か紹介されたが結局駄目で、カリフォルニアへ行くことを決断。
「メキシコでは自分が目指す方向性を認めて貰えず、本当に困っていた。そんな時に出合ったのが、ホセ(シタル)だった。練習を始めてすぐに、良い手応えがあった。彼となら上手くやって行ける。そう実感した。」
”プロでは輝けなかったアマの実力者”の典型。技術レベルは高く、筋も悪くないのに、肝心な試合で勝ち切れない。ローカル・ランクからあと1歩抜け出すことができず、中堅どころに甘んじるトンプソンは、プロ10年目にして自身初となるS・ミドル級での調整を呑む。
年齢を考えるとコンディションへの不安は大きい。万全の本調子ではなくとも、ウスカテギが7割方仕上がってさえいれば、問題なく勝つと見るのが妥当な状況ではある。
ただし、ラテンの王者らしく、気分屋で出来にムラのあるウスカテギがナメてかかり過ぎると、慎重にボクシングをしながらラウンドを進めるであろうトンプソンに、足下をすくわれる可能性がゼロとは言い切れない。
両者の現在地通りの調子と展開なら、ウスカテギが中盤までにし止める筈。プラントとの再戦を早期に実現させる為にも、安定した試合運びできっちり勝ち切る姿が求められる。
※前日計量で会場に華を添えたホリフィールドを中央に撮影用のポーズ
◎ウスカテギ(29歳)/前日計量:ポンド
戦績:32戦29勝(24KO)3敗
身長:188センチ,リーチ:194センチ
右ボクサーファイター
◎トンプソン(34歳)/前日計量:168ポンド
戦績:26戦21勝(12KO)5敗
アマ戦績:100勝超(詳細不明)
ニューヨーク州ゴールデン・グローブス5回優勝
※年度・階級不明
身長:180センチ,リーチ:191センチ
右ボクサーファイター
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<3>WBOラティーノ J・フェザー級王座決定12回戦
IBF9位 アンジェロ・レオ(米) VS IBF4位 セサール・ファレス(メキシコ)
近い将来の王者と見込まれるホープに課せられた、正真正銘タフなテストマッチ。本場のリングでは、避けて通る事のできないプロとしての通過儀礼であり、この関所を突破せずして次のステージは有り得ない。
アルバカーキ出身のアンジェロ・レオは、メイウェザー・プロモーションズ傘下の軽量級ホープ。”エル・チニート(El Chinito)”のニックネームが示す通り、東洋系を感じさせる童顔の持ち主だ。
現在もトレーナー兼マネージャーとして息子をサポートする、実父ミゲル・レオの手で幼い頃から仕込まれた親子鷹だが、父の願いはサッカー選手としての成功にあったという。空手も習わせたというから、実際に中国系の血筋なのかもしれない。
2003年に9歳でアマチュアの競技生活に入り、主にジュニア限定で、それもニューメキシコのローカル・トーナメントが中心ではあるものの、メジャーな大会で優勝。ロンドn五輪出場を目指して代表候補の一翼を担うも、シニアに進んだ17~18歳にかけて、全国規模のトーナメントで思ったような結果を残せず、2012年11月に18歳でプロデビュー。
※父でトレーナーのミゲル・レオ
今は亡きジョニー・タピア(アルバカーキを代表するボクシング・ヒーロー)を支え続けた、テレサ夫人が代表を努めるタピアズ・プロモーションズ(Tapias Promotion)を始めとする、地元ニューメキシコのローカル・プロモーションが手掛ける興行で下積みをスタート。
2016年の1年間をメキシコ国内で戦った後(3戦全KO勝ち)、1年を越えるブランクに入ったが、この間にメイウェザー・プロモーションズとの正式契約が整い、2017年11月以降、本格的な売り出しに着手した。
名前のある選手との対戦はこれからになるが、今年6月にラスベガスで行われたローカル興行でマーク・ジョン・ヤップ(比)をアウトポイント。大差の判定で10ラウンズをまとめ上げており、ランキング上は格上に当たる元コンテンダーのファレスを呼び、本格的にワールド・クラスへの名乗りを上げようという算段。
IBFでは上位ランカーながら、アンダードッグの役回りを引き受けるファレスは、2度の世界挑戦経験を持つ、ベテランの域に入った中堅メキシカン。IBFのエリミネーターに抜擢され、今年2月に来日。進退を賭した岩佐亮佑(セレス)とぶつかり、10回負傷判定に屈している。
2度の世界戦は、いずれも一流の王者。2015年暮れの初挑戦は、ノニト・ドネアだった。判定まで粘るのが精一杯で、0-3の大差判定負け。2度目のチャレンジは、昨年1月。遥々ガーナの首都アクラまで飛び、アイザック・ドグボェに5回TKO負け。アズマー・ネルソンの後継者を期待されるガーナ(英国在住)のニューヒーローに、WBOの暫定王座をもたらした。
将来を嘱望されるプロスペクトを任じる以上、判定にしろTKOにしろ、明白な力量の差を見せつけて試合をコントロールしたいのはヤマヤマだが、アンジェロの基盤になっているのは、ファレスと同じ正統派のメキシカン・スタイル。
海千山千の駆け引きを身に付け、心身のタフネスを売り物にするファレスを倒し切るのは、それほど簡単な仕事ではない。ラウンドが長引けば長引くほど、しぶとく食い下がるファレスの手数と圧力に押し負ける可能性も有り。アンジェロのプロとしての地金、フィジカルはもとより、メンタルの強さも試される。
順当なら、小~中差の判定でアルバカーキの新鋭の手が上がる筈だが、当て逃げの安全策に逃げ込まず、マチズモを信奉するメキシコの男たちの闘いを貫き、深い疲労とダメージを負うことなくフルラウンズをしのげるかどうか。
勝者にはWBO王者エマニュエル・ナバレッテ(メキシコ)への挑戦権も与えられるとの一報もあり、WBOのことだからさもありなんとは思いつつ、乱脈なチャンピオンシップの運営は何とかならないものかと、繰言がまた出そうになる・・・。
◎レオ(25歳)/前日計量:121ポンド1/2
戦績:18戦全勝(8KO)
アマ通算:65勝10敗
ニューメキシコ州ジュニア・ゴールデン・グローブス,シルバー・グローブス優勝
※複数回のチャンピオンとのことだが階級と年度は不明
身長:168センチ,リーチ:175センチ
右ボクサーファイター
◎ファレス(28歳)/前日計量:121ポンド3/4
戦績:32戦25勝(19KO)7敗分
身長:168センチ
右ボクサーファイター
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17連勝中のウェルター級ホープ,マリク・ホーキンス(メインを努めるディヴィスと同じボルティモア出身/トレーナーも同じカルヴィン・フォード)、エジプト出身でフロリダを拠点にプロに転じたL・ヘビー級,アーメド・エルビアリ(19勝16KO1敗/アマ36勝7敗/2年前にパスカルと対戦して6回TKO負け)が、準セミ格の10回戦に登場。
ドミニカのライト級,ジャクソン・マルティネス(19連勝6KO)の8回戦、アゼルバイジャンのトップアマ,エルヴィン・ガムバロフ(6連勝5KO/エルビアリ同様マイアミ在住)の6回戦などが組まれている。