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ネットオヤジのぼやき録

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チャンピオンベルト事始め Part 1- 世界で初めて授与されたチャンピオンベルト -

2020年07月09日 | Box-History

ボクシング(に限らないが)の王者と言えば、欠かす事のできない重要なツールがある。そう、チャンピオンベルトである。そしてこれもまた、起源は英国だった。

前の記事で採り上げたNSC(ナショナル・スポーティング・クラブ)が、1909年に自ら規定した「正統8階級」の英国王者を承認するに際して、トロフィーとともに特別なベルトを勝利者に授与することとした。

ベルトのデザインと製造は、王室御用達の由緒ある貴金属工房「マッピン&ウェッブ(Mappin&Webb /在バーミンガム)」に依頼し、幾つかの試作を経て完成。
※1970年代始め、同じバーミンガムにある老舗の貴金属工房(やはり王室御用達)「トーマス・ファットリーニ(Thomas Fattorini Ltd)」に変更。

これこそが、近代ボクシング発祥の地、英国の伝統とプライドを象徴する「ロンズデール・ベルト(Lonsdale Belt)」であり、正式な統括機関による世界初,最古のチャンピオンベルトとされている。


※オリジナル・デザインの「ロンズデール・ベルト」


NSCが定めたベルトの授与と保持の条件は以下の通り
<1>王者は6ヶ月に1回の防衛戦履行義務を負う
  サンクション・フィー(承認料):100ポンド以上(ヘビー級:200ポンド,フライ級:50ポンド)  
<2>3回の連続防衛(あるいは連続3年以上の防衛戦履行)に成功した後ベルトの所有権を王者に譲る(それまでは貸与)
<3>ベルトの所有者となった王者には、50歳を過ぎて以降年間50ポンドの年金を支給する
<4>ベルトの所有者となった王者は、保証金(デポジット)と保険料(インシュアランス)の支払い義務を負う


「ロンズデール・ベルト」を最初に授与されたのは、後に渡米して世界ライト級王者となり、殿堂入り(1997年)も果たした名王者フレディ・ウェルシュ(ウェールズ)である。


※ライト級の名王者フレディ・ウェルシュ

1909年11月8日に行われたNSCの主催試合で、イングランドの強豪ジョニー・サマーズを20回判定に下し、英国及び欧州ライト級王座を獲得。この勝利によって、栄えある授与者第1号となった。

なお、NSCによる英国ライト級王者の承認は1886年から行われており、ウェルシュは15代目のチャンピオンになるようだ。


◎各階級のロンズデール・ベルト授与第1号
<1>ライト級:フレディ・ウェルシュ(ウェールズ)
  1909年11月8日/ジョニー・サマーズ(イングランド)に20回判定勝ち
  ※NSC公認の英国王座戦は20ラウンド制

<2>ミドル級:トム・トーマス(イングランド)
  1909年12月20日/チャーリー・ウィルソン(イングランド)に2回KO勝ち

<3>ウェルター級:ヤング・ジョセフ(イングランド)
  1910年3月21日/ジャック・ゴールズウェイン(イングランド)に11回反則勝ち

<4>フェザー級:ジム・ドリスコル(ウェールズ)
  1910年4月18日/スパイク・ロブソン(イングランド)に15回KO勝ち
  ※ドリスコルは「アウトボクシング」という用語を初めて使ったとされ、高度なテクニックとスキルを誇った名選手の1人。国際ボクシング殿堂が発足した1990年に早速推挙され殿堂入りを果たしている。

<5>バンタム級:ディガー・スタンリー(イングランド)
  1910年10月17日/ジョー・ボウカー(イングランド)に8回KO勝ち

<6>ヘビー級:ボンバルディア・ビリー・ウェルズ(イングランド)
  1911年4月24日/アイアン・ウィリアム・ヘイグ(イングランド)に6回KO勝ち

<7>フライ級:シド・スミス(イングランド)
  1911年12月4日/ジョー・ヤング・ウィルソン(イングランド)に20回判定勝ち

<8>L・ヘビー級:ディック・スミス(イングランド)
  1914年3月9日/デニス・ハフ(アイルランド)に20回判定勝ち


「ロンズデール・ベルト」という呼称は、NSCの設立メンバーに加わり、初代会長を務めたロンズデール卿に由来する。


※ロンズデール卿
(ヒュー・ラウザー伯爵/1857年1月25日~1944年4月13日)


多くの貴族階級の男子がそうだったように、ロンズデール卿も大のスポーツ愛好家だった。ボクシングのみならず、サッカーやモータースポーツにのめり込み、英国自動車協会(AA:The Automobile Association)の初代会長を務め、「英国を代表するスポーツ紳士(England's greatest sporting gentleman)」と呼ばれ、後にアーセナルの会長に就任している。

近代スポーツの多くが勃興した英国では、クィーンズベリー侯とグラハム・チェンバースの例も含めて、貴族階級の手厚い庇護と経済的支援は、新興競技の普及定着に必要欠くべからざるものだった。

がしかし、19世紀の選挙権拡大に始まった改革の機運は、20世紀に入って以降税制が改正され、古くからの支配層である貴族(上流階級:Upper Class)を、莫大な相続税(財産税)が直撃する。
※産業革命以降に登場する工業ブルジョワジーは、英国では中流階級(Middle Class)とみなされた。

フランス革命(1848年)に端を発した「特権階級(王侯貴族) VS 下層階級(一般市民)」の対立の構図は、瞬く間に欧州全域に拡がり、いわゆるウィーン体制の崩壊をもたらし、様々な曲折を経て、第一次大戦(1914年7月~1918年11月)の終結後、王制を敷いていた欧州諸国は、その多くが民主制へと移行。

世襲貴族を現在も認める英国も、民主化の波と無縁ではいられない。巨額の納税の負担に加えて、民主化への急速なうねりの影響により、NSCもその役割を終える時がやって来る。


スポーツの経済的組織的基盤を支えてきた特権階級がその座を退き、一般市民と地域社会が取って代わる時代へと移って行く中、1929年にコヴェントガーデンの居城を閉鎖。

英国ボクシング管理委員会(BBBofC:British Boxing Board of Control)へとその姿を変え、発展的解消という形で幕を閉じ、翌1930年に復活の動きがあったものの、時代の変遷に抗うことは敵わなかった。

NSCの解散に伴い、「ロンズデール・ベルト」の授与も廃止ということになったが、伝統のベルト復活を望むファンと関係者の声に押され、BBBofCは1936年からベルトの授与を再開する。

当初は9カラットの金製を継承したが、1945年以降、ホールマークが打刻された銀製へと変更された。

9カラット・ゴールドのベルトを授与された最後のチャンピオンは、1939年2月23日、ロンドン北部のハリンゲイ・アリーナでアーサー・ダナハー(イングランド)を14回TKOに破り、ライト級の王座を獲得したエリック・ブーン(イングランド)とされる。




1987年にレギュレーションが変更されるまで、贈呈されるベルトの数に制限は無く、一度王座を追われたり、世界タイトルへの挑戦を機に返上したりした元・前王者が、再び英国王座を獲得した場合、あらためてベルトの授与が行われた。

そして条件さえ満たせば貸与ではなく贈呈となり、選手本人が所有者となる。これまで、最も多く栄光のベルトを所有したのは、モハメッド・アリとの2度の激闘で知られ、1950~60年代にかけて活躍したヘビー級王者ヘンリー・クーパー(イングランド)である。

クーパーは17年近い現役生活(1954年~1971年)において、ロンズデール・ベルトを3回贈呈されており、現在に至るまで3度の獲得は唯一クーパーだけである。



クーパーの初挑戦は、1957年9月17日。ハリンゲイ・アリーナでジョー・アースキン(ウェールズ)に15回判定負けを喫したが、1959年1月12日、アースキンから王座を奪ったブライアン・ロンドン(イングランド)に、ケンジントンのアールズ・コート・アリーナで15回判定勝ち。

クーパーはこのベルトを懸けてアースキンと3度拳を交え、いずれもTKOで返り討ちにして、完全に決着を着けている。
<1>1959年11月17日/アールズ・コート・アリーナ/12回TKO勝ち
<2>1961年3月21日/エンパイア・プール(ウェンブリー)/5回TKO勝ち
<3>1962年4月2日/ノッティンガム・アイス・リンク/9回TKO勝ち


また、1959年の初載冠時に授与されたベルトは、ホールマークの銀製ではなく、1936年に作られた9カラット・ゴールドで、もともとはトミー・ファー(1930年代~40年代に一時代を築いたウェールズ出身のヘビー級)に贈られたものだという。


※クーパーに贈呈された1936年制ゴールド・ベルト

念願だった世界タイトルの獲得は成らなかったが、クーパーは英国はもとより欧州最強のヘビー級として認知され、高い人気と支持を得た。人格と人柄にも優れており、引退後はBBCの解説者として長く活躍。

1978年に「大聖グレゴリウス勲章(Order of St. Gregory the Great)」を授与され、2000年には晴れて「ナイト(Knight)」の称号も得て、「サー・ヘンリー・クーパー」となる。


NSCが定めた英国タイトルマッチは、上述の通り20ラウンド制だったが、1929年にBBBofCへの移行を機に15ラウンド制を採用。英連邦王座(British Commonwealth/世界最古とされるローカルタイトル)とともに、15ラウンドで行われてきた。

1980年代初頭、世界戦で死亡事故が2件相次ぎ、「安全性重視」を錦の御旗に掲げたWBCが、独断専行する形で世界戦の12ラウンド制を強行。オポジションのWBA(と創設間もないIBF)は、「医学的な根拠が薄弱」だとして、ラウンドの短縮(12回戦)に否定的な立場を取り、あくまで15回戦を主張。

王国アメリカのボクシング界に絶大な影響力を持つニューヨーク,ネバダ,カリフォルニア3州のアスレチック・コミッションも、WBAに同調して15回戦を支持していたが、「時代の趨勢はラウンド短縮」と判断したのか、80年代半ば(1985~86年頃)に12回戦制の容認へと舵を切る。

上記3州の決定は、全米各州コミッション(もしくはスポーツを統括する部局)の総意に等しく、世界最大のボクシング・マーケットが12回戦制を選択した以上、15回戦への固執は何の意味も為さない。

WBCに遅れを取る格好となったWBAとIBFは、渋々ながらも12回戦への移行を表明。これに合わせるように、BBBofC(と英連邦王座)も、15回戦から12回戦にルールを改めた。


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■BBBofCによる2度のレギュレーション変更

ロンズデール・ベルトの授与について、NSCから英国のプロボクシング統括を引き継いだBBBofCは、2度のレギュレーション変更を行っている。

<1>1987年:ベルトの贈呈は1つの階級につき1回限り
  1人の選手に対して、1階級につき1回限りの贈呈。複数階級を制覇した場合、それぞれの階級について1度づつ贈られる。

<2>1999年9月1日:贈呈の基準となる勝利数(防衛回数)の変更
 (1)3回の連続防衛 → タイトルマッチで4回の防衛
 (2)4勝のうち1つは指名戦であること

贈呈の条件を厳しくした最大の理由は、ベルトの製作コスト。「トーマス・ファットリーニ(Thomas Fattorini Ltd)」で製造されるホールマークの銀製ベルトは、14,000ポンド(約190万円)もするとのこと。


また2013年から、「ロンズデール・バッジ(Lonsdale Badge)」の贈呈を行っている。授与の第1号は、J・ミドル(S・ウェルター)級のブライアン・ローズ(イングランド)で、2012年12月14日にサム・ウェッブを12回3-0判定に下して、154ポンドの英国王者となった。

BBBofCが認定する英国王者は、英国王座が懸からない試合だったとしても、ロンズデール・バッジをガウンやトランクスに着けてリングに上がることが許される。


※写真左:ブライアン・ローズ
 写真右:ローズに贈られた第1号の「ロンズデール・バッジ」


やはり英国、なかんずくイングランドのボクサーたちにとって、「ロンズデール・ベルト」は特別な意味を持つようである。


Part 2 - 王国アメリカのベルト事情 - へ続く


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