ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

播州赤穂 義士の街

2018-02-26 14:08:29 | 旅行
今回は地元の播州赤穂でウォーキングをします。赤穂駅から出発して赤穂城の天守台まで歩いてみました。赤穂駅には、観光案内所があるので、ここで観光の相談をすればよいでしょう。




下の地図の黄色のラインに沿って歩きました。





赤穂市は、兵庫県の南西部に位置し、岡山県との県境にあります。瀬戸内海国立公園の一部を占めています。

なんといっても、義士の街として全国的に有名で、毎年12月14日には赤穂最大の催しとして赤穂義士祭が行われます。

駅から歩くこと5分で最初の目的地の「息継ぎ井戸」に着きました。




元禄14年3月14日、赤穂の藩主である浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良義央に斬りかかり、刃傷事件を起こします。この事件を国元の大石内蔵助に知らせるため、江戸にいた早水藤左衛門(37歳だった)と萱野三平(26歳だった)が早カゴで赤穂に向かいました。約600kmの道のりを4日半で到着したそうです。通常なら17日ぐらいかかったらしいです。2人とも死ぬおもいをしたことでしょう。

大石邸の近くまできて、井戸で水を飲み、息を整えてから事件の第一報を伝えたそうです。その時、水を飲んだ井戸がこの「息継ぎ井戸」です。

ここから、商店街を通って、ゆっくり7分ほど歩くと、花岳寺に着きます。







正保2年(1645)に、浅野長直公が常陸笠間から赤穂へ所替えになった時に、浅野家の菩提寺として建てられました。私も行ったことがあるのですが、東京にも「泉岳寺」と言って、浅野家と関係する寺があります。この2つが「岳」の字が共通するので、どういう関係か疑問を持たれることでしょう。実は、江戸詰のための浅野家の菩提寺が「泉岳寺」で国元のそれが「花岳寺」になります。浅野内匠頭と赤穂義士の墓ならびに木像があります。「泉岳寺」にもお墓があったような記憶があります。

ここから、いよいよ城内に向かって歩きます。南の城の方に歩いていると、古いよさを感じさせる町屋にいくつか出会いました。







さらに歩いて行くと、昭和の懐かしものがいっぱい詰まった玩具博物館がありました。




残念ながら、閉館してしまっています。

花岳寺から歩いて10分ぐらいで、太鼓橋に着きました。




この橋の真ん前に、上水モニュメントがあります。赤穂では、このことには少し触れておかなければと考えます。




赤穂では、井戸を掘ると塩水が出てきます。このため、浅野時代に千種川から飲料水を城下町に運ぼうと考えられました。この時出発点として掘られたトンネルは、日本最古であるらしいのです。その水を城下まで引っぱってきて、城内だけでなく町屋にも配りました。日本でも最も古いうちの一つの水道です。
この時城内に水を引くため、サイフォンの原理が使われたそうです。

ちなみに、赤穂は千種川の豊富な水系に恵まれ、どんなに世間が水不足と言っているときも、水に困ることはありません。また、水道料金は全国一安いそうです。


太鼓橋を渡って、赤穂城内に入ります。カギ型の折れ曲がった通路をいくと、大石邸長屋門ありました。




城下に残る数少ない江戸時代の建築遺構だそうです。


大石家は代々浅野家に仕えた重臣で、家老として、大手門の内側の一角に屋敷がありました。長屋門の向こうの屋敷は、現在は、大石神社の境内になっています。




大石神社です。




神社前の左右に並ぶ義士の石像です。


城の方へ、さらに奥に進んでいくと、右手に二の丸庭園があり、正面の本丸門が見えてきます。







本丸内には、天守台がありますが、天守はなかったそうです。本丸御殿の間取りのみが、地面に示されていました。ボランティアの案内の人が、夫婦連れの二人に丁寧に説明されていました。「早駕籠で到着した二人が、他のみんなにいっさいを説明したのがこの部屋です。」「映画では、向こうの部屋になっていましたが。」………

駅から、この本丸までウォーキングで約6000歩です。往復すると12000歩、寄り道すると15000歩にはなるでしょう。ゆっくり楽しめるコースでした。また、いらしてください。








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しまなみ海道自転車旅

2018-02-22 14:03:10 | 旅行
三原のホテルに泊まっての旅行の二日目は、しまなみ海道の自転車旅行に早くから決めていました。三原駅から尾道まで山陽本線で2駅目、11分で着きます。尾道駅のすぐ近くに、尾道港駅前港湾レンタサイクルがあります。電動アシスト自転車を借りました。初めて電動に乗るので、これだけでも非常に楽しみです。ただ、6時間以内にここに返却しなければいけないということで、時間に制限があります。すぐに出発しました。尾道港からすぐ前の向島までは、尾道渡船フェリーで渡ります。数百mしかないのですぐに着きました。でも、なんとも言えない、ゆったりとした懐かしい気持ちになれる渡船でした。まず、案内所で、観光のパンフレットをもらいました。向島では、最初に、後藤鉱泉所に行こうと決めていたので、携帯のナビを活用して向かいます。はじめてきたところなので、見る景色が楽しいです。少し迷いながら、後藤鉱泉所に着きました。




ここは昭和5年創業の昔ながらの瓶入りサイダーやラムネ、ジュースを製造している店で、昔懐かしい味にこだわっている店です。ぜひここで、ラムネを飲みたくて………。ここの人と少し話しをしました。「インタネットでこの鉱泉所を知って、ぜひ来たいと思いました。」「それは、嬉しいですね。最近は、そういう客が多いです。」「自転車旅ですね。」「地理が、わかりにくくて、苦労しています。」「道路に書かれたブルーのラインを見つけてそれをひたすら辿れば大丈夫ですよ。」

この言葉に勇気をもらい、言われたブルーラインを見つけて、それを辿っていきました。でも、油断するとすぐにラインをそれてしまうので大変です。電動自転車は快適で、楽チンで鼻歌が出てきます。特に、坂にさしかかると威力を発揮します。

向島は、映画のロケ地で、数多くの映画が撮影されたそうです。パンフレットにもロケ地の案内がありましたが、時間の関係でカットしました。nhk連続ドラマ「てっぱん」の舞台にもなったそうです。

しばらく自転車をこいで、ようやく因島大橋の近くまで来ました。







この近くの小高い山の中腹に、インタネットで調べた行きたい店の「ウシオチョコ」があります。まるで小学校のような古い建物の2階にあるそうです。味も見た目も非常に個性的で、楽しいチョコがギッシリだそうで、是非立ち寄って購入したかったのですが、先を急ぐためこれもカットせざるをえませんでした。なんせ、6時間で、もとの尾道港まで帰らなければなりません。次回にまわすことにしました。


長さ約1300mの因島大橋を渡ります。自動車道と違うところから、橋に侵入します。橋は二重構造になっていて、下の部分が自転車と歩行者の道です。(上の橋の絵参考)

上からの瀬戸内海の眺めは素晴らしかったです。これだけでも来た値打ちがありました。天気が良くて最高です。

渡りきって、次は、因島内を進み、生口橋に向かいます。

因島は、囲碁の本因坊秀策の生まれたところとして有名で、戦国時代では、あの村上水軍です。また、因島は「はっさく」、次の生口島は「レモンの島」です。

途中で休みながら、電動自転車は快調に進みます。因島では観光はせずにひたすら生口橋を目指しました。




生口橋は、スタイリッシュな橋で、斜張橋で長さは790mあります。しまなみ海道の尾道側から3番目の橋で、因島と生口島を結んでいます。この橋では、自動車道の両側に自転車道があります。生口橋からの瀬戸内海の眺めも最高でした。


橋を渡りきり、生口島を進み、ひたすら瀬戸田港に向かいました。瀬戸田港からフェリーで尾道港に戻ります。心配していたのですが、比較的早く瀬戸田港に着きました。フェリーの時間を尋ねると、まだ1時間ぐらい余裕があったので、近くを散策しました。ぶらぶら歩いていると、私の好きな古い建物がありました。





この近くには、古いレトロな「しおまち商店街」があり、レモンをいっぱい購入しました。高齢のおばあさんがレモンのおまけをくれました。これがこの旅行の最高の土産に。

生口島は国産のレモンの発祥の土地で有名です。
また、西日光と言われる耕三寺があります。耕三寺は、大阪の実業家の耕三寺耕三(人の氏名、耕三寺が氏 、耕三が名)が、母のために建立した寺だそうです。
また、平山郁夫の美術館があるので有名です。

瀬戸田港に戻り、可愛い黄色のフェリーが来たので、自転車と一緒に乗りました。最後にゆったりした気分で、尾道へ着きました。またチャンスがあれば、自転車旅行に挑戦したいと思います。




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広島 三原にて

2018-02-17 05:48:48 | 旅行
ウサギの島から三原駅まで帰って来て、ホテルにチェックインするまで、まだ2時間ぐらいの余裕があったので、駅の周辺を散策することにしました。三原城跡に行ってみようと考えていたので、駅構内から外へ出ました。すぐに城跡の石垣と見られるものと出会ったのです。素晴らしい石垣で、石垣ファンの私も、過去に見た熊本城につづき、記憶に残る石垣の一つなりました。後に調べて分かったのですが、「アブリ積」という特殊な工法で、400年以上経った今でも健在です。





天守台への登り口を探したが見つかりません。周りをウロウロしたが見つかりません。再び駅構内に戻ってやっと分かりました。なんと、駅構内からしか行けないのです。


下の図は、正保年間に作られた絵図を写したものです。正保とは1645年から1648年の期間で江戸幕府将軍は家光の時代です。




後に、この図を見て、こう想像しました。現在の三原駅は本丸の城内にあって、その長さより駅構内の長さの方が長いのだと………たぶんそれで、駅構内からしか行けないと、………違っているかもしれません。


三原城は小早川隆景によって作られ、大島、小島を繋いだ埋立地だったそうです。現在残っているのは天守台や舟入櫓だけです。満潮時に城の姿が海に浮かぶことから「浮き城」と呼ばれるそうです。





隆景は毛利元就の三男で、小早川家に入りました。智将、賢将として有名です。私の非常に好きな武将の一人です。

秀吉が天下の政を任せられるのは、陪臣にては、小早川隆景、直江兼続、堀秀政と言ったそうです。



まだ、少し時間が残ったので、醉心山根本店に向かいました。建物が好きだったからです。





ここで、美味しい広島の酒を購入するのも目的でした。でも、店は閉まっているようです。近所の人が通りかかったので尋ねてみました。「山根本店は休みですか。」「今は、休みみたいですね。」「せっかく酒を購入しようと思ったのですが。」「何もここで買わなくても、イオンに行けば売ってますよ。」


この言葉に、ハッとして、イオンに行けばと、ここを後にしました。もちろん購入して、ホテルでいただきました。
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大久野島にて ウサギの島

2018-02-16 22:10:09 | 旅行
昨年の11月の下旬に、三原市のホテルに泊まって、1泊2日の旅行に出かけました。二日目の予定は早くに決まったのですが、一日目の予定がいろいろ迷って決めかねていたそんな時、テレビのニュースで大久野島のことを知りました。すぐにここに行きたいと思ったのです。なぜなら、なんとなく癒されると感じたからです。朝早くに家を出発して、山陽本線で三原駅まで行き、呉線に乗り換え忠海駅(ただのうみえき)で降りました。忠海駅からはゆっくり歩いて10分ぐらいで、フェリー乗り場のある忠海港に着きます。すでにたくさんの人が列をつくって船を待っていることにびっくりしました。次に着く船は小さな船で、列をつくっている人で満席になるらしいです。その次の船にすることにして、待合所に行きました。それにしても、ここも外人さんが多いことです。ウサギグッズをたくさん売っていたのもびっくりです。20分ぐらい待つと次のフェリーに乗れました。ウサギの餌を購入して島に向かいました。船に乗って島に行くというのも、楽しい気持ちになります。15分ぐらいで大久野島に着きました。




島の海岸 海水に侵食され、小さな穴がいくつかできています。




大久野島から海を見た風景。フェリーがついた所に近い場所。




フェリーが着いた場所の近くですでにウサギが沢山いました。すごい数です。1000羽ぐらいになっているらしいです。子供ずれの夫婦を多く見かけました。小さな子供がウサギに餌をやっている姿をぼやっと見ていると、癒されます。私も餌を買ったのを思い出し、リュックから取り出して、餌をやりました。









この島のウサギは、アナウサギという種らしいです。地元の小学校で飼われていた8羽が放たれて野生化し繁殖したとのこと。この話が、海外にも伝わって、こんなに外人さんが多いと分かりました。インターネットの時代ですね。



この島は周囲4kmぐらいということで、ゆっくり歩いても充分まわれる範囲です。のんびり散歩しました。


国民休暇村「大久野島」がありました。この島の人口は20数人、すべてこの休暇村の従業員らしいです。この休暇村のレストランで昼食をとりました。この時食べた蛸飯がとても美味しかったと記憶しています。
この休暇村には温泉があって、瀬戸内海の夕日を眺めながらゆっくりと楽しめるらしいです。今度は、ここに泊まれるように予約して、また来ようと心に………


半日ゆっくり過ごせて、楽しめました。

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京都府 網野 蟹を食べる旅行

2018-02-12 15:10:31 | 旅行
1月の終わり、ツアーで蟹を食べに網野へ行った。バスで、姫路から高速道路を経由して網野に向かう。今年は、雪が多くて、全国のいろんなところで困っているというニュースが多い。日本海方面へ行くというので、雪はどんな状態かと心配していたが、今のところ大丈夫みたいで、スムーズに進んでいる。途中トイレ休憩でサービスエリアに寄った。歳を取ると、トイレが近くなってしまう。



後に、帰宅してから食べたのだが、ここのサービスエリアの黒豆パンは絶品だった。

その後も、順調にバスは進んで網野の民宿についた。ちょうど、昼で、蟹が待っていた。お品書きを見ると、ゆでガニ1杯、カニすき鍋、カニの陶板焼き、カニ刺し、カニ天ぷら、カニ釜飯、カニみそ等と、一人あたり2杯半のカニを使っているそうだ。ズワイ蟹は地方によって、その名前が変わる。丹後、山陰地方では松葉ガニ、石川県や福井県では越前ガニというふうに。最近では、水揚げされた漁港ごとに蟹につけるタグの色を変えるらしい。例えば、緑のタグが丹後半島の間人(たいだ)ガニ、青のタグが津居山ガニというふうに。





蟹を食べ出すとあたりは静まりかえる。我々の団体だけでも40数人いるのに、あまり声が聞こえない。カニを食べるには、人によって上手い下手が相当違うと思う。私は、特に下手で慣れていないので、悪戦苦闘した。この旅行で2年間分のカニを食べたと思った。美味しかった。これだけで、この旅行は満足である。(下の写真は民宿からの日本海の風景)





食後、民宿のフロントでぶらぶらしていると、丹後ちりめんの着物のミニュチアに出会った。



綺麗だとしか感じなかったが、後に調べて分かったのだが、この地方は、丹後ちりめんで有名で、高級な絹織物がつくられる。少なくても奈良時代から絹の生産が行われており、正倉院には、丹後国竹野郡から調貢されたあしぎぬが残されている。

下の絵は民宿の近くの民家で、何かホッとする雰囲気を感じた。





帰りのバスで、大変な苦労をする。大渋滞をしているとの情報の元に、迂回路の山の道を通ったのだが、車の行き違いができず、こちらも渋滞の連続だった。1台行きちがってホッと胸をなでおろし、また次々に対向車が来る連続だった。ぎりぎりの道を超人的な運転技術で切り抜ける凄腕の運転者だった。渋滞を抜け、出石についたときは、乗っていた全員が、運転手に拍手喝采だった。その結果、出石では1時間遅れで、観光ができなかったが、仕方がないと諦めた。出石城だけは写真を撮り、絵を描いた。



但馬小京都の出石は、もう一度機会があれば、訪れたいと思った。
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