今回は地元の播州赤穂でウォーキングをします。赤穂駅から出発して赤穂城の天守台まで歩いてみました。赤穂駅には、観光案内所があるので、ここで観光の相談をすればよいでしょう。

下の地図の黄色のラインに沿って歩きました。

赤穂市は、兵庫県の南西部に位置し、岡山県との県境にあります。瀬戸内海国立公園の一部を占めています。
なんといっても、義士の街として全国的に有名で、毎年12月14日には赤穂最大の催しとして赤穂義士祭が行われます。
駅から歩くこと5分で最初の目的地の「息継ぎ井戸」に着きました。

元禄14年3月14日、赤穂の藩主である浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良義央に斬りかかり、刃傷事件を起こします。この事件を国元の大石内蔵助に知らせるため、江戸にいた早水藤左衛門(37歳だった)と萱野三平(26歳だった)が早カゴで赤穂に向かいました。約600kmの道のりを4日半で到着したそうです。通常なら17日ぐらいかかったらしいです。2人とも死ぬおもいをしたことでしょう。
大石邸の近くまできて、井戸で水を飲み、息を整えてから事件の第一報を伝えたそうです。その時、水を飲んだ井戸がこの「息継ぎ井戸」です。
ここから、商店街を通って、ゆっくり7分ほど歩くと、花岳寺に着きます。


正保2年(1645)に、浅野長直公が常陸笠間から赤穂へ所替えになった時に、浅野家の菩提寺として建てられました。私も行ったことがあるのですが、東京にも「泉岳寺」と言って、浅野家と関係する寺があります。この2つが「岳」の字が共通するので、どういう関係か疑問を持たれることでしょう。実は、江戸詰のための浅野家の菩提寺が「泉岳寺」で国元のそれが「花岳寺」になります。浅野内匠頭と赤穂義士の墓ならびに木像があります。「泉岳寺」にもお墓があったような記憶があります。
ここから、いよいよ城内に向かって歩きます。南の城の方に歩いていると、古いよさを感じさせる町屋にいくつか出会いました。


さらに歩いて行くと、昭和の懐かしものがいっぱい詰まった玩具博物館がありました。

残念ながら、閉館してしまっています。
花岳寺から歩いて10分ぐらいで、太鼓橋に着きました。

この橋の真ん前に、上水モニュメントがあります。赤穂では、このことには少し触れておかなければと考えます。

赤穂では、井戸を掘ると塩水が出てきます。このため、浅野時代に千種川から飲料水を城下町に運ぼうと考えられました。この時出発点として掘られたトンネルは、日本最古であるらしいのです。その水を城下まで引っぱってきて、城内だけでなく町屋にも配りました。日本でも最も古いうちの一つの水道です。
この時城内に水を引くため、サイフォンの原理が使われたそうです。
ちなみに、赤穂は千種川の豊富な水系に恵まれ、どんなに世間が水不足と言っているときも、水に困ることはありません。また、水道料金は全国一安いそうです。
太鼓橋を渡って、赤穂城内に入ります。カギ型の折れ曲がった通路をいくと、大石邸長屋門ありました。

城下に残る数少ない江戸時代の建築遺構だそうです。
大石家は代々浅野家に仕えた重臣で、家老として、大手門の内側の一角に屋敷がありました。長屋門の向こうの屋敷は、現在は、大石神社の境内になっています。

大石神社です。

神社前の左右に並ぶ義士の石像です。
城の方へ、さらに奥に進んでいくと、右手に二の丸庭園があり、正面の本丸門が見えてきます。


本丸内には、天守台がありますが、天守はなかったそうです。本丸御殿の間取りのみが、地面に示されていました。ボランティアの案内の人が、夫婦連れの二人に丁寧に説明されていました。「早駕籠で到着した二人が、他のみんなにいっさいを説明したのがこの部屋です。」「映画では、向こうの部屋になっていましたが。」………
駅から、この本丸までウォーキングで約6000歩です。往復すると12000歩、寄り道すると15000歩にはなるでしょう。ゆっくり楽しめるコースでした。また、いらしてください。

下の地図の黄色のラインに沿って歩きました。

赤穂市は、兵庫県の南西部に位置し、岡山県との県境にあります。瀬戸内海国立公園の一部を占めています。
なんといっても、義士の街として全国的に有名で、毎年12月14日には赤穂最大の催しとして赤穂義士祭が行われます。
駅から歩くこと5分で最初の目的地の「息継ぎ井戸」に着きました。

元禄14年3月14日、赤穂の藩主である浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良義央に斬りかかり、刃傷事件を起こします。この事件を国元の大石内蔵助に知らせるため、江戸にいた早水藤左衛門(37歳だった)と萱野三平(26歳だった)が早カゴで赤穂に向かいました。約600kmの道のりを4日半で到着したそうです。通常なら17日ぐらいかかったらしいです。2人とも死ぬおもいをしたことでしょう。
大石邸の近くまできて、井戸で水を飲み、息を整えてから事件の第一報を伝えたそうです。その時、水を飲んだ井戸がこの「息継ぎ井戸」です。
ここから、商店街を通って、ゆっくり7分ほど歩くと、花岳寺に着きます。


正保2年(1645)に、浅野長直公が常陸笠間から赤穂へ所替えになった時に、浅野家の菩提寺として建てられました。私も行ったことがあるのですが、東京にも「泉岳寺」と言って、浅野家と関係する寺があります。この2つが「岳」の字が共通するので、どういう関係か疑問を持たれることでしょう。実は、江戸詰のための浅野家の菩提寺が「泉岳寺」で国元のそれが「花岳寺」になります。浅野内匠頭と赤穂義士の墓ならびに木像があります。「泉岳寺」にもお墓があったような記憶があります。
ここから、いよいよ城内に向かって歩きます。南の城の方に歩いていると、古いよさを感じさせる町屋にいくつか出会いました。


さらに歩いて行くと、昭和の懐かしものがいっぱい詰まった玩具博物館がありました。

残念ながら、閉館してしまっています。
花岳寺から歩いて10分ぐらいで、太鼓橋に着きました。

この橋の真ん前に、上水モニュメントがあります。赤穂では、このことには少し触れておかなければと考えます。

赤穂では、井戸を掘ると塩水が出てきます。このため、浅野時代に千種川から飲料水を城下町に運ぼうと考えられました。この時出発点として掘られたトンネルは、日本最古であるらしいのです。その水を城下まで引っぱってきて、城内だけでなく町屋にも配りました。日本でも最も古いうちの一つの水道です。
この時城内に水を引くため、サイフォンの原理が使われたそうです。
ちなみに、赤穂は千種川の豊富な水系に恵まれ、どんなに世間が水不足と言っているときも、水に困ることはありません。また、水道料金は全国一安いそうです。
太鼓橋を渡って、赤穂城内に入ります。カギ型の折れ曲がった通路をいくと、大石邸長屋門ありました。

城下に残る数少ない江戸時代の建築遺構だそうです。
大石家は代々浅野家に仕えた重臣で、家老として、大手門の内側の一角に屋敷がありました。長屋門の向こうの屋敷は、現在は、大石神社の境内になっています。

大石神社です。

神社前の左右に並ぶ義士の石像です。
城の方へ、さらに奥に進んでいくと、右手に二の丸庭園があり、正面の本丸門が見えてきます。


本丸内には、天守台がありますが、天守はなかったそうです。本丸御殿の間取りのみが、地面に示されていました。ボランティアの案内の人が、夫婦連れの二人に丁寧に説明されていました。「早駕籠で到着した二人が、他のみんなにいっさいを説明したのがこの部屋です。」「映画では、向こうの部屋になっていましたが。」………
駅から、この本丸までウォーキングで約6000歩です。往復すると12000歩、寄り道すると15000歩にはなるでしょう。ゆっくり楽しめるコースでした。また、いらしてください。
友人がスバル360に乗っていました
スピードを出すとエアコンが利かなかった^^;
湾岸のお洒落なクラブで、女の子をナンパしたのですが
スバル360が動かなかった!
幼稚園の近くに駐車していたら
園児に蛙を落書きされてしまった
かえるくるまともw
この2月に泉岳寺へ行って参りました。
今回は東京タワー界隈のお寺巡りで立ち寄りました。
赤穂浪士のお墓には引きも切らずの参拝客で、
何だか、今でもこうしてお線香をあげて頂ける浪士の皆さんは幸せなんじゃないか・・・
なんて思いました。
スケッチもご自分で描かれてられるのでしょうか。
これからも楽しみに拝見させて頂きます。
どうぞよろしくお願いいたします。