ウサギの島から三原駅まで帰って来て、ホテルにチェックインするまで、まだ2時間ぐらいの余裕があったので、駅の周辺を散策することにしました。三原城跡に行ってみようと考えていたので、駅構内から外へ出ました。すぐに城跡の石垣と見られるものと出会ったのです。素晴らしい石垣で、石垣ファンの私も、過去に見た熊本城につづき、記憶に残る石垣の一つなりました。後に調べて分かったのですが、「アブリ積」という特殊な工法で、400年以上経った今でも健在です。

天守台への登り口を探したが見つかりません。周りをウロウロしたが見つかりません。再び駅構内に戻ってやっと分かりました。なんと、駅構内からしか行けないのです。
下の図は、正保年間に作られた絵図を写したものです。正保とは1645年から1648年の期間で江戸幕府将軍は家光の時代です。

後に、この図を見て、こう想像しました。現在の三原駅は本丸の城内にあって、その長さより駅構内の長さの方が長いのだと………たぶんそれで、駅構内からしか行けないと、………違っているかもしれません。
三原城は小早川隆景によって作られ、大島、小島を繋いだ埋立地だったそうです。現在残っているのは天守台や舟入櫓だけです。満潮時に城の姿が海に浮かぶことから「浮き城」と呼ばれるそうです。


隆景は毛利元就の三男で、小早川家に入りました。智将、賢将として有名です。私の非常に好きな武将の一人です。
秀吉が天下の政を任せられるのは、陪臣にては、小早川隆景、直江兼続、堀秀政と言ったそうです。
まだ、少し時間が残ったので、醉心山根本店に向かいました。建物が好きだったからです。

ここで、美味しい広島の酒を購入するのも目的でした。でも、店は閉まっているようです。近所の人が通りかかったので尋ねてみました。「山根本店は休みですか。」「今は、休みみたいですね。」「せっかく酒を購入しようと思ったのですが。」「何もここで買わなくても、イオンに行けば売ってますよ。」
この言葉に、ハッとして、イオンに行けばと、ここを後にしました。もちろん購入して、ホテルでいただきました。

天守台への登り口を探したが見つかりません。周りをウロウロしたが見つかりません。再び駅構内に戻ってやっと分かりました。なんと、駅構内からしか行けないのです。
下の図は、正保年間に作られた絵図を写したものです。正保とは1645年から1648年の期間で江戸幕府将軍は家光の時代です。

後に、この図を見て、こう想像しました。現在の三原駅は本丸の城内にあって、その長さより駅構内の長さの方が長いのだと………たぶんそれで、駅構内からしか行けないと、………違っているかもしれません。
三原城は小早川隆景によって作られ、大島、小島を繋いだ埋立地だったそうです。現在残っているのは天守台や舟入櫓だけです。満潮時に城の姿が海に浮かぶことから「浮き城」と呼ばれるそうです。


隆景は毛利元就の三男で、小早川家に入りました。智将、賢将として有名です。私の非常に好きな武将の一人です。
秀吉が天下の政を任せられるのは、陪臣にては、小早川隆景、直江兼続、堀秀政と言ったそうです。
まだ、少し時間が残ったので、醉心山根本店に向かいました。建物が好きだったからです。

ここで、美味しい広島の酒を購入するのも目的でした。でも、店は閉まっているようです。近所の人が通りかかったので尋ねてみました。「山根本店は休みですか。」「今は、休みみたいですね。」「せっかく酒を購入しようと思ったのですが。」「何もここで買わなくても、イオンに行けば売ってますよ。」
この言葉に、ハッとして、イオンに行けばと、ここを後にしました。もちろん購入して、ホテルでいただきました。
それにしても素晴らしい絵ですね
まったく絵心のない私には羨ましいかぎりです。