散歩 ◆新潟市のあたり

日々綴り 新潟市のあたりから

まちのこと

2017-02-02 22:57:12 | -- まちのこと
はじめてのお店に入ると
席数とスタッフ数、平均客単価、回転率を見てしまう。
売れる価格、販売価格を見つけるためにやっていた
昔の習慣が抜けないものです。
今はこのお店ではどれくらいの滞在時間がお客として好ましいのなんか。

ネットなどで「高い」などの評価を受ける食のチェーン店があって
ひどい口調ではなぜ潰れないんだなんてものも。
ある商品の価格付けに「高い」の評価が見られることも。
その評価のものは販売が続いているのはなぜと思うと。
最近は
「高い」と云っているひとはその商品のターゲットではないんだよの書き込みも。
価格付けはターゲットを絞り込むのに使うこともある。
コストプラスの価格付けをそのままは少ない時代。

まちを撮っていました。
昨年からのほぼ1年間。平日も撮れることを利用して
ヒューマンウォッチングからまちを見ていた。
街はそこにいるひとによってその色が見えます。
特にモードが変化する女性ファッションが その街の特性を表しています。
それを撮るわけだけれど匿名掲示板対策で多くが後ろ姿になってしまうのが残念だけど
それでもまちにきているひとは捉えられます。

この見方で街をみると
その街で開かれたイベントにきているひとと
平常見られるひとのファッションの違いが見えるものがあって
そこでは
イベントからのリピーターによる街の賑わいに相関がない。

そんなもの見るのもストリートフォトのひとつ。


古町側

2017-01-31 22:42:55 | -- まちのこと


駅南のお店の灯
このタイプは古町側にはとても少ない。

古町は大和デパート撤退から時が経った。
閉店直後にはあったいくつかの店、業態も減り、
そのバリエーションが小さくなった。

大和、三越(小林)デパートがあったので商店街と見えていたのかもしれない。
デパートの品揃えの一部を扱う周辺の店舗によって街が形成され
それに飲食と古くからの夜まちが連結していた。

デパートの品揃えのバリエーションの減少とともにまちは静かになっていった。
そのデパートのひとつが消えたことにより
見えにくかったまちのかたちが現れた。
銀行、証券会社の多い街であったこと。
平日の昼間ひとがいるのです。古町には。
その業種の休みの週末にはひとが減るのです。
それにあわせ街には週末休みのお店が増えました。

旧大和デパート(新潟プラザビル)のある一角の再開発がはじまりました。
再開発、テナント開発のなかに
午後三時にシャッターの下りる、週末にシャッターが下りていると云うのは
街の景観にどうなのかと考えたひとがいたらしい。

さて、これからどうなるのか。このまちは。

駅南の風景

2017-01-31 22:22:40 | -- まちのこと


駅南の開発は遅れた。
新潟駅の南には車両基地があり、
それが整理され整備されるようになったのは2000年の声を聞いてから。
車両基地が残っている頃にバブルの頃に駅南の開発がはじまり、
紆余曲折あり、今は新潟駅高架工事の進行にあわせた駅前の開発がゆっくりと進んでいる。
こちらは職場と住居の近接、駅からアクセスを考慮した事業所設定が見られる。
こちらも万代口側と似て、オフィス街と飲食街で構成され
商店街はみられない。
車で移動する距離または徒歩20分圏に商店街がある。


駅前の風景

2017-01-31 22:01:37 | -- まちのこと


新潟駅前は駅の移転開業が昭和33年だったことから街はその頃から形づくられていった。
それ以前の駅前にも街があって、そこからそれほど離れていなかったこともあり
現在の飲食街の線はそれと繋がっている。

駅への道路は大きくとられその両側にオフィスビルが並ぶかたち
そのビルの裏側にいくつかの道と飲食街が形づくられている
昭和40年代の街。
外装のリニューアルで景観の一部は変わったように見えるけれど
それほど大きく変化していない街。

駅前の特性からだろうが、商社や素材企業の支店が多くオフィスを構えている。
通信環境、移動時間の変化で構成の変化は見られる。

それでも基本的な街の特性は変わらず
平日、土曜、日曜の昼間のひとの流れは異なっている。
例えばランチ営業。土日にはしていないところがあるし、
土日に混む店と平日に混む店は異なっている。

駅の東側と西側の飲食街は
休日のひとの流れが異なっていることもあり、街の印象すら変わる。
これに似た風景をみたのはオフィス街周辺の休日風景。
新潟駅前はそのような街なのだろう。この後も。

駅中とそこを起点として街への移動が図られていることもあるし。


駅前

2016-10-09 16:01:03 | -- まちのこと


昨日はふたつの駅前歩き
どちらも学校に近くにある駅

ふたつの駅前の違いは バス停から遠近、CVSの無し有りがすぐに気付く違い。
片方は大学生の生活圏に隣接、もうひとつは高校生の乗降駅。

町の印象はずいぶん違う。静けさと閑散。
生活時間の違いが町に出ているのだろうか

昔、通学路周辺には高校生でも立ち寄れるお店があって
そこがたまり場のようになっていました。
今はCVSで何かを買って、近くのベンチや広場に溜まるスタイルを見ます。
大学生になると 時間が集中しなくなり、行動範囲も大きく まちのかたちも変わる。

変化で印象的だったのは高校生の乗降駅周辺
大きなバスローターリーが整備され、駅は線路の両側に自由にいけるようにな地階駅。
そして、喫茶店、食堂がいくつか閉鎖されていたこと。
駅を利用するひとの構成が変わったのでしょか
人影まばらの土曜日の午後では分からなかったけれど。
数年前に撮ったこのまちの写真より
雨のせいもあるのだろうけれど きれいだけれど閑散印象。

この駅は新潟島の玄関口として機能していた時代があったはずなんだけれど

客層

2016-09-11 15:10:15 | -- まちのこと
8月末
「新潟三越が 9月の店舗改装から 50歳以上のシニア層を主力顧客に据えた店作りを始める」とニュースが出ました。

まぁ、このニュースから
古町を「シニア層のまちに」とか出てこなければ良いけれどね。


百貨店と云う業態 売り場面積50%以上において対面販売を行なう業態
(GMSは対面販売の比率が50%以下)
販売額の構成率の話もあるけれど
対面販売の比重の高さがこの業態の特徴。
ならば、自然その販売方法に馴染みやすい、馴染みのあるシニア層を主力顧客とするのは
方法としてありますね。
これは新潟市古町地区だけのことではないとのです。
データにあたれば見えてくるのは
百貨店の販売額は平成に入ってから
(営業利益推移とはあってはいないけれど)徐々に低下してきているのが見えます。
(小売店販売額推移はほぼ横這いです。)

営業利益を確保するために行なわれていたのは
「ターゲット層の明確化」
「(開発、セレクト)自主商品」など
新潟には古町地区と万代地区に「百貨店」があって、このふたつが実施されている(とみえる)
ただ、これに似た形態のGMSでも行なわれているわけで
ここにもうひとつ「差別化」が必要となるのですね。
まだ市場イメージに残る「上質」がそのひとつになるのわけです。
そして、それを維持しつつ「幅広い客層の支持」へと拡張し
営業利益の拡大へと繋げる手順ををとるのです。

今回の動き 新潟三越はその緒につくことを明確にしたとみられます。
古町地区は その客層にすり寄っていくのではなく
次の段階へつながる動きをとることが良いのでしょう。
「新潟三越」を核店舗としたまちづくりをするならば。

決して 今は沈静化した「爆買い」にあわせて
大切な顧客層を離反させないように。
ずっと地道にやってきたお店が人気店になったとたん 短期で閉める例を見るまでもなく。

お店のおやすみ

2016-09-07 21:15:08 | -- まちのこと


そのまちの定休日は水曜か木曜日が多くて、
その日にはまちに出ることは避けていた。
ただ、休日と重なるときにはやっていたので出かけていた。

そのまちは日曜日に閉めている店が多かった。
露店も魚屋さんも総菜屋さんも、ランチのお店も。
定休日と休日が重なったときにもお店は閉まっていた。

平日に行けていた頃はそれでも良かったけれど
日曜、祝日しか休めなくなった頃
そのまちではなく、別のところへ行くことにした。

駐車場がないから人が来ないといっているひとがいた。
駐車場が増えたけれど人は来なかった。
交通の便が悪くなったからといっているひとがいた。
ひとはもどってくるのだろうか。

日曜日に休むようになったのは
きっと費用対効果からそうしたんだろう。
人がいないんだもの
ロスが大きくなる結果がでていたんだろう。


以前のそのまちを知っているひとが
久しぶりに日曜日にそのまちに出かけた。
・・・店が閉まっているし、ひとがいないと呟いた。
かつての賑わいを知っていただけに驚いていた。

まちのこと

2016-06-01 18:17:03 | -- まちのこと


写真集の新刊、古書を扱う書店が
新潟市中央区沼垂東にあります。
ここでは、コーヒー、ハーブティーもいただけます。

新潟市のツタヤ書店のいくつかではタリーズが併設され、
滞在時間が長くなる要素になっています。

古町の萬松堂一階奥に子供の本のコーナーが再構成されました。

万代シテイの紀伊國屋でもコーナーが高い頻度で変化しています。

そこへ行く意味をつくっています。

  ◆

古町が衰退とのことばを見ることがあります。
古町ってもともと昼と夜の顔があって
夜の顔は今ももっています。
ただ、夜のまちの浅い時間帯は
他地区もバリエーションをもってきたので少し変化の感じ。
昼のまち 大きく変わったように見えます。
今のまちのかたちから当然なのですが
10年前の東京 大手町の休日、日曜日のようです。
古町から休日にひとを集める店が減り、
休日店休の店が増えたから当然とも思えます。
販売実績からの対応なのでしょうか。

  ◆

用意された遊び方、楽しみ方をするまち
遊び方、楽しみ方を見つけるまち
新潟市中央区のふたつのまちはそんな感じ
イベントのように遊び方、楽しみ方を提供するときには
ふたつのまちにそれほどの差は出ない。

  ◆

新潟市中央区のふたつのまち
万代シテイと古町はまちのねらいが違うし、成り立ちも違う。
同じようにしようとしていたこともあるがそれはあわなかった。

まちをつくるのは
自分たちの(捉える狭い)エリアだけではなく
各個が特徴を整理、強調、変化させて
「まち」をつくっていくことが必要な時代なのですね。
そう
デベロッパーの存在する「タウン・モール」の方が分かりやすく勢いをもっている時代。

  ◆

古町六番町に開店時刻前になると列のできるお店があります。
エリアの同商品群の価格からすれば少し高めの設定のお店です。
実店舗とネット内の店舗のある今
なぜ、お店で求めるのでしょう。ネットでも買えるものを。

まち ふたつのまち

2016-02-06 16:27:57 | -- まちのこと


信濃川を挟んでふたつの街
古町・本町と万代シテイ
西の古町・本町は江戸時代のまち割りそのままに今も続くまち
東の万代シテイはバスターミナルを起点に計画されたまち
新潟市を鉄道からみると、駅前商店街が発達しなかったまち。

古くは信濃川を越えるのが難しく、
西の古町・本町の最寄り駅は白山駅、
東のまちの最寄り駅は新潟駅でふたつの別のまちとなっていたように見えます。
ただ、どちらもまちができてから
そのまちはずれに駅が出来ると云うまちのかたち。
早くからひとの出入りが大きければ駅を含んだまちになったのかもしれないけれど
その前に自動車での移動のまちになったから駅がハブとして機能しなかった。

まちのかたちとして早く出来上がった西の古町・本町が唯一の繁華街としてなってきた。
これはひとの動きが徒歩からバスだった時代まで。
車での移動に対応した万代シテイが出来上がると、
西の街からひとは動いた。(昔からの馴染みは愛着をもってまちに行っていたが)
さらに車での来店を前提とした郊外型店舗群が出来ると
旧来のまちは人通りを減少させた。
(これは総体数の小さなまちでは何処でも見られたことだけれど)

それに気付いたまちは特徴を出してひとを繋ぎ、新たに呼ぶことをしてきた。
しなかったまちは扉を閉ざした。
大きな都市で見られるターミナル駅と一つ目小町のような展開であった。
西の上古町、東の沼垂テラスではその手法でひとの流れを作りつつある。
これは大きな都市でターミナル駅が受け持つ部分がその近くにあってのこと
それを旧来からのまちが作れるかがこれからの見ていたいこと。

それにしても、まちの中央を流れる跨げない水路は往来に制限を発生させる。
それを上手く繋げるとまちはのびるし、大きくなる。
新潟市が現在のかたちになるきっかけは萬代橋だったのだし
今はふたつのまちの大きな円を繋ぐ橋がいくつもある。
同じものを扱うまちが川を隔てて二つあれば、行き易い方にひとは行く。
これから特徴をどう出せるかもみたいところ。

現在、一つのまちは夜歩いてもそこにどんな店があるか分かる。
もう一つのまちはわからない。
すでにこんな違いもある ふたつのまち。

まち 東大通り~柾谷小路

2016-02-06 16:10:03 | -- まちのこと


新潟市 中央区まち
新潟駅から東大通りから柾谷小路で古町辺りまで
この道路沿い
(新潟駅前)、万代シテイ、本町・古町と商業地があります。
このまち、信濃川でふたつに分かれ、それを繋ぐのは萬代橋。

他のまちに行って思うのは新潟市のまちはとても長いと云うこと。
他のまちに行くと駅から歩いてすぐにまちの外れになってしまうと感じること。
まあ、新潟市の場合、駅前が空いていて、
ふたつの商店街区が橋で分かれている感じなんですが。
川で分断されていることと街規模の関係でしょう。ふたつの街ととらえられます。
さらに、この新潟駅から東大通りから柾谷小路で古町辺りを
道沿いに抜けると街が見えないこと。
こういうかたちって鉄道開通前にまちがつくられたところだったり、
自動車が移動手段になってからの街だったりします。

このまちのかたちを無視してまちの活性化なんて、
効率的、効果的に出来るのでしょうか。
このところバス路線の改定による話題を見ていて思うのです。



新潟市 中央区まち
新潟駅から東大通りから柾谷小路で古町辺りまで
そこを見ていくと
東大通り~(萬代橋)~鏡橋のあたりまでは路面に面したビルはオフィスで
上大川前通り~西堀通りあたりにショップが出てきます。
このかたちからこの部分では
搬入搬出車やタクシーや乗用車からの乗降のためのちょっと長めの停車がみられます。
このためバスの停車、発進で走行車線の変更が必要なことがあります。
この道路は基本右折禁止なのですが、時に違反右折車があるので混乱することも。

呼称「BRT」の専用通行帯がそのうち作られる計画だそうです。
専用通行帯が出来る頃
この路側駐車車両の存在が通行制限にならないかと不安ではあるのです。
これの類似状態は積雪の頃に見られるものですから。
こんなときには必要なければいくのをやめますし、経路を変えて抜けたりします。
これ、まちにとってどのような意味を持つことになるでしょう。

バスを幹線と支線に分け、効率化を図ると云う説明は理解しやすいのですが、
ドライバー不足から運送力の大きな車両を導入するというのも理解しやすいのですが、
誰が乗るのでしょう。誰のためなんでしょう。
今回の呼称「BRT」は定時制の確保で有効でしょう。
でも勘違いからスタートしたように感じてしまうのです。
BRTとは連節バスのことであるとの勘違いからの。