日本の心

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孫文『三民主義』 第二章 民權主義  第二章民權主義 第二節 民權と自由

2021-11-15 11:32:08 | 中国・中国人

   孫文「三民主義」 
     
  
 

第二章 民權主義 

第二節 民權と自由 
〔支那の専制、欧州の専制の違い〕
 民權は自由と密接な関係を持ち、外國では革命の標語として自由平等博愛の三つが何時も掲けられて居る。自由は一の團體内で己れの欲する如く活動し得ることである。然し欧州と支那では,此間大に事情の異なるものがある。支那は泰朝以來直接人民に對して専制を行った。 皇帝を誹謗するものは族を诚され,偶語するものは市に棄てられたが,それが却て滅亡の原因となった。後の朝廷は人民に對して寛大の処置を執つた。人民は食糧を納むる外、殆んど官吏とは何の関係もない。然るに 欧州の専制は一々直接人民の行動を束縛し、其方法も嚴密を加へて行ったため,自由を求むる念は非常に强烈で あった。


〔支那の専制の目的は皇位を保ち、永く天下を彼等の子孫に享け継がせること〕
支那古代封建制度が壊れて以後は専制の威力は普通人民に到達し得なかった。秦以後歴代皇帝の専制の目的は 第一彼等自身の皇位を保ち、永く天下を彼等の子孫に享け継がせることにあった。從て人民の行動に對しては皇位に危險ありと見れば絶大の力を以て之を除去することに努めた。 支那では一人の者が謀反をすれば九族が誅せられた。かうした厳重な刑罰に依て人民の謀反を禁止した用意は永久に皇位を保つために通ぎなかった。換言すれば、人民が皇位さへ犯さなければ仮令どんなことをしようと、皇帝は決して顧みなかった。かくて歷代皇帝はだ皇位の保存のみに努め、民事を顧みなくなため、人民は幸福のやうなにもあるが、人民と国家との関係は全く生れなかった。 〔支那人民の政治思想は非常に貧弱であるのは〕清朝時代各省には上に督撫があり,下に州縣佐雑があって、中間に府道があった。從て人民と皇帝との関係は 小なるものであった。人民は政府に對して租税さへ納むれば別に何にも関係がないため、支那人民の政治思想は非常に貧弱で、誰が皇帝にならうと税さへ納めむればよし、政府も人民が税さへ納むれば外の事は何うでも構 はぬ。人民が自ら生れ自ら滅するに任せたため、支那の人民は直接に何等大した専制の苦痛は受けなかったが、 間接的には苦痛を受けた。それは国家が弱いために外國の政治経済の圧迫に對する抵抗力がなく、•人民を窮乏のどん底に陥れた。かうした関係で、欧州の自由と支那の自由とは非常に異なって居る。

〔支那人に就いての欧州人の見方〕
欧州人は支那人を評して、散漫で團決がないといひ、又自由を解していないといふが、團結がないのは充分に自由を有して居るからである。支那人の弊は自由の欠乏でなく、團結の無いことにある。支那人は餘りに多くの自由を有つて居る。自由が餘り多いために誰も気付かないのである。丁度待機を呼吸しながらあ空気の有難みを知らないのと同じである。 欧州人は自由に渇して自由を求めたが、支那人は自由を求めずして金を求めている。それは支那が現在窮乏して居るからである。故に国民党は發財即ち金儲けを三民主義の中に含めて居る。支那一般の新學者が支那の民衆に對して自由を説くのは時務を識らないのも甚だしい。支那人は使ひ切れない程の自由を有つているのである。

〔支那の學生は歴史を忘れている〕
 支那の學生は自由思想を得て外界で使へないから之を學校内で応用し、絶えず學校騒動を起して居る。外人は支那の歴史を知らないから、支那人が昔から十分の自由を享受して居るのが分らないのも止むを得ないないが、支那の學生がこれを忘れて終って居るのは怪しからぬ。「日出而作,日入而息、聲井而飲、耕出而食、帝カ於我何有哉」といふのは祖先の自由歌である。支那は皆から自由の名は無いが、自由の實は確かにあつた。
 

〔支那人は團結のない砂だといふが・・・〕
外人が支那人は團結のない砂だといふのは承認するが、自由を知らないとか政治思想が薄弱だとかいふ批評は 之を甘受することが出來ない。支那人が砂のやうに散らばって居るのは各人の自由が餘り多過ぎるからだ。従て 支那の革命の目的は外國と同じでなく其方法も異つて來なければならぬ。欧州は従來餘りに自由を奪われて居たため、革命は自由を爭ふために起されたのである。然るに吾人は餘り自由が多過ぎて、團結がないため抵抗力がなく、外國帝國主義の侵略を受け、列強経済商戦の圧迫を受けて居るから,吾人は寧ろ各人の自由を打破して堅固な團體を作り上けねばならぬ。今に至って未だ民國が建設されないのは、自由を誤用した結果である。

〔第一革命を袁世凱にいてやられたのは〕
吾人が第一革命を袁世凱にいてやられたのは、我々同志が自由を説いて團結を顧みなかつたからである。譬えば西南各省では師長旅長から兵卒までも各々自由を説いて團結せず、各省は各省で省の自由を說いて聯合しない ため、南方各省の革命の氣勢だけは素晴らしいものであったが、内容は我に四分五裂、號令は就一を欠き、袁世凱の團結ある軍隊には敵はなかった。支那の革命で自由を説けば,團結なきものは更に一層疎散となり,革命の目的は永久に達せられなくなる。

〔個人のために自由を説けば〕
即ち個人のために自由を説けば、團結が益々無くなるから,欧州の如くに個人の自由を争ふことは出來ないが自由を國家に用ふるのは宜い。國家は完全なる自由を要する,國家が説く行動の自由を得れ支那は即ら强盛な國家となる。學生が自由を犠牲にして學問に精を出せば,學業成就して國家の用に堪ゆる。軍人が自由を犠牲にして能く命令に服従し、忠心報國したならぱ國家をして自由を得せしむるであらう。

〔何故に國家をして自由を得せしめなければならぬか〕
吾人は何故に國家をして自由を得せしめなければならぬかといふに,支那は列强の圧迫を受け,半植民地とな って居るだけでなく、實に列困の奴隷になって居る。故に現在の國家は非常に不自由である。吾人は國家の自由を恢復するために國家を一の堅固な團體に造り上けねばならぬ。それには革命主義でなければ成功しない。四億萬人のものを凡て革命主義礎を用ひて集合し一個の大團體に造り上ける。この大團結が自由を得れば,支那の國家も當然自由を得、支那の民族も眞に能く自由を得るであらう。

〔佛國の自由と吾人の民族主義とが同じもの〕
吾人の三民主義と佛國革命の目標とを比較して見ると、佛國の自由と吾人の民族主義とが同じものである。これ民族主は國家の自由を提唱するものであるからである。又平等に相當するものば吾人の民權主義である。これ民權主義は人民の政治上の地位の平等を主張するからである。この外に博愛がある。博愛の原文の意味は兄弟であって、支那の同胞の二字に當る。普通博愛と理解して居るが,其中に含まれて居る道理は、吾人の民生主義と通じて居る。これ四億萬人の幸福を図るのは博愛だからである。

    
 

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