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激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

笠井 孝著『裏から見た支那人』支那を禍する家族制度

2024-02-21 22:14:07 | 中国・中国人

      笠井 孝著『裏から見た支那人』 

   
 


  支那を禍する家族制度
 

  畜妾と陰険・・・・・・同種團結・・・・・・食客三千人・・・・・・質屋と骨董屋  

 諺に『氏より育ち』と云ふことがあるが、支那人の國民性を観察するには、
その因って来るところを窺って見ることが、特に必要であると思ふ。

 支那は、大家族制度の國である。
古来姓氏族裔の維持保存を、八釜しく云はれた開係もあらうが、
同族の給合は鞏固であり、家々には、各々族長があって一切資産を管理すると共に、
一切の家族も、皆その権力下に擁護せられて居る
のが多い。

 換言すれば、私が家長だとすると、一切の財産家族は、私の管下にする。
その代り妻子兄弟は匇論、叔父、叔母、弟の妻、妾からその子に至るまで、
生きとし生ける者は、皆その管轄扶養を受けるであるから、
依頼心と、無自覚とが、この間に培われるのも自然である。 

 また一方支那人の習慣として、血族の断絶を嫌ふ関係から、
妾を蓄える習慣がるが、金持になると、3人も、5人も、7人もの妾を蓄へ、
それが皆同じ一家の中に、正妻などと同棲し、その御住人になる。

 これ等の妾や妻が、御互に鎬を削り、裏面の暗闘に、
日もこれ足りない有様になる
のは、當然の次第であろう。

 支那人が陰険、残忍であるとか、且つ陰謀性に富み、
毒殺姦通等各種不道徳の多いのも、起りはこの辺から
である。

 一夫多妻で、一家の中に多くの妻妾同居し、
これ等の妾が、それぞれ、多くの子供を生む。
子供同志は、何の関係もないので、盛んに相排斥する。

 妻妾は、黨中黨を建て、召使まで黨同伐異、裏面の暗闘をやる。
これ等の反面には、またお互いに子供同志夫婦になるのもあるし、
妾の子供と、他の妾とが姦通したり、
宝族の某と、妾とが貫通するとか云ふやうな、陰険奸悪絶え間なしで或る。
  
 大きな一家になると、このやうな人間が、百人も、五十人も、同居するものがあるが、
斯うなると自然相互ひに葛藤を生じ、
相排斥の結果は、陰険極まる性格となり、中傷離間讒訴を事とし、
終には人を殺すのやら、殺人をせざるまでも、
毒薬を盛ると云ふやうな手段を取るに至るので、
これが今日の支那人の性格の半面を作り上げて終わったとも云経る。
  
 斯くして残忍にして陰険な性格は、この家族制度から發生した最大の産物であり、
この複雑な家庭的
環境から培われた、根抵深きものである。

 さらに支那人には、同族、同郷、同學、
或は同業者なるもの相團結する習慣が、生れて居る。

 同族は、血縁團體として、同業者は地縁團體として、
その外に同業團體やら、職業團體やら、社會的に、
この種同種類のものが相聯合して、圏結する習慣がある。

 これは支那のやうな、國家の統治力の弱い國では、
一族一村の自衛上からも、この種の團結が必要となるのであるが、
その結果は、頗る變挺なものとなる。

 例へば私が、假りに知事になるとか、或いは他の役人になったとすると、
そこへ先づ一族相携へて、中には妻妾迄も召し連れた食客が、押しかけて来る。
同郷者は、同郷者で、何とか云ふ名目で訪ねて來る。

 同期生は、同期生で、同學であるとか、同校出身であるとか、
盟々なる口實で訪ねて來ると云ふことになる。

 ところで支那人の習慣として、
この種の食客を、一月でも、ニ月でも、快よく置いて、敢て嫌な顔もしない。
これは慣例上然うする迄であり、また、面子上然う努める點もあるが、
兎も角大變なことになる。

 従って
孟甞君の謂はゆる『食客三千人』の知きも、
必らすしも法蝶ばかりではなかったと思はれる。 

 支那の社會制度が、右のやうな有様であるから、
家長、族長になる者は、自然多額の経費を必要とし、
妾を連れて食に来る次男坊、三男坊から、
その下女、下男までも養って遣らなけばならぬのであるから、
その経費たるや、また到底少しでは済むべき筈がない。
 
 日本あたりに留學した新進の若者が、非常な意気と、決心とを以って、
心窃かに青雲の志を抱いて帰郷するのであるが、
一度郷里に入れば、右のやうな家族関係から、有象無象を、
一切自分の手に引受ければならぬ。

 廉潔政治を謳歌して、同天の意気を以って、官途に就いた新青年も
この雰囲気の中では、トウトウ己むを得ず、やはり金錢の爲めに、
働かればならぬ破目になり、やがてそれが収賄となり、不正事件となり、
金銭に餘念なきに至る
のも、また已むをないことではないか。
  
 私に一人の友人が居る。
彼は聯隊長であった。位は陸軍の少將、月給は300圓である。

 彼は日本留學時代に、相思の仲となった日本娘と、
支那の家族制度から押付けられた第一婦人と、
第二、第三、第四婦人とを特って居た。 

 これ等夫人との間に出来た子供が、大小合せ17人、その子供等に、一人々々の頭、
すなはち召使と、外に門番、馬夫、掃除苦力、コック及びこれ等の妻子まで合せると、
如何に少く見積っても、一族50人である。
  
 これだけの人間の衣食を預かって居たのでは、月300円では到底足らう筈がない。
そこで已むをず、悪いとは知りながら、月々官金をゴマ化したり、
部下の頭を刎ねたり、乃至はヘソクリで以って、
別に何等かの商賣でも、兼業せなければならぬことになる。
『これでは私が貪官汚吏たるも、また已むを得ないでせう』と、
ツクズク、彼は、私に述懐したことがある。

 支那人はよく初對面に際し『アナタは何商賣ですか』と聞くが、
イヤ私は官吏でこれこれだど云ふと、
『それは知ってるが、御商賣は何ですか』と聞きへす。 
 
『官吏や、公吏に、商賣があるはないではないか』と云ふと、
彼は如何にも不思議さうに、腑に落ちない顔をして、
支那では將軍でも質屋をやり、
知事が、骨董屋や、女郎屋を経営するのが、當然だと返答する。
 
 斯くの如くにして、家族制度そのものは、必らすしも悪いことではないとして、
支那に於いては、その弊害の趨くところ、
腐敗の種因が、こゝに蒔かれることを、遺憾とも為し難い。

 以上述べたことは、
家族制度の不良なる反面のみを、記述したのであって、
五世、六世にも及ぶ百何十人かの大家族同居も、珍しくないのみならず、
實に一糸紊れず、感心させられるのも少なくはない。
 
 この家長が、絶對の權利を持って居り、
各人は、金を得ても、勝手には使わず、
共有財産として、一家の生活に當て、一家中誰彼と云はす、
良く扶け合って、誰れの子と云はず、泣いて居れば乳もやり、世話もしてやると云った、
誠に靄然たる點もないではない。

 従って支那では、
一家の繁栄、一族の榮誉の為め働くのが、固定せられた習慣となり、
また從って君恩、國恩よりも、先づ以って家門の為めを考へる。

 その代り一人悪ければ、一族が誅せらるる、
即ち罪九族に及ぶと云ふことなども、珍しくない。

只ここでは家族制度の内容を、詳述するのが、目的ではないから、
これを省略して、唯家族制度が資らしつつある悪い面のみを述べて置く。

 



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