陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その119・貴族

2010-04-30 08:17:14 | 日記
 作業場は、ろくろ各数基ずつの島に別れていて、オレが入った一角は、イーダさん、あっこやん、マドンナ・なおこさんも含めてマジメ一辺倒、脇目も振らずにしのぎを削る熱苦しい軍団だった。しかしふと作業場に視線を横切らせると、訓練時間まっただ中にもかかわらず、ティーカップを片手の談笑の輪があちこちにできていた。一日に何度顔を上げても、彼ら、彼女らは同じ場所、同じメンバーでお茶を飲みつづけているため、オレは仰天した。いったい一日に何杯のお茶を消費しているのだろうか?
 オレは密かに彼らを「茶飲み貴族」と名付け、その優雅な人生を遠い目でながめた。ただ、そのように生きよう、とは思わなかったが。そんな貴族の口から出た「お金があるひとはいいよねえ」だったので、ギョッとしたのだ。大金を積みさえすれば、ヤジヤジのあの作品が出来るとでもいうのだろうか?このヒトビトに、陶芸に向かう熱意と資質はほんの少しも嗅ぎ取ることはできない。でなければ、あの仕事から作者の想いを汲み取れないはずがない。それ以前に、なぜヤジヤジが金を持っているというのか?彼がどんな暮らしぶりなのか、作品からイメージできないのだろうか?
 ヤジヤジのつくったものには、その置かれた環境がにじみ出ていた。一流企業の重要な役職と高給を棒に振って、細君とふたりこの地に流れ着き、学業専念、無収入(あ、失業保険があるか)、退職金を切り崩して材料を買い求め、未だ一銭にもならない器をつくりつづける清貧・四十路男、背水の陣。そんなリアルすぎるものを背負ったヤジヤジの、努力の結実、乾坤一擲の作。それを
「お金が」
とは・・・
 オレは考え方のあまりの隔たりに、失望を禁じえなかった。お茶が彼ら、彼女らの血を薄めてしまったにちがいない。そして思った。自分はこの先も貴族になろうなどと高望みせず、身分の低いまま生涯を通そう、と。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

その118・分裂

2010-04-29 06:44:20 | 日記
 夏も終わりに差しかかると、クラスは明確にふた通りの種族に分裂をはじめた。すなわち「やる気をみなぎらせる熱血なヒトビト」と「涼しげなヒトビト」である。
 作業場の半分ほどは熱気が支配して雰囲気が引き締まっていたが、残りの半分は「もう飽きちゃった感」がありありと見てとれる社交場と化していた。七時間の訓練中は、つくりあげる作品数のノルマがあるわけではない。課題が与えられてはいるものの、それは各自の判断で消化していくべきもので、強制されてはいないのだ。将来の自分になにが必要かを考えるのは、自分以外のだれでもない。学校側はそれを体得する機会を与えるだけで、習熟できるかどうか(というよりは、するかどうか)は各自のやる気にかかっている。だから作業中に休憩しようと思えばいくらでも休憩できるし、極端な話、一切をサボりたければそれも許される。雇用保険(失業保険というやつ)が一年分頂戴できる上に+学費タダ+遊び放題+好きなときに趣味の作陶もやり放題=すばらしいロングバケーション・・・という認識も、ある意味できる。このシステムが、のんびりとしたヒトビトを生み出すのだった。

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その117・事件

2010-04-28 02:07:44 | 日記
 ヤジヤジは何度もの焼成経験を重ねるうちに「自分の将来を決定づけるなにか」をつかんだらしく、張りつめ方が尋常でなくなってきた。その頃つくっていた「御本手」と呼ばれるピンクの斑紋を浮かびあがらせた粉引き茶碗などは、すでにプロの仕事としても一級品に見えた。材料の配合を心得た上に、炎を自在に操ることを覚え、御本の出具合もコントロールしようかというほどに腕を上げていたのだ。来る日も来る日も泥にまみれて研究を重ね、ゴリゴリゴリゴリと鉱物を摺りつぶし、数知れない組み合わせで調合を試み、寝不足の目を血走らせて炎の前でデータを積み上げ、ついにたどり着いた境地だった。
 窯出しの日には、彼の気合いが乗り移ったような凄みのある作品が扉の向こうに現れた。そんな日のレンタル窯は見物人(クラスメイト)でごった返し、あちこちから驚嘆の声があがった。ヤジヤジは、疑いもなくトップランナーとなった。
 ところがその帰り道、奇妙な発言を聞いた。それは前を歩くふたりのクラスメイトが何気なく発した言葉だった。
「やっぱお金があるひとはちがうよねえ」
 オレは耳を疑った。


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その116・成長の代償

2010-04-27 07:56:48 | 日記
 さて窯焚き時は、たいがい酒盛りになる。関係のないクラスメイトまでが見物に(偵察に?)やってきたりして、それはたのしい時間だった。一昼夜もの長い間、ライバルたちと意見交換ができるのも、窯焚きの重要な一面だった。クラス内の他のグループが隣で焚くこともあり、そんなときはにぎやかな宴会となった。ただ、腹の探り合いは間断なくつづいたが。
 オレたち四人は、クラス内でもケタちがいの勢いで窯を焚きつづけていた。一目置かれた存在だった、と思いたい。小、中、大とある三基の窯を独占、ということもあった。大きな窯になると、器なら300からは入る。焼いた作品は遠くの友達にばらまいたり、フリマで売ったりしたが、廃棄することも多かった。この場合の廃棄は、再生ではなく、本当に捨てるという意味だ。焼かれた陶器は二度と土には戻らないのだ。残念だが、仕方がない。失敗というわけではなく、腕前が加速的に進化しつづけるために、ひと月もたてば、過去につくった大傑作が相対的に凡庸なものになっているのだった。
 学校内に小型プールのような陶器廃棄場があり、駄作品はそこに持っていって供養した。三畳分ほどのコンクリートの箱は、数知れない陶片でいつも満杯になっていて、職人の卵たちは「破壊された過去の自分」を成長の代償としてそこに見た。その無惨さを目にすると、次回こそは一個もここに葬ることがないように、と新たな決意がわいてくる。ただそれは、自分が成長をつづけるかぎり無理な話であり、現在が過去になりゆく以上、自分は成長過程としての駄作を生み出しつづけなければならない、というジレンマをはらんでいた。つまりそれをしないためには、一刻も早く完全無欠のものを焼けるようにならなければならないのだった。
 かくて、窯焚きには気合いがみなぎり、窯出しには緊張が張りつめた。

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その115・作風

2010-04-26 08:43:36 | 日記
 自分たちの窯焚きは、月一回~二回のペースで行った。ろくろを使いこなすうちに、次第にむずかしい形も挽けるようになり、窯の中はいろんな種類の器でにぎやかになっていった。仲間の作品は大いに刺激になり、おたがいを成長させ合った。恥ずかしいものをつくれないというプレッシャーが創意を生み、競争意識は制作意欲を高めてくれる。ただ、全員が同じ道で競合しているわけではなかった。オレは成形のクオリティーを徹底的に磨いたが、ヤジヤジは粉引きの色味の出し方を、イーダさんはたのしさを、あっこやんは装飾技法の多彩さを追求し、それぞれに個性を伸ばしていった。だからこそよけいに響き合えたのかもしれない。
 窯のあつかいがこなれてくると、今度は自分独自の炉内温度、焼成環境が欲しくなる。低火度と中性雰囲気(酸化と還元の中間)が必要な粉引きを手がけるヤジヤジは、やがてひとりで窯を焚くようになった。夜中に陣中見舞いにいくと、窯を見つめる彼の背中は、まるで壁に向かって瞑想する達磨大師を思わせた。それは求道者の姿だった。彼は仲間内から完全に独立し、自分の道を歩みはじめていた。
 一方、なんでもしたがりのイーダさんとオレはチームを組み、作品にワラを巻いて焼き締める「緋襷(ひだすき)」や、高温の窯から真っ赤に焼けた作品を取り出して水の中で急冷して締める「引き出し黒」に挑戦したりして、作風のバリエーションをひろげていった。そんな新しい挑戦をはじめるときのイーダさんは、還暦を迎えたおっちゃんとは思えないはしゃぎっぷりだった。子供の無邪気さを持ったこのひとは、いつも周りを楽しませてくれる。また、はっとさせてくれもする。彼のピュアな一生懸命を見るとき、オレはいつも笑いだしたくなるような、けれどほろりと泣きたくなるような、そんなまぶしさをおぼえた。このひとのまっすぐさには、打たれるものがあった。
 あっこやんもすごい。このママさん陶芸家は、学校が終わるとひとり息子のりょうちゃんを幼稚園へ迎えにいくために、一目散に車で帰っていった。常に時間に追われていた。主婦は忙しいのだ。ところが窯焚きになると、彼女はいつも膨大な作品をワンボックスカーのトランクに詰めこんできて、周囲の度肝を抜いた。このオレは間違いなくクラスで最も多くの時間をろくろ挽きに費やしているろくろバカのはずだったが、あっこやんはそんなバカと等量の作品数を持ちこむのだ。他のだれにもありえない仕事量だった。学校帰りに息子を幼稚園に迎えにいった後、洗濯や食事の準備、後かたづけなどの家事をこなし、すべての主婦業を終えたその後で、黙々とろくろに向かっているらしい。作品はへんてこで、職人技と対極にあるイレギュラーな方法論を駆使した仕事が多かった。作風は実験的・・・というよりは、ギャンブル的と言わざるをえない。そここそが強みだった。このひとは自分の心に素直なのだ。失敗を恐れない。やりたいと感じたことをやり、そして愚直にやりつづけるという、強い武器を持っていた。


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その114・窯焚き

2010-04-22 10:08:09 | 日記
 炉内圧が高まる(つまり火がでかくなる)と、炎の体積が窯の容積を上まわるため、穴から炎の舌ベロが長々と飛び出す。「酸素をくれ~」と悶えているわけだ。還元雰囲気はこうしてつくりだされる。逆にエントツを素通しにして空気の流れをよくし、酸素を潤沢に供給してやれば、炎が透き通って健康な酸化雰囲気となる。それを手先で操作できるのが、燃料窯のメリットだ。自然現象とカンまかせのマキ窯とちがい、装置の操作精度が作品の出来を決定づける。炎のバランスの中に焚き手の創作意図をはっきりと打ち出すことができ、そのコントロールは腕の見せ所でもある。その分、失敗の言い逃れもできなくなるわけだが。
 色見穴から噴き出す炎の長さで炉内雰囲気の強弱(つまり窯の中の酸素量)を見ながら、一晩中、窯をいじくりたおす。あっちの穴をまさぐったり、こっちに障害物をこしらえたり、押しこんだり引っこ抜いたり、ビールを飲んだり、ガス圧をいじったり、つまみを食べたり、じりじりと我慢したり、ウロウロと右往左往したり・・・そうするうちに、作品は窯の中でとろんといい顔になっていく。
 色見のピースを小穴から出して焼きあがりを確認すると、みんなほっと胸をなで下ろした。しかしすぐに不安が襲いくる。作品の出来映えは、窯が完全に冷めて扉を開かなければわからないのだ。その瞬間まで、精根のつきた空っぽの頭には、反省と悔悟の念が押し寄せる。あのときこうしておけば・・・そのときナニしておけば・・・そんな不安定な心持ちだ。
 ねらしを終えた明け方になって火を落とすと、ようやく休息の時間が与えられる。だが現場では、気持ちが高揚して仮眠もできない。起きあがってパイロメーターの数字をのぞきこんでも、たいして温度が下がっているはずもない。作品に会えないもどかしさに焦れながらオレたちは、ついに一睡もできないまま、月曜のラジオ体操に向かうのだった。

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その113・釉薬がけ大会

2010-04-21 10:03:57 | 日記
 三日間の素焼きを終えると、翌週の本焼き前に釉薬がけ大会が待っている。レンタル窯屋のせま苦しい窯小屋の中で釉薬と作品群をひろげ、乾燥コーナーや絵付け場もしつらえると、足の踏み場もなくなった。四人の大人たちは、そのせまいスペースを迷子のアリのように行ったり来たりして作業した。釉薬は、釉薬屋さんに無理を言い、1リットル単位の小分けにして売ってもらったものだ。その液体をタッパーに移しかえ、ささやかな量をオタマですくってはちょぼちょぼとかける。巨大なオケにためられたたっぷりの釉薬をじゃぶじゃぶ使い放題、という学校の環境のすばらしさを思い返し、ため息が出た。
 次々にかけてちゃっちゃと窯詰めしていく男どもに対して、時間をかけて最後まで苦闘しているのがあっこやんだった。釉薬をかけてはぬぐい取り、霧吹きで吹きかけては筆を走らせ、丹念に汚し、気ままに描き、表現にこだわり抜き、また熱中している。創作の悦びに囚われているのかもしれない。その姿をうらやましく思いつつ、はよせーや、とせっかちにイライラした。
 大人の分別と作家の身勝手が交錯する窯詰めがようやく終わり、そのまま本焼きにはいる。ここから一昼夜ぶっ通しだ。めんどくさくて神経をつかう釉薬がけ後の寝ずの番は、体力的にかなりしんどい。しかし楽しさの方がはるかに上まわっていた。みんな火を見ればハイテンションになれる種類の人間なのだ。
 窯神様に祈りをささげ、ガス管を開いて点火する。炎はすぐに窯内にまわり、たちまち温度は上昇した。マキ窯では考えられないペースだ。そのうちに上昇角が落ち着き、あとはガスの供給量と、ダンパー、ドラフトの操作で、温度と「炉内雰囲気」をコントロールする。
 炉内雰囲気とは、酸素量の調整、すなわち「酸化炎」「還元炎」のバランス操作だ。土の素肌に直接火をあてる焼き締めとちがって、釉薬をかけたデリケート肌の作品は、炉内雰囲気によってもろに色の影響を受ける。「酸化」とは、つまり大ざっぱにいえば「物質をサビつかせること」だ。たとえば鉄を含有した釉薬は、酸化炎によって鉄サビ色である黄色や赤になったり、また銅を含有したものだと緑青(ろくしょう)の緑になったりする。
 逆に「還元」は、作品の素地と釉薬から酸素を強奪し、サビ色を抜く。そのため鉄は、還元炎によって研ぎあげた刀のようなブルーになり、銅はあかがねの赤になる(原理的には、だが)。同じ原料を使っても、酸化と還元ではまったくちがった焼きあがりになるわけだ。だから炉内雰囲気のコントロールは非常に重要なのだ。

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その112・個性

2010-04-20 10:56:50 | 日記
 レンタル窯に予約を入れた土曜日。各自に作品を持ち寄ると、それぞれに顕著な個性があるのがわかって面白かった。学校ではだれもが創造性をおさえて制作しているので、個別の作風を見る機会がない。おたがいの指向を開陳し合うのは、秘密の交わし合いをするようなものだった。
 ヤジヤジはいろんな経験を積んで、粉引き作家を目指そうと心に決めたようだった。粉引きとは、色みのある土に白泥の化粧がけをし、透明釉をほどこした器で、粉を吹いたように見えるためにこう呼ばれる。粉引き作品は、白の色味が命だ。そこでヤジヤジは、家で何種類もの白化粧土を調合し、作品より多いほどのテストピース(各種化粧土と釉薬をぬりつけた、色味実験用のピース)を用意していた。
「なんだかすいませんね、つまんないものばかりで」
 確かにテストピースはつまらない。しかしそこにこそ彼の凄みがつまっていた。今日ここで焼く器作品は、デモンストレーションと割りきっている。本命は、テストピースなのだ。ヤジヤジはその色味の中に世界観を見据えている。楽しいことは後まわし。この着ぐるみのようなおっちゃんが、深夜に目を血走らせて乳鉢で土の微粉末を摺る姿を思い、ちょっとした畏怖を感じた。このひとは来る日も来る日もそんな作業をしつづけられるのだ。だがその執念は、言いかえれば夢でもある。テストピースの膨大な量は、そのままヤジヤジの夢の大きさだった。
 一方、天真爛漫おじさん・イーダさんは、
「娘たちに使わせるんだ、てへへ」
とのんき顔。想像に頬をゆるませつつ、織部(緑釉を部分的にかけて、余白に鉄絵を描いた器)のコーヒーカップを大量に運びこむ。作風は彼の自然体とよくマッチして、奔放だ。なにより「つくりたくてしょうがないんですぼく」という楽しさが反映されているのが魅力的で、見習いたくなる。
 一児のママ・あっこやんは、とにかくいろんな技法を食い散らかしたような不思議な作品群を持ってきた。彼女は、表現に対する好奇心をあふれ出させるひとだ。彼女の行動力は、自分の中に芽生えた興味を決して見過ごさない。文献やギャラリーで知った方法論を咀嚼して自分の表現に取りこみ開花させる、才能というよりは冒険心を持っている。その眼力と引き出しの多彩さには舌を巻いた。
 オレは窯焚きを通して、この三人から影響を受けつづけた。

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その111・レンタル窯

2010-04-18 17:23:28 | 日記
 この厳格な管理者のお手柄により、窯に自作品をまぎれこませるのはさらに至難のワザとなってしまった。ろくろのイワトビ先生は「まあええやないか、ちょこっとくらい」という寛容な態度だったが、なすび顔の看守によるパトロールは強化される一方だ。
「ダメですよ。これは決められたルールなんですよ、いかなー」
 いじわるしてんじゃないの?と思えるほど、しゅが先生の戒律への盲従っぷりは断固としたものだった。この網をかいくぐるのはきびしい・・・
 しかしどの道、アパートで挽く点数が増えてくれば、窯のすき間を利用した寄生戦法で対処しきれなくなるのは目に見えている。なにしろ粘土を個人的に100キロ単位で買いこみ、ひたすら毎晩挽きつづけているのだ。腕前が上達すると、ろくろは爆発的に作品を増殖させる。失敗作をごっそりと再生にまわしたとしても、焼きたい成功品はじわじわとたまる一方だ。
 そんな膨大な点数を、いつまでも生乾きのままで寝かしておくわけにはいかない。ただでさえせまい部屋なのに、このまま作品が増えつづければ、すぐに身動きがとれなくなってしまう。なのに学校で焼くこともできない。となると、当然「自分で窯を焚こう」と考えるようになる。そこで便利なのが「レンタル窯」屋だ。さすがに焼き物の町だけあって、レンタルDVDやレンタカーはなくても、レンタル窯はあるのだった。
 学校の近くのガス炉メーカーが、大、中、小と三基備えたガス窯を「一日ナンボ+ガスの使用量」で貸してくれると聞いて、さっそく偵察に向かった。そこの社長は、アイドルグループが手作りの村をつくる人気テレビ番組で、登り窯の制作を指導しているという名物オヤジだった。絶倫顔の社長は、女生徒にセクハラ気味(法的にアウトなレベル)に接しつつも、懇切丁寧に窯のあつかい方を教えてくれた。説明を聞くと、なんとか自分の手にも負えそうだ。そこでヤジヤジとイーダさん、あっこやんに呼びかけ、四人でひと窯を焚いてみることにした。
 ガス窯は素焼きにしろ本焼きにしろ、三日間借りておけば事足りる。窯詰め(本焼きの場合は+釉薬がけ)、焼成、冷ましに、それぞれ一日ずつあてればいい。土、日で窯詰め&焼成という面倒な作業をすませ、月曜日一日を冷ましにあてて学校帰りに窯出ししよう、ということになった。

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その110・窯実習

2010-04-16 08:57:24 | 日記
 学校では窯焚きの実習がはじまっていた。校内の窯場には、ガス窯と電気窯でそれぞれ大きさのちがうものが数基ずつある。これらを使って、素焼きや、酸化焼成、還元焼成など、いろいろな焼き方を学ぶのだ。そして今後は、常時といっていいスパンで窯が稼働しつづける。訓練生は、これまでの成形実習でたまりにたまった作品群を窯詰めしたり、釉薬をかけたり、窯焚きをしたり、窯出ししたり、あるいは検品したりする人足として、順ぐりに窯場に狩り出さることになった。
 オレはここぞチャンスとばかりに、アパートの部屋でろくろ挽きしたものを窯に忍ばせた。こっそり焼いちまえ、というわけだ。学校の窯では原則、学校でつくられた「製品」しか焼けないことになっている。だからこそこそと、人目を忍んで、でなければならないのだ。この秘め事は、多かれ少なかれクラスのだれもがやっていた。
 ところが、うっかり者がいた。彼は愚かなことに、まだ完全に乾燥しきっていない半ナマ状態の自作品を、窯内のこれ見よがしな場所に置いてしまったのだ。
「だれの仕業ですかーこれはー」
 規律絶対主義、融通知らずのしゅが先生は、目ざとくそれを発見し、ここぞとばかりに糾弾をはじめた。
「私物を学校で焼かないようにって言ってるでしょー、いかなー」
 そして見つけた作品を、なぜかむちむちのほっぺにペタペタとあてはじめる。やわらかい顔のお肉がフワフワと揺れるのを見て、クラス中に悪寒が走った。
「しかもこれまだウェットじゃないですかー。こんなじゃ破裂しちゃいますよ、いかなー」
 ペタペタ、ぷるんぷるん・・・どうやら肌にあてることによって土の乾燥状態がわかるらしい。ひんやり感じるのは、素地に水分が残っている証拠だという。しゅが先生は、まるで鬼の首を獲ったかのように悦に入っている。ペタペタ、ぷるんぷるん・・・
「いかなー、こうすると湿気がわかるんですよー。いかなー」
 ペタペタ、ぷるんぷるん・・・
ーそれにしても、いつまでやってんだよ・・・ー
 気の毒なのは、これを制作したクラスメイトだ。彼は作品の水けよりも、脂っけの方を心配したい気分だったろう。

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その109・朝のイベント

2010-04-14 08:45:40 | 日記
 さて、練り直した粘土をきちんとビニールに包むと、次は汚水の処理だ。ろくろ作業で使ったバケツの水はドロドロににごっていて、水道に直接流すとパイプがつまってしまう。そこで上澄みだけをトイレに流し、沈殿した汚泥はベランダの大バケツに移しかえてためておく。そのまま陽射しに当てておけば、カラカラに乾燥するという寸法だ。
 こうした肉体労働で頭の中の薄雲を取っ払い、意識が冴えてきたところで、ようやく朝のメインイベントとなる。前夜の成功作品の高台ケズリだ。太陽センセーの教えを思い出し、器の底に刃をあてる。気合い充填、精神統一。高台を削り出して器のベースをつくり、最後に子供のチンチンのようなくちばしを付ける。太陽センセー直伝・片口型ぐい呑みの完成だ。前日夕方からのろくろ成形サイクルが、ここでやっと周回を終えるのだった。
 この時点が、オレにとっての日付変更線となる。「前日」の幕が降り、翌「本日」がここからはじまるわけだ。
 すがすがしい青空はすっかりひろがっている。急がなければ。昼飯用のおにぎりをつくらなければならないのだ。前述したようにおそろしく手間のかかるおにぎりなので、ほかほかの弁当箱をかかえて家を出るのはいつも遅刻ギリギリの時間だ。
 チャリにまたがり、寝不足の目をこすって走りだすと、丘の上から始業5分前のチャイムが響いてくる。かるく焦りつつ、ペダルをこぐ足に力をこめる。青々としげる稲田が吐き出すできたての酸素の中を疾過。心地いい。口ずさむのは「ツール・ド・フランス」のテーマだ。右から左からチャリ仲間が合流し、初夏の鮎の群れのように隊列をなしていく。そこでも絶対に負けたくないので、青筋を立ててペダルを踏む。連中とは常に勝負をしていなければならないのだ。そうするうちに全身の筋肉がめざめ、モチベーションがびんびんと回復をはじめる。
 学校手前の長い急坂を息を切らして登りきった時点で、いつもテンションはピークに達した。訓練棟に飛びこんで、この日一日分の麦茶をつくる。ガールフレンドたちの顔色をチェックする。ツカチンにガンを飛ばす。作業場の冷蔵庫にキープした食パンとマーガリン、レタス、チーズ、魚肉ソーセージを取り出し、サンドイッチにする。そしてそれをほおばりながらラジオ体操の列に並ぶと、今日もやるぞ、という気合いがみなぎった。オレはこのころ、こんな一日をすごしていた。

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その108・夜なべ

2010-04-13 08:59:00 | 日記
 さて、束の間の休息は終了だ。部屋に帰り着くと、一畳の閉ざされた空間(アトリエ)に立てこもり、今度は学校とは逆回しでろくろの特訓をはじめる。挽きはじめは感覚が混乱してひどくやりづらい左回転だったが、「スイッチロクラー」という野望が意欲を支えた。毎日、がむしゃらに挽きまくっては、残骸を積み上げた。学校の右回転のときでもそうだったように、ひたすら作業を反復して、指の感覚を磨いていく。つくって、割いて、断面を確認し、捨てて、また挽く。やがて指先が左回転になじんでくると、太陽センセーに教わったぐい呑みを挽き、いい出来と思われるものだけを残した。そうして夜更けまで、果てしなく挽きつづけた。
 いつまでもいつまでもターンテーブルの回転に見入り、手を動かすうちに、ふと失敗作で築かれた土山の尋常でない量に気づく瞬間がある。するといつも時計の針は深夜0時をまわっていた。テレビもゲームもない「文明以前の」部屋では雑念が吹きとび、ひたすら没頭してしまうのだ。しかし入れこみすぎもよくない。これではまるで偏執狂だ。
 あわてて手を止め、後かたづけもそこそこに風呂に入る。コリかたまったからだのすみずみに血を巡らせなければ。同時に、湯船は重要な読書の場でもあった。陶芸書は、何日分もの湯気を吸ってぶ厚くふくらんでいる。ぬるめの湯に半身を沈め、むさぼり読んだ。しかしからだも脳も疲れ果てているので、小ムツカシイ知識はたいして頭に入ってはこない。そんな状態のまま湯につかっていると、やがて眠気が襲ってくる。朦朧として字を追いつつ、うつらうつらする時間はしあわせだった。
 湯上がり、遅い晩飯代わりにツマミをつつきつつビールを飲んで、布団にもぐりこむ。しかし泥のように眠ることはできない。ちょくちょく起き出しては、まくら元に置かれた作品の乾き具合を確かめ、乾きが早ければ発泡スチロールに移したり、ビニール袋をかぶせたりして管理した。こうしてレム睡眠から深くには沈降できないまま、東の空が白みはじめる朝6時ころに目を覚ます。
 起き抜けすぐに寝ぼけまなこをこすりながら、前夜の失敗作の山をつぶして、粘土としてもう一度ろくろで挽けるように再生しなければならない。もちろんすべて手作業の菊練りだ。布団をまくりあげたその下のコンパネ上で作業をするので、布団の裏地は土だらけだ。だからこの寝床は、しっとり、ざらざら、ベタベタ、かさかさ、カビカビ、いろんな寝心地が体験できる。土の上に寝ているようなものだ。この最高の布団は、数万年かかって風化した山肌の夢を見させてくれる。

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その107・ちかちゃん

2010-04-12 04:59:41 | 日記
 授業が終わると、オレを含むチャリ隊はいつも、学校近くのたこ焼き屋「ちかちゃん」へと向かった。屋外のぼろパラソルの下で、100円のかき氷やたこ焼きをパクつくのだ。パラソルの脇には九官鳥がいて(もちろん相場通り「キューちゃん」という名前だ)、女子が近づくと「カワイイネエ」などという鳥ごころにもないおべんちゃらを高らかに叫んだ。店はぽんこつの掘建て小屋で、パラソルは古びて傾き、イスの生地は裂けていた。なのに、所せましと並べられたプランターの植物だけはきちんと手入れがゆきとどいていて、消耗しきったからだと心を癒してくれた。辺りを水田にかこまれたこの町で、「ちかちゃん」は数少ない憩いの場所なのだ。そしてここはオレにとって、一日でほとんど唯一気を抜くことができるオアシスだった。山の端に沈む夕陽と、稲田を渡る涼風、何人かのガールフレンド。悪くない。
 ところが悪辣なことに、こんな場所にも宿敵・ツカチンは、小ジャレた軽で乗りつけてきた。そして、
「杉山さんにだけいい思いはさせない」
などとほざきつつ、ガールフレンドたちの視線を根こそぎかっさらっていく。両手の花を奪われたオレは、殺意に身悶えした。
 さらにヤツは、キューちゃんのカゴに向かってタバコの煙を浴びせ、
「『げほげほ』と言え、言うのだ。さあ」
と、新しい芸を覚えさせようとする。なんとひどいやつだろう。まるで悪徳サーカス団の団長だ。かっこよくて人気があって力持ちでろくろがうまければ、なにをやっても許されると思っているのだ。そんなときオレは、いつか絶対にヤツを超えてやる、と心に誓わずにはいられなかった。
ー今のうちにわが世の春を楽しむがいい。きさまがうつつを抜かしてる間に、どーんと抜き去ってやるからな。オレには生涯「ろっくん」という、つえー味方がいるのだから・・・ー
 ところが、ヤツはこんなことを言いだした。
「実は、ある製陶所のオーナーと懇意になって、ろくろ付きのアトリエを貸してもらえることになったんだ。みんな、いつでも遊びにおいでよ」
 なんとオレがろくろを購入するのと時を同じくして、ヤツはそんな大金持ちの人物に取り入っていたのだ。女だ。女社長にきまっている。きっとその流し目で、相手をメロメロにしたのだ。しかも密かにろくろまで手に入れていたとは・・・。今以上にさらにうまくなろうというのか?なんとこすっからい男なのか。はるか前方を独走しながら、宿敵の影におびえ、さらに引き離そうというわけだ。それほど背後に迫るオレの絶大な才能を意識しているのだ。
ー面白い、きさまがそういうつもりなら・・・ー
 オレは一計を案じた。女子にとり囲まれてモテモテ状態のヤツを横目に、かき氷を静かにかきこむ。そしてスキを見てそっとさじを置き、足音を忍ばせてその場を抜け出した。そのままアパートまで猛ダッシュだ。一刻も早くろっくんの元に帰り着くのだ。練習、練習、練習あるのみだ。気配を消したまま忽然といなくなったオレに気づくまで、しばらくはかかるだろう。そのぶん、あのマヌケ野郎は時間をロスすることになる。
ーお先に失礼だ、ざまあみろー
 職人の世界は出し抜き合いだ。ヤツには気の毒だが、かしこい人間が勝利するのが世の常なのだ。
ーいつまでも浮かれてろ、バカめ・・・ー
 パラソルの下で熱烈的にモテているツカチンの姿を背後に見ると、その勝利に疑念がわかないでもないが、とにかくオレは、一日の中で最も重要な時間のために帰路を急ぐのだった。

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その106・ろくろ三昧

2010-04-11 00:47:48 | 日記
 ろくろを購入して以降、オレの生活は「ろっくん」を中心にまわるようになった。学校でも怒濤のろくろ訓練が再開したため、まさにろくろ漬けの毎日だ。
 授業では昼休みをはさんで計七時間、右回転でろくろを挽く。自分でデザインしたメシ碗をそろいでつくる、というのが新たに出された課題だ。重要な学資調達の場である「訓練展」で五個セットにして販売する製品なので、形と大きさがピタリと等しくなくてはならない。とはいえ、微妙なばらつきはどうしても生じる。そのため、おびただしい数をまず挽いて、その中から似たものを五個組みにそろえる、という順序になる。
 形や装飾方法は各自にまかされた。つまり、つくりたいものを自由につくれる。これはいわば「製品」でなく「作品」づくりだ。表現を存分に注ぎこめるとあって、クラスはひさびさに沸きたった。全員一律につくった切っ立ち湯呑みのときとはちがい、創造性も求められるのだ。個性と職人技の二兎追いというわけだ。
 そこでオレは、「成形がいちばんむずかしい形」を「クラスでいちばん大きく」挽き、さらに「いちばんめんどくさい装飾方法」で仕上げる、という身のほど知らずなテーマを自分に課した。とにかく目立つことが大好き・・・なのではない。前にいるランナーをごぼう抜きにするためには、困難な道をゆくしかないのだ。平坦な道をみんなと同じストライドで走っていたら、先行者に追いつけっこないではないか。こうして、でっぷりと腰の張った小どんぶりと呼びたくなるような巨大メシ碗に、しち面倒な象嵌(赤土作品にみぞ掘りして白土を埋めこみ、さらに削り出して、画を浮き立たせる技法)で加飾するという方法を選んだ。
 集中しはじめると、七時間のろくろ訓練はまたたく間にすぎた。授業は午後4時半に終わるので、4時近くになると後かたづけと掃除がはじまる。オレはいつも「いちばん最後まで挽きつづける男」だった。とにかく授業終了ギリギリまでろくろを回しているため、早々とモップ掛けを終えた周りから邪魔がられて、ブーイングをあびた。それはあたりまえな仕打ちだろう。協調性のない人間は、周囲に余計な仕事を強いるのだから。だが、このときばかりはさすがに「いちばん」好きなこのオレも、「いちばんドベ」を目指してねばっているわけではない。もちろん掃除をサボりたいからでもない。気づくと、どういうわけか最後にひとりきり残ってしまっているのだ。ろくろに向かうとき、オレは現世から隔絶された世界に連れていかれてしまうのだ。「オレンジ色の光に包まれて、その後はもうなにがなんだか・・・」というあれに近い。気を失ったような状態だと理解して、許してほしい(・・・無理か)。逆に、なんの合図もないのに、みんながなぜそれほど敏感に終了時間を察知できるのかが不思議だった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

その105・円座

2010-04-09 08:59:41 | 日記
 天国の主はまぎれもなくオレだったが、やがて少数の冒険者が380円弁当(学校がまとめて出前でとっている)を手に手に、木陰に集まりだした。最大のライバルのひとり・ヤジヤジと、花をこよなく愛するごま塩頭のメガネおじさん・イーダさん、そして子持ちアイドル・あっこやんも、そんな冷やかしメンバーの中にいた。
 陶芸のことならなんでも知っているヤジヤジとは、いつもこの場所で情報交換をした。交換とはいっても、こっちから差しあげられる情報は粗末でとるに足らないものばかりなので、ほとんどもらいっぱなしだ。ひたすら恐縮しつつ、それでもよだれをたらしながら、価値ある知識を片っぱしから吸収した。膨大な知識の貯蔵と、それにふさわしい質で実践をくり返しているヤジヤジには、圧倒されるばかりだった。
 さて「イーダさん」は、毎日一枚ずつの草花スケッチを欠かさない、おだやかな熱さを持ったおっちゃんだ。面差しはやわらかく、声ははつらつと明るく、空振りしがちな冗談にはコカされるが、大らかな包容力のある遠赤外線のようにあったかいひとだ。しかし訓練となると真剣一筋、まっすぐに課題と対峙していた。それでいて心から楽しんでいる様子だった。技術的にはお世辞にもうまいとはいえなかったが、その感性はまるで少年のように純粋でみずみずしい。ヤジヤジの目がギラギラ輝いているとすれば、イーダさんの目はきらきらと澄んだ光を放っていた。旺盛な好奇心とフットワークは、大企業を定年退職してズブの素人というポジションから陶芸をはじめた60男を、着実に進化させていた。
 一方「あっこやん」は、信楽の製陶所ですでに現場を体験した上級者だ。一児の母で、幼稚園年長の息子・りょうちゃんがおなかをこわすたびに遅刻したり、欠席したりと忙しい。しかし陶芸に関しては、豊富な経験と確かな審美眼、それに静かに燃える心を持っていた。いつも「自信がない、自信がない」とつぶやきつつ、ついには腹をくくってやりきってしまう強さは、子供ひとり産んだ母親ならではかもしれない。そんなすっとぼけた強さをもつと同時に、だれにもこよなく優しかった。ゆきとどいた性格で、みんなにとってあっこやんは、冬の日の陽だまりのようなひとだった。
 「陶芸の鬼」「再チャレンジを期すご隠居」「多忙ママ」、そして「空気を読まないモヒカン」と、みんななんとなくクラスの輪から浮いていた人物だった。木陰の円座は、はからずも製造科内で図抜けた熱さをもつ四天王をひとつ所に呼び寄せた。個性のちがう四人は志しで結ばれ、刺激の交換と響き合いで各々の世界をひろげていくことになる。オレにとってこの三人と切磋琢磨した日々は、生涯の財産となった。

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