陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その183・徳利

2010-07-20 12:44:18 | 日記
 とにかく訓練校は、原石を宝石に磨きあげてくれた。なにも持たない人間を、価値を生みつづける超人に変身させてくれたのだ。その教育によって、自分がいったいどこまでできるようになったのか、試してみたい気分だ。そして、今はそれが許される時期だった。
 オレは茶陶制作の後、大皿、ツボ、フタ物、香炉、急須などをつくってきたが、最後に徳利に挑戦していた。徳利の成形は、ろくろ挽きでいちばんむずかしい。つくるプロセスとしては、まず高い高い筒型を挽く。次に口べりを内側にたたんでかかえこみ、袋形をつくる。それからエゴテと呼ばれる大きな耳かきのようなコテを袋内に突っこみ、胴部をふくらませる。最後に口べりをつぼめて外に折り返し、首をしぼり、おちょぼ口に整えて完成だ。
 なにがむずかしいって、なんといっても作業行程が矛盾に満ちている点だ。筒挽きで背が低ければ胴をふくらませたときに丈が縮んでしまい、高ければエゴテの作業のときに芯が狂いやすくなり、口をせまくつくれば内部の細工がしにくくなり、広くつくればおちょぼ口にならず、胴部をふくらませて薄づくりにすれば口をつくるときにヨレやすくなり、厚づくりにすればずっしりと重くなり・・・あらゆる二律背反が混ぜこぜになっている。しかし逆説すれば、徳利さえつくれるようになったらなんでも挽ける、といえはしまいか。オレはこのステージのクリアを卒業前の最後の課題とし、毎日朝から晩まで徳利づくりに取り組んだ。
 はじめのうちは苦労したが、理屈とコツをつかんでからはきちんと挽ききれるようになった。きちんと挽けるようになってからは、どんどん薄く、どんどん高く、どんどん丸く、どんどん首を長く(鶴首という)、極端なものをつくった。ハードルを上げていくわけだ。最終的にオレは、クラスでいちばん徳利挽きのうまい男になった。まあ、徳利を挽いている変わり者など相手にされないので、自慢にもならないのだが。
 ただ同じ頃、同じように徳利挽きをしていたライバルがひとりいた。あるとき、彼がオレの挽いた徳利をこっそりと手に取るところを、ふと目にしてしまったことがある。彼はオレの視線に気付かない。彼は徳利を手に、ギョッとした表情をしていた。
「いやあ、びっくりした。あまりにも薄づくりで軽かったから・・・」
 そんな彼の言葉をひと伝えに聞いたとき、心の中でうっしっしとほくそ笑みたい気分だった。校内でのろくろ挽きは、いつも勝負だ。だが、勝ち負けなど今さらどうでもいい。去来したのは、卒業に間に合った、という感慨だ。つまり「世間で通用します感」を客観的な審査で裏付けてもらった気がして、安堵したのだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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