陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その179・火を前に

2010-07-15 09:08:41 | 日記
 かぶと窯では、リベンジの窯焚きが行われた。一回目とちがって参加者もそう多くは集まらず、少人数が交代で窯番をし、各々が与えられた時間帯に責任を持つ形になった。
 オレはその夜、ひとりきりで火をつくっていた。凍りつきそうな夜気が首筋や袖口から這いこみ、じっとしていられない。マキを割ってはからだを内から温め、焚き口の炎にあたってはからだを外から温めた。窯を覆う屋根のせいで夜空は見えないが、きっとエントツの上には満天の星がまたたいている。そんな夜だった。
 深夜のひとりぼっちの窯焚きは、おそろしく静かな時間だ。そのうちにいつしか、この場所にはじめて足を踏み入れた日のことを思い出していた。
 春風の中、運命に導かれるようにここに来たんだっけ。竹がびっしりと根を張る土壌を切りひらき、一日中穴を掘ったっけ。
ーなつかしいな・・・ー
 すると、本当に走馬灯のようにこの一年間に起きた出来事がフラッシュバックしてくる。灼熱の盛夏には、ヤブ蚊に包囲されながら、ひたすらレンガを磨いた。つなぎのドベでどろんこになりながら、窯の壁を築いていった。いつも重いものをかついで、むやみに山をのぼったりくだったりしていた。お茶室で雑魚寝した。コタツ布団にくるまって寝た。酔っぱらって寝た。泥を練りながらうとうとと寝た。窯場で疲れ果てて寝た。窯のかたわらで飲むビールはうまかった。火炎さんの打ってくれるそばもうまかった。ラーメンもうまかった。電気窯で焼くピザもうまかった。なんでもかんでもうまかった。すき焼きの夜に「卵がない!」といって火炎さんと車で走りだしたはいいが、山中の一軒家から買い物先のスーパーまで片道1時間半もかかることにドギモを抜かれたこと。酔っぱらって山を下りると、駅では終電が出た直後で、代々木くんと二人で呆然と立ちつくしたこと。その後、火炎さんとはるみ夫人が駅まで迎えにきてくれて、ミニカーのようなツーシーター(二人乗り)車をオープンカーにして四人がぎゅうぎゅう詰めに乗りこみ、ボンネット上で風にさらされて帰ったこと。土をさがしに山深くに踏み入りすぎ、トゲトゲの植物に全身からみ取られて身動きできなくなったこと。あんなこと、こんなこと・・・そんなバカバカしいことをいろいろと思い出した。
 ひとは火を前にするといろんなことを考える。それは、言葉や文字やこざかしい社会性を覚える前から、人類が営々とつづけてきた作業だ。そうして窯の火はひとのいろんな想いを飲みこみ、器に焼きつけてくれるのだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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