陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その185・卒業制作

2010-07-22 08:52:55 | 日記
 ぶ厚い辞書ほどもの厚みがある器の壁を、じょじょにじょじょに真上へとのして、筒型に立ち上げていく。おでこにまで届きそうな土管が挽きあがったら、次にそれを少しずつ外側に倒しこんで、鉢形に造形する。それと同時に、壁を薄く均等に伸ばしていく。
 器はオレの上半身を呑みこむほどに口をひろげ、見る間に巨大化していった。ピンと張りつめた気持ち。なのに思わずげらげら笑いだしたくなる。ひとはあまりに基準ちがいの巨大物体を見ると、笑いがこみあげてくるものらしい。それをぐっと我慢して、内外の指先が土に接する一点に神経を集中させた。根っこから口べりまで均一厚&限界薄づくり。ひずみとヨレにおびえつつ、勇気で突き進む。大胆かつ繊細さが要求されるこの作業は、半日がかりの大仕事となった。
 産湯にも使えそうな大鉢を挽ききったとき、ひろびろと開いた外周は、ほんの少しも回転軸を外れていなかった。まるでピタリと静止しているようだ。そして、イメージ通りの形。遠目に見ると、実写版「一寸法師」の撮影にも使えそうな見事な風格だ。素直で、よどみなく、鏡のような器面。大成功。その結果にいちばん驚いたのは、自分自身だった。信じられない気持ちだ。正直、本当に挽けるとは思っていなかったのだから。冗談のつもりだったんだから。
 そのとき、あらためて確信した。朝も昼も夜もろくろに向かっているうちに、そこそこの腕前が身についていたのだと。これでたぶん大丈夫だと。
 その後、もうひとつの巨大物体を挽いた。直径が小ダイコほどもある、ぶ厚い筒型を。それは器ではなく、シッタだった。この上に大鉢を逆さにのっけて、底ケズリをするのだ。土は10数キロも使っただろう。こんな土の大盤ぶるまいも、訓練校にいる間しかできないことだ。
 せーの、よっこらせ、と大鉢を二人がかりでシッタに伏せる。持ち上げてみると、意外なほどに軽く感じる。全体が薄づくりで、厚みが片寄っていない証拠だ。ケズリ作業をはじめると、ほとんどそぐ余地もないほどに、大鉢は均等な厚みに挽けていた。底の厚みだって、今や指先で叩けば感知できる。職人のカンってやつを手に入れたのかもしれない。
 ちょいちょいと高台を削り出し、オレの卒業制作は完成した。だけど作品自体にほとんど興味はない。オレは一年という月日をかけて、作品をつくってきたわけではない。自分の技術をつくってきたのだから。自分自身をつくってきたのだから。そういう意味では本当に、
ーできちゃったなー、オレが・・・ー
という、大げさな気持ちだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

最新の画像もっと見る