陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その167・サンダルの男

2010-06-30 08:25:55 | 日記
 オレが塁に出れば、ツカチンの出番だ。ところがこのバカは、素足にサンダル履きという普段通りの出で立ちでバッターボックスに入っていた。その足で蹴ろうというのだ。体育の授業をなめている。いや、これはキックベースへの冒涜ではないか。思わずベース上から、敵チームの声にあわせてヤツにブーイングを浴びせ、なじり倒してやった。
 案の定、ヤツの蹴ったボールは、外野深くにポジションを移したαっちのところに飛び、やすやすとキャッチされた。ツカチンはとてつもないバカ力を持っているのだが、打つ方向が真っ正面では、まるで相手に捕ってくださいといわんばかりだ。きっと、体育の時間などどうでもいい、早く終わらせてタバコを吸おう、と考えているにちがいない。
 ところがサードを守らせたツカチンは(もちろん監督であるオレ様がポジションを決めた)、ゴロを捕球すると、ものすごいスピードボールをファーストのオレに向けて投げよこしておびえさせた。
「ばっきゃろー、送球で全力を出してどうするんだ、殺す気か!」
「ごめんよ、勝ちたいもんでね」
「うそつけ。打席じゃ、打つ気なんてこれっぽっちもなかったじゃねーか!」
 守備中ずっと悪態をつきつづけてやったのだが、ヤツは半笑いを口元に浮かべ、それはもう死ぬほどおそろしい球をこっちに投げてくる。いや、ぶつけてくる。オレは決死の思いで・・・ほとんど半泣きで、それを捕りつづけた。

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その166・キックベース

2010-06-29 09:05:38 | 日記
 冬も深まる。グラウンドが雪に閉ざされる前に、最後の体育が行われた。体育授業の責任者(独裁者)であるオレは、「第1回まやまカチョー杯争奪キックベース選手権大会」と銘打ち、この時間を盛りあげることに余念がなかった。大会自体はすでに数回行われているのだが、毎回「○○杯」の部分だけをすげ替えて開催している。オレが書いた台本で、名前をかかげられた本人(えらいひと)におバカな開会宣言をさせるのが恒例となっていた。もちろんMVP杯も粘土で自作して持ちこみ、万全を期しての開幕だ。
 「まやまカチョー」は、例の昼休みのキャッチボールにいつも参加してくれていたおもろいおっちゃんだ。ほがらかで、働き者で、気前がいい。よく自腹でスイカやアイス、ナシなどを差し入れてくれるので、みんなこのひとのことが大好きだった。オレも大好きだったが、カチョー杯を開催していいか?と伺いをたてにいくと、「よっしゃ」といって勝利チーム賞に缶ビール一箱をどかんとカンパしてくれたため、もっと好きになった。
 この大会は熱かった。好天に恵まれたこともあって、みんな思う存分に汗をかいた。もう生涯で、芝生の上をこんなにも全力で駆け回ることはないかもしれない。そう思うと、ほんわかとした雰囲気の中にも真剣にプレーするクラスメイトたちの横顔に、かるく切ないものがよぎった。
 ツカチンとオレは偶然同じチームに入った。この男はスポーツが万能で、なにをやらせても小憎らしいほど達者にこなす。だけどこのオレも、学生時代はラグビー部のフォワード、草野球チームではキャッチャーをまかされていたのだ。ヤツには負けない自信がある。今日という今日は女子の前で、どっちがかっこいいか白黒をつけねばなるまい。オレは意気込んで試合にのぞんだ。
 キックベースは、ピッチャーがドッヂボールをホームベースに向かってころがし、バッターがそれを蹴り飛ばしてベースを回る、サッカーと野球がごっちゃになったような遊びだ。いうまでもなく、キック力が勝負を分ける。ラグビーでキックも経験していたオレは、初回からぽこぽことボールを左右に打ち分け、細かい安打を重ねることにした。というのも、相手チームには、昼休み野球部キャプテンで元高校球児でもある「αっち」がいて、外野から冷静な目で戦局をながめていたのだ。策略家のαっちは、周囲にいちいち守備位置を細かく指示する。だったらその裏をかいてやればいいのだ。敵も昼休み野球部の沽券にかけて本気を出してきている。それを逆手にとったオレの打ち分けは、見事な頭脳プレーだった。

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その165・受賞

2010-06-28 09:28:39 | 日記
 見れば見るほど自分の応募作品がすばらしいので、オレは浮かれ気分で宿敵・ツカチンのアトリエへひやかしにいった。助言でもしてあげれば、ヤツもしっぽを振ってよろこぶはずだ。
 はじめて訪ねるその薄暗いプレハブ小屋は、ほこりっぽい納屋のようだった。窓ぎわに京都式のろくろがあったが、それはずいぶんと使われていないようだ。棚に素っ気なく並べられたヤツの作品群を見ると、この場所は、わがアトリエのような修練場ではなく、実験室であると知れた。学校では決して披露しない、ツカチン独自の創作世界がそこにあったのだ。正確無比なフォルムをベースに、草花や鳥獣の細工をこまごまと配するのがヤツ流だ。毎夜毎夜、古デスクに背を丸め、鼻先の作品に外科手術のような技巧をほどこす作業にふけっているらしい。せっかちなオレにはとてもマネのできない仕事だ。
 ツカチンはアトリエのすみっこで、一心に抹茶碗をいじくりまわしていた。手びねりで立ちあげたボディに、コテコテと細工をこらしている。フィギュアをつくりこむオタクの姿に似ている。
「くらいぜ~。なにチマチマと小細工してんだよ」
 ところが近寄ってみて、度肝を抜かれた。やつの手のひらの中に宇宙があったのだ。茶碗を取り巻く生き生きとした世界観は、壮麗なものだった。風にたなびく雲が器の垂直面を構成し、そのリズムが破綻したところに暗雲が渦まく。そこから出現したまっ白な龍が、輝く体躯をうねらせる。まるで皇帝の抹茶碗だ。おどろおどろしく沈んだ地の黒と、清廉な白の練り込みのコントラスト。ヒゲの先やウロコにも動きと表情が与えられた白龍は、今にも踊り出てきそうだ。
 それでもヤツは不安げだ。
「うーん・・・なぁ、コレ、どう思う?」
 思い悩んだアンニュイな表情。こういう奥ゆかしげな仕草で、ヤツは女子からポイントをかせぐのだ。うざい。オレは考えたあげく、正直な感想を口にした。
「これじゃ、茶をすするとき、口が痛てーだろ。使い勝手を考えろ」
 ヤツはくすくすと笑う。
「そうか、なるほど。それもそうだな」
 そしてためらうことなく、口当たりの部分をちょこちょこと修正するのだった。なんと素直な態度であることか。
 さて、コンクール。結局、最高賞をさらったのはツカチンの作品だった。オレの大傑作は、そのおかげでまさかの無冠。ありえない・・・許しがたい。
「おまえの受賞は、オレ様の助言のおかげなんだかんな!」
 オレは強硬に主張し、5000円の半分をよこすよう要求した。しかしヤツは薄笑いでやり過ごすだけだった。セコいヤローだ。しかしヤツはこの賞で、まぎれもなくひとつの頂点を極めたのだった。

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その164・宿敵の動向

2010-06-27 02:50:55 | 日記
 宿敵・ツカチンは、もともと持っていた技術が入校以来の訓練で爛熟期をむかえたかのようだった。さまざまな技術をマスターし、どんな壁も楽々と突き抜け、新しい形を次々と自分のものにしていく。ヤツは、デキるくせに謙虚で、うまいくせに一生懸命なのだ。宿敵としてはひどくやっかいな存在だ。
 訓練も最終盤にはいると、ヤツは熟しきってしまった。いつしか、あらゆる挑戦をクリアしちゃいましたけどぼく、的な風情がはたから見てとれるようになった。すると、それはそれで問題が生じる。つまり、高いハードルをクリアすればするだけ、達成感が希薄になっていくのだ。一切のチャレンジから新鮮味が奪われる。それは同情すべき事態だった。ヤツは飄々としつつ、悩んでいたにちがいない。
 しかしそんな宿敵のアタマ打ちに、オレは内心ほくそ笑んだ。
ー立ち止まっているがいい。追いついてやる。オレにはまだまだ伸びしろがたっぷりとあるぜ、ふっふ・・・ー
 だが「伸びしろ」とは、ヤツの座する高みとの遠くへだたった距離そのものでもある。その差は入学以来まったく詰まらない。それはきっと、おたがいが等速で成長し合っているということなのだ。ただ、ツカチンはひとと勝負をしない。常にひとりだ。「ツカチンがオレを高め、オレもまたヤツを高めた」と思いたかったが、そうではなかった。オレは全速力、全身全霊でヤツの影を追ったが、ヤツもまた全力で別の影を追い求めていた。その影とは、ヤツ自身の姿だった。ヤツはひたすら「理想の自分」を追い求めるのだ。なぜって、ヤツは自分のことが大好きなのだから。きもちわる~っ。
 さて、となり町で「抹茶碗コンクール」が開かれるとの告知があり、クラス中こぞって作品を応募することになった。プロの陶芸作家も職人も参加する、窯業地あげての一大イベントだ。オレは、土のかたまりを指で引っかいて外観を造形し、内側をくり抜くという彫刻的技法で、志野茶碗をつくった。会心の手応えがあり、めずらしく先生やクラスメイトたちからも、その出来映えを絶賛された。
(初タイトルは手にしたも同然だな。ふっふ・・・)
 オレは、最高賞の賞金・5000円の使い道をあれこれと考えたり、この輝かしい受賞を書き加えるために自分の履歴書に空欄をつくっておかねば、などと手落ちなく思い及ばせたりしていた。

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その163・仏心

2010-06-25 09:56:00 | 日記
 こんな頃になると、鬼のように厳しかった先生たちが、奇妙な仏心を見せてくれるようになった。ここだけの話だが、こんなことがあった。
 学校では公費で原材料を購入しているため、自作品を持って帰るのは禁止とされている。それらは「MADE BY 訓練校」として外部に売られるべき商品なのだ。法的に厳密にいえば、持ち出し=横領となる。しかし焼きあがった作品が窯場から出され、生徒たちが検品していると、必ず皮肉屋・イワトビ先生がやってきた。そして作業の様子を一瞥し、きっとこう切りだす。
「出来の悪い作品は学校におさめるなよ。自分で判断して、さっさと廃棄しとけ」
 そしてそそくさと立ち去るのだった。完成品の確認作業(つまり売り物にならない失敗作の抽出)は先生の役割のはずで、その現場に立ち合わないとは実に無責任だ。オレたちは当初、この捨てゼリフに彼の無神経を感じていた。一生懸命につくったものを「さっさと廃棄」とは、なんという言い草だろう。
 しかしやがて、その言葉の真意を悟ることになった。個人にとっての秀作、快作、大傑作、自慢の一品、渾身の勝負作、窯場ではそんなものも日々焼きあがる。生徒たちは作品の親(制作者)として、本当はそれを手放したくはない。涙をのんで学校におさめなければならないのだ。ところで、ここにひとつのアイデアがある。仮に検品が、先生でなく、制作者本人にまかされるとしたらどうだろう。検品という作業が主観によって行われる以上、どれを成功作として学校におさめ、どれを失敗作として「廃棄処分」とするかは、自分の腹ひとつとなる。そして廃棄処分とは、要するに学校内からその存在を排除・・・つまり、持ち去る、ということなのだった。
(ぼくは見てないから、製品としておさめるかどうかは自分で判断しなさい)
 そのことを先生は、言外ににおわせてくれているのだった。
 それを察し、オレたちは自作品を手に手に、的確な判断を下していった。
「うーん・・・そう言われたら、この傑作は失敗作に見えてくるな・・・」
「これもすばらしい出来映えだけど、残念ながら家に持ち帰って廃棄しておこう」
「おまえも学校にはおさめられないなー。かわいそうだけど、ポケットの中にこっそり大切に廃棄させてね」
 つまりまあ、そういうことなのだ。
(持ち帰ってヨシ、とは口にできないから、言葉尻で察しなさい)
 これもしんどい立場にある先生の、ぎりぎりの思いやりなのだった。

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その162・自分次第

2010-06-24 10:39:21 | 日記
 学校のろくろ授業は、茶陶の「生産」から発展し、完全な自由制作へと移っていった。ここからは各自で課題を決め、卒業後の生活にリアルに必要となる特定の技能をそれぞれに伸ばしていくのだ。目指す道によって、今しなければならない課題はひとりひとりちがってくる。自分が欲しいのは、正確なろくろ技術なのか、フリーな創造性なのか、磁器の挽き方なのか、土くれの造形方なのか、釉調なのか、焼きなのか、装飾なのか、絵付けなのか・・・そういうチョイスの幅が許されはじめた。
 自分次第というのは結構なプレッシャーだ。責任が突きつけられるのだから。「生活力の確保」という職業訓練校における主題は、まさにこの時期につちかわれるべきものだ。数ヶ月後の自身の姿を思い描きながら、のこされた時間を最大限に活用しなければならない。
 一方、自分次第=気楽という解釈もできる。就職活動によって(←オレには無縁だった)、すでに大半のクラスメイトの進路は確定している。中には「OL」や「営業」という道を選び、作陶技術も土の感触もまったく関係なくなった者もいるのだ。その人物たちに、必死で腕前を磨く職人見習いたちと等質の向上心を求めるのは酷だろう。そんな事情もあり、基本カリキュラムともいうべきものを終えたクラス内には、明日に向けたプロ意識と、安堵感と名を借りたたるみとが相半ばしはじめた。

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その161・冷たい水

2010-06-22 22:35:51 | 日記
 冷たい水を使ったほうが良い品が挽けるというわけではない。指先が冷えて神経が鈍るという意味では、むしろ逆といえる。それでは元も子もない。強情っぱりにもほどがあるというものだろう。
 ただ、ふたりにはずっと見つづけた光景があった。それは、山深い若葉家の庭で、白い息を吐きながら一心にろくろに向かう太陽センセーの姿だった。ろくろ脇の破れオケに入っているのは、凍りつきそうな・・・いや、実際に凍っている水だ。表面に張った氷の薄膜を破って、そこに手をつっこむ。気合いが冷たさを感じさせないのか?(それともおじいちゃんだからなのか?)粘土だって凍る寸前だ。実際、若葉家では、挽きあがった作品がそのまま翌朝に凍りついてしまった光景を何度も目にした。ぽかぽかの部屋の中で、ぬくいお湯を使えばいいのに。なぜそんなしんどい思いをしなきゃならないのだろう?しかしそんなことをセンセーに問えば、
「桃山の陶工がそうしてたからじゃが、なにか?」
と答えが返ってくるにちがいない。
 論理的ではない。水はあったかいほうがいいに決まっている。その証拠に、ろくろ挽きを終えたセンセーはコタツ布団にくるまって、苦悶の表情で痛む関節をもみほぐしている。オレなどもよく、七十七歳氏の水脈が枯れたような足の裏や堅い背中を揉ませていただいた。動けなくなるまで、このひとはやるのだ。自分のヒーローが、つまり桃山の陶工たちがそうしていた以上、センセーもまたそうするのだ。そういうものなのだ。
 そんな姿を、オレもオオアリクイも見てきた。だからこそ意地を張って、論理的じゃなくても、ぽかぽか快適を約束してくれるすてきグッズには決して手をつけないのだった。オレたちのヒーローは、太陽センセーなのだから。

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その160・よっつめの季節

2010-06-21 23:00:33 | 日記
 北風が耳を切りそうなほどに鋭くなった。いなかの季節は真っ向勝負。東京のだらしない冬とはちがい、寒さが硬くとがっている。きちんとがんばる冷気の中で、星空は澄みわたり、朝の陽光はぴかぴかと冴える。
 起き抜けに練る前夜の失敗粘土は、手のひらを凍りつかせそうなほどに冷えきっていた。土の表層の裂ける音がぱりぱりと聞きとれそうだ。ボロアパートの外壁は、周囲の広大な田んぼからせまる風にきしむ。室内はしんしんと底冷えがして、外気温とほとんど変わりがない。
 オレは20年ちかく前から愛用している電気ストーブを足もとに置き、毎夜ろくろを挽きつづけた。四方をベニア板にかこまれた一畳ぽっちのろくろコーナーに背をまるめてこもると、そこは結構な暖かさだった。創作の微熱を帯びた体温とストーブの暖気がせまい空間を対流し、いつまでも器づくりに熱中できた。
 訓練棟にも、昔なつかしいダルマストーブがはいった。古くてゴツいそいつは、だだっ広いプレハブ内の一角をほのぼのとあっためる。しかし土けにひんやりと湿気た空気は重くよどみ、なかなか暖気はひろがらない。そんな中、フリー作陶にもついに飽きた茶飲み貴族たちは、ストーブ前の特等席に腰をすえ、ぽかぽかの環境でいよいよ大量のお茶を消費しはじめた。
 かたや、オレたちの貧民島はストーブから遠く離れ、窓から差しこむ日光からもへだたっていた。作業で使用する水は爪の先から神経にしみ入り、悲鳴をあげたくなるほど冷たい。最下層の暮らしはつらく過酷だ。
 ところが便利な道具があるもので、ろくろ用の水オケを温めるハンダゴテのような機械が訓練生にくばられた。これを使うと、オケの水がいい湯加減になるという。みんなこぞって利用した。調子にのって温度を上げすぎ、水を煮立たせて泥のおかゆをつくってしまう者もたまにいたが。この機械は好評で、だれもが快適な作陶環境をよろこんだ。
 しかし、ここでもあまのじゃくというのはいるもので、出席番号13番・代々木くんともうひとりは、頑としてこの文明の利器を使おうとはしなかった。彼らの奇妙なプライドは、周囲には理解しようにない。クラスメイトたちは、かじかむ手に息するこの意地っ張りたちを「バカ」とささやき合った。それでも、どれほど室内が冷えこもうが凍てつこうが、最後の最後まで、バカ男二人だけはこの態度をつっぱり通した。つまり、オオアリクイ氏と、オレだけは。

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その159・没入

2010-06-20 11:23:15 | 日記
 何度挽いてもあざとさコテコテ、企て見え見えのものが挽きあがる。自分の俗物っぷりに愛想を尽かしたくなる。いい仕事は、不必要なもの一切をそぎ捨て、純度の高い美意識だけを残す。それに似たものをこしらえようという邪念は、美意識ふうの形をした虚飾だ。そんなものはすぐに見透かされてしまう。
「作意を見せてはならん。作意を消すのじゃ」
 太陽センセーは説くが、「作意を見せまい」と考えた時点で、作意を見せまいとする作意が開始されるのだから、永遠のジレンマだ。要は、無念無想で挽け、ということだが、技術と姿かたちばかりを追い求めているうちは、とてもそんな高尚な作陶は無理だ。
 高麗の陶工の無欲な仕事が圧倒的なものを生む意味が、ここに至ってようやく飲みこめた。それはいつもセンセーが口をすっぱくして講釈してくださる、お茶の精神性にむすびつく。頭ではわかっているつもりだ。なのに、なかなか器の中に実現できない。技術の上すべりほどみっともないものはない。本質的な美しさとは、造作の達者さなどではない。
 太陽センセーに挽き方をたずねにいっては、家に帰ってろくろを回し、おぼつかないままに実験をくり返し、解答を得ないままに学校でまた回し・・・ためしては迷った。覚えては吐き出した。一心不乱にろくろに向かった。それは「精神集中」とも「一生懸命」とも別の、「没入」と表現したい制作態度だった。のめりこむ、というやつだ。なにもかも忘れて、手のひらに形をあずける。迷ったり納得したりするのは、形が立ち現われたあとだ。そうしてもがくうちに、あるとき突然に壁をぴょんと飛び越えられることがある。はっと顔を上げると、また壁がある。悩んで悩んで、またぴょんと越える。またぶつかる・・・。迷ったり悩んだりはしても、立ち止まったり思いつめたりはしないオレは、壁を越えながらまっすぐに突き進んだ。そんな調子で、茶碗から建水、花入れ、水指と、無鉄砲に前進していった。
 やがて土は手になじみだし、感覚は回転に追いつきはじめ、精神性が高まったかどうかはなんともいえないけれど、じょじょに器の形というものがわかるようになっていった。
 稲が刈り取られてすっかり茶ばんだ風景に、ついに風花がちらつきはじめた。

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その158・無心

2010-06-18 22:21:06 | 日記
 やがて気づいた。手本を見ながらろくろを挽くのはよそ見運転だ、と。ひとの作品などどうでもいい。オレはオレの仕事をするべきだった。手本からは要点だけを濾し取ればいい。まずはよけいな知識を頭から追い出して、空っぽにならなければ。
 桃山の陶工は、頭でなく、手のひらで考えて仕事をしていたにちがいない。それが自然体の造作を生み、無作意の作意となる。ろくろでは、むずかしいことをしようとすればするほど作業は理詰めになっていくし、また逆に感覚的にもなっていく。その二律背反を無意識下で行うには、手のひらに考えさせることだ。手のひらは、センサーとして土の状態をインプットし、運動としてアウトプットする。その一連の仕事を意識することなしに完遂することができれば、成功だ。土を操作しようなどと考えず、土と一体化する。その高みにまで至りたいものだ。
 無心・・・それはとてつもなく険しい道の先にある境地だ。それでもろくろを挽いていると、瞬時、自分にもそんな現象が発生するときがある。なにがどううまくはまるのか、不意に意図通りに(←おかしな日本語だ)、あるいは意図を超えて、美しい形が挽きあがるのだ。それは突如、ヒョイ、と起こる。その澄んだ時間は長くはつづかない。うっとりと未知の感覚にひたる刹那、すぐに邪心が鎌首をもたげ、「もっとかっこよく」「もっとウケるように」と悪魔がささやきはじめる。すると、よせばいいのにさわりすぎてしまう。さわればさわるほど、さわりたくなる。あの誘惑の正体はいったいなんなんだろう?魔が差す、とはよく言ったものだ。未熟さゆえのあやまち、か。結局、傑作となるべき作品は、余計な手跡がごちゃごちゃとついた、やたらとかっこいい、言いかえれば、やたらといやらしい姿になり果てるのだった。

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その157・小手先芸

2010-06-17 09:15:32 | 日記
 桃山時代につくられた名茶碗の図録を目の前にひろげ、手本とにらめっこしながらろくろを回した。ゴツく挽いてヘラ削ぎで造形する「志野」、端正だが胴ひもの装飾がひどくむずかしい「黄瀬戸」、薄づくりで切り立った「瀬戸黒」、極端にゆがめて挽く「織部」、若葉家仕こみの左回転で「唐津」・・・かたっぱしからなんでもつくった。磁器で碗形を挽き、染め付け(生地にコバルトで絵を描いてその上から施釉するため、下絵付けという)で伊万里ふうにしたり、上絵付け(施釉して焼きあげ、その上にカラフルな絵の具で絵を描くため、上絵という)で九谷ふうにしたりもした。手づくねで楽をつくったり、高麗ものの粉引き、三島、井戸、唐ものの天目までつくった。すべて「~ふう」の付くパチもんではあるけれど。
 ところが皮肉なことに、ハンパに上達した腕前が災いして、こざかしいほどにうまいものが挽けてしまう。うまいというのはつまり、無個性な、という意味だ。これではまるで「食器」だ。喜左衛門井戸は、雑器の中から見立てられて抹茶碗に昇格した例だが、オレの抹茶碗は逆に「普段使いにちょうどいいみそ汁碗」に見立てたい感じだ。これではとても茶室の風情にはマッチしない。抹茶碗は、もっと品格という後光をまとわねばならないのだ。そのハードルがひどく高い。ゆがんだ形が挽けないどころの話ではない。挽けば挽くほどわからなくなっていく。
ーそれにしても、どこがどうちがうってんだろ・・・?ー
 眼前にたたずむ名品の多くは、滑稽と呼びたくなるほどの放埒さで挽かれていて、ほとんどアバンギャルドに近い印象を受ける。フリーだ。ふざけ半分のようにも見える。しかしろくろの初心者がつくるへっぽこ作品のあのいびつさ、あのだらしなさ、あの無定形を、昔の陶工は自分の手とろくろとを自在にコントロールして、メリットとして自作品に反映させている。それらは、訓練校で学んだ無機質的完成度とは対極にある「運動」「内圧」、また「童心」「シャレっ気」というものを持っていた。遊び心があるのにたたずまいは堅固で、それでいて鼓動を打つように生き生きとしている。その大いなる存在感を前にすると、オレは覚えたての小手先芸で上手に挽けた自分の茶碗に、とても満足する気にはなれなかった。

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その156・思想

2010-06-16 09:20:30 | 日記
 また、陶芸をわが国に伝えた唐ものが、土から宝石をつくろうという錬金術じみた考え方であるのに対し、和ものは土の素材感を大切にし、土に帰ろうという思想がある。茶碗の中でわが国独自の価値観が育ったのだ。唐ものは、土くれを精錬して磁器という白玉の焼き物に行き着き、かたや和ものは、ついには無釉の焼き締めというプリミティブな方法論にまで回帰した。
 とはいえ、和もの茶碗の成形には驚くべき手練が盛りこまれている。唐ものの正確さも超絶的技巧だが、数学的にきっちりとした整い方であるため、がんばればなんとなくマネができそうだ。ところが和ものはそうはいかない。物理的に不可能、理論的に不可解、というものがゴロゴロと存在する。碗の見込みを三角形に挽くなど、ろくろをどう操作したのか皆目見当がつかないものもある。その手ぎわには舌を巻くしかない。いろんな名碗の写真を見ながら、また美術館や資料館で実物を見ながら、おこがましくもジェラシーの炎に焼かれたものだ。
 いろんな茶碗を知ると、がぜんモチベーションが上がってくる。前述した迷いにも完全に折り合いがついた。これもまた修行だ。今までにつちかった技術を応用し、さらに展開していこうと開き直った。自由な形を挽くことによって、新しい感覚を取りこんでいけばいいのだ。お茶道具を好きなようにつくる、などと太陽センセーの耳に入れたら、「片腹痛いわ」くらい言われるにちがいないが、型を理解することによって本質に迫る、という日本古来からの考え方もある。とにかく古いものをマネして挽きまくって(「写し」なのだ)、実践から茶陶の文化をひもといてみればいい。

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その155・和もの茶碗

2010-06-15 08:43:01 | 日記
 無名の陶工が無意識に生み落としたのが高麗茶碗だとすると、和もの茶碗ははっきりと意識してつくりあげられた、いわば造形作品だ。多くはお殿様や、数寄者と呼ばれる風流人からオーダーを受けて、好みどおりの作行きに仕立てられる。器に制作者の個人名が冠されるのも、和ものだけだ。唐ものや高麗ものの名前には、窯元の所在地や、時代や形状の名称があてられる。高麗の陶工などは、名前はおろか、器に自分の個性を盛りこもうなどと考えることさえなかっただろう。美術的なアプローチなどなしにひたすら用途へと向かい、結果、見どころを持ちえたのが高麗ものだった。一方、和ものは打ってかわり、見どころを作意によって盛りこもうとする。自然の風景を人工的に再現しようと試みる枯山水に似ているかもしれない。用の美にとどまらず、さらに個人的な美意識をつめこんだともいえる。そういった意味で、和もの茶碗は「芸術作品」なのだ。
 ただお茶人からみると、美をこしらえられた分だけ高麗ものに上座をゆずる、ということになる。なにしろ高麗ものの美は、運命によってたずさえられたもの、なのだから。まあ理屈はわからなくもないが、そんな順列づけにたいした意味はない。好みの問題だと思う。
 オレが大好きなのは、なんといっても和ものだ。なにしろ、かっこいい(この考え方がさっそく茶の道から外れているのだが)。高麗ものはシブくて無口だが、和ものはおおらかで雄弁だ。静謐なものもあるが、たいがいはタタミの上で大暴れしているように見える。和もの茶陶を表すのには、豪快、雄渾、破格などという言葉がつかわれる。表情が豊かで、動きがあり、360度どの角度から見ても別の物語が展開し、だけどそれが完全に統一されて全体がある。まさに個人的宇宙だ。

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その154・喜左衛門

2010-06-11 07:05:23 | 日記
 「喜左衛門」は、ありきたりな大量生産品だ。何人かの職人が流れ作業でつくったものかもしれない。すべての手技が粗雑で、時間に追われているために仕事も手早い。しかし、そのスピードは緊張感を生んだ。ろくろ作業の段階では、指が天啓を受けたかのような軌道を瞬時たどって、形が立ち上がった。躊躇なし。一気呵成の作業が、深く粗いろくろ目をのこす。内側の器面はきれいなすり鉢状でなく、らせん形に挽き上がっている。そんな勢いが腰を張らせ、はちきれんばかりの力がみなぎる。口べりは波打ち、目線に変化が生まれる。一晩置いたのちの高台ケズリにもためらいがない。ざっくりとカンナを当て、内と外にわずか数周ずつ掘りをめぐらすだけだ。まだ土がゆるいうちにあわててこそげ落としたにちがいない。しかもカンナの刃はこぼれ、サビついてなまくらだったはずだ。おかげで土の切り口は荒れ、ささくれ立ってちりめんじわになる。最小の手数しか加えないため、高台内の円心に土が鋭くのこり、兜巾が立つ。高台外の、刃を入れたきわにはくっきりと竹節が形づくられ、フォルムを引き締める。そこに釉薬をかける。急ぎ仕事なのでかけそこないの火間ができる。がさがさにケバ立った高台の切りまわし部分にだけ釉が厚くのり、さらに火にあぶられて煮えたつと、爬虫類の皮のようなカイラギになる。窯詰めでもたまたま絶好のポジションを獲得し、雨が降ったか風が吹いたかどんなマキが使われたか知れないが、奇跡ともいいたくなる絶妙の炎で肌を焼かれる。目もくらむ深い琵琶色を身にまとい、ところどころ酸素がゆきとどかなかった部分には陰鬱に沈むブルーがかげさす。それらことごとくが見どころで、お茶人のいうところの「景色」となった。
 さまざまな偶然が重なった末の産物だ。しかし「運命がこの茶碗をつくった」ともいえる。無念無想の陶工によって無意識に生み落とされたからこそ、本物なのだ。
 だが、まだ奇跡は重なる。それと気づかれないままに大傑作は、さらにワラづとに包まれて1ダースなんぼのセール品として凡百の器に埋もれる。ささやかな金額の売買によって何者かの手に渡り、クッパがよそわれたかキムチが盛られたか、貧乏長屋の食卓で不遇な前半生を送ったかもしれない。なのにどんな偶然が働いたか、ようやく見るひとの目に救いだされる。茶道具として見立てられ、隣国に渡り、茶の席で劇的にデビューし、一大センセーションを巻き起こす。「喜左衛門」と銘を授かり、一国と等価値の抹茶碗はこうして誕生した。つくった人物は無名で、由緒など存在すらしない。箱書きなど書きようにない。ただ、本当に価値を知るひとに見いだされ、用いられた。高麗ものとはそういうものなのだ。
 唐ものと和ものはつくられたが、高麗ものは生まれた、といわれる。その意味で、高麗ものは生まれたときからリアルランカーなのであり、美を意図してつくられた他の二種類の茶陶とは別格なのだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

その153・わび文化

2010-06-10 11:05:31 | 日記
 高麗ものの中でも、さらにトップにランクされる抹茶碗といえば「井戸茶碗」で、そのまた最高峰が「喜左衛門」と銘をつけられた茶碗だ。いわばキング・オブ・キングの一品。ところがこの茶碗、なにも知らない人間にフリマに出されるとしたら、おそらく「できそこないの茶漬け碗・汚れ、ヒビ有りにつき250円(おまけします)」てなことになるだろう。たしかにこの富士山をさかさにしたようなボディにゴツい高台のついた丼型の碗は、その昔にはおかゆをじゃぶじゃぶとよそわれていたにちがいない。そんな無骨な風体で、しかもゆがみ、あちこちにヒビが走っている。釉薬をかけそこなったせいで、生地がむき出しになった部分まである。さらに、高台のケズリ目はガサガサとささくれ、そのためにそこだけ釉薬が吹き出物のように醜くあぶくになっている。大失敗のオンパレードといっていい。なのにこの喜左衛門こそが、国いっこ分にも匹敵する名碗だというのだ。普通の人間の感覚では理解できないことだろう。100均にいけば、これよりもきれいな器がゴロゴロと並んでいるはずだ(しかもすばらしい値段で)。
 しかしお茶人はこの器を「見いだし」、そして「用いた」。そこがすごいところなのだ。なるほど、ものの価値観をニュートラルにして清潔な目でながめれば、この茶碗には見どころが満載だ。器の世界には「景色」という便利な言葉があって、どんな欠点も鑑賞上の価値として昇華させてしまう特殊な文化がある。それこそが、お茶人が新しく開いた美意識なのだった。だがもちろん、景色と呼ばれるには景色たる資格が必要で、普遍的な美観が存在しなければならない。お茶はわびの文化とむすびついて、心の眼を開かせた。
 それ以前に人気を博した唐ものは、非の打ちどころがないほどに容姿が整っていた。しかしお茶人は、なにかが欠けたものに余白の美しさを見ることを知る。イマジネーションのピースでその世界を完成させるのだ。ミロのヴィーナスに両腕が残っていたら、あれほど官能的な美は持ちえなかっただろう。「完璧なものは無惨だ」とゲーテも書く。つまりお茶の世界は、芸事から一皮むけて、観念の世界に飛びこんだのだった。
 なんだかむずかしいことになってきたが、そんな目でもう一度、天下の井戸茶碗をながめてみる。

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