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陶芸教室 夢工房あすか

大分市内にある陶芸教室のブログです。
  大分市南春日町12の8
  電話 097‐545‐3581

日日是好日/連載13

2019-03-21 06:00:31 | 日日是好日/連載
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 ー 「陶芸」 が教えてくれる 15 のしあわせ ー

≪注釈≫
2日後の23日に開幕する選抜高校野球に母校が23年ぶりに選抜されたので、“日日是好日” の 「連載15の1~3」 を繰り上げ掲載しましたが、今日から 「連載7」 の第四章に戻します。「連載7-3」 の続きです。

第四章 : 「今」 に気持ちを集中すること
 <陶芸教室を開く>
三越本店で開催されていた 「日本伝統工芸展」 を観に行った。入選した陶芸作品はどれも素晴らしいものだったが、金工品の素材感を生かした深遠な鍛金模様にも感銘を受けた。又、日本の伝統文化を漂わせる染物や織物などの優美な模様や色合いにも惹き込まれた。これらの素晴らしい作品を眺めていると、私に出来ることと言えば、陶芸の基本を教えることくらいかも知れないと思うようになった。そうだ、ゆくゆくは陶芸教室を開いて陶芸の基本を教えよう。作陶の基本的な技法を教える教室が少ない。基本を知って欲しいという気持ちが強くなってきた。

その4、5年ほど前から大分にいる継母から 「いつ帰って来るの」 と、毎日のように電話が頻繁に来るようになった、その内に一日に4,5回も電話がかかって来た。家内もノイローゼになるほどだった。後で分かったことだが、二人は帰ってこないでしょう、と継母の妹たちにチョッカイを入れられて、そのたびに疑心暗鬼になって電話をかけて来たようだ。

どこかで節目を付けなければと気が焦っていたが、家内も継母の面倒を看てくれるというので、退職後に勤めてた子会社を途中で辞して、繰り上げて大分に転居することにした。そして、大分で陶芸教室を開くことにした。幸いにも実家は、高床式の住まいになっていた。1階は納戸や駐車場である。近くに住吉川という 5m幅くらいの小さな川があるのだが、昔は台風の時に氾濫することがあったのだ。親父が洪水の時のことを考えて高床式に建て替えていた。これが好都合だった。ラッキーだった。1階を陶芸教室に改装したのです。

陶芸を始めたことや、陶芸教室を開くことになったことなども、偶然とも思えないような何か不思議な糸に導かれてるような気がした。お膳立てされてるような感じだ。年齢を重ねるとこのようなことも起きるようだ。教室を開いてからも 「人との縁、ものとの縁」 なども感じるようになった。二つほど書いてみよう。

教室を開いて数年後に。中年の男性が陶芸を習いに来た。話を聞いてみると新潟県の出身とのこと。そして、東京の音大を出て大分の大学で作曲を教えているとのことだった。東京の音大の出身だと聞いたので、私が勤めていた時の上司の名前を出した。娘さんがその音大に行っていたからである。何となんとその娘さんが大学の時に卒論課程で作曲理論を指導してくれた恩師なんだそうだ。ビックリである。

私はこの上司に結婚式の仲人もしてもらっていたのです。その上司の娘さんなのです。まさか大分でこんな身近なことに出会えるとは想像もしてなかった。不思議な縁だ。九州の大分で大分、東京、新潟とトライアングルに結ばれていたのだ。世の中は広いようだが狭い。どこで関わりが生じてくるか分からない。

この上司の応接間には、私の遠い親戚の洋画家の絵も飾られていた。上司が国立に自宅を新築した時に買ってもらった絵なのです。その絵は上司の娘さんが選んだものだったそうだ。縁なるものは不思議だ。娘さんと軽々しく書いてしまったが、作曲理論の第一人者になられておられるそうだ。生徒さんも准教授としてこちらの芸術の大学で教鞭と執っている。陶芸も上手になっていた。


私が自宅に 「太陽光発電設備」 を導入した時も、ほんの一瞬の出来事だった。家内が玄関先で誰かと応対していた。

 「うちは結構です」 と断っていた。
 「太陽光発電設備 ・・・ 」 と話す声が聞こえてきた。
 「おっ、太陽光 ・・・ 」 面白いと思った。

直ぐに玄関先まで飛び出して引き止めた。
その営業マンから、「裏の健康ランドのイベントホールでソーラーシステムの展示会をやってるので見に来て下さい」 と言われた。直ぐに、裏隣りにあるイベントホールの展示会場へ見に行った。銀行の金利も1%を大きく切っている。そうだ、銀行にお金を預けておくよりも屋根の上に置いておこうと思った。すぐに設置することを決めた。

自宅は、高床式なので単純な間取りの平屋風の造りある。天井は広い。それも南向きである。南側はイベントホールの広い駐車場になっていて遮るものも何もない。陶芸教室は電気窯や電動ろくろ、冷暖房設備などで光熱費もかかる。太陽光で発電できるのは有り難い。直ぐに設置した。設備費の償却には10年かかるが、すでに8年が経過した。

この時に、IHクッキングヒーターやエコキュートにも取り替えることが出来た。風呂の湯量や温度調節も楽に出来るようになった。すごく助かっている。こんなちょっとした巡り合わせでつながることが人生の後半には結構多くなった。ちょっとした好奇心を持っていると何かとつながって来るようだ。長い間に知らずしらず蓄積されてきたものが生かされて来るのだろう。そんなことがチョクチョクと感じられるようになってきた。





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日日是好日/連載12

2019-03-19 06:33:15 | 日日是好日/連載
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 ー 「陶芸」 が教えてくれる 15 のしあわせ ー

≪注釈≫
「 “日日是好日” に高校時代のことを書いてたら、何と私の母校が23年ぶりに甲子園に出場することになった。又、大分県からも2校出場する。開会式の司会も大分の女子高校生が務める。楽しみな 2019年の春の選抜高校野球になった。4日後の23日から開催される。そんなことで、急遽、“日日是好日” の第11章を繰り上げ掲載した。これはその続きの続きです」




第11章 の 3 : 別れは必ずやってくる
私も家内も郷里は大分だが、私の妹も家内の兄弟6人もみんな東京にいた。親や子供の代まで入れると大学も東大から一つ橋大、東京工大や、都内のはぼ全私立大学に行っていた。三女子大や他の女子大にも行っている。みんなバラバラの大学だ。親子が代々同じ大学というところもほとんどない。どこの大学ともつながりができている。こんなような広がりがみえるが全て東京や近郊に住んでいた。

大分で身近な親戚といえば、私の二人の叔母さんが居るくらいだった。家内の叔父や叔母たちも県外に出ていたが、大阪にいた家内の叔母夫婦が、我々よりも7年ほど前に大分に戻ってきていた。叔父さんは大阪で教育委員長などをしていたが、郷里でノンビリしたいといって戻ってきていた。郷里の近くの戸次に家を建てていたが、その叔父さんも3年ほど前に亡くなっていた。叔母さんが一人で生活をしていた。

戸次 (へつぎ) という地名も面白い。青森には八戸などもある。戸という字は入口をさしている。全国共通する地名なのだろう。大分市の入口という意味なのかもしれない。私は東京・中野区の谷戸小学校を出ている。1年間だけ在籍した。この呼び方を 「やと」 と言うのだが、谷の入口と言うことになる。近くには中野坂上と中野坂下と言う町名もある。地下鉄の駅名もある。地名には歴史が残っている。当時は谷間だったのだろう。小学校の校歌の中にも 「谷のおくにも 光輝き ・・・ 日に日に伸ぶ ・・・ 」 とある。そんなに古いことでもないが昔が偲ばれる。今はその面影はない。住宅地である。縦に環状6号線の山手通り、横には大久保通りが走っている。車の流れが絶えない。

叔母さんは私の家によく泊まりに来ていた。家内の母親の妹だった。気さくな小柄な叔母さんだった。普段はデイサービスに通って楽しんでいた。土曜と日曜日にはよく我が家に泊まりに来た。長い時は一ヶ月間ほど泊まっていた。
 「姪御さんの所に、そんなに長くいっていいのかい」 と
近所の人からも言われてたらしい。家内も慕ってたし、知り合いもいないので私も大変助かった。叔母さんは家内と二人でドキハ百貨店などにもよく出掛けていた。我が家にはバスで来て、帰りは私が車で送っていった。車で2、30分くらいの所だった。

可愛い仕草をするおばさんで、ちょっとまずいことを言ったかなと思うような時は、首をちょっとすくめるのである。当時としては数少ない大分高女を出ていた。昔々のことだが、都市銀行に勤めてた時におじさんに見初められたらしい。こちらでいえば才媛である。家内の母親も、私の叔母二人も、継母も大分高女を出ていた。継母とは同級生だった。継母は私が戻る1年ほど前に認知症で介護施設に入っていた。

おばさんはさっぱりとした憎めない叔母さんだった。思い出すのは、「3人を産んだ時は 痛かった」 と顔をしかめていたことだ。3回ほど聞いたのでよく覚えてる。3人の息子たちは親孝行だった。機会があるごとに大阪から叔母さんの様子をみに来ていた。叔母さんとはお互いに7年間ほど楽しい時を過ごしてきた。しだいに歩くのが不自由になり大阪の息子たちの所に引き取られたが、数年前に施設で転んで亡くなった。

叔母さんも、私の妹も、今もいれば楽しいのになと思うのだが別れはやってくる。



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日日是好日/連載11

2019-03-17 07:39:31 | 日日是好日/連載
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 ー 「陶芸」 が教えてくれる 15 のしあわせ ー

≪注釈≫
「 “日日是好日” に高校時代のことを書いてたら、何と母校が甲子園に出場することになった。又、大分県からも2校出場する。心躍る楽しみな春の選抜高校野球になった。今週の23日から開催される。そんなことで、急遽、“日日是好日” の第11章を繰り上げ掲載した。その続きです」




第11章 の 2 : 別れは必ずやってくる
10数年ほど前に、同窓生から一通の封筒が届いた。高校時代に100m走で私に勝てなかったと前置きがあった。私は昔で言えば中肉中背くらいで細身だった。足だけは速かった。泳ぎも速かった。中学1年の時には水泳部に入ったが2年生よりも速かった。東京・中野区で1位になった3年生だけに勝てなかったが、正選手のユニフォームをもらった。体が細くてぶかぶかだったのを思い出す。2年になった時に親父の転勤で転校したので、その後は水泳はやっていない。

走るのも速かった。100mでは高校2年生で2位。3年生では全校で2位だった。体の大きな野球部の選手にどうしても勝てなかった。80mまでは並走するのだがそこから上半身が浮いてくる。この時に100m走は頑丈な体がないと駄目だなと感じた。陸上部の先生からも体が大きければ入部を勧めるのだがと言われたことがある。

こんなことを書いた後に、彼からきた手紙が出てきた。「貴殿とは、一度も同じくクラスにはなりませんでしたが、よく覚えています。2年生の体育祭でものすごい差で貴殿が1位、私が2位になった記憶があります。」 と書いてあった。彼は長身の野球部の選手だった。そうだ、2年の時は1位だった。私の脳裏には、3年生の時に野球部の選手にせり負けたことが記憶として鮮明に残されているのだが、野球部にリベンジされてたんだ。相手はスパイクで私は素足だったように思う。負け惜しみだが。

大学の1年の時も学部祭があり、リレーで2,3人抜きをしてトップでバトンを渡した。同じ高校卒の同級生から 「相変わらず速いね」 と言われた。その後の選考会に出ていれば国立競技場でも走る機会があったのに、ずぼらな性格だったのでサボってしまった。思い出すと残念だ。何事にも挑戦してみてみることが大事だ。後悔先に立たずだ。

30代の後半のことだが会社でも運動会が開かれた。リレーで久し振りに走った。前を走ってる若いのをコーナーで抜いた途端に、体が宙に浮いて足が空回りして転倒してしまった。いい所を見せようと思ったのにがっかりだった。ただ、走りを見ていた京大卒の重役が君の走りはいいね、陸上をやってたのかと言われた。速いといっても一般のレベルでしかないが、母校が甲子園に出場することになったので、他愛もないことだがこんなことまで付け足して書いてしまった。

話が遠回りしてしまったが、彼からきた手書きの手紙には
 「母校が甲子園から遠ざかって久しい。この歳になったので、我々が後輩たちに甲子園へ出場できるようにバックアップしようではないか。夏の大会でベスト4まで勝ち進んだ当時の名投手を会長にしてバックアップする会を発足したいので賛同してほしい」
というような内容のことが書かれていた。私は・・・、

 「今はもうそんな時代ではないだろう。高校野球も野球に特化した私立高校の時代だ」
と思って返事をするのを躊躇した。そのままにしていたことを思い出した。日頃から付き合いベタなのでいつも不義理をしてきたが、バックアップしてきた彼らも大喜びしてることだろう。甲子園出場がかなってよかった。高校野球の春季全国大会は今週の23日から甲子園で開催される。わずか19名の野球部員で中国地区大会を接戦で勝ち抜いてきたのだ。精一杯戦ってくれるだろう。


<文章が長くなったので、続きはまた次回に・・・>


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日日是好日/連載10

2019-03-15 08:00:12 | 日日是好日/連載
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 ー 「陶芸」 が教えてくれる 15 のしあわせ ー

≪注釈≫
次は、“第4章” のステージの続きで 「連載7の4」 になるのだが、今回は
“第11章” のステージ 「連載15の1~3」 を繰り上げて掲載した。
繰り上げた理由は文末に・・・。

第11章 別れは必ずやってくる
森下典子さんの 『日日是好日』 の第11章は 「別れは必ずやってくる」 である。これがストーリーの展開なんだろう。さぁ~てどうしよう。フィクションのように妹と家内の叔母さんのことでも綴ってみよう。二人はいつしかあの世へ逝っていた。

或る日のことだ。妹が何の連絡もなしに突然、それも夜の9時ごろ茨城から大分の我が家にやってきた。道に迷ったらしく居酒屋のお客さんが近くまで連れてきてくれた。大分駅から歩いて来る途中で迷ったようだ。JR 線が高架になり道路も整備されていたので迷ったのだろう。それにしてもビックリだった。

おおきなゴミ袋のようなものをぶら下げていた。着替えが入ってたらしい。妹が家内に 「お兄ちゃんは優しいから」 と言って、「1年くらいここにいるから」 と話していた。優しく見えるんだがそれほど優しいわけでもない。それにしても1年はちょっと困るなと思った。

すぐに妹の長女が迎えに来てくれた。それから数年たって心臓発作で亡くなってしまった。この居酒屋も何年か前に店を閉じた。店の前を通るたびに、その時のことが思い出される。お店は以前のまま残されている。


 

居酒屋の右手奥の方に健康ランドのビルが見える


妹は頭がよかった。中学1生の時に、東大に行きたいと言って鳥取県の米子から1人で上京して東京生活を始めた。内申書が悪かったようで都立の有数の進学校に進学できなかった。それからは遊んでいたようだが、高校3年の時に勉強して有名女子大に入った。

数学科を出ていたので高等学校でも教えていた。いつだったか夜に電話をして、「今なにやってるんだ」 と聞いたら、受験生のために 「東大向けの試験問題を解いてる」 と言っていた 「難しいだろう」 といったら 「別に」 と応えた。俺とは違うなと思った。高校生の時に旺文社の 「解析Ⅱ」 とか言う数学の受験参考書を買った。さっぱり分からなかった。2ページ開いてみただけだった。1年間ほど本棚に飾っていたが、3ページ以降に進むことはなかった。こんなことをいつも思い出す。

私の母は当時流行ってた結核で長期療養をしていた。小学校6年の時に一緒になった。それ以降もお手伝いさんがいたので、母親の手料理はほとんど知らない。妹は家事ごとは得意とは言えなかった。「女の子なのでお袋の味とか温もりなども知っていれば、よかっただろうに」 などと少し可愛そうに思ったりしたこともあった。妹には3人の子供がいた。次女は同じ女子大の数学科を出ていた。家庭外のことでは、女子大の同窓会の会長か学部の会長をやってるとか言っていた。芯は強かった。田中真紀子さんに似てるなと言ったら嫌がっていた。後輩の森下典子さんに似てると言ったら喜んだかも知れない。

私が高校生の時に親父が宮崎にまた転勤になった。私は無理を言って米子に残してもらった。入学した高校は当時は野球が強かった。夏の甲子園でも準決勝に進んだり、1年後輩は選抜で準優勝をしていた。当時は文武両道ということで全国的にも有名な県立高校だった。全国高校クイズ選手権などでもいっときは決勝戦の常連校だった。

私は子供の頃は南国の宮崎県の最南端の村で育った。小学校時代はガキ大将争そいで喧嘩ばかりしていた。炎天下で真っ裸で遊んでいた。黒ん坊と言われてた。そんなこんなで中学2年まで全く勉強をしたことがなかった。成績が悪かったので通信簿にインクをこぼし親父に渋々見せたことがある。怖かった親父もその時は黙っていた。高校受験の中学3年の時に初めて勉強をした。卒業の時には努力賞をもらった。そんなことで合格し入学できた嬉しさもあり、この時は転校はしたくなかったのである。この章がなければ書くこともなかったであろう誰にも知られずにすんだ裏話までついつい書いてしまった。大きく足を踏み外してしまった。勇み足だ。

もう一つ思い出すのは、小学校の試験で漢字の書き取りの試験があった。「やすい」 という漢字を書けとあった。なにしろ勉強をしたことがなかったので書けない。解答欄は白紙状態だった。時間だけはたっぷりと残っていた。私の名前はやすとである。こう書く。祺人である。誰も読めないし書けないだろう。やすいという字が分からない。ふっと気が付いて 「祺い」 と書いた。先生は首をかしげただろうな。漢字能力検定一級の難しい漢字である。先生も分からなかっただろう。畏れ多くも、江戸時代の仁孝天皇の皇太后さまは鷹司祺子と記されている。

下宿先のお家は米子の皆生温泉 (かいけ) にあった。蛇口をひねれば好きな時に温泉が出てきた。いいな~と思った。小学生の時は宮崎県の吾田村 (現日南市) で育ったが、この時は鉄製の五右衛門風呂だった。下宿したこの時から 「温泉っていいな~」 と思うようになったが、今では我が家では太陽光発電で昼間は電気を供給し、深夜の割引電力で沸かした温水で、蛇口をひねればすぐに風呂に入れる。隔世の感がある。ましてや、裏にある豊の国健康ランドの大浴場が温泉になった。好きな時に気軽に温泉でくつろげる。

こんなことを思い出しながら書いていたら、何となんと母校が23年ぶりかで春の選抜高校野球に選出された。ビックリするやら嬉しいやら。不思議なことにこんなことを書いたりしていると想いが現実へとつながってくる。


 (長くなりましたので続きは次回に・・・)


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日日是好日/連載9

2019-03-13 10:43:45 | 日日是好日/連載
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 ー 「陶芸」 が教えてくれる 15 のしあわせ ー

第四章 「今」 に気持ちを集中すること
 <夢心地のころ>
「昔のメモ書きがないかと、本棚をごそごそと捜していたら、富士五湖・山中湖で初個展を開いた時に会場に掲示した文章が出てきた。読み返してみると、そのときの気持ちが素直に綴られている。初々しい感じだ。私には一見文芸的にも見えるのだが今はこんな文章は書けない。気持ちが高揚してるときは書けるのだろう。この文章を下記しよう」

~ いつの間にか ~
それまでは興味がなかった。
いつの頃からであろう、妻が 「陶芸をやってみたい」 と言い出したのは・・・。
50を過ぎてくると、そろそろ妻のご機嫌を
とっておかないとまずいかなと男は思えてくる。
妻の趣味が一つでも増えれば、マイペースを通しても
ブツブツ言われることもなかろうなどと密かに思いながら、
近くにある陶芸工房 『陽だまり工房』 を二人して訪ねた。
左折して凸凹の細い道を入って行くと、手造りの温もりのある工房と、
3階建ての大きなログハウスが唐松林の中に現れた。雰囲気が漂っていた。

誘われるがままに400gほどの土を手にする。
妻には、先生が丁寧に教えている。笑顔もみえる。
私には 「気ままにやってください」 と素っ気ない。なるがままに
やっていたらいつの間にか夢中になっている。雑念を忘れてしまう。
好きな形ができあがる。創作のアイデアも浮かんでくる。
 「おっ! これは私に合っている」 と内心思えてきた。
 「勝手にやってください」 と言っていた先生が
 「職を間違えましたね」 とその気持ちをくすぐる。
こうおだてられると火がつくのも早い。以後、ハマッテしまった。

それからというもの、曲がったものや変形したものを作っては一人でご満悦。
二つとないオリジナルなものづくりに張り切る (オブジェと言う) 。

好きな手びねりを続けていたが、ロクロ挽きも少しくらいできないと
 「陶芸をやってます」 とは言えないなと思えてきた。
先生が菊練り (土練り) を見せてくれた。
 「よぉ~し、俺も美しい菊の花をつくってみせるぞ」 と、
工房に顔を出すたびに雑談する間も惜しんで菊練りを繰り返した。

そんなことで最近は、手びねりよりもロクロの練習に励んでいるが、
定形的なものを狙うがあまり、いびつな形のものが作れなくなってきた。
発想も最初の頃のように湧いてこない。きちんとした形を作っていると、
形をこわすのが難しい。素人の悲しさだ。

近頃は身内の者がそのよしみで、おだてては注文を出してくれる。
こんな食器が欲しいと言われれば、ついついその気になって作ってしまう。
どんな食器が良いのか分からないだけに、これもいいアイデア源になる。
形だけでなく色合いなどにも陶芸の奥深さを感じる時でもある。

焼き物は 『成形、削り、乾燥、素焼き、釉掛け、本焼き』 と
出来上がるまでにはいくつもの工程があり結構時間がかかる。
時間とお金をいただければ何でも作りますよと言いたいのだが・・・
 「喜んでもらえればそれでいいじゃないの。素人なんだから。楽しんでるんでしょう」
と妻にあっさりと片付けられてしまう。

今回は、私にとって初めての展示会です。自作のものを中心に飾りましたが、
女性の方から 「かぁわいい!」 と言ってもらえそうな妻の創作による
 『茅葺の水車小屋をモチーフした蚊取り線香立て』 や 『象さんの箸立て』
 (これは陽だまり工房の悦ちゃんのパクリかな?) なども一緒に展示しました。
また、壁面に飾るものがないので、妻が趣味でやっている
俳画を本人は嫌がっていましたが、掛けてみました。

このような機会を、そして事務所にこのようなギャラリーコーナーを併設、
提供してくださった ふじ企画(株)の皆さまに心より感謝を申し上げます。

                        新緑の5月/山中湖畔にて



  


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