今まで、何度か平泉には足を運びましたが、「骨寺荘園遺跡」というところは知りませんでした。
場所としては、平泉から7~8キロ西の山あいの地にあります。一帯の盆地で、ある意味遠野に似ています。
なんでも、中世以降の荘園の面影を残すということで平泉の世界遺産の一部となったようです。
しかし、その集落に着いてみても、正直、ピンときません。
なんの変哲もない農村…のような…。
街道沿いに進むと観光案内所が見えたので、観光にふさわしい場所を聞いてみました。
無料のボランティアガイドがいるというので、お願いすることにしました。
こういった小さい畑、曲がりくねった畝が昔の田んぼの名残なんだそうです。
しかし、近年田んぼの区画整理や土壌改良の工事も進んでおり、こういった田んぼはどんどん少なくなっているのが現状だそうです。
ちなみに、これだけ小さい田んぼになるとトラクターなどの機械が入らないため、農作業は手作業にならざるを得ず、国士舘大学の学生さんが手伝いに来るそうです。その国士舘の学生を連れてくるのが、この骨寺荘園遺跡を研究している大学の先生、というわけです。その方がここを有名にしたわけですな。
千年前の絵図にもある歴史の古い駒形根神社という神社です。
特に建物が格別に古いとか珍しいという点はありませんが…
これが鎌倉時代の絵図だそうです。
あと、これも。
駒形神社というだけあって、馬を祀っています。
境内からの眺めです。
慈恵塚の拝殿です。
もともと「骨寺」という珍しい地名は、その起源が謎です。
そういう名前の寺が昔はあったらしいです。
(とはいえ鎌倉時代には既に廃寺になっていたという。どれだけ歴史が古いんだろう…)
昔は、分骨と言って、尊い人の骨をいくつかの場所に分けて埋葬したといいます。
そのためのお寺がここにあったというのがその説。略称が地名になったというものです。
もう一つの説が、この慈恵塚に残る伝説です。
昔、この地に、仏道に目覚め、お経を勉強したいと発心した若い娘がおりました。
しかし、あまりに田舎のことで、お寺の一つもありません。
娘が途方に暮れていると、ある時、家の屋根裏から、お経の声が聞こえてきます。
娘はそれで仏道を勉強することができました。
そこで、不思議に思い、屋根裏を見てみると、そこには舌のついた髑髏があったということです。
その髑髏はありがたいことに、比叡山の高僧第十八代座主慈恵大師良源の髑髏でした。
それを葬ったのがこの「慈経塚」だそうです。
(なんで比叡山のお坊さんの髑髏が平泉にあるのか不明)
その慈恵塚はこの「逆柴山」(さかしばやま)の山頂にあります。
険しい山道を10分ほど登ります。
だんだん眺めがよくなります。
山頂近くになると、開けてきます。
この辺りが、慈経塚です。
行った当時は、解体調査中でした。
珍しい猿の狛犬です。(狛猿とでも言うのか?)
これはこれで珍しい。
でも、ちゃんともとに戻るんでしょうか…?
その他、石碑。
何が書いてあるかよく分かりません。ガイドさんもそこまでは知らないそうです。
逆柴山からは骨寺荘園遺跡が一望できます。
足を滑らして落ちないように気をつける必要がありますが。
あと、なにか古いものはないのかとガイドさんにお願いして、
昔、修験者が使っていたという、窟屋(いわや)にいきました。
山道の傾斜がきついです。
特になんの変哲もない洞窟でした。
正直、まにあっくというか…、パンチの少ない場所です。
普通の農村と変わりません。日本中どこにでもありそうな感じがします。
【撮影日:2011/4/22】
↓骨寺荘園遺跡はこのへんです。
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