Nasebanaru

アメリカで趣味と生活を綴る

日本の児童相談所 改善の余地があるのでは

2009-04-01 00:11:08 | 気の向くまま
外部から児童虐待の情報が寄せられても、警察のような強力な権限が児童相談所には与えられていないため、自ら動くことができず、結果的に虐待を受けた子供の命が失われ、事件として報じられることが後を絶たない。

諸法令には警察との連携もうたわれてはいるが、民事不介入の警察の原則もあり、現状では児童虐待への対応は不可能に近い。

また、児童相談所の職員の業務が過重となり、緊急事態に対応できない状況も散見される。

Wikipedia「児童相談書」より抜粋

殺されて事件になるまで児童虐待は公にならないわけですから、これだけしょっちゅう虐待の報道が続くと言う状況はこの問題の裾野はもっと広いと認識したほうがいいと思います。

アメリカと日本の風土の違いでしょうか、アメリカでは日本人から見ると「過剰」なまでに幼い児童を守らればならない、という意識がアメリカ人の中にあります。たとえば車に子供をおいたまま3分ほど買い物をしている間に誰かに通報され、車に帰ると警官に厳重注意された、と言う話も実際に日本の友人から聞きました。子供だけの「留守番」は子供が12歳になるまで認められていません。これも虐待とみなされます。子供だけの留守番なんてばれない、と思うでしょう。ところがこれを何食わぬ顔をしたご近所さんがよく見ているのです。そしてこっそり通報します。

日本では私の小さいころにはまだ「子供を愛していない親なんていない」と世間でどうどうと言われていました。

もちろん今もほとんどの日本人はそのままだと思います。それでアメリカに比べると児童相談所の権限は弱いのかもしれません。

しかし私には耐えられません。報道で子供が何日も食べ物を与えられず餓死させられたと聞くと、「ああ、この子は死ぬ間際、どんな気持ちだったろう。お腹が空いて、寂しいのにお父さんもお母さんもそばにいてくれなくて。」そう思っていたたまれなくなるのです。

よく子供の頃虐待を受けた人は、大人になると自分の子供に同じことを繰り返しやすいと言われます。中には本気で虐待を躾だと思い込んでいる人もいるでしょう。自分がそうやって躾けられたわけですから。

けれどもご飯を食べさせないことだけは止めてほしい。大人だって空腹は耐えがたい苦痛でしょう。ましてや育ち盛りの子供にご飯もあげないなんて、もうそれだけはしてほしくありません。

わたしは子供が生まれてからもアメリカでいままでいろんな仕事をしてきましたが、どんな仕事をしても私の仕事の究極の目的は、

家族の囲む食卓を食べ物でいっぱいにすること

それに尽きると思います。

自分の商売が順調なときもあまりうまくいかないときも、食卓がいつも食べ物で満たされていれば何も心配はありません。

日本の子供が健やかに育まれますように。日本の子供が夢を持ち続けられますように。

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