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ネット坐禅会・40・・・『般若心経』の世界❺ 清らかな心

「空」の教えの部分が終わり、後半は、空の智慧による境地、その素晴らしさを讃え、その境地に至る祈りの記述となります。

以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。

 私的な所有の物を得る所が無いため、真理に到達した(仏)とはいえ、人々と共に生きる立場(菩薩)としてfは、「空」という悟りの岸に至った智慧に依るために、心に一点の陰りも曇りもありません。

無罣礙故。無有恐怖。遠離一切転倒夢想。究竟涅槃。

 (心に)けがれやまよいが無いために、不安や恐れが無く、すべての偏見や現実離れした考えを超越して、安らぎの境地に入るのです。

 

 「心無罣礙」(心に礙(けがれ)なし)という、この記述は、仏教として大変重要な意味を持ちます。みんな素晴らしい心を持っているという人間の尊厳を示してくれている教えだからです。それは、生まれながらにして清浄無垢の仏様と同じ心を持っているという解釈も出来ますが、本来のお釈迦様が発信された頃の教えは、知らず知らずのうちに積み重なる欲望による汚れた心を、修行の力によって取り除くという意味に解釈されていました。その後、『般若心経』としてまとめられる西暦ゼロ年頃には、菩薩という一般の人の目線で、正しい智慧を授けてくださり、手を差し伸べてくれる存在がいるという大乗仏教の教えが広まり、その菩薩にすがって正しい生き方を実践すれば、誰でも清らかな心を備えることが出来るようにと解釈できたのです。この智慧こそ、「空」という考え方で、安らぎの境地の実現なのです。

 この清らかな心の存在は、様々な捉え方へと発展して、もともとそのような心として生まれていると、強く主張するグループ(如来蔵・仏性思想)、いや、清らかな心が有ったか無かったかは、実現してみて判るものだというグループ(修証一等・行学一如)、いやいや、汚れを取り除く努力の結果初めて得られるものだとする当初の教えを頑なに守るグループ(小乗仏教)らに分けられて発展してきました。

 

 

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