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37回忌法要

年回法要に37回忌というのがあります。私が仏事の手伝いを始めた頃は、確か設定されてなくて、33回忌の次は50回忌でした。

37回忌を、年回の繰り出し表に記載するようになったのは、最近になってからのことと思います。

追善供養・年回については、以前にまとめたことがありますが、49日まではインドで、100ヶ日から3回忌までは中国、それ以降は日本で慣習化されたものです。それでも江戸時代までは、33回忌までで、37回忌・50回忌が行われるようになったのは明治以降のようです。

その中でも、37回忌は33回忌を忘れてしまったり、何らかの都合で出来なかった場合の予備の供養として行われてきたようで、実際に当寺でもそのような感じで営まれてきた印象があります。

ところが、先日務めさせていただいた37回忌の法要は、心に残るかけがいのない法要であることを気づかせていただきました。

ほとけさまは、生後数ヶ月の赤ちゃんでした。突然の病で急に亡くなられてしまったそうです。ご両親とご兄弟が参列しての法要でしたが、毎回の年回は欠かしません。その都度、生きていたら○○歳と思う度に涙があふれるそうです。
37回忌のこの度、元気ならば36歳。仕事にも家庭にもバリバリ活躍する年代です。そんなふうに思うと、この37回忌、特別な重みがあるのだと思います。
お母さんの言葉です。
「ちっちゃな命を守ってあげられなかった親のことを、供養を積むことで少しは許してもらえるかしら・・・」と。
37回忌を迎えて、悲しみも安らいで行くかと思いきや、歳が重なればなるほど、もし生きていれば・・・という隔たりの大きさに、尽きる悲しみは無い、とも語っていられました。

帰り際、ご両親は、さあ50回忌まで元気でその日を迎えてあげねば・・・という決意のようでした。

時が悲しみを乗り越えることもあるでしょう。しかし、すべてが時で解決すれば、年回法要という慣習は育ってこなかったでしょう。追善供養の節目に、新たな悲しみを実感し、明日への命の希望を祈る。

37回忌は、つけ加えの予備年回?とんでもない、一つひとつがかけがいのない尊い祈り・安らぎの場であることを教えていただきました。



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