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ルーツを訪ねて

大分の旅で、速見郡大神(おおが)という町を訪れました。写真は日豊本線大神駅です。

      

本線といっても単線でローカル色の強い駅です。現在は町村合併で隣の日出(ひじ)町と合併しています。
 この地を訪れた理由は、次の古文書が当寺に伝わっていたからです。

                   

   「往来一札之事」
一、僧壱人     海州
右の本人禅宗拙寺弟子の僧、・・・・・

として始まる、文政12年(1830)に、大分県速見郡大神村の智徳院が発行した通行手形です。宛名は各関所あてです。この種の文書はめずらしいそうで、郷土史研究に役立ってきたようです。
 海州和尚は、私の住む寺の歴代の24代住職です。九州の地から、神奈川の当地までやってきて住職となったことが判ります。その後の住職でこの地を訪れた記録はないので、いつか機会があれば訪ねてみたいものだと思っていました。父も確かそう言っておりました。

 事前の調査で、智徳院は、明治になって廃寺となり、跡地を学校として使われ、現在は公民館として使われているとの事でした。
 役所で尋ね、ようやく跡地を訪ねることができました。

この山の中ほどが、智徳院跡であると、タクシーの運転手さんが教えてくれました。ワクワクします。。。

 ここが、智徳院跡の入り口です。入り口の石垣、階段、灯篭などが、かつての面影を伝えてくれています。中央の建物が現在の公民館です。常時は不在で、地域の集会場といった雰囲気でした。
 
 境内の前は、田植え間近なのどかな田園風景が広がっていました。

 裏山のやぶを押し分けて入ると、中に歴代住職の墓所がありました。中央に「開山」と刻まれた墓石があります。ご開山様の墓標なのでしょう。

 今でこそ新幹線、飛行機などで数時間で着くものの、当時は何日かかったのでしょうか。大変な労苦。しかも仏縁とでもいいましょうか。不思議な感慨にふけりました。
 いつかは訪ねてみたいという願いが達成できて嬉しく思います。




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
拙衲もいつか・・・ (kenryu)
2007-06-12 06:12:52
おはようございます。ようやく、梅雨前のしっとりした朝になっています。貴寺も九州にご縁が・・・。妄想を掻き立てますと、犬神家にもたどり着いたりするのでは・・・・。
拙寺も開山様は鹿児島のご出身です。四代目の住職の通行手形(室町時代のもの)が残っています。本寺は明治の廃仏毀釈で既に無く、盆踊りの名前にその寺名がわずかに残っているようです。いつかは、そのルーツを訪ねてみたいものです。
 
 
 
→kenryu兄 (tera)
2007-06-13 06:46:25
こちらはまだ入梅前で、さわやかな晴天が続いています。
そうですか、開山様ですか。拙寺にも薩州出という歴代さんがいられますので鹿児島ですね。九州の僧は多かったのでしょうか。
九州と言えば、明日からまた九州です。博多ですが。。。
 
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