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慕古の旅④~天童寺の生活~

 生活については、はっきりよく実態はわかりませんでした。質問をしても通訳のガイドを介するため、思うようには聞けませんでした。垣間見るといった感じで一泊を過ごしてきました。冒頭は、境内に咲いていた梅の花です。道元禅師も見られたのでしょうか。
訪中参拝の拝、読経をするメンバー。
手前に並んでいるのは礼拝具。下は石敷きなのでここでお拝をするのです。これが全員分並べてあるのです。

 広く、多くの建物があるために、どこにどのくらいの僧が修行しているのかわかりません。ポツンポツンと掃除をしたり、行き交う姿を見ましたが、朝のお勤めのときには、ぞくぞくと100人以上もの僧が集まり、このときだけは、一堂に会するようです。残念ながらこの様子の写真は撮れませんでした。ずっと立ったままで1時間半ほどの読経で、全員の行道は共通点がありました。私達も中に入って参加しましたが、感動的です。
薄暗い堂内で、朝課の始まりを待つメンバー。朝は冷えました。

 さらにびっくりしたのは坐禅。私達は夜坐の二チュウ目から参加したのですが、いきなり経行(きんひん)からでした。これは、歩いて足の痛みを休める意味がありますが、永平寺などのゆっくりしたものではなく、臨済宗などで行う、早歩きというやり方でした。しかも、時計周りに中央の仏像の周りをどんどん歩くのです。約10分、数えたら25周ほど回りました。そして、堂内の壁に沿って壁を背にして坐禅。このあたりの動きは実にキビキビしていました。時折、ピシッと竹の音が鳴ったり、注意する声が響いていました。警策が回るのも似ていますが、背中からではなく対面からです。短い竹のヘラみたいなものでした。30分位を2回行いましたが、何とも言えない貴重な体験をしました。

 ここでの修行形態は、全員が同じことをというのではなく、段階によって分かれているようです。今回共に坐禅をした僧侶の方がたは、現在はそれだけなのだそうです。つまり毎日が摂心なのですね。寺務はそれだけ、といった感じのようです。
       
 台所当番つまり典座寮は、一般のまかないの方々で行われているようです。私達が遭遇して撮らせていただいたところは、もしかしたら客人用のところだったのかも知れません。私達がいただいた料理は、見事な精進料理、肉に見せかけたようなものや、いわゆるモドキものが沢山。そして、どれも美味しいのです。

 道元禅師の時代にこんなエピソードがあったようです。
ある日、昼食後、東の廊下を通ってある部屋に行こうとした時に、仏殿の前で典座和尚が海藻(のようなもの)を干していた。暑い日でとてもつらそうであった。気の毒に思い、道元さまは、「どうしてあなたのような高齢で高い地位の方が、このような仕事をなさるのですか?」と尋ねた。すると典座和尚は「他は是れ吾れにあらず(他人のしたことは自分のしたことにならない)」と言った。「では、こんなに熱い時ではない時にやられたらどうでしょう?」と聞くと、「更に何れの時をか待たん(この時間をはずしていつ最適な時があろうか)」と・・・。
このことからも、道元さまは、修行の何たるかを覚ったとおっしゃられています。(『典座教訓』)
    
  この話に出てくる現在の仏殿前が上の写真で、仏殿は右にあります。位置的にはそんなに変わらないことでしよう。確かに日はよく当たるところです。

 お堂の一角に、道元禅師の顕彰のコーナーがあり、丁寧に祀られていました。
 
 
 現在の住職様は、一昨年、平成16年6月に就任された46歳の誠信大和尚様です。私達と親しく接見いただき、一人ひとりと写真を撮るのにお付き合いいただきました。温厚で気さくな温か味のある和尚さまでした。流石に中国五山の一つの天童寺に迎えられるお方だなぁと実感しました。
          
  質問があったらどうぞ、ということで何人かが質問させていただきました。私も思い切って尋ねて見ました。
 「かつての道元禅師さまと同じように、現在外国からの修行僧はいられるのでしょうか?また、それは可能なのでしょうか?」と聞きました。すると、
「現在はここのとこ何年も外国からの方はいません。ただし、他の寺院では、そのような例もあり、政府等、関係機関に申請して許可が得られれば可能です」
というような回答をいただきました。丁寧に答えていただいて嬉しかったです。よほど私が希望しているように思われたのでしょうか?どうしましょう


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コメント
 
 
 
御跡を御慕いしてみては (kenryu)
2006-03-17 09:17:26
 こんにちは。

 天童寺での宿泊、高祖さまのと同じ空気を吸った瞬間かも。私も天童寺で昼食を戴きましたが、どれもこれも頗る美味でした。道元禅師様の写真等は、開創1700年祭に新調されたもので、本山の高祖像の拡大レプリカの額装です。

 この際、都会の喧騒を離れて、天童寺で安居なさることも一興かと存じます。
 
 
 
へ~ (某子)
2006-03-17 14:10:10
「お堂の一角に、道元禅師の顕彰のコーナーがあり、丁寧に祀られていました。」



これにはうれしくなりました。ただそこで修行をした僧の一人、ではなくて、そのような扱いをされているのですね。



それにしても、経行でぐるぐる25周ってすごいですね。

 
 
 
雲水 (ぜん)
2006-03-17 21:29:04
昨年、訪れたときに、中国のお寺にいた方と同行しました。

そこで、中国のお寺での生活を聞きました。

あまり詳しくは書いていないのですが、TBしてみます。
 
 
 
天童寺式について (風月)
2006-03-24 11:30:23
天童寺を懐かしく思い出しました。

坐禅と警策のいれかたですが、日本の黄檗宗の寺で坐禅しましたときも前向きで、警策も当然前からでした。経行については覚えていないのですが、早く歩く方が、合理的な感じがします。坐禅のとき動かずに坐っているのですから、足をほぐすときはよく歩いた方がよいのではないかと、かねがな思っていました。
 
 
 
追伸 (風月)
2006-03-24 11:32:40
今度teraさんに天童寺に安居して頂いて研究して頂くという案はいかがでしょう????
 
 
 
→風月さん (tera)
2006-03-24 12:15:37
確かに経行は合理的なように思います。黄檗宗も基本的には臨済宗と同様の歩くスタイルのようです。但し、結跏趺坐をしていた時に、鐘と同時に歩き始めるのはかなり無理があるように思いました。始めに一息半歩で、だんだん速くが合理的かも知れません。それから、経行終了の合図と同時に静止するのもかなり無理がありました。安居して研究する必要あるかも知れませんね(笑)。

私が質問した時、メーバーから「お前が修行に来たいと思っていると思うよ。お願いしますと挨拶して来いよ」と、冷やかされました
 
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