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ネット坐禅会・28・・・曹洞宗の教義・禅戒一如

禅戒一如

臨済宗は、白隠禅師の「坐禅和讃」によって一般への教化が進みました。一方、氷を衆生、水を仏に譬えて、生まれながらに仏という本覚的な説明は、曹洞宗の道元教学の立場からは、はっきりと言い切れないニアンスについては、すでに述べてきた通り一般在家の人々への坐禅の教化は難しいところでした。明治初期には、坐禅の精神をもとにしながらも、一般の在家の人には阿弥陀仏への念仏称名をも検討された記録があります。

そこで明治の中期、曹洞宗は坐禅を表面に出さないで、坐禅精神の日常展開を、仏教徒として守るべき「戒」を中心に行じていくことで、禅の精神の教化を図るようにしたのです。その背景には、お釈迦様の悟りの内容を、そのままに一筋に正しく伝えていくという禅宗特有の考え方が影響しています。坐禅によって会得した正しいものの考え方、仏としての生き方を「戒法」として条文化され、受け継がれてきた内容です。

お釈迦様は、正しい生き方として「八正道」を示されました。そして、後に戒律として沢山の守るべき項目が積み重なり、最も基本となった具足戒というものは250にも及びました。ですから一般の人々にはとてもハードルの高いものですから、出家生活により坐禅の実践によって僧侶が会得した真理を、「戒」という形で人々に布教する。そこに禅と戒の一体性を持たせたわけです。

お釈迦様は、布教に出かける弟子たちに向かって、何度も確認したそうです。「私が伝えている戒を理解できたか」、「その戒をあなたは守って実践しているか」、「その戒を人々に伝えることができるか」・・・という内容です。

やがて大乗仏教が誕生すると、下から積み上げて仏を目指すのではなく、菩薩の手助けによって、仏としての基本的な戒(菩薩戒)として16条ほどの項目を守る誓いをすることで、仏弟子としての毎日を過ごす生き方ができると説かれていきました。

その戒を受けて仏弟子としての生き方の説明書として、『修証義』が編纂されたのです。

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