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THE EDGEが描く「正義」への懐疑~Destiny考

2005年05月22日 17時03分17秒 | 世情雑感(サブカルチュア)

 「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」はアニメによって展開されているだけではなく漫画や小説による展開も存在している。それらの作品は「DESTINY」というストーリーに添って展開される別個の世界を構成している。それらの作品群の中に「機動戦士ガンダムSEED DESTINY -THE EDGE-」という漫画(久織ちまき)が存在している。角川書店の「ガンダムエース」に連載され、先月末には第一巻が発売された。この漫画の特徴は本篇の主人公がシン・アスカであるのに対し、前作の主人公各であったアスラン・ザラの視点で作品が進められている点にあるだろう。現在のところのアスランの立場(第31話現在)はザフト軍の「フェイス」所属である。つまり立場的にはシン・アスカと同じ陣営に属している事になっているが、一方で内心においては「アークエンジェル」グループのカガリ・ユラ・アスハやキラ・ヤマトに通じる一面(友情?)を持ち合わせている。
 しかし、アスランはキラが示す「正義」に懐疑を抱いている事は間違いない。それはシン・アスカが「アークエンジェル」とその中にいるカガリに抱く殺意に似た感情とは別のものである。アスランの言動を考えるならば、「DESTINY」の中においては極めてリアルな思考を持っていると考える事が出来るのではないだろうか。アスランが指摘しているのは国家対国家の戦闘に個人が介入すべきできはないという点に立脚している。だからこそ、国家代表の座を実質的に追われ個人の立場になっているカガリに馬鹿な真似はやめてオーブへ戻るようにと諭すのである。
 この論理は極めて分かりやすいし、現実においても同様である。ネーション・ステーツ(国民国家)が成立したとされる20世紀後半においても戦争は完全に国家の掌握物ではなかった。確かに中進国以上では戦争(そして武装集団)は国家の専管事項であったが、発展途上国では傭兵やゲリラと言った個人が戦争に介入していた。そして、それは21世紀に入って拡大傾向を示している。例えば、戦争地域で救援活動等を行うNGO(非政府組織)や先日、イラクで日本人がテロ集団に拘束された事で脚光を浴びた民間軍事会社の存在である。これらの存在は戦争を長期化させる傾向が指摘出来る。それはこれらの存在には外交交渉能力が備わっていないからである。戦争という外交の最終手段に踏み切ったとしても国家は戦争相手国との交渉関係を中立国等を通して維持しようとする(国連等の集団安全保証組織が存在する場合はそれも用いられる)。つまり、戦争を終結させる為の努力を決して惜しまないのだ。しかし、個人にはその能力は無い。
 アスランにとって戦争を終結させるのは国家指導部であり、国家指導部同士が解決策を見出せば問題は即座に解決するという視点に立っている。一方でキラの考え方は目の前の戦闘を停止させる事によって一時の安寧を確保し続ける事が重要と言う立場である。このどちらが本来的に有効に機能するかは明々白々であろう。確かにキラの取る手法で目の前の戦闘は納まるかもしれないが、戦争とは複数の戦闘が同時に平行して進むものであって一つの戦闘を納めさせるのは自己満足にしか過ぎない。一方でアスランの指導部同士の外交的模索は時間が掛かるがその効果は全軍へ波及する。戦争を終結させるという「正義」はアスランもキラも同じである。しかし、アスランはキラの手法を「正義」と言う名の偽善として捉えているのであろう。
 THE EDGEが生まれた背景にどのような考えがあったのかを小生は知らないが(アスランの女性人気を活用する為かも知れない)、THE EDGEには「DESTINY」本編が作り上げる偽善の「正義」を補完させる為の中和剤としてアスランを題材にしているのではないかという見方も出来なくはないのではないだろうか。

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