情報分析研究促進開発機構

統制経済推進委員会(CEPC)のブログ運用サイト。

「ほしのこえ」再考

2005年01月16日 22時58分51秒 | 世情雑感(サブカルチュア)
 現在、順次全国公開中の「雲のむこう、約束の場所」は其れ相応の人気を博しているらしい。今日のBlogではこの作品を制作した新海誠氏の前作に当たる「ほしのこえ」について分析してみようと思う。この作品をどのように解釈するかは見る人によって異なるが、小生の印象では「トップをねらえ」(あくまでも「2」ではない)的世界観にヲタクの願望的観念を重ね合わせたもののように読み解く事が出来た。謎の宇宙人を追跡する偉大なる人類の防衛軍――国連宇宙軍――に参加した少女とその少女を地球で待つ少年。両者の間には時間と言う存在が立ちはだかる。所謂、「浦島太郎現象」をベースにしているのである(その情景を現代的な携帯電話という存在で示している)。ここまでは世界観であるが、ヲタク的願望とは何であろうか?それは、「雲のむこう」においても示される一種の純粋性である。何故か、主人公達は少女を待ち続けるのである。一種の遠距離恋愛を描いている訳であるが、それが成立し得る可能性の高さに賭けているのである(実際面における同種の恋愛は人間と言うものが本質的に妥協的であるが故に成立し難い)。この待ちの純粋性は様々なヲタク文化に表れているものだ。無機的にコミケの行列を成立させうる姿を見れば其れは明白だ(ここで、一般でもそのような状況はあるだろうという指摘が出来るが、是について付言するならばそのような行動をしている一般人の行動はヲタク的なのである。彼らはその種の行動を行っているときはヲタクなのである)。
 しかし、この作品は純粋な意味における商業ベースにはなり得ない。確かに「ほしのこえ」は石原慎太郎東京都知事を含め各界から絶賛された。宮崎駿監督に劣るところがないとまで賞賛されたのである。しかしながら、これが一種の同人であると言う点を考慮しなければならないだろう。確かに背景やメカの描写に関しては瞠目すべき要素があるのは事実だ。しかし、人物描写に関して同様の評価を下す事は出来ないし(率直に言ってしまえば「下手」だ)、ストーリーについても完全な肯定を与える事は難しいだろう。つまり、新海誠氏の作品は高度な同人アニメなのである。無論、それを完成させた新海氏の能力は高く評価され得るものだ。繰り返すが、商業ベースとしてみるならば、不完全だ。分かりやすく行ってしまえば、同人誌がコンシューマーに決してなり得ないのと同様である。コンシューマーとは製作者の願望(思考)と言うよりも消費者の嗜好を優先しているからだ。「ほしのこえ」が日本のアニメに一石を投じているのは疑う余地は無い。ちょっとした才能さえあれば、アニメを誰もが作れる時代が来たと言う事を示しているからである。
 「ほしのこえ」――この作品は同人誌の商業化である。完全な商業化を行う為には同人の要素を捨てねばならないだろう。しかし、それは半面で訳のわからない独創性を放棄させてしまうのと同義語でもある。「雲のむこう」は分断された日本、平行世界と言った普通のアニメでは盛り込まれないであろう内容が導入されていた。何故、商業アニメで導入できないかと言えば、政治経済的要因以外にも誰もが理解できる内容で無ければならないと言う点があるからだ。このように考えていくならば、現在の日本アニメは岐路に立たされているといえるだろう。現行同様の商業アニメだけで進むのか、個々の特質を汲み取った同人アニメ化していくのかという事である。この新海誠氏に続く作品が同人から生まれてくるのであれば後者が促進されるかも知れないが、現在では前者の方が強いように小生には思われる。

最新の画像もっと見る