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ゼロへの集束

2005年01月24日 23時50分10秒 | 世情雑感(サブカルチュア)
 小生はマクロスというアニメーション作品を余り高く評価していない。ロボット「描写」アニメとしては一流かも知れないが、ミリタリー系アニメとしては然したる見るべき点を有していないからだ。しかし、先日、漸くのところ見終わった「マクロスゼロ」については別の評点を与える事が可能かも知れない。
 この「マクロスゼロ」は1982年にアニメ放映された「超機動要塞マクロス」の前編にあたる内容である。時代背景的には21世紀初頭の統合戦争末期ということに成る。登場する新型可変戦闘機VF-0は反応エンジンが間に合わなかった為にジェットエンジンを搭載していると言う設定になっているし(現実でも新型エンジンが完成しないので別のエンジンを積んだ問い言う話は良くある)、統合軍の戦闘機としてバルキリーの原型と成ったとも言われるF-14が登場するし、反統合同盟軍にはMig-29が登場する。そして、空母「アスカ」や「イラストリアス」を護衛している艦艇には「アーレーバーク」級イージス駆逐艦の姿を見ることが出来る。ミサイルにしてもAMRAAM2やFAE等明らかに現在の延長線である。ミリタリーという観点からすれば現在のほんの少し先の世界を描いていると言えるかもしれない。無論、戦術兵器としてファイター、ガウォーク、バトロイドに変形する機構が兵器として成立し得るのかと言う議論をここで行うつもりも、ミサイルが未来予測位置へ向けて発射されるという基本原則の再確認を行う必要も無い。ガンダムのモビルスーツと同様にあのような巨大ロボット兵器の現実的役割については「軍事研究」等の一流軍事誌を読んで頂ければ3歳児でも理解できる事であるからだ。
 では、何処を評価すべきなのだろうか?マヤン島という南の島を舞台としている点にあるのだろうか。是は一面的には正しい見方である。我々は南の島は自由で朴訥とした雰囲気があると言う幻想を戦前から抱いているようだ。ある意味で「南島イデオロギー」とでも言うべきものだが(「南島イデオロギー」は一種の植民地的概念として扱われる)、これについては後日、このアニメ、ゲームと「南島イデオロギー」の関連について分析してみようと思うのでここでは取り扱わない。最大の注目点は登場人物がフォッカー以外「マクロス」本編に繋がっていかないということである。マクロスシリーズは「マクロス」から始まった事になっており、「マクロス」から登場してきたフォッカー以外は後に出てきては話のバランスが崩れてしまうのである(その点では「機動戦士ガンダム0083」と同様の構成だ)。つまり、「マクロスゼロ」とはある意味において「マクロス」本編から切り離された一つのストーリーとして楽しむ事が出来る。それはゼロからストーリーが始まって「マクロス」に直接的には繋がらないと言う点においてゼロに回帰していくからである。ゼロへ集束し、且つ現実と程近い(製作された時期と題材となった時代と言う側面での)事による現実への歩みよりによって「マクロスゼロ」は「マクロス」シリーズの中で際立った特長を持った作品になっていると評価を与える事が出来るだろう。