生誕290年「木喰展」を見てきた。(横浜・そごう美術館)
ちょうど10年前 生誕280年を記念し、
松涛美術館において「慈愛の造形 木喰の微笑仏」が開催されたのを見に行っていた。
(1997・12月2日~1998・1月25日)
縁があったのだろう、今回も自然に行くこととなった。
くちもとに笑みをたたえた仏像を刻んで有名な遊行僧木喰は、八代将軍吉宗の時代に現在の山梨県にあたる甲斐の国に生まれた。
江戸に出てさまざまな仕事についた後、木喰が仏門に入ったのは22歳のとき。
45歳のとき、木の実を食べ、米、野菜は常食しない「木喰戒」の修行を積んで僧名「行道」と称した。
日本廻国の願を立て、五十代半ばに北海道から四国、九州まで全国をめぐる旅に出た。
木彫像を刻み始めたのはかなり遅く、六十代初めからだった。
93歳で旅先で亡くなるまで各地を遍歴、名を「五行」「明満」と変えながら、千体のちには二千体造仏を目標に、まさに超人的ともいえる速さで造像し続けた。
写真は「自刻像」陰涼寺(京都・八木町)
●西行、芭蕉、円空そして木喰の興味深い関係。
恋法師の西行は、鎌倉時代のはじめに東北の平泉まで旅をしている。
降って元禄の時代に生きた芭蕉も、その西行の跡をしたって奥の細道をたどって いる。
そしてその芭蕉とほぼ同時代を生きた円空は、北海道にまで渡って修行し、仏像 や神像を彫った。
同じように、その円空をあたかもなぞるようにして、東北から北海道にかけて果 敢な旅を試みたのが木喰だった。
かれもまた円空のようにその生涯をかけて、うまずたゆまず仏像と神像をつくり 続けた。
西行が歌を詠み、芭蕉が俳句をつくったのに対して、円空と木喰がもっぱら神像 や仏像をつくり続けたというのはとても面白く、興味深い。
(展示主催者のあいさつ参照)
ちょうど10年前 生誕280年を記念し、
松涛美術館において「慈愛の造形 木喰の微笑仏」が開催されたのを見に行っていた。
(1997・12月2日~1998・1月25日)
縁があったのだろう、今回も自然に行くこととなった。
くちもとに笑みをたたえた仏像を刻んで有名な遊行僧木喰は、八代将軍吉宗の時代に現在の山梨県にあたる甲斐の国に生まれた。
江戸に出てさまざまな仕事についた後、木喰が仏門に入ったのは22歳のとき。
45歳のとき、木の実を食べ、米、野菜は常食しない「木喰戒」の修行を積んで僧名「行道」と称した。
日本廻国の願を立て、五十代半ばに北海道から四国、九州まで全国をめぐる旅に出た。
木彫像を刻み始めたのはかなり遅く、六十代初めからだった。
93歳で旅先で亡くなるまで各地を遍歴、名を「五行」「明満」と変えながら、千体のちには二千体造仏を目標に、まさに超人的ともいえる速さで造像し続けた。
写真は「自刻像」陰涼寺(京都・八木町)
●西行、芭蕉、円空そして木喰の興味深い関係。
恋法師の西行は、鎌倉時代のはじめに東北の平泉まで旅をしている。
降って元禄の時代に生きた芭蕉も、その西行の跡をしたって奥の細道をたどって いる。
そしてその芭蕉とほぼ同時代を生きた円空は、北海道にまで渡って修行し、仏像 や神像を彫った。
同じように、その円空をあたかもなぞるようにして、東北から北海道にかけて果 敢な旅を試みたのが木喰だった。
かれもまた円空のようにその生涯をかけて、うまずたゆまず仏像と神像をつくり 続けた。
西行が歌を詠み、芭蕉が俳句をつくったのに対して、円空と木喰がもっぱら神像 や仏像をつくり続けたというのはとても面白く、興味深い。
(展示主催者のあいさつ参照)
天上の微笑をたたえる御仏の数々を見て心がなごみました。
横浜ポピーで知り合いに会うのは珍しくもないけど、Hさんにお会いしたのもおもしろかったですね!
木喰さんは10年前と同じくやすらぎ、なごみました。
人手不足で多忙の下さんに是非見てもらいたかったけど、世の中 そう甘くないんだ
何か、庶民的な仏像ですね わらわの玄関において、あたまなでなでしたら、心が、落ち着きそう 我が家は、今こうゆうのが必要じゃ 誰か、頂戴 南無南無
トンチンカンさんらしい
あたま、なでなでしなくてもジッと見ているだけで心穏やかになりますよ。
これらの彫像は頂くことも、買うこともでけまへん
自分でカルチャー教室などで勉強して造像するのもいいかも
我が家は、今こうゆうのが必要じゃ 誰か、頂戴
私が玄関に座っておりまする
貰ってくれる食事は与えてね
食事を与えると 妙に 居ついてしまいそうで こわくおまへんか。 fujikoのご飯、余ってますが
綺麗なatukoさんに頭なでなでされて毎日葉山牛食べられればGOOD食生活考えてくれて、野菜、あわび、肉でドラえもんは満足するかも知れませんどらみも連れて行きます。ヨロピク
やっと先程、23枚送信しました。
大変お待たせいたしました。
ドラえもん&どらみ面倒みてやああああ