むかーしから五日市街道、レストラン”いろりの里”近くにある看板を見ては
「ひらぐしたなか」ってへんな美術館!と思っていた。
それから30年経た今、初めてこの美術館に出向いた。
時々ほかの美術展で見かけていた名前「ひらぐしでんちゅう」だったとは
岡山県出身、上京して高村光雲の門下生に。
その後、美術界の指導者・岡倉天心や禅僧の西山禾山(かざん)の
影響を受け、仏教説話や中国の故事などを題材にした精神性の強い作品を制作。
昭和33年に22年の歳月をかけて完成した国立劇場の「鏡獅子」は
田中芸術の集大成ともいえるとか。
庭のみ写真撮影可能。
梅の花がほころびかけていた。
107歳で亡くなられたが、100歳過ぎても30年かかっても使いきれないほどの材木を所有していたとの
エピソード。
「ひらぐしたなか」ってへんな美術館!と思っていた。
それから30年経た今、初めてこの美術館に出向いた。
時々ほかの美術展で見かけていた名前「ひらぐしでんちゅう」だったとは
岡山県出身、上京して高村光雲の門下生に。
その後、美術界の指導者・岡倉天心や禅僧の西山禾山(かざん)の
影響を受け、仏教説話や中国の故事などを題材にした精神性の強い作品を制作。
昭和33年に22年の歳月をかけて完成した国立劇場の「鏡獅子」は
田中芸術の集大成ともいえるとか。
庭のみ写真撮影可能。
梅の花がほころびかけていた。
107歳で亡くなられたが、100歳過ぎても30年かかっても使いきれないほどの材木を所有していたとの
エピソード。
別の日に、私以外の方と行ったのなら話は別ですが