9日に500件の苦情が相次ぎ、あらためて取り寄せた薪500本に、
放射線セシウムが検出されたので、「五山送り火」で燃やす計画はまたもや
中止するという京都市。
始めから思慮が足りなさ過ぎた。
あきれ果てて唖然・・・
・・・薪の使用中止を決めた京都市の判断を、京都人として恥ずかしく感じる。
そもそも薪の表皮を処理してから持ってくる方法もあった上、
検出された放射能物質の量なら健康には影響しない。
市は、「送り火の意味をふまえ、検出されたが実行する」と言ってほしかった。
市は京都の名誉を貶めるとともに、被災地の風評被害を助長させたと言える。・・・(京都大の名誉教授)
こんな意見も
京都市長は岩手が危ないという勝手なイメージを逆に撒き散らしている。
陸前高田で生活している私達への想像力が足りない。
岩手の松でこんな事になるのなら、福島原発事故近辺の方々のことを思いやられたことなんてないんだろうなと想像して
愕然としてしまう。
震災から5か月過ぎて、バラバラな日本国民を実感することになるなんて。
烏合の衆が騒ぎ立てているのならともかく、市政にたずさわる方々がこのような基本的な判断ができず
まさに二転三転の結果に至るとは。
さみしいなあ・・・
送り火用の木(2年かけて準備されてます)を被災地に持って行って書いてもらえば、と思っていたら、仙台の七夕でそうしたようです。
ふたたび冥府に帰る精霊を送るという意味を持つ宗教的行事で、これが一般庶民も含めた年中行事として定着するようになるのは、室町から江戸時代以後のこと。
古くは旧暦7月16日の夜、松明の火を空に投げあげて虚空を行く霊を見送るという風習を記した資料があるとのこと。
これに対して現在の五山の送り火は山において点火されるという精霊送りの形態をとっているということです。
これを読む限りでも、陸前高田の松を使うことに関西人の感覚として無理があるというのが、ピンときません。
よそ者は入れないよという一種! 縄張り感覚?みたいなものでしょうか?
単にわずかといえども放射線含有の木が受け入れられないだけなのでしょうか?
福島原発の被害を直に受けている方々のことを考えれば、こんなことで貢献できるのなら万々歳!ではないかくらいにしか思えない私は、思慮不足なのでしょうか?
被災され亡くなられた多くの方々の魂を京都からも送ってあげようという気持ちが、一番大切であり、意味があったのに、こうはっきりしない低レベルな?理由で二転三転(すみません)したのでは、「もう結構です!!好きにして!!」という被災地のみなさんの気持ちに共感します。
理屈や体裁ではなく、真意を伝えることが感動と勇気をよぶのではないでしょうか。