松田敏子フラワーデザイン・徒然ローズガーデン

予定より長生きしている今を憂いながら、怒りながら、笑いながら楽しむ。

2度目の展覧会

2021-10-29 23:29:00 | 芸術鑑賞・文学・音楽・映画など
三菱一号館美術館


撮影可の一室



ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
モルトフォンテーヌ、小さな柵変化と続く道





シャルル=フランソワ・ドービニー
花咲くりんごの木





カミーユ・ピサロ
あさ、陽光の効果、エラニー





カミーユ・ピサロ
豊作





フィンセント・ファン・ゴッホ
プロヴァンスの収穫期




初めて知った画家
レッサー・ユリィ
今回、とても気に入った絵画 4作品


「風景」


11歳の時に父を亡くし、一家でベルリンに移り住んだ。
1879よりデュッセルドルフのアカデミーで学び
1887年にベルリンに帰るまでに
ブリュッセル、パリ、シュトゥットガルトといった
各都市で学ぶ。
1893年にミュンヘンの分離派展に出展する。
60歳を記念して開かれた大規模な展示で
名声は揺るぎないものとなった。
静物や風景をいんしょうはに近い技法で描き
雨の路地や夜のカフェを描いた作品は特によくしられている。



以下 3作品絵画はネットから拝借

「赤い絨毯」


こちらに背を向けて椅子に座った女性が
窓から差し込む太陽の光を利用して縫い物をしている。
裁縫に勤しむ女性は、ユリィが頻繁に描いたモティーフであり
親しんだ光景でもあった。
ユリィが11歳の時に父が亡くなると、ユリィの母親は
子供達を連れて 
ポーゼン(旧プロイセン、現ポーランドのポズナン)から
ベルリンに移り住んだ。
母親は小さなリネン店を開き
その収入で息子達の教育費を賄った。
ユリィは裁縫が日常的に行われていた環境の中で育った。




「夜のポツダム広場」




「冬のベルリン」




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