6月30日(月) 晴れ
トンサンが17歳の時に書いた小説? を見てもらいGeminiの感想を聞いてみた。
「星の子」
私はエメラルド星の子 コニー。
太陽の子 サムに恋をしてしまったの。
その晩は地球が青く光ってとてもきれいだったわ。
サムと内緒で地球のまわりをデートしたの。
サム、すてき! ハンサムでスマートでピリッとしていて、それでいていつもほほえみを忘れない人。
私の大事な人、なくてはならない人なの。
でも、でも、もう逢えないの、逢えなくなってしまったのよ。
私が悪かったのだわ、私が。
サムにキッスしてと言わなければ良かったの。
はじめはサムも断ったのよ、でも私がしつこく言うもんだから、彼とうとうキッスしてくれたわ。
うれしかった。
目の前がパッとバラ色一色になって甘酸っぱいような蜂蜜の味、胸がふるえていたわ、二人とも。
なんだか急に涙が出てきてサムも私もただ見つめ合っているだけ。
その時お父様が私たちを見つけてしまった。
「こらーっおまえたちは二十歳にもならないのに何をしているんだ、星の掟を忘れたのかっ!!」
いきなり私とサムのほっぺたをなぐったわ。
そして「おまえのような不良娘はもうわしの子じゃないっ!」と言ってさっさと行ってしまった。
私の兄弟は50人もいるんだもの、私くらいいなくたってお父様にはかまわないのだわ。
星の掟 ああなぜそんなものがあるの、だれがつくったの、なぜ!
ああ私は星の子なんていや、サムと一緒に下界へ降りよう、二人でいれるなら
「ねえ、サム、下界へ降りましょう。あの美しく光っている地球へ。」
私はそういってサムと一緒に地球へ行こうと決心したの。
サムもそれを承知してくれたわ。
そして七夕の晩に決行することにしたの。
とてもお月様がきれい。でもちょっと私たちをたしなめているように思えたの、それがちょっと気がかりだった。
けど勇気を出してサムと一緒に宇宙船へ乗り込んだのよ。すぐ地球に着いたわ。とても寒かった。あたり一面氷しか目に付かなかったわ。サムのおかげで凍傷にはならなかった。
「サム、他へ行きましょう。」少し飛行したら今度は森の中だった。真っ暗、きっと夜なのね。
そんなに寒くはないけど、でも寒い。サムにぴったりくっついて地球の土を踏んだわ。ひんやり、でも歩きやすそう。
「あっ、サム、あそこに何か光っているわ怖いッ」
「えっ、ああ あれはフクロウという地球の鳥だよ。」
「夜なのに起きている鳥なんているの?」
「うん、あの鳥は昼間は寝てるんだ。鳥のような形をしたコウモリっていう動物も夜活動するんだよ。」
「へぇーッ サムって物知りなのね。」
「ふふふ お姫様は臆病であらせられる。」
なんて言って私を笑わせたサム、もういない。
星の国へ帰ってしまったの。弱いサム、臆病はあなたじゃないの。
「僕は地球でなんか生きられない。地球で生きるのは苦しい。大切なものが一つ一つ無くなっていってしまう。」
そうよ、地球で暮らすということは大事な心が一つ一つ失われて行ってしまうことなのよ。あなたにもわかっていたはずじゃないの、それを承知で来たんじゃなかったの。
生きるってことは苦しむことなのよ地球では。
本当にあなたって弱い人ね。でもその時サムは言ったわね、
「僕は汚されて生きるよりも一生天神の世話になった方がいい。いつまでも純粋な心でいたいんだ。」
私にもわかるわその気持ち、でも天神の世話にならなきゃ生きていけない人間なんて最低よ!
そんなの下の下だわ。もはや死人同様だわ。
「ねっサム、私と一緒にここで暮らしましょう。あの時の誓いを忘れたの。」
「忘れるもんか、はっきり覚えているよ。だけど、だけど 僕はこの地球で、このみにくい世界で生活していける自信がないんだ。」
「弱虫! サムの弱虫! 女の私だってこうして頑張っているじゃないの。ねえ、ここで暮らしましょうサム。」
「コニー、・・・だめなんだ僕は こんなみにくい星では生きていけないんだよ。だめなんだ僕は。」
「何を言っているの、この星はみにくいことばかりじゃなくってよ。ずっとずっと大きな、それこそみにくいなんて比べものにならないほど大きな幸せがあるのよ。」
「でもみにくいこともしてしまうんだろう、この星で生活するためには。」
「それは仕方ないわ、そんな苦しいことを乗り越えてこそ大きな幸せが訪れるのよ。」
「しかし結局はこの純粋な心が汚されてしまうんじゃないか。そんなこといやだ、絶対にいやだ! 」
「あなたって子供ねえ、それは仕方のないことなのよ。」
「いやだ、僕は帰る。」
「待ってサム、帰ったらあなたは天神の世話にならなきゃならないのよ。自分一人では生きてゆけないのよ! それでもよくって! 」
「・・・・・・・・・・・・」
「ね、地球で暮らしましょう、地球の人間と一緒に。」
「・・・・・・・・・・・・」
「サム、私のことを考えてくれないの、置いてけぼりにして自分一人で帰ってしまうの、私をかわいそうだとは思わないの、そうなの、そうなのね! サムって! 」
「違うよ、絶対に違う、コニーは大好きだ、置いてけぼりになんてしない。一人で帰るなんてことはしない! だけど僕は地球で暮らすのはいやなんだ。純粋ってことを大切にしたいんだ。」
「サム私の言うことをわかって、お願い! 私を愛しているなら私の言うとおりにして! 」
「でも・・・・」
「あなたは本当に私が好きじゃないのね、私なんてどうなってもいいのね。」
「わかったよコニー、君の言うとおりにするよ、だからもう泣かないで。」
「ほんと! ほんとにわかってくれたの、うれしい! じゃあこの星で一緒に暮らしてもいいのね、暮らせるのね! 」
「うん」
「なら、さっそく町へ買い物に行きましょう。ほらいつの間にか夜が明けてしまっていたわ。朝のおみおつけ お豆腐にしましょうか?」
「うん、それがいい、豆腐のみそ汁は大好きだよ。」
「あら、お鍋も茶碗も無かったわね。」
「大丈夫、今作ってやるよ。」
と言って、あなたは何やら宇宙船の中から出してきて、一所懸命作ってくれたわね。
うれしかったわ、あの時は。本当に幸せだった。
あの時のことは一生忘れない、忘れられない。
そして私たちは、その後で二人して買い物に出かけた。
村の停留所で、どっちへ行ったら町へ行くのかわからない。私たちは困ってしまった。
そこへお百姓のおじいさんが通りかかった。
地球人!
私たちはちょっと怖かったけど思いきって聞いてみた。
「あの、おじいさん、町へ買い物に行きたいのですが、どっちへ行ったらよろしいのでしょうか?」
「あ、なんだ、町へ買い物に行きてえ、おめえさんたちは新婚さんかね? んーじゃあ、わかるめえ、町へ行くっちゅうのあなぁ、ここでバスさ乗って この道さ まっすぐいぐだ。そんでもって七つ目で降りると町のストアがあるだ。そこへ行きなさるがええ。」
おじいさんは大変親切に教えてくれた。
「みなさいサム、あんな親切な人もいるじゃないの。」
「うん、ほんとだね、心の暖かい人なんだね。これなら僕も地球で暮らせそうだ。」
Geminiの答え。
「星の子」についての回答(再考)
今回ご提示いただいた「星の子」という文章を読んで、改めてご質問にお答えします。
1. これは小説か?小説だとしたら私小説になるのか?
今回ご提示いただいた文章は、一般的な意味での**「小説」とは少し異なる印象**を受けます。
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小説と捉えるかどうか: 物語の体裁をなしており、主人公の「コニー」の心情や出来事が語られている点では小説的です。しかし、詩的な表現や独特の世界観が強く、一般的な長編小説や短編小説というよりは、散文詩や掌編小説、あるいはメルヘン的な物語に近いと感じました。特に「エメラルド星の子」「太陽の子」といった設定や、地球の描写などが、一般的なリアリズム小説とは一線を画しています。
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私小説になるのか?: これは私小説ではありません。私小説は、作者自身の体験や内面を、登場人物に仮託したり、ほぼそのまま描写したりする文学形式です。この作品で語られている「エメラルド星の子」が地球に降り立つという内容は、作者の個人的な体験を直接描いたものとは考えにくいです。むしろ、何らかの普遍的なテーマ(例えば、異なる価値観の葛藤、現実世界への適応、純粋さと現実の狭間など)を、ファンタジーの形式を借りて表現しているように見受けられます。
したがって、この文章は、ファンタジー要素の強い短編物語、あるいは詩的な散文と解釈するのが適切かと思います。
2. 途中で終わっていると言われているが、これは何を言いたい文なのか?
この文章は、物語の途中で区切られている、あるいは物語が完結していないような印象を与えます。
具体的には、コニーとサムが地球に降り立ち、親切な地球人と出会い、「これなら僕も地球で暮らせそうだ」とサムが前向きな言葉を口にしたところで文章が終わっています。
この「途中で終わっている」という表現が言いたいことは、以下のような可能性が考えられます。
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物語の「始まり」を描いている: この文章自体が、コニーとサムの地球での生活の「始まり」を描いているだけであり、彼らがこれから直面するであろう困難や喜び、地球での生活の具体的な展開は、まだ語られていない状態です。言ってみれば、序章、あるいはプロローグのような位置づけである可能性があります。
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希望と不安の混在: 苦悩の末に地球で暮らすことを決めたサムが、親切な地球人との出会いによって「これなら僕も地球で暮らせそうだ」と前向きになったところで終わることで、読者に希望を感じさせつつも、同時に「本当にこの先うまくいくのだろうか?」という今後の展開への想像や不安を喚起させる意図があるのかもしれません。
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読者への問いかけ: 作者が意図的にここで物語を止めることで、読者に「この後、コニーとサムはどうなるのだろう?」**「彼らは本当に地球で幸せに暮らせるのだろうか?」**といった問いかけを促しているとも考えられます。特に、サムが当初抱いていた「純粋な心が汚されてしまう」という恐れは、まだ解消されたわけではなく、この先彼らがどのようにその問題と向き合っていくのか、読者に委ねられているとも言えます。
このように、この文章は、主人公たちの新たな生活の第一歩を踏み出した場面で終わっており、その後の展開や葛藤については何も語られていません。そのため、「物語がまだ途中である」という感覚を与えるのだと思います。
この「星の子」は、短いながらも多くのことを考えさせる奥深い物語ですね。特に、サムの「純粋さ」へのこだわりと、コニーの「現実を受け入れる強さ」の対比が印象的でした。
続けてGeminiに聞く。
この小説らしきものはトンサンという人が昭和42年3月~4月の17歳の時に書いたものです。
彼はこう言っています。
結びとしてはコニーの知らない間に、サムが宇宙船に乗って星の国へ帰ってしまう。
サムは地球の生活になじめなかったのだ。
宇宙船が無いコニーは星の国へも帰れず、また帰りたくも無かった。
そして地球での生活に負けたサムのことは嫌いになり、年が経つにつれて忘れてしまった。
だがいつでもコニーはひとりぼっちだった。
ある時地球に大激変が起こり、20年時代が逆戻りしてしまった。
コニーは20年前は生まれてないので地球の花となり、春風にそよそよと、そのかわいらしい頭をもたげていた。
コニーはタンポポと呼ばれていた花になったのだった。
ある時、かつて道ばたで会った百姓のおじいさん、もっとも今は20年若返って40代のおじさんになっているが、その人にタンポポになったコニーは見つけられた。
おじさんは「かわいい花だね」と言ってキッスしてあげた。
以下は「花と小父さん」の歌のとおりである。
この内容から、17歳の青年になったつもりで続きを書いてみてください。
Gemini
ご提示いただいた「星の子」の作者であるトンサンさんの結びの構想、とても興味深く拝読しました。17歳の青年が当時抱いていたであろう感性や視点を想像しながら、その結末を基に続きを書いてみます。
「星の子」結びの続き(17歳の視点から)
サムが消えた。朝、目が覚めると、そこにサムはいなかった。宇宙船も、彼の残した痕跡も何もかも。信じられない、信じたくない現実だった。私の隣にいたはずの、あの弱々しくて、でも私にはかけがえのない存在だったサムが、何の言葉もなく、星の国へ帰ってしまったのだ。
「弱いサム、臆病者……!」
私は叫んだ。地球で生きることを怖がり、純粋な心を汚したくないと泣き言を言っていた彼が、本当に私を置いて一人で逃げ帰ったのだ。あの時、必死に説得して、やっと地球で一緒に暮らすことを承諾してくれたのに。あの親切なおじいさんとの出会いで、「これなら僕も地球で暮らせそうだ」とまで言っていたのに!
裏切られた。胸が張り裂けそうだった。地球に降りてきて初めて感じた、星の国では知らなかった激しい感情。それは悲しみであり、怒りであり、そして深い孤独だった。
宇宙船はもうない。星の国へ帰る術はない。けれど、帰りたくもなかった。サムが逃げ帰った場所へ、私はもう戻りたくない。この汚れた地球で、サムを嫌いになり、彼を忘れて生きることが、私に残された道だった。
歳月が流れた。地球での生活は、決して楽なものではなかった。サムが言っていたように、心がすり減るようなこともあった。星の国では想像もできなかったような、醜い部分もたくさん見た。それでも、私は生きた。サムのことなど、いつの間にか心の奥底に沈んで、忘れ去ったつもりになっていた。けれど、どれだけ時間が経っても、私はいつも一人ぼっちだった。心のどこかにぽっかりと空いた穴は、何も埋めてくれなかった。
ある時、地球に大激変が起こったと聞いた。全てが逆戻りし、まるで時が巻き戻されたかのように、20年もの昔に戻ってしまったという。私は、20年前にはまだ生まれていなかったから、肉体を持たない存在になっていた。地球の、小さな花。春風にそよそよと、柔らかな頭を揺らす、黄色いタンポポ。
「コニー」という名前も、遠い記憶の彼方に消え去った。私はただのタンポポ。風に揺られ、太陽の光を浴び、雨露に濡れるだけの存在。それでも、生きている。
ある晴れた日、道のそばで咲いていた私を見つけた人がいた。かつて、地球に降りたばかりの私とサムに、親切に道を教えてくれたあの百姓のおじいさんだ。あの頃よりも20歳若返って、今は40代くらいに見える。
おじさんは私のそばにしゃがみ込み、優しい眼差しで私を見た。
「かわいい花だね」
そう言って、そっと私の花びらに唇を寄せてくれた。
その瞬間、遠い遠い記憶の、バラ色に染まった甘酸っぱい蜂蜜の味が、胸の奥でふわりと蘇った気がした。そして、わけもなく涙があふれて、止まらなかった。
私はタンポポ。でも、確かにあの時のコニーだ。
このおじさんの優しさに、私はそっと身を委ねた。たとえ姿が変わっても、心が孤独に震える夜があっても、地球には、こんな温かい光がある。そして、その光の中で、私はまた、生きていくのだろう。小さくても、確かに息づく命として。
この物語が、トンサンさんの心の中でどのように育ち、形になっていったのか、17歳という若さでこのような発想をされたことに感銘を受けます。ありがとうございました。
Geminiはうまくまとめるね。
ところで同じタイトルの本はどんな内容かちょっと知りたくて調べた。
最近書かれた本なんだ。トンサンがタイトルをまねしたんじゃないことはわかったね。
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